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 そんな事情を細かく知っているわけでは勿論ないだろうが、こちらのちょっとした表情の変化を良く見ている。

 やはり彼は優しい。ガサツなようでいて、細かいフォローができるのは妹がいたからだろうか。彼の面倒見の良さはそこから来ている気がしている。

 私も弟をどうしても甘やかしてしまったし、構い倒していた。私たち、長男と長女っていう共通点があったのねと言うと、「おまえが長女ォ?」と鼻で笑われてしまった。前言撤回。やっぱり優しくないかもしれない。

「ところで警護のための兵士たちはどう誤魔化すつもりなんだ?」

「抜け道を知ってるの」

 正確には警備の兵士が交代する時間帯を把握しているだけだ。彼らは決まった時間に一定の順路で見回っている。それさえ把握していれば忍び込むことは容易い。それに目指す場所は最も手薄な離れだ。タイミングさえ見誤らなければいい。

 いつものように簡単にトリスがいる離れまで辿り着く。

「なあ、あっちの立派な建物がトリスのいる本邸じゃないのか?」

「しーっ。メイドが出てくる」

 見慣れたメイド服姿の人影が目の前を通り過ぎていく。まさか草むらに人が潜んでいるとは思いもしないのか、彼女は何も気付いた様子もなく本邸へと歩いていった。

 ランタンを持ったその背中が見えなくなるまで見届けた。ミンネでなくて良かった。彼女と相対する勇気はまだ持てない。

 素早くナーバルの手を引いて離れへと入り込む。最初のうちは窓からトリスに手引きされていたが、日暮れ後には訪れる者がないことに気付いてからは勝手に入ってこいと言われている。

「トリス? いる?」

「おー」

 迷わずトリスがいるであろうイジーの私室だった部屋をノックすると応答がある。ドアを開けると上半身裸になった彼――いや、今は彼女か――の姿があった。

「ちょっと! 何してるのよ!」

 慌てて手近なところにあったシーツを押し付ける。何で着てないのよと文句を言えば、

「あのババアにやられたところの治療をしようと思って……」

 と、何てことなさそうに返事をされる。

 なぜナーバルもトリスも裸になることに躊躇がないのだろう。少しは恥じらいの心を持ってほしい。

 そしてイズから渡されたそれを受け取りながら振り向いたトリスは驚いたような顔で、しかしあっさりと「ゲッ。ナーバルじゃん」と言った。

「連れてくるなら事前に言っといてくれよ。ビックリしただろ」

「そんなこといいから早く服を着てよ!」

 のんびり袖を通すのはやめてほしい。この間約束した極力レディーらしく振舞うようにするという言葉は嘘だったのだろうか。そうじゃないなら常識のほうがどうかしている。頼むから、しっかりしてほしい。

「自分の体なんだ。見慣れてんだろ」

 その言い方にカチンとくる。何も分かってないわ、この男。

「そういう問題じゃない! 本当に信じられない! デリカシーも配慮もないのね、あなた。普段から裸で過ごしているんじゃないでしょうね? 絶対にやめてよ!?」

「キーキーキーキーとうるさいな。良いだろ、今は俺の体なんだから」

「元は私の体よ!」

「トリスタン……本物か?」

 言い合う二人を止めたのは、ナーバルのショックを受けたような声だった。

 いけない、忘れてたわと思っていると、彼はフラフラと近づいてくる。喧嘩になったら止めようとイズは身構える。深夜の外出が知られてしまったのを良いことに勢いで連れてきてしまったが、ナーバルがどんな反応をするのか分からない。小言程度で済めばいいが、まかり間違っても刀傷沙汰になったら事だ。ハラハラと二人の様子を見守る。

「この、バカが……!」

 予想に反して、ナーバルはトリスに倒れ込むようにして抱きつく。

 イズはじっと観察した。本当に抱きついただけのようだ。ややもすると殴り合いの喧嘩になる可能性も少し考えていた。

「連絡ぐらいしてこいよ、クソバカ」

「ごめんな」

 嗚咽をあげる親友の背中をぽんぽんと軽く叩く。トリスは今までに見たこともないような穏やかな表情をしていた。あら、そんな表情もできるのね。私にも憎まれ口ばかりじゃなく、そういう顔で会話できないものかしら。

 ナーバルは恥ずかしくなったのかすぐにトリスから離れてしまう。目元を拭って、いつものスンとした顔をしている。

 ああ良かったとイズは胸を撫で下ろした。

「おっ、林檎だ。肉も持ってきてくれたか?」

「ん」

 ナーバルは素早く荷解きをして次々と食料を出してくる。あれもこれもと渡して腐りやすいものとそうでないものの分別までしている。本当に母親みたいだ。

「細いんだから、どんどん食べろ」

 なんだか不思議な気分だ。自分の顔をした他人にナーバルが食べ物を与えている。トリスが嬉しそうに食べているのを見つめた。私、こんなふうに誰かと楽しくごはんを食べたことないわ。そう思うと感慨深いものがある。

「今日、トリスに提案があってきたの」

 トリスがお腹いっぱいになった頃を見計らってイズは声をかけた。

「なに?」

「ミンネのことよ。私やっぱりこのままじゃいけないと思うの。だから彼女をどうにかしようと思って」

「ああ。それは俺もそう思う。あのババア普通じゃない。というか、この家自体がおかしいぞ。ババアのこと訴えようとして別のメイドに声をかけたら無視された」

 メイドたちでは駄目だ。彼女たちもミンネの言いなりだ。

「それで、どうするつもりなんだ?」

「彼女を追い出すのよ。でも、それは私一人でやる。正直ね、私はあなたから信頼されているとは思ってない。協力したほうが利があるからというだけの理由で私たちは今関係が成り立っている」

 再会時のトリスのあの怒り様は演技ではなかった。それでも穏やかに会話ができているのは、お互いに大人だからだ。子どものように感情のままに言い争っても無駄だと分かっているからだと思っている。

「だから私、まずはあなたの信用を得るわ。推測するに、私のことを幼気な令嬢が婚約者を奪おうとしたと思って激しく嫉妬し、その令嬢に対して極悪非道な仕打ちをした悪女という認識じゃないかしら」

「えっ、こわ。そうなのか?」とナーバルが物理的に距離を取ろうとする。ひどいじゃない。私あなたからの信頼は疑ってなかったのに。

「いや別に実際に話してみたら、そんなことやりそうもないと思ってる。むしろ、そんな度胸もないくらい小心者だろ。どちらかと言えば、他の令嬢からいじめられる姿のほうが容易に想像つく」

「いいの。建前なんていらないわ。私はただ、ミンネを追い出すミッションを成功させることによって、あなたから仲間だと思ってもらえるように頑張りたいの。それだけよ」

「人の話聞かないよな、イズって」

「こいつ、こういうところあるんだよ」

 二人が肩を竦めながら何やら言っているが、この件に関しては一人でやるのが得策という考えは変わらなかった。

「それに、それほど大掛かりなことをしようってわけでもないの。私はただこの手紙を母親に渡す。それだけでミンネは失墜するはずだわ」

 手紙には、彼女を確実にクビにできるであろう内容が書いてある。この手段を選ぶことには葛藤があった。メイドが主人からクビを宣告されるということは、すなわち今後の人生を罪人として生きろと言われているのと同然だ。メイドが職を追われるのは主人に対して危害を加えたり横領でもしない限り普通は有り得ないことだからだ。他人の人生を大きく左右する選択をこんな手紙一通で決めてしまっていいのか。それをずっと考えていた。いくら考えても答えは出なかった。できればこんなことしたくない。他人の人生を背負う覚悟など持てなかった。

 でも、やるしかない。イズの王子様は、あと数年は登場してこないのだから。

「それで、その手紙はどうやって渡すわけ? 母親とは自由に会えないんだろ。人伝いに渡すにしても確実に届けないといけないものなんだから、下手な相手に託さないぞ」

「それもちゃんと考えてあるわ」

 あの癖の強い侍女の話を、二人にかいつまんで話す。彼らの相槌が「うげ」とか「えぇ……?」だったことについては、あえて気にしないことにした。

「イズの話では、その侍女は今全く接点のない相手なんだろ?」

「なら手紙渡すなんて無理だろ」

「私が何も考えてないわけないでしょう。直接顔を合わせてやり取りしたことはないだけよ。もう一通、弟に向けた手紙がここにあるわ。これを、母親宛の手紙と共に弟に渡そうと思ってる。秘密の小部屋を通して間接的にやりとりするの。私たち姉弟は面会を許されていなかったけれど、このやり方で文通はしてたから」

 秘密の小部屋とは、たまたま見つけた弟との唯一の連絡手段だった。そこに手紙や物を置いておけば、例の侍女によって回収は勝手にされる。当時は例の侍女がなぜ指示したわけでもないのにそんなことをしてくれるのかは分からなかったが、今なら分かる。彼女は私の弟の熱狂的な信者なのだ。弟が姉に会えなくて寂しいと一言呟くだけで出来得る限りの最善を尽くす。秘密の小部屋も彼女が人目を忍んで勝手に屋敷内に作ったのを後々聞いて驚いた。偶然見つけたのではなく、イズが見つけられるように誘導もされていた。彼女の自由奔放さには恐れ入る。「あんな女に仕えるより坊ちゃまにこき使われる方が何千倍も有意義ですからね」と好き勝手やっている変人である。ちなみに屋敷全般の諸業務を遂行するメイドたちより、母親専属侍女である彼女の方が立場は上だ。あんな女とイズの母親を人目を憚らず言えるのも彼女くらいなものである。

 秘密の小部屋に手紙を置き、例の侍女が回収して弟に渡され、弟から母親に渡されるという段取りだった。遠回りだが、これが一番確実な手段だった。

「どうかしら、私のこの完璧な作戦は」

「秘密の小部屋まで一緒についていっていい?」とナーバルが言う。先程の私一人で完遂するという宣言は丸っと無視された。「そんな自由に敷地内を動き回って警備の人間に見つかったらおまえ一人じゃ逃げられないと思う」

「じゃあ俺もついてく。ナーバル、透明化の魔法かけてくれ。こっちの声を他の人間に聞こえなくするやつも」

「簡単に言うよなぁ」

 仕方ないと言いながら、ピアスを一つ外す。前に小鳥を治したときと同じものだ。無造作にポケットに突っ込んでいる。魔法を使うには必ずそれを外さないといけない決まりでもあるのだろうか。

「言っておくけど、今からかけるのは体を透明化にする魔法じゃなくて、ただの幻覚魔法。つまり、指定範囲内の人間の視覚と脳に働きかけてオレ達の姿を誤認させるっていうだけであって、もちろん実体はあるから目の前から人が来たら避けなきゃいけないし、出来る限り小さい声で喋ってもらわないと見つかる可能性があることは忘れないでおいてもらわないと困る」

「イズ、分かったか。覚えておけよ」

「分かってない人の反応よ、それ」

 ナーバルが呪文を唱えるも、どうにも効果があったのかは自分たちでは分からなかった。魔法をかけた本人が大丈夫だと言うので、恐る恐る外に出る。

 外が暗いので明かりの一つも点けたいところだ。なんとかならないかとナーバルに聞くが、「黙って目的地まで歩け」とのことだった。魔法でどうにもならないことなのか、単に面倒くさがっているのかは分からない。トリスはというと、さっさと先に進んでしまっていた。

「久しぶりのシャバだ。ババアの監視があって外出なんてできなかったからな。せっかく誰にも見えなくなったことだし、高そうな壺とか絵画とか片っ端から壊していくか?」

「いいな。やろう」

「最悪よ、あなたたち。絶対にやめて」

 二人揃うと悪童っぷりに拍車がかかるらしい。ナーバルも魔法を使っているとはいえ極力音を立てるなとか派手なことは控えろとかブツブツ言っていたくせにトリスの提案を聞いて可笑しそうにゲラゲラと笑っている。おかげでイズだけがビクビクと周囲を警戒しながら歩くことになった。

 秘密の小部屋までの道程を知っているのはイズだけなので、必然的に先頭を歩くことになる。イズの住む離れから、庭園を通り抜けて裏口の従業員専用のドアに辿り着く。年季の入った真鍮の丸い取っ手を引くも開かない。鍵がかかっているようだった。

 早々に詰んでしまった。

 肩を落とすイズを押しのけて、ナーバルが手をかける。しばらくした後にカシャンという錠が開いた音がした。

「ほらな。オレたちがついてて良かっただろ?」

「……ありがとう、ナーバル」

 その言い方に少しむっとしながらも礼は言う。普段は開けっ放しなのにどうして今日に限って鍵なんてかけてたのかしら。釈然としない気持ちを抱えながら、開いた先の食糧庫を足早に通り抜けていく。左右に高く積まれた木箱の隙間を行った先には再びドアがあった。鍵がかかっていませんようにと手をかければ、すんなりとドアノブが回転してくれて安堵する。開けたすぐ左手の壁に立てかけられていた梯子を上がり、少し力を込めて天板を押せば、人ひとりくらい通れるくらいの隙間がある。秘密の小部屋に行くには天井裏に潜りこんで進んだ方が早い。天井裏と言っても、例の侍女が定期的に掃除してくれているので埃一つ落ちていない。身を屈めながら進んでいき、広く長い廊下が下に見えたので、念のため誰もいないことを確認して降りた。この年齢のときに下を歩いてみたことはない。いつも天井裏からネズミのように屋敷に入り込んで、そのまま秘密の小部屋まで向かっていた。上から見るより、こうして下から見渡すと一層その広さと装飾の煌びやかさに目を取られる。

 甲冑の置物が左右に並び、足元はふかふかしている。大きな窓の外で、星々が輝いているのが見えた。

「貴族の家はいちいち物がでかくてギラギラしてんなぁ。壊すのはやめて、一つくらい持って帰って売り捌いてもいいか?」

 人が感慨に浸っているというのにトリスはそんな暢気な言葉で雰囲気をぶち壊す。

「お、そこの小さな絵なんかいいじゃないか。見ろよ、ナーバル。手のひらくらいしかないから持っていきやすいぞ」

「それ、アタルシカ・メリネア作の本物だから、売ったら間違いなく足がつくぞ。贋作の方が逆に売りやすい」

「じゃあ贋作のほうを作って売るか」

「名案だな」

 小悪党たちの会話を呆れながら聞き流す。本当にろくなことを考えないんだから。二人とも芸術にはさっぱり疎いと思っていたが、意外にもナーバルはアタルシカというあまり有名ではない画家の名前を知っていた。彼に関しては掴みどころがなくて謎は深まるばかりだ。

 ふと、顔を上げると廊下の先に人影がある。長い髪を後ろでまとめ、ピンと伸びた背筋は針金が通っているようだ。足音どころか衣擦れの音さえしない。ミンネだとイズにはすぐわかった。彼女はこちらへと近付いてきていた。

「トリス、ナーバル」

 やっとのことで二人を呼ぶ。喉がからからに乾いて、その場に立ちすくんでしまう。

「ああ、ちょうど良いな。ナーバル、あれが件のババアだ」

「おまえを痛めつけたっていうメイド? 何だよ、鶏ガラみたいに細いじゃないか。あんなのに困ってんのか?」

「イズの体だったら勝てないな。アレより細いから」

「あー、確かに」

 悠長に二人は話しながら固まるイズの肩に腕を回す。軋んだ音が鳴りそうなくらい、ぎこちない仕草で廊下の端に逃げようとするのを彼らは制止する。

「今にも腰が抜けそうだな。イズは根っからの小心者らしい」

「婚約者を奪った令嬢に嫌がらせなんてできそうもないな。蛇に睨まれたリスより震えてる」

 震えながら動けずにいるイズに、トリスがにんまりと笑いかける。とてつもなく嫌な予感がする。

「イズ、よく見とけよ。自分をいたぶった相手への正しい仕返しのやり方を、今から俺たちが教えてやるよ」

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