4話 もう一人の自分
前にはカツカツと踵を踏み鳴らし先導する井部。後ろには「ふんふ~ん」と陽気に鼻歌を鳴らしてついてくる不破に挟まれながら、明久は医務室を出て館内の廊下を歩いていた。
すらりと伸びた長い脚に、しなやかな腰つきとたくましい背中を見せる井部。服装もフォーマルなベストにしわ一つないスラックス、襟元に見えるシャツはアーガイル柄の格子模様を見せており、遊び心が感じられるワンポイントだ。高身長ということもあってオフィスカジュアルな服装が、井部の雰囲気と絶妙にマッチしている。
対して後ろを歩く不破は烏羽色のシャツを着くずし、擦り切れたコートをなびかせる。細く綺麗な首筋はまるで女性のようだが、ボタンの開けた胸元には引き締まった肉体美をのぞかせている。どうもお気楽な印象を受ける不破だが、その身のこなしに隙はない。明久の緊張を解くためか場を和ませようと鼻歌を鳴らしているも、彼の目は常に明久の動きを観察していた。
「着きました」
井部がそう言って立ち止まる。明久はその横に並び「わ」と声をもらした。
そこはサッカーコートほどある開けた空間で、上下左右がコンクリートに囲まれている。床や壁、天井にも大小さまざまな傷跡がついており、薄明かりの電灯が得も言われぬ不気味さを演出していた。
「ここは私たちの修練場です。この場で日夜己の腕を磨き、互いに力を高め合っています」
副長然と井部は誇らしげに語る。「僕は使ったことないけどね~」という不破の小言は完全に無視されていた。
「さあ明久君。どうぞ入ってください」
おずおずと明久が一歩踏み出すと、その冷ややかな空気に一瞬息がつまる。
「やはりここは背筋が伸びますね」
「井部ちん、いつも背中ピンピンじゃん。それ以上どうやって伸ばすのさ」
「あなたは少し黙っていてください」
いつも通りのやり取りを交わしながら三人は歩き続け、修練場の中央で立ち止まる。
「さて明久君。いまからその仮面を外してもらいます。明日の日の出までに仮面を外せないようでしたら、君の首が飛びます」
「え、えぇ⁉」
井部は左手首につけた腕時計をちらりと見やり話を続けた。
「現在時刻は午後九時ちょうど。明日の日の出は午前五時頃なので、いまから八時間がタイムリミットです。外し方は教えますが、外れるかどうかは当人の気力次第です。命がかかっていますので、文字通り死ぬ気で励んでください」
厳格な物言いに、いよいよ明久の逃げ場がなくなる。
「大丈夫。君も僕らも公平に命懸けだから。それに明久はどれを選んでも結局殺されるんだ。生きていくためには、仮面を外すしかない」
不破が穏やかな声音で現実を突きつける。「ふぅー」と長い息を吐き、明久は与えられた選択をただ受け入れた。
「分かりました。やります」
少年の決断にこくりとうなずいた大人二人。
「それでは不破さん、お願いします」
そう言って井部は数歩後ろにさがった。
「明久、いまから僕と明久で、君の深層心理が具現構築する世界にダイブする。そこで君は己の負力と向き合い、力を制御してもらう」
「精神世界……そこにはどうやって?」
「それはいまから僕が術を使うよ」
ただ、と不破は忠言を付け加える。
「この術は君の負の根源――〈シャドウ〉を無理やり表に引き出すもの。精神世界にダイブできるとは言っても、深層心理に到達できるのは本人だけだからね。僕の力を貸せる領域まで引っ張り上げるにはこれしかないんだ。そして、表に引き出された負の根源は、本体の身体を使って暴れ回る」
わずかに残る暴走時の記憶が明久の脳裏をかすめた。
「その対応に井部ちんが回るってわけ。いくら北関東支部の副長とは言え、全開で暴走したシャドウを抑え込むのはもって半日。先に明久の身体が壊れる可能性も十分にあるから、タイムリミットは日の出よりも短いと思っていて。――さあ時間が惜しい。すぐに始めようと思うけど、心の準備はいいかい?」
明久の返事はどこか自棄的だった。
「準備って……こんな訳分かんない状況で、冷静に心落ち着かせられるほど変人じゃないです。――俺はただ、定められた運命を歩きますよ」
不破は大人びた笑みを見せ答える。
「悪くないね。井部ちんも準備は良いかい?」
「構いません。……明久君、半日後にあなたを殺します。死にたくなければ早急に帰ってくることです」
無言で首を縦に振る明久。
「よぉし! じゃ始めようか!」
不破が威勢よく声をあげたかと思うと、予備動作なしで仮面を起動させた。不破の面は模様も突起物もなにもない、純白の無垢な仮面だった。
「〈参ノ面――影詠〉」
その言は仮面に三本の黒い縦線を刻み込んだ。両目に金色の煌めきが見えた途端、不破の影が生物のようにうごめき、シュッという音を立て明久の影へと伸びていく。不破の影と明久の影が重なった時、少年の心臓がドックン! と生命の異常を感知して強くはねた。
明久の視界は徐々に狭まっていき、背中から深淵へと落ちていく。
不破が重なった二人の影の中へと溶け込んでいき、修練場には呆然と立ち尽くす明久の身体と、半身で構える井部の姿だけが残った。
「――はぁ。面倒ですネ」
ため息交じりに井部が仮面をつけたその瞬間、明久の咆哮が地面を揺らす。
「ッギャァァァァァァッ‼」
「元気がよろしいようで大変結構デス。半日は殺さないと約束しましたガ、〈逆さ〉の私はいつあなたを殺スか分かりまセン。私の殺意トあなたの肉体との我慢比べデス……ネッ!」
井部の掌打が明久のみぞおちにめり込み、その肢体は修練場の中心点から天井間際の壁まで吹き飛ばされる。
「さあ私の行イに罪ヲ定め罰ヲ与えヨッ‼」
「ギョァァァァァッ‼」
空中から降りかかる明久と、地上から迎えうつ井部の拳とがぶつかり合い、修練場は雪崩のような轟音に包まれる。パラパラと飛散した瓦礫の雨が堅固な地面をえぐっていた。
***
足下に敷き詰められた鏡の床には、綺麗な青空が映り込んでいる。
見上げると数十メートル先の天井には仰ぎ見る明久自身の姿が映り込んでいた。
「これが俺の……」
明久の深層心理は鏡によって天と地が作られている世界だった。四方に広がるのは天地が反射し合って広がる澄んだ青。その中の異質な存在として、鏡は明久と不破の姿を映し出している。
「これが君の具現構築か。どこに行っても自分の姿が見えるなんて、よっぽど自分のことが好きなんだね」
「……きっと逆ですよ」
明久の声はどこか自嘲的だ。
「自分の顔が嫌いだから、どうやって見られているのかを監視する。ここは間違いなく僕の世界です」
「なるほど。周囲の視線を恐れているから、常に自分のことを見張っているんだ。でもここには、君の〈シャドウ〉がいない」
ぐるりと見まわす。果てしなく広がる四方の果てにも、それらしき影は見つけられない。
「きっとここは本当の深層心理ではない。明久の心の中には、もう一段分厚い膜が張られているんだ。〈シャドウ〉は必ずそこにいる」
確信めいた見識を立てた不破だが、その顔はどこか憂いを感じているようだった。
「んー、二重の使用は明久の身体にかなりの負荷がかかるし、僕も疲れるんだけど……。ま、戦っているのは井部ちんだし、何とかなるっしょ」
考えるのが面倒になった。そんな風に見えた不破に一抹の不安を抱える明久だったが、だからといって自分に何か対応策があるわけでもない。おとなしく彼に身を委ねて早々と帰還することだけを考えることにしておいた。
無動作で仮面を呼び出した不破は、鏡張りの床に手をついて静かに言を放つ。
「〈二重参ノ面――真影月詠〉」
三本の黒い縦縞模様に、三本の赤い横縞模様が重なり合う。
不破が手をついていた少し先のところで、黒い光がぐにゃりと揺らめいた。
刹那、バキンッ! と音をたて床の鏡を打ち破るぶあつい黒色の鞭。
何かを訴えるかのようにうねったそれは、ゆっくりと床の奥底へと戻っていく。
ドグンッ――!
「ぐっ⁉」
明久の心臓が強く痛んだ。
「大丈夫かい? 無理やり魂の扉をこじ開けているんだ。その負担はかなり大きい。現実世界の明久も、その痛みで相当に暴れまわっているだろうね。ま、相手は井部ちんだし何とかするでしょ」
天空の遥か遠くから井部の壮絶な舌打ちが聞こえた。不破はそれを他人事のように無視して、黒鞭が開けた床の穴へと飛び込んでいく。
左胸を抑えながら明久もその後をついていった。
目線を下に向けると、赤々とした光が見受けられ、足元から焦げるような熱を感じる。
突如、ブワッと視界が開け地底の全容が露わになった。
地の底はドーム型の空間で、至るところから炎が噴き出し、まるで煉獄のような光景だ。
地面に降り立つと見える景色はぐっと様変わりする。
それはまるで、あの日の家のようだった。
「燃え盛っているね。まるで憎悪の海だ」
不破の言うように、噴き出す炎は何かに怒っているようにも見える。
「無理矢理引っ張りだしたことに怒ってるのかなぁ。たまにいるんだよね〜」
ため息をつかんばかりにそう言うと、空から降り注ぐ火球が二人の前に落ちた。
「俺も⁉」
「自分に攻撃するなんてよっぽどだね。あはは!」
(全然笑える状況じゃないんですけど⁉)
そんな明久の反応に気づくこともなく、不破はつかつかと歩き出す。
二人が降り立ったのはドーム状になった空間の真南だ。ドームの中央に小高く盛り上がった岩山があり、そこを起点に東西南北へ十字路が伸びている。滞空時にそれを視認した不破は、迷うことなく中央へと向かっている。
「ここには、いるんですか……その、シャドウってのが」
「うん、いるね。君のシャドウは随分ご立派なようだ」
中央に近づくほど周りの火力は増し、見覚えのある家具たちが煉獄の餌食になっていた。
「やっぱりここ、あの家だ」
確かめるように明久がつぶやく。あの日見た光景が空間ごと切り取られ、乱雑に並べられた世界に少年の〈負の根源〉はいた。
「見つけた」
そう言って不破が指差した場所は、高さ五メートルほどある岩山の頂点。そこに黒い影が背を向け鎮座していた。
「あれが君のシャドウ。もう一人の明久だ。さあ行っといで」
軽く背中を押された少年はごくりと息をのみ、ゆっくりと岩山へと向かっていく。
麓まで近づいたタイミングで黒い影はのそりと動き、明久の方に振り返った。
「なっ――」
黒い影の素顔に、少年は言葉を失う。
焦げ付いた肌。四肢はほどよく引き締まり、ボロボロになった薄手のコートには火花が散っている。そして明久とうり二つの顔がいかめしく顔を歪ませていた。
「てめぇ、どのツラ下げて俺の前に現れた。あぁ?」
発せられたその声はすくみ上がるほど低く唸り、明久の身体は恐怖に支配された。
「愚図が」
短く言葉を吐き捨てたシャドウは、軽々と険しい岩山を下ってくる。硬直した明久の眼前に飛び降り、えぐるような目つきで少年の顔を睨みつけた。
目線をそらす明久にシャドウはにぃっと口角をつり上げる。
「ヒャハハハッ‼ てめぇいつからそんな腑抜けになりやがったんだ! アヒヒヒッ‼」
シャドウの猛烈な嘲笑が煉獄に鳴り響く。
それでも明久は動かない。いや、動けなかった。
(見ただけで分かってしまった。コイツは、俺だ……)
悪魔のように恐ろしく破顔させるシャドウ。その顔、その性格、その行動の意味が分かるからこそ、明久は目の前の〈負の根源〉を否定したかった。
「あぁ? 少しは思い出したか。そうだ、俺はあの日生まれた。俺の家、俺の家族が焼かれたあの日、俺は憎しみの海の中で強く、強く誓った。死んでもアイツを殺すってなあ‼」
シャドウの叫びに呼応して爆炎が宙を穿つ。
身動きが取れず、ただ震えるばかりの明久にあたたかな手が添えられた。
「恐れるな。シャドウは敵じゃない」
冷静な不破の声が、明久に恐怖を静かに鎮めた。




