第9話 昏い穴から這い出てきたもの
第一階層が迷宮、第二階層が監獄ときて、アルトス達が足を踏み入れたここ第三階層は要塞と呼ばれる場所だった。
ここは古代エルフと悪魔達が戦争していた時に使われた場所、あるいはその写しなのだという。それが証拠に至る所に古代エルフ語が書かれ、武器庫には壊れた武器が散乱。作戦室と思わしき場所には、この世界とは似ているようで違う地図などがあった。
この要塞は世界各地のダンジョンにも良く見られる階層の一つで、その殆どが一緒の作りなのだという。何故なのかは解っていない。ダンジョンは未だ謎だらけなのだ。
ただ、この階層の特徴として時折古代エルフ時代の希少なアイテムや武具が手に入ることがある。冒険者としてはそれだけで十分であって、あえて調べようとするものもほとんどいなかった。
「アルトス。ワタシの歩いたトコだけを歩いてね?」
ヴィヴィは小型ボウガンを構えながら慎重に進んでいる。アルトスは言われるまま、彼女の歩いた場所だけをついてゆく。
彼女の斥候としての力は信頼に足るものだった。前のパーティーでもその力は遺憾なく発揮されていて、アルトスは一回も罠にかかったことは無かった。
彼女はアルトスの三メートルから五メートル強を先行して、警戒しては時々フッと座り込む。何をしているかと思うと、彼女の目の前の床がいきなり伸び上がり、バチン! と音が響く。
トラバサミをもっと醜悪にしたような罠だった。アルトスの膝まで伸び上がるそれは、食らったら間違いなく行動不能になるものだった。
「……前より罠が酷くなってる。ここのモンスター達は頭を使うから嫌なんだよな」
「それでも、魔法も使わずに発見したヴィヴィも凄いよ。ダークエルフはこういうの得意なの?」
そういうと、ヴィヴィは少しだけため息をつく。
「……あんまり魔法使えないから。ワタシ」
「そうなの? エルフ族って魔法が得意なんじゃ……」
「エルフ族にも色々いるってこと」
アルトスは何か失言をしてしまったかなと口を手で塞ぐ。ヴィヴィの声が少しだけ低くなっていたからだ。
「ごめん。気に障ったなら謝るよ」
「いいよいちいち謝らなくて。アルトス、ここ悪魔族ウロウロしてるから気を張ってくれないとーー」
ヴィヴィがそう言ってこちらに振り向いた瞬間。彼女の背後にヌッと現れる影があった。
アルトスは自然に体が動いていた。驚いて目を丸くする彼女を大きく飛び越えて跳躍。バッと蹴り出した足刀は通路の影から現れたレッサーデーモンの喉に突き刺さった。
「グゥオオォォォォ……」
バッターンと倒れるレッサーデーモン。赤錆色の体にゴート角、手と足が長い人外めいたシルエットの低級悪魔だ。ギラギラと輝く金の瞳は常に侵入者に向けられている。
彼らと出会ったらまず呪文を唱えられる前に速攻をかけるのが定石だ。アルトスはそれをしっかりと踏まえた上での攻撃だった。
喉にめり込んだ足はそのまま炎を纏い、レッサーデーモンを燃やしてしまった。流石は隠れスキルの力。一撃必殺だった。
「気を張ってないとダメだよね。大丈夫?」
「……前言撤回。頼もしいね。あんがと」
ヴィヴィはニヒッと笑うとアルトスを通り越し、再び先を歩く。そこからしばらくの進行は恐ろしくスムーズであった。
今になってアルトスは気づいたが、先行するヴィヴィは時々イタチのように振り向いては止まり、歩調を合わせてくれている。ついて行くにはとても楽だった。
「ヴィヴィはどこでそんな技を習ったの?」
「さっきからワタシの事よく聞くじゃない」
「迷惑だったかな。僕、今まで人の事全然興味なかったかなって、反省してて、その」
「いいよ。立ち入ったこと聞かないのは嬉しいし」
ヴィヴィは十字路に来ると、左右を確認して注意深く地面を見て罠を探す。安全だとわかると、振り返ってアルトスに手招きをした。
「最初に組んだのがドワーフの元傭兵でね。娘に似てるとか何とか言われて叩き込まれた」
「お師匠ってわけだ。今その人は?」
「文字通り膝に矢を受けて引退。トラップだった。今は鉱山都市で武器屋やってるよ」
これはその餞別、とボウガンを掲げる。基本的に機械を扱うことを嫌がるエルフ族が何故ボウガンを使っているのか不思議だったが、アルトスはようやく納得することができた。
ヴィヴィの後についてゆくこと小一時間。そこからずっと、モンスターと出会うことなく進む。流石だとアルトスは心の中で唸っていたが、ヴィヴィはボウガンを構えながらはてなと首を傾げていた。
「何か、変だな?」
「変?」
「今、第三階層の後半に進んでるんだけど……やけにモンスターが少ない気がする」
「君が避けてるんじゃないの?」
「ううん。そうじゃない。いないんだよ。全然気配がない」
アルトスが周囲を見渡す。この要塞に入って二つほど階段を下がった。経験則から言えば確かに後半だ。
第二階層から第三階層に下りると、まず司令室のような小綺麗な部屋に到着する。そこから作戦司令室のような場所、士官達が詰める部屋を通って下層へ進むと段々と質素になってゆくのが特徴だ。
今いるのは歩兵や下級魔道士が詰める部屋が連なる場所。狭い部屋に反して通路は広く、天井も高い。太古の昔多くの兵士達が行き来していたのがうかがえる。
このように部屋が多い場所はモンスターが唐突に現れて挟み撃ちを仕掛けてくる。いつもならひりつくような殺気が漂うのだが、今はそれがない。
「罠? それともチャンス? ヴィヴィどう思う?」
「……チャンスの方に賭けてみない? もうそろそろ冒険者達が潜る時間だし。ワタシは先に進むべきだと思う」
アルトスが懐中時計を胸元から取り出して見てみる。確かに時間的にはもう朝。ヴィヴィの言うとおり、街にいる冒険者達が準備をし始めている時間帯だ。モタモタしていると後続が追いついてきてしまう。
「そもそもこのダンジョンをクリアしようとしてるのはワタシ達だけじゃない。ランキングの上から言うと白い手のイゾルテとか、巌のアンドレアスとか。黒腕のザメハとか。エリック達だっている」
「前は最下層一歩手前まで来たからね。他のパーティーだって同じはずだ。うかうかしてると攻略されちゃう、か」
「鉢合わせも厄介。特に白い手のイゾルテは喧嘩っ早いって聞く。制御の効かない狂戦士だってよ」
アルトスの脳裏にはムキムキの半裸の男が「こんにちは、そして死ね」と笑いながら切りかかってくるイメージが浮かび上がり、ぶるりと震える。そう、モンスターだけじゃない。ここでは冒険者もまた脅威になりえるのだ。
「……先に進もう」
アルトスとヴィヴィは頷いて、慎重に進んでゆく。
そのままモンスターに出くわすこと無く兵舎の廊下を抜けて、第三階層の最終地点へ到達。そこは出陣式が行われるような大広間であり、同時に古代エルフ時代の守護者の格納庫でもあった。
「見てアルトス。昨日止めたのにもう復活してるよ」
「ええ……あのゴーレム倒すの大変なのに」
アルトス達が大広間の入り口から顔を出して見たのは、大広間に佇む大きな像。巨大な石の剣を持ち、丸みを帯びてずんぐりとした石の鎧。大きさは三メートルほどで、ところどころに傷がある。
「古代エルフの兵器、巨石のゴーレム。まあ、このダンジョンはその記憶の写しなんだろうけど、あれまで再現しなくたっていいじゃんね」
「変だな。昨日僕が倒したのに。二、三日は活動停止じゃなかったっけ?」
「うーん……でもまぁ、石と砂があれば半永久的に再生するからね」
「ええーやだなーまた戦いたくないなー」
アルトスは口を尖らせてそう言った。どうやらゴーレム戦は乗り気でないらしい。
それもそのはず、ゴーレムは戦っても実入りが少なく、その割には被害が大きいからだ。
彼らはヴィヴィの言う通り半永久的に動き続け再生までする。ほぼ死ぬことは無い。完全に木っ端みじんにしない限りは起動停止させるだけだ。
加えて言えば、ああいう硬質な無機物モンスターは前衛職泣かせだったりする。むやみやたらに殴りつけては業物であっても剣は折れる。アルトスが嫌がるのも当然だった。
「ちょっと。どうしてここでやる気をなくすのさ。その拳でバッコーンってやっちゃえばいいじゃん」
「それがね、このスキルも万能じゃ無いんだよ。拳を通じて剣にダメージが入るみたい」
嘘でしょという彼女の目の前に、アルトスは欠けたナイフを取り出す。ヴィヴィは欠けた場所をちょいちょいと指で触れて「まじかー」と驚いていた。
「じゃあ作戦変更。煙で目くらましして、その間に階段下りちゃおう」
「煙でゴーレムの目を欺けるの? あれ石だよ? 魔力で探知してると思うんだけど」
「んっふっふ。これは魔法の羊皮紙の切れ端が混ざった、魔力欺瞞煙玉。悪魔族とか亡霊とか、魔法生物に効果てきめん」
腰のカバンからヌッと出したのは、黄銅の円管にピンがついたもの。アルトスが見たことの無いアイテムだった。
「それが煙玉?」
「ピンを抜いてから五秒でブワッと煙が出る。そしたら走るよ」
ヴィヴィはそう言うとピンを抜こうとするーーが。アルトスがパッとその手を掴んだ。
「!? アルトス!?」
「待ってヴィヴィ。アレ。やっぱり何か変だ!」
近づいてきたアルトスの息が、ヴィヴィの頬に当たる。ヴィヴィはこそばゆいそれに「はぅ……」と一瞬意識を失いかけるが、アルトスが指さした先を見てギョッとしていた。
ゴーレムの目の前に、いきなり真っ黒な穴が現れた。
空間にポッカリと空いたそれは、人の顔くらいの大きさから徐々に広がり、もうゴーレムと同じぐらいの大きさになっている。
「ゴーレムが、動く!?」
「アルトス、あそこも見て! モンスター達が!」
ヴィヴィの言うとおり、ゴーレムが明らかに穴に反応して動き始める。ずんぐりとした巨体が剣を構えた。同時に、アルトス達から広間を挟んで反対側の入り口から、ワラワラとモンスター達が集まり始める。
「レッサーデーモンにヘルハウンド、下級のヴァンパイアにスケルトン!? あんなにいっぱい!?」
「気配がないと思ったら隠れてたんだ。でも何で!?」
二人が息を殺して眺めていると、さらに変化が起こる。空間に空いた穴が蠕動のようにウジュルウジュルとうねり始めたかと思うと、今度は無数の目玉が出現した。
穴から放たれたのは、形容しがたい悪意だった。
遠くから眺めている二人も背筋が凍るようなおぞましきもの。空間がにわかに凍り付くような鋭い殺意。喉元にナイフを当てられたような恐怖が二人を縛る。
「……」
不意に、ヴィヴィがアルトスの腕を掴んだ。アルトスもまた、思わずヴィヴィを抱き寄せてしまった。中級以上の冒険者が身を寄せ合って震える。それ程までに凄まじい負の感情だった。
「アルトス、なんかヤバイよ」
「うあ、あ。穴から何かが……」
最初に出てきたのは巨大な手だった。窓の縁を掴むようにして現れたのは巨人のような、何か。全長は三メートルほどで、腕が逞しく足が細いシルエット。
背中には無機物的でまるで長い板のような羽根を持ち、顔は髪の毛なのか触覚なのか、それとも角なのかわからないものに覆われていて全貌が解らないが、露わになった口元は綺麗に整ったもの。
堕天使、いや悪魔なのか。
そんな風に思えるが、どれにも該当しない。ただただ、突っ立っているだけで悪意と殺意が噴き出している。
アルトスが逃げようという前に、事態がさらに変化する。巨石のゴーレムが動いた。黒い巨人が動き出すその前に、石の剣を大きく振り落とす。
黒い巨人はソレを受け止めようとするが、瞬間ガガガン! と爆発。黒い巨人の脇腹に、レッサーデーモン達の雷撃呪文が突き刺さっていた。その隙に石の剣が巨人の肩にめり込み、腕を吹き飛ばす。
「モンスター達が共闘してる!?」
黒い巨人は腕を切り落とされて叫ぶと、すぐに反撃を開始。長細い足が蹴り足となって、巨石のゴーレムに襲いかかる。
信じられないことに、蹴りが当たった途端に巨石のゴーレムの腕が破裂した。信じられない程の威力だ。人間に当たったなら痛みも感じずに死ぬだろう。
そこからは虐殺というべき光景だった。膝をついたゴーレムを飛び越えモンスターの群れに襲いかかる黒い巨人。レッサーデーモン達は呪文を打ち込むが、黒い巨人は怯まずに残った腕を振るう。
ビシャァ! と水に腕を叩きつけたような音。レッサーデーモンの半数が宙に舞い、バラバラになって血や臓腑をまき散らしていた。
他のモンスター達は一瞬恐れを感じたような表情を見せていたが、何かに鼓舞されたかのように黒い巨人へと飛びかかる。
数の暴力が襲いかかるも、黒い巨人は全く怯む様子なくモンスター達に立ち向かう。その黒い腕がなぎ払われる毎に、足が振り抜かれる度にモンスター達が肉片に変わってゆく
そんな中、息を吹き返したゴーレムが再び剣を取り、黒い巨人へ後ろから斬りかかる。バシュ! という音を立てて黒い巨人の残った腕が吹き飛んだ。
これで致命傷かと思いきや黒い巨人はギュンと振り返り、そのまま回し蹴りを放つ。鈍い風を切る音の後に破壊音。黒い巨人の足がゴーレムの腕をへし折り、そのまま脇腹から胴へとめり込んでいた。
核を壊したのか、それとも背のエメスの文字がメス(死)となったのか。ゴーレムは急に動かなくなり、ガラガラと砕け始めた。
その後も残ったモンスター達は果敢に黒い巨人へと飛びかかるも、健闘も空しく全て殺されてしまった。
大広間の辺り一面に血や肉が散乱していて、その光景は凄惨の一言。ヴィヴィが吐きそうになっていたので、アルトスは彼女の背をさすっていた。
しばらく黒い巨人は肉片を踏み潰して回っていたが……
「え? こっち、見た?」
黒い巨人の顔がこちらに向いた。
何の前触れも無く、いきなりだ。その顔は目がない像のようだったが、目が合ってしまったような、そんな気がする。
「まずい。見つかったかも。どうやって感知してるんだ!?」
アルトスが思わず身構えた――その瞬間。黒い巨人は聞くに堪えない咆吼を上げると、地面を踏み抜きながらこちらへ走ってきた。
「やばいやばい! こっち来た! アルトス、アレは戦っちゃダメだ! 逃げるよ!」
「さ、賛成! これは、勇気を見せるところじゃない!」
ヴィヴィが今度こそ魔力欺瞞煙玉のピンを抜き、黒い巨人へと放り投げる。僅かな間を置いて、黄銅の筒から煙が発生。大広間はみるみるうちに煙で覆われた。
「走って! 早く!」
ヴィヴィがダッと走り始める。アルトスも必死になってついていく。
ドゴォ! と、彼らの背で爆発したような音。
二人が走ったまま振り返ると、そこにはあの黒い巨人。狭い入り口に無理矢理体をねじ込んで壁を砕き、通路に入り込んできていた。
次は2021年10月9日の午後6時くらい。