馬車に揺られて 2
「で、見つけたのがそれだけだったの?」
「うん。ミカラがいつもと違うものが食べたくて呼んだだけだった」
馬は歩みを進め、馬車は再び街へ向かっている。
攻撃的な魔物が潜んでいるものかと思って警戒して林へ入ったものの、結果的にミカラが行き着いた先には怪我による出血で弱り倒れている黒曜鹿がいただけだった。
黒曜鹿は黒曜石に似た性質の脆いが切っ先の鋭い角を持っている魔物だ。普段は大人しいが同族との縄張り争いはとても苛烈らしく、角で相手を刺し殺す時がある程だと聞いたことがある。
ミカラは肉食なのだがまだ子供で肉を食いちぎる力はなく、普段は細切れにした生肉を与えている。新鮮な肉を食べたいが、ミカラだけではどうしようもできないから僕に解体してもらおうと僕を呼んだのだった。
僕はミカラがして欲しいことを察して黒曜鹿の首にナイフを刺しトドメをさした後、少しだけ肉を切り取り馬車に戻って今に至る。
「結局林には何もいなかったし、ミカラも馬車に危険は無いと判断したから寄り道したんだよ。だから大目に見てあげて」
「別にいいわよ。魔物に傭兵の事情なんか分かんないし」
「そう言ってもらえるとありがたいよ。たまにいるんだよね、魔物なんか連れてくるなーって言う人がさ。こんなに可愛いくていい子なのに」
肉を爪くらいの大きさに切り取って四つ這いになっているミカラの口元に運ぶ。待ってましたと言わんばかりにミカラは肉を咥え、くちゃくちゃと音をたてながら美味しそうに食べる。
指を近づけると、くりくりした目をこちらに向けてから頭を僕の指に擦りつけてくる。触ってもいいぞと許可が出たのでそのまま優しく指で頭を撫でる。なんて愛らしいのだろう。
「……クーロ」
「なに?」
「この子に餌付けしたいから私にも肉分けて」
「もちろん喜んで」
モイラにもミカラの良さが分かってきたか。
同じ要領で肉を切り取りモイラに渡す。ミカラはまだ食べ足りないらしく、モイラが肉を渡すと嬉しそうに肉を頬張る。
「撫でてもいいかしら?」
「さっきの僕みたいにまずは指を近づけてみて。ミカラから指に触ってきたら撫でても大丈夫だよ」
モイラは凄い勢いで紐を緩めてレザーグローブを外し、指をミカラに差出す。ミカラが指に触ってから彼女はミカラを撫で始めた。気持ち良さそうなミカラを見ながら黙々と撫で続ける彼女の口角は上がっている。
顎を撫でている時にモイラの手のひらが見える。剣の鍛錬でマメやタコだらけ。傭兵に関わることしか興味ないと思っていたが、女の子らしいところもあるんだな。
「可愛いでしょ?」
「……可愛い。私もこの子と同じ種類のコウモリ捕まえようかしら。こんな綺麗な子どこで見つけたの?」
「ミカラシ大森林さ。仕事で行ったときに他の微睡みコウモリから仲間外れにされて弱ってたところを見つけてね、しばらく観察してたけど赤ん坊にも関わらず母乳も貰えず死にそうだったから拾ってきたんだ」
「この子微睡みコウモリなの?普通は毛が黒いじゃない」
「間違いなく微睡みコウモリだよ、小さいネズミに噛み付いて眠らせてるとこ見たし。見た目が白いから仲間と思われなかったのかもね」
「微睡みコウモリってこんな賢かったかしら?確かに狡賢いけど、人からの指示を聞いてそれを実行できるとは思えないわ」
「そりゃ僕の育て方が良かったんだろうね」
「馬鹿言わないで。育てるだけで全部の魔物が言うこと聞くなら皆やってるわ」
(冗談なんだから笑うなり冗談で返すなりしてくれてもいいだろうに)
彼女に冗談が通じないのはいつもの事だが、魔物については彼女の言う通りだ。
この世界には魔物が蔓延っている。確かに調教すれば言うことを聞く魔物もいるにはいるがそんなのは一握り。愛情込めて世話したところでしっぺ返しをくらうのは常識。子供が産まれたばかりの竜を世話して数年後にはその竜に丸呑みにされる童話だってあるくらいだ。
ミカラだって元気になったら森に返すつもりだった。だが育つにつれて驚く程賢くなり、世話をしている内に偵察の補助まで出来る様になったから一緒に暮らすことにした。本来、微睡みコウモリは集団で効率よく狩りをする上で連携を取るくらいの知能しかないのだ。
当の本人は話題の中心になっていることなどつゆ知らず、満腹になったのかモイラの手から離れてぶら下がって眠り始める。モイラは「あっ」と小さく溢した後、名残惜しそうにミカラを見つめた。
彼女は顔をぐるりとこちらに向けて真っ直ぐに僕の顔を見る。
「この子何日か私に預けない?」
「ぜっっったいに嫌だ」
男より女の子の側が心地いいからって僕の元に戻って来なくなったらどうするんだ。
「ミカラはもう僕の家族も同ぜ……」
突然上空から翼のはばたく音がした。
その翼から生じる音はコウモリのものとは比にならない。浮雲を散らしてしまうのではないかと思わせるそれは翼の持ち主の質量と強大さを否応無しに感じさせる。
慌てて顔を出し空を見上げると、人間なんて軽々と握り潰す力を持つ2対の脚が目に入った。
「骨断ち鷲だ!全力で逃げて!馬の頭を掴まれたらあっという間に潰されますよ!」
御者は馬たちに鞭を振るうと速度をぐんと上げ、馬車は大きく揺れて不安定になる。振り落とされないように馬車に掴まりながら引き続き骨断ち鷲を観察する。
鋭い目は既にこちらを獲物として捉えている気がした。続けているうちはまだ襲ってこないだろうが、急降下してくれば簡単に距離を詰められ襲われる。それまでに戦闘体勢を整えなければ。
「降りてきたところを私が斬るわ」
振り向くと天蓋の布を剣で切り裂き上空への視界を確保したモイラが骨断ち鷲を睨みつけていた。
「駄目だ。足場がこんなに不安定なのに激しく動くのは危険だ。馬車から落ちたら擦り傷じゃ済まない」
「じゃあ私の魔法で倒す」
「動く敵に当てられるようになったの?」
「近づいてから撃てばいいでしょ」
「あんな大きなやつが君の魔法で火だるまになってこっちに来てみなよ。馬車は燃えて護衛失敗だし、最悪全員死んじゃうよ」
「じゃあどうすんのよ」
「君が魔法で倒す」
「あんた言ってることが違うじゃない」
「少し工夫をするのさ。僕に考えがある」