第26話 この兄あっての弟あり
キマイラの直上。巨大な魔法陣を展開する山羊頭の上で、アルトスは拳を大きく振りかぶっていた。腕には燃えさかる炎を纏い、拳は白く輝いてまるで帚星のように見えた。
「いっけええ! 『炎拳』!」
突然空から現れた、極大の炎を纏った人間に山羊の首は驚愕の色を見せる。あまりの事に呪文を欠いてしまったのか、回転していた魔法陣がはらはらとほつれ始める。
その中央を突き抜けるように、アルトスが飛びかかる。振り抜いた拳が山羊の顔に当たると、ゴガン! と石を打ちつけたような音が響いた。
「ギィイイイイイイイイイ!!!」
山羊の頭から深い極まる悲鳴。だがそれもすぐに途絶える。強かに殴られた山羊の頭が突如、膨れ上がる炎に包まれたのだ。痛覚が共有されているのか、獅子の顔からも蛇の顔からも苦悶の声が響き渡った。
だがそれでも、キマイラは怪物だった。山羊がやられたならばと俊敏に動いたのは尾の大蛇だった。その極太の胴体は騎士団をなぎ倒す力があり、口を開けば人を飲み込んでしまうほどの大きな口。勢い余って背中から落ちるアルトスに狙いを定めるが、そこへ落ちる白い影がある。
「慈巌流天の型! 『乱雲斬り』!」
ヒュ! と縦一閃に落ちるのは大太刀の剣閃。名の通り雲をも割るような太刀筋が大蛇の顔を通過する。モモチはそのまま落下の勢いを受け流すようにして着地と同時に転がると、すぐさま身を低くして剣を下段に構える。
「地の型! 『胡蝶閃』!」
体をバネのように沈み込んだ後に、ブワッと飛び上がるモモチ。身体能力が普通の種族より遙かに上の鬼族だからこそできる切り返しなのだろう。峰に手を添えて剣を突き上げると、今度はカッ! という音を立てて大蛇と獅子の体の接合部分を切り飛ばす。
スタッと再び着地したモモチは大太刀を右脇に構え三太刀目を放つ――のではなく。カイの近くで尻から落ちたアルトスの近くへ駆け寄った。
「主殿!」
「あいたたたた……すごいねモモチ。ジガンリューっていうの? サムライってみんな面白い太刀筋だよね」
「お褒めに与り光栄にござる。拙い技でござるが、一応免許皆伝にござるよ」
アルトスは片手で尻をさすりながらモモチの手を取って立ち上がる。
「カイ兄さん、無事?」
「……アルトスお前……その技は」
「隊長様!」
ガチャガチャと音を立てて集まってきたのは調査隊の面々だった。バケツ頭達はすぐさまカイたちの前面に防陣を組む。
よくよく見ればキマイラは反撃しようと咆吼を上げている。アルトス達の意外な強襲により背中の山羊はもう骨まで焼かれてしまいボロボロと焼き落ちている。大蛇は既に動かない。接合部は血が噴き出し、どう見ても死に体ではあるが獅子の体はまだ戦意を失っていないようだった。
「化け物め。しぶといヤツだ。今度こそ私が……」
「いいや、僕たちの勝ちだよ」
アルトスがサッと手を上げる。彼が見上げたのは二回辺りのバルコニーだった。そのすぐ後に、ヒュ! と風切り音がする。飛来したボウガンの矢は、元々大蛇の接合されていた場所と、山羊が焼きただれた場所へと次々と着弾する。
「バカな。アルトス、あいつにボウガンは効かん! 鉄鎧すら打ちぬくクロスボウですらダメだったんだぞ!」
「普通ならね。でも、今アイツはお尻と背中に大きな傷がある。そこに直接、毒を塗り込んだら――」
アルトスが言い終わるぐらいに、キマイラに変化が起こる。大蛇が斬られようと、山羊が焼かれようと戦う意思を見せていたのだが、急にビクッと体を震わせて、まるで犬が尾を追うようにして自分の尻へと向き直る。
するとどうだろうか。キマイラが突然下半身から崩れ始めた。ブルブルと震え、次第に後ろ足、胴、そして前足と自由が利かなくなってくる。ついにその場で倒れ込むと、前後の足をピーンと伸ばして、口からブクブクと泡を吹き始めた。暫く抵抗するようにもがいていたものの、五分も経たないうちにキマイラの目から光が消えた。
「これは……」
「沼地のダークエルフ特製の猛毒ですよ、アルトスのお兄様。厚い肉に阻まれては効果はありませんが、その代わりに多くの血に触れたら最後。ドラゴンでも死ぬ秘伝の、ね」
コツコツと階段を下りてくるのはヴィヴィだった。階段を下りる最中はずっとボウガンを構えたままだが、キマイラが完全に動かなくなったのを見てようやくそれを降ろした。
「さっすがヴィヴィ! 百発百中じゃないか」
「お見事! 破廉恥な格好だけではないのですな!」
アルトスとモモチがキャッキャと喜ぶが、ヴィヴィは僅かに青筋を立てている。ツカツカと二人の前に立つと、ゴンゴン! と額にチョップを叩きつけた。
「痛ァ!」
「ひぃ!」
「このバカ主従! 今度無茶したらタダじゃおかないから!」
ガミガミと怒り始めるヴィヴィに、アルトスとモモチはしゅんと正座して項垂れる。アルトスの機転は確かにカイを助けたものだが、心配する者としては心臓が飛び出んばかりの無茶には違いなかった。いつになく怒るヴィヴィに、アルトスとモモチは深々と頭を下げて「ごめんなさい……」と消え入るような声で謝っていた。
「……助けられたか。弟に」
カイはそう言うと、至極残念そうに肩を落としていた。
「その力は何だ? 剣はどうした」
「僕はもう剣が振るえない。女神様のくれたスキルでね。その代わり、僕の手には剣の力が数倍の力で宿るようになった」
アルトスはゴンゴンと拳を打ち鳴らす。すると炎がブオッと舞い上がった。カイはまさかと言わんばかりに目を見開いたが、キマイラの山羊の頭を撃ち抜いたのを目撃している。目を閉じて暫く黙しているあたり、そういうものもあるのだろうと無理矢理納得しているようだった。
「……。空から落ちてきたのは?」
「キマイラは山羊の顔を叩くのがセオリーらしいんだ。司令塔だからね」
「らしい?」
「冒険者に伝わる攻略法みたいなものですよ。酒場にいると嫌でも武勇伝が飛んでくるんです。与太も多いですけど、馬鹿にはできない。冒険者は真偽を吟味してから、不確定要素を潰していくんです」
妙にカイに向けて丁寧な言葉を使うヴィヴィ。ただ、それでも無茶をしたアルトスに怒っているのか、ジトっとした目をに向けていた。
「毒を使ったのは?」
「生物なら頼りになるのはこれです。無機物や魔法生物には効きませんけど」
「……なるほど。ダンジョンは一筋縄ではいかない。正攻法ではなく、型に沿ったものではなく。討ち倒し、生き残ることを旨とする。たとえ毒を使ったとしても――か。ギルドマスターが正しかったな」
その殊勝な言葉に「あれ?」と驚くヴィヴィとモモチ。あれだけギルドマスターに反発して冒険者をコケにしていたのだ、毒を使うなどと嫌みを言われるかと思っていたのだが。まさかのメモを取り出し、サラサラと書き留める始末である。
「大いに参考にさせてもらった。そうか、生物系には毒か。騎士の私には中々思いつかない発想だ。錬金術師共に頼むか……まだまだ学ぶものは多い。ありがとう、ええと君は?」
「ヴィヴィと申します。アルトスとは長い付き合いで。こっちは新入り鬼族のモモチ」
しれっと嘘を混ぜるヴィヴィ。まるで長年付き添っているようなムーヴを差し込むあたりが彼女らしい。
「ヴィヴィさん。それにモモチさん。感謝します。大太刀の見事な剣筋と、放った矢がキマイラを倒したのですから」
カイはそのまま膝を折ると仰々しく礼をする。その凜とした佇まいはどこかアルトスに似ていて、不覚にもヴィヴィの顔が赤くなってしまった。
「兄さん、勉強熱心なところは変わらないんだね」
「私を兄と呼ぶな。お前とは既に縁が無い。騎士と冒険者だ」
「でも……」
「ただ覚悟は知った。お前が家を出て半信半疑だったが、その覚悟は本物だったようだな」
あのように命を賭して落ちてくる人間がどれだけいるだろうか。しかも、魔法を多重展開する中をだ。飛びかかる際に、わざわざ気を引くために大声を出したのも相当なリスク。誰もが認める覚悟の一手だった。
「だから、好きに呼べ。助力の報酬とする」
「! うん! 兄さん!」
カイは半ば観念したようにそう言い。アルトスは笑顔を綻ばせた。
何だか口では家族では無い縁が無いと言いながら、しっかりと兄弟をやっている二人を見て、ヴィヴィはちょいちょいとアルトスの肩を指でつつく。
「アルトス、お兄さんと絶縁レベルに不仲じゃなかったの?」
「? いや、別にそこまでは。家出のことは怒ってるかな~と」
「え”、何それ。最初からめっちゃ険悪そうだったじゃん。斬られたし」
「ああそれ? こんなのウチの挨拶みたいなものだし。姉さんなんかもっと酷かった」
「!?!? ヒトが変わったとか何とか言ってなかった?」
「家継いでからああなんだ。すごく偉そう」
「聞こえてるぞ。私はカストゥス家の者だ。ナメられたら終わり。騎士はそういうものだ」
拍子抜けするヴィヴィ。そしてどんな家族だよと突っ込みたくなるが、何故か背後のモモチが「わかる~」と頷いていた。どうやら騎士やサムライあるあるらしい。いやあってたまるか、どんな蛮族ズだよとヴィヴィはビシビシアルトスの肩を突いていた。
ただそうして突いている中で、なんとなくカイという人間について解ってきたヴィヴィ。彼は多分、アルトスとは違う方向性で苦しみこんな言葉遣いになったのだろう、と。その突き放すような態度も、アルトスが自由に動けるためだとしたら彼はかなりやり手だ。恐らく彼からそれを口にすることは無いだろうし、立場上墓に持っていくほどの案件ではあるのだが。
要するにツンデレイケメンということか。
兄弟揃ってめんどくせえところはめんどくせえんだな……
……と喉まで出かかったが、ヴィヴィは我慢した。えらい。
「隊長様!」
吹き飛ばされた調査隊の隊員達が集まってきた。皆鎧の所々がひしゃげているが無事らしい。やがて防陣を組んでいたバケツ頭達も剣を納め次々とその兜を脱ぐと――
「お怪我は!? その麗しいお顔に傷でもついたら!」
どんどん露わになる顔、顔、顔。それらは屈強な男達ではなく、なんとありとあらゆる種族の美女達だった。
「「「え!? 皆女性なの!?!?」」」
隊員達の意外なる正体にアルトス達はビックリして、モモチなどは思わず大太刀を鞘ごと落としてしまった。
「損耗報告を」
「我ら調査隊、軽度の損耗あれど調査続行に支障なし。それよりも! カイ様が!」
「鎧を着ている内は隊長と呼べと言ったはずだ。怪我は無い」
「もう! 無茶をなさらないと、私たちに約束したではありませんか!」
「すまない」
詰め寄る隊員達に、カイはションボリと肩を落とす。ヴィヴィとモモチにはそれがアルトスのするものとソックリで思わず吹き出しそうになっていた。
「私たちが盾になると! 貴方様の命が第一だと! そう誓いを立てたはずです!」
「何度目ですか! 私たちが貴方様について行くのは、他ならぬカストゥスの武となるためです!」
「……本当にすまない」
「ああ、でも。その寂しそうなお顔もステキです!」
次々に群がり、中には涙も浮かべる美女隊員達に、カイは申し訳なさそうな表情を浮かべている。見る人が見れば美麗な顔に影が落ちているとも見えるので、見た目は悪くないどころか絵になる。その上で「心配をかけた」とだけ言うのは朴訥なのか一周回ってアホなのか、それとも気取っているのか。果ては弟であるアルトスの目の前で、隊員達を一人一人優しく抱擁し始めた。
それが彼女らにとってのご褒美なのだろうか。ハーレム軍団もとい王国調査隊は一人一人トロンとした恍惚の表情を浮かべ、同時に「私が必ず守らねば」という強い意志を目に宿していた。
なるほど、これこそがあの一糸乱れぬ指揮の戦闘陣の正体なのかと納得するアルトス。バルガス隊長が言っていた調査隊と、カイが新たに作り上げた調査隊に差があったのは愛の力があったからこそだったのだ。
「いやでも、一人一人囁いて労うのはどうなんだろう?」
「……方向性は似てると思うよ、アルトス」
「似てござるな」
ヴィヴィとモモチは「この兄あっての弟か」と、二人揃ってアルトスをジトッと見つめていた。
次は2021年11月10日夜9時更新予定。