第28話 プレゼンターの巣
時間は少し巻き戻り、アルトス達がキマイラと対峙している頃。
エリックたちパーティーは地下空間にできた『偽街』を探索していた。
「すげえな。俺たちの街がそのままある」
ギドは不気味なほどに静まり返ったその街を、剣を構えながら歩く。前を歩く斥候の男は最大限に警戒しながら歩くも、何を警戒すればわからないという顔だった。
「どうだ?」
「罠は無い。が、何か気配がある。もしかしたらミミックが潜んでいるかもしれない」
「あの迷宮のタコ野郎かよ。宝箱でもあるってか?」
「ミミックが潜むのは宝箱だけじゃない。そこらへんの箱も壺も住み着く。俺たちの職業が一番被害に遭うモンスターだ」
忌々しそうな斥候の報告に、エリックは冷や汗を流す。つまり、ここの街にはふと触れた途端に触手が飛び出し、首を折られたり心臓を突き刺される可能性があるということだ。
既にここを見つけた時は驚き半分、心が折れそうだった。確かにダンジョンは太古のエルフの城塞や遺跡をそのまま模倣する事がある。ダンジョンの奥底の主を倒したとしてもその存在は残り続け、人々に多大な恩恵をもたらしてくれる。
だがまさか自分たちの見知った場所そのものが模倣されているとは。これはダンジョンの何かが、外の世界を見通して、自分たちの世界を具に見ている事に他ならない。
その上、ダンジョンの中でも特段厄介なモンスター、ミミックの住処になっているというのだから気が気でない。
ミミックとは宝箱に擬態する、大型犬をも飲み込むタコ形モンスターだ。宝箱を開けたり、木箱に手をかけたりすると待ってましたとばかりに鋼鉄に匹敵する触手を伸ばし、不意の一撃をお見舞いしてくる。
人の欲を逆手に取るような彼らは、特に斥候に忌み嫌われている。
「ギド。青果店の果物を取るなよ。ミミックの擬態かもしれん」
「いくら俺でもそんな事しねえよ。だがどうだ。市場のモンは今並べたみたいに綺麗だぜ」
ギドのいう通りだった。主街道に出ている店は、ほぼほぼ全て品物が並んでいる。これが全部ミミックだとしたならば、もうエリック達はモンスターの巣に飛び込んだな等しい。
「ね、ねえリーダー? 一旦帰らない? この報告だけでも、相当の報酬をもらえると思うけど」
パメラが不安そうな声でそういうも、エリックは首を振る。
「――いや、もう少し探る。せめてあそこの『竜の口』までだ」
「で、でも」
「安心しろパメラ。俺が守ってやっからよ」
こんな時にバカは役に立つと、エリックは内心胸を撫で下ろす。根拠のない自信も人を前向きにする。それはダンジョンの中では一番大切なこと。常に脅威にさらされる冒険者達には、一種の鈍感力や楽観視も重要なのだ。
ただエリックはここで見誤った。
致命的なほどに、見誤っていた。
ただでさえメンバーが一人減っていること。未知の領域が自分では捉えられないほどに大きいこと。もっと言えば、常につきまとう捨てたはずのアルトス達が一夜にしてトップランカーに入ってしまったこと。
彼は平静な顔をしながらふつふつと煮え繰り返るような怒りに苛まされていた。何故、ベストを尽くしてこうなったのかと。
だが今や、それを全てチャラにできるような功が目の前にある。誰だって無理をしてもっと、もっとと手を伸ばしたくなる。
普段の冷静な彼ならば、一歩引いた視点で自重できたはず。だが、彼は功を焦った。焦るが故に、あろうことかギドの楽観視を自分の思考に重ねてしまったのだ。
「大体、街の外にキマイラがいるだけで入ってこようともしねえじゃねえか。実は安全なんじゃないか?」
「それならばいいがな。とにかく、こんな所は早く抜けよう。おそらく『竜の口』が下層への階段だ」
何も出てこないならそれでいい。こんな不気味な場所はとっとと立ち去るに限る。エリックは弓に矢をつがえたまま、斥候の男についてゆく。
「……おい? 何を立ち止まっている?」
ふと、先行する斥候の男が止まっていることに気づく。ギドも剣を肩に担ぎながら「何サボってんだよ」と声をかけるも、流石に何かを察したのか剣を構えた。
「おい何だよ。お前どうした!?」
斥候の男は答える代わりに、その場にドサリ、と膝をついて前のめりに倒れる。石畳を染め上げるのは血。彼の腹からジワジワと溢れ出るそれは、腹に大穴を開けられたその証左でもあった。
「敵襲だ!」
エリックが弓を引き、周囲を警戒する。ギドもエリックを背に剣を構え、パメラも固まって杖を掲げる。
「何があったんだよ! 隊長様よぉ!?」
「黙れギド! 注意しろ! そこら中から気配がする」
「うあ、あ! ちょ、ちょっと! 見てよアレ!」
パメラが震えた声で叫ぶ。エリックとギドは構えを解かないまま目だけで見ると、斥候の男がズル、ズルと触手のようなものに足を引きずられている。
「何だと!? ミミック……なのか!?」
エリックが矢を放つ。斥候の男の死体を引きずっていた触手が、「ギギギギ!」という不快な音を立てて建物に引っ込んでいった。
「いやいや触手デカすぎだろ! せいぜい狼くらいの大きさのはずだぜ!」
「ギド!」
パメラが杖に力を込める。やがて翡翠の魔法陣が現れると、放たれたのは小さな竜巻に抱かれたカマイタチたち。風呪文だ。ズババッ! と音を立てて切り刻まれたのは、ギドの背後から静かに忍び寄る触手だった。
「うおお!?」
「リーダー! やっぱり逃げよう!」
「引くぞ! これはミミック……いや、まさか!?」
最早これまでとばかりに、ゴゴゴゴと街が地鳴りを上げる。やがてエリック達前方左の鍛冶屋の玄関からニュッと出てきたのは、タコのような触手とギョロリと睨む目だった。さらに建物自体がヤドカリの殻のように少しずつ動いている。建物がまるまるひとつ体のようだ。
「ふ、ふざけんな! 『プレゼンター』じゃねえか!?」
ミミックの亜種であり、上位種。ダンジョンの最奥、特に遺跡関係の場所に住まう厄介なモンスター。宝物庫や倉庫などの建物に擬態して、喜び勇んで覗いた人間を襲う欲を貪る者。畏怖と皮肉を込めて、彼らは『プレゼンター』と呼ばれていた。
「くそ! このタコ野郎!」
ギドが迫り来る触手を両断する。エリックも弓で応戦して、パメラが魔法を展開する。プレゼンターは再び「ギギギギギ!」と不快な悲鳴を上げるも、流石に家一軒丸々体の彼らには微少なダメージのようだ。
「逃げるぞ早く! パメラ動け!」
「だ、ダメ! リーダーアレ!」
パメラが泣き叫ぶように言うと、街道の先には今まで無かったはずの家がある。ザリザリ、ザリザリと石畳を引きずって近づいてくる靴屋から、夥しい触手が生えてきた。
「プレゼンターの片割れ!?」
そう言うと「バレたか」とばかりに、次々と並んだ箱やツボからにゅるりと触手が伸び、イカともタコともとれる目玉が出てくる。
「くそ! ミミック達の巣か! こんな規模見たことないぞ!」
どうりでキマイラたちが街に寄りつかないわけだとエリックは歯がみする。ここは偽街どころじゃない。まるまる餌場だったのだ。
「きゃあああああ!」
ハッとすると、パメラの足に触手が絡みつき、一気に引っ張られている。ミミック達が迫っていたのだ。
「パメラ!」
激怒したギドがパメラの足に絡んでいた触手を斬る。
「ギド!」
「へっへ。たかだかタコの一匹や二匹ーー」
ドゴォ、と。
ギドの背から腹に向って杭のようなものが貫いた。
唖然となって彼の鮮血を見たパメラの、ほんの数センチ上空をうねるのはプレゼンターの硬軟自在の触手だった。満足とばかりにうねると、貫いたギドの腹を通ってゆっくりと戻ってゆく。
「いやああああああああああ!」
「パメ……」
ギドが膝を折ってパメラの前に倒れる。パメラは半狂乱になってエリックを呼ぶがーー
「う、嘘!? エリック!?!?」
パメラの知らないうちに、エリックが倒れている。矢を継いでいた腕があらぬ方向に曲がり、首も真後ろを向いていた。絶命だ。
「誰か! 誰か!」
パメラが混乱しながら、やたらめったら呪文を撃ちまくる。パメラは魔術師だ。護衛は前提だが、ひとたび呪文を打ち込めば大型モンスターですら押し返す力がある。
消費を考えず、爆裂呪文をただひたすらに向ける。小型のミミックたちはまとめて吹き飛び、迫るプレゼンターの触手は千切れ焼かれてゆく。
それでも――
「ひっ!」
プレゼンターではない建物から、無尽蔵にミミックが飛び出してくる。パメラは精神力の続く限り詠唱を続けて抵抗を試みる。
その側で、エリックの体がブチリブチリと嫌な音を立てて千切られ、運ばれていった。ああなってしまえばもう蘇生はできない。続いて胸に大穴を開けたギドに、プレゼンターの触手が伸びてゆく。
「やだ、やだやだやだ! ギド! 助けてよ! ねえ! 何のために体をあげたと思ってるの!? 貴方みたいなバカに! 気持ちよさそうな顔してやったのに! 盾にもならないのかよこのクズが! 何とか言えよこの粗チン野郎!」
死を間際にした時に、人の本性が現れる。
ここまできて人に寄生をしてきたものは、結局のところ現実を直視せず、どうにもならないものに「頑張ったのに何故!」と対価を求める。
それが最初から致命的なミスだったということを、彼女が今更後悔したところで全てが遅い。
触手が迫る。爆裂呪文の合間を縫って、確実にパメラに迫ってくる。このまま殺されるくらいならと、パメラが杖を自分に向けようとした、その時だった。
ピタリと。
触手達が止まった。
それどころか、ミミック達も時を止めたようにしてその位置で止まった。
「何が、起きているの……?」
そうして、にわかに怖気が走る。
目の前に突然現れたのは、真っ黒な穴だった。スーッと空間に切れ目が入ったかと思ったら、縦になった目が見開くようにして穴が広がる。そこから見えるのは多くの目。パメラはそれに睨まれて、呼吸が浅くなる。
感じるのは底知れぬ殺意と悪意。全てを呪うと言わんばかりの怨念。声は聞こえないのに、万の悲鳴がパメラを嬲るような、そんな恐怖。プレゼンターの触手に引きちぎられた方がまだマシだと思えるそれは、間近で見たパメラの胃液を押し上げ、口から吐き出させる。
そこから現れたのは、手足の細い黒い人形だった。目も鼻も口も何もないのっぺらぼう。身長は二メートルを超えているが、手足が妙に細長い。
「うええ……な、何よ!? 何なの!? 黒い……巨人?」
パメラがそう言うと、黒い巨人が足元に倒れていたギドの死体を片手でつまむように拾い上げる。目はないが、まじまじと眺める。やがて納得したように首肯すると、いきなり顔が細い紐状になった。
「ギドに、乗り移ってる!?」
しゅるしゅる、しゅるしゅると。黒い巨人の頭から黒い紐状のものが、ギドの貫かれた胸へと入ってゆく。そうしてものの五分でギドの体に入り切ると、なんとギドが立ったではないか。
「…………」
ギドが目を開ける。彼の目は真っ黒で、明らかに人間のそれではなかった。
黒い巨人が消えたのを機に、ミミック達が飛びかかる。ギドは操られたように向き直ると、手を無造作に横に振り抜く。
するとどうだろうか。彼の腕から真っ黒な縄のようなものが飛び出し、ミミック達を拘束する。何メートルもある黒い紐がミミック達を出鱈目に縛ると、ギドは再び無造作に引っ張り上げた。
ミシミシ、ぐしゃり!
黒い縄はミミック達に食い込むと、そのまま細切れにしてしまった。凄まじい光景だった。ギドは黒い縄を鞭のように振るい、ミミックを、そしてプレゼンターの触手を切り刻んでゆく。暴風のような縄さばきはやがて結界のようになり、近づいた物の命を全て奪っていた。
「す、すごい。すごいすごい! やっぱり貴方について正解――」
何だか知らないが、ギドが甦りパワーアップして、モンスターを薙ぎ払っている。助かったという感情だけがパメラを満たした。
それもまた、致命的な判断であると言うことを知らずに。
ギドに駆け寄ろうとしたパメラの腹に、ドスっと何かが突き刺さる。
「――え?」
急激に力が抜けて、杖を落とす。膝立ちになって腹を見ると、ギドから放たれた黒い縄がパメラの細い体を貫いていた。
「どう……して……あ、ががが、が……」
込み上げてくる血が、口からゴブッと飛び出す。急激に腹の中をかき回されたような痛みが走る。
「めが……み……さま……たす……け」
だがしかし。女神は微笑まず、代わりに彼女に聴こえてきたのは『コイツハ ツカエル』という酷くしゃがれた声だった。
★
アルトス達はゆっくりと街道を歩いていた。ヴィヴィを先頭に、アルトス達が列を作って街へ向かっている。
行くか帰るか。アルトス達は悩んだが、キマイラが階段を登ってきた以上これ以上の脅威がないかギルドメンバーとして確かめる義務がある。街を探索して『竜の口』の入り口がどうなっているか確認したらすぐに戻るかと提案すると、カイ達調査隊も異論はなかった。
最初こそ何が出てくるか、それこそキマイラ達が列を為して襲いかかってくるのかと思えばそうでもない。むしろアルトス達を見て嫌がっているような気配すらある。
お陰で進行は非常に楽で、街に着く頃には皆の恐怖心が好奇心の方に変わっていた。特にアルトス達冒険者は基本的に好奇心に手足が生えたような職種である。この先に宝はあるのか。珍しい発見があるのかウズウズするのは仕方がない。
「はいストップ。みんな注目」
先行したヴィヴィが『竜の口』の街の閉ざされた門の前でピッと手をあげる。アルトスとモモチは「はーい」と手をあげて姿勢を正し、その後を歩くカイが「傾注!」とバケツ頭の部下達に号令をかける。
「アルトスに問題です。ダンジョンに建物がある時、何に警戒すればいい?」
「えーと、ミミックとか? 宝物庫とか、倉庫とかにいっぱいいるもんね」
「惜しい。その上位種の『プレゼンター』でした」
「プレゼンター!? そんな危険なのがいるの!?」
ヴィヴィがふふんと得意げに鼻を鳴らす。
「どう考えたっておかしいからね。こんなところに街なんて。それにキマイラ達がこの街に全く近づかないのもその証拠」
「なるほど。流石ヴィヴィ」
「ワタシみたいにいくつもダンジョン潜ってるとわかるよ。ここ多分巣だ」
そう言われて、アルトスは蛸足ギッチリ詰まった街を想像してブルリと震える。モモチは「蛸でござるか。焼いたら食べられますかなぁ」と呑気だった。
「しかしながらヴィヴィ殿。どう見てもあの『竜の口』の入り口が次の階層の階段でござる。あそこへ行くには街を突っ切らねばなりませぬ」
「焦らない焦らない。擬態モンスターには致命的な弱点があるんだ」
「弱点? でござるか?」
「あいつら餌場にしか集まらない上に、背後が全く疎かなんだ」
人の欲を釣り餌にするモンスターならではの弱点といったところだろうか。罠を張る動物は基本的に効率的な動きしかしない。つまりは人の通るであろう場所、すなわち偽の街の主街道にしか集まっていない事を意味している。
さらに獲物を待ち構えることに全力の彼らは、前だけに集中しているが為に背後は接近しても気付かれない。意外と素通りは簡単なのである。
知っていればなんて事はない。だが冒険者としての差はまさにその経験値から生まれるものであるのだ。
「なるほど。とすれば、主街道以外を歩けばいいと」
カイがぽふんと手を打ち、胸元から取り出したメモにサラサラと要点を書いている。
「流石はアルトスのお兄様。わざわざ釣り針が垂れている場所を歩く必要はないって事です」
「なれば裏路地。コソコソ隠れるようで正直ヤでござるが、致し方ありませぬ」
「そう言うこと。じゃ、みんなついてきて。途中の木箱も壺もかまっちゃダメだよ。ミミックの可能性があるから」
そう言ってヴィヴィが再び先行する。半開きになっている街の門に不信感を抱きつつ、ボウガンを構えながら門を開けようとすると――
「きゃあ!」
ヴィヴィが突如、可愛い悲鳴をあげてその場に尻餅をついた。その瞬間、アルトスは反射的に彼女の駆け寄って拳を構える。続いたモモチが彼の背を守り、カイ達は即座に防御陣形を組み上げた。
「どうしたの!? もうプレゼンターがいたの!?」
「手が!」
「手?」
「人間の手! 誰かいる!!」
ハッとしてアルトスがみやると、街の門から白い手がのぞいていた。女性の手だ。それはゆっくりと門を押し出すと、奥から現れたのは――
「えっ!? パメラ!?」
「アル……トス? た、助かった……」
ボロボロになったパメラが、アルトスを見て安堵の笑みを浮かべていた。
次は2021年11月25日木曜日の夜9時




