第2話 鬼の首を取ったかのように
「何とか戻ってこれたな。ヴィヴィご苦労だった」
「仕事だから」
リーダーのエリックに労いの言葉をかけられるが、斥候の美少女ヴィヴィは特に表情を変えずに短く答えた。
地下ダンジョン『竜の口』を出ると、アルトスたちの視界に広がるのは賑やかな街だった。ダンジョンから続く広い石畳の道は、そのまま街の主街道になっている。出店が多く出ていて行き交う人々もかなり多い。その街道の両脇には木造の建物が所狭しと建っていた。
往来する人種も様々だが、共通しているのはほとんどが冒険者ということ。ちょうど時間は夕暮れ時らしく、店々に掲げられた魔力提灯には色とりどりの光が宿っていた。
森と魔力の豊かなトランドール王国の東。ちょっと前までは狩人や薬草取りくらいしか来ない場所だったが、ダンジョンが出現したおかげで典型的なダンジョン産業型の街となっていた。
「……アルトスは大丈夫?」
声をかけられたアルトスはハッとして顔を上げる。珍しいことだった。ヴィヴィはとても寡黙で、仕事以外の事を口にすることがない。ましてや人を心配することなど無いとアルトスは思っていた。
「大丈夫。お陰様で傷一つない」
「そうじゃない。けど、まあいい」
ヴィヴィはそう言うと、あとはいつものように黙ったままだった。
街を歩く彼らの足取りは重い。特にアルトスなど今にも崩れ落ちそうな勢いだ。逆に上機嫌なのはギドだけだった。
一行は冒険者ギルドに帰還を報告すると、エリックの提案で行きつけの酒場へと向かった。
「いつもより倍疲れた気がするぜ」
酒場のスイングドアを戦士のギドが豪快に開ける。続いて入ってくるエリックは険しい表情だった。その後ろの魔術師のパメラは不安そうな表情を浮かべ、一緒に入ってきたアルトスの顔は真っ青。最後に入ってきた斥候のヴィヴィは、口元の布を下げて無表情のまま埃を払っていた。
彼らの馴染みの店はにわかにざわついていた。アルトスたちはこの『竜の口』の街では有名な上位パーティーだ。今日も祝杯をあげにきたかと思いきや、一行はギドを除き全員が暗い顔で入ってきたのだ。気にならないという方が変だろう。
「給仕さん、いつもの酒を五人分」
アルトスたちがいつもの席に座ると、エリックがすぐに酒を頼んでいた。いつもならリーダーらしくメンバーを労う言葉をかけるのだが、今やそんな余裕がないらしい。酒場の給仕もそれを察したのか、いつもより早く麦酒を運んできた。
「とりあえず、お疲れ様だみんな。今日も一応、予定の数だけモンスター素材を採取できた」
エリックはそう言ってジョッキを掲げる。今の重苦しい空気を流し込んでしまおうと、そんな勢いで麦種を飲み干していた。ギドも一緒に飲み干していたが、アルトスは剣も置かずジョッキに手すらつけないでいる。パメラはちびちびと飲んで、寡黙なヴィヴィは静かにジョッキを傾けていた。
「プハー、うめえ! おいアルトス、お前も飲めよ」
「今こんな気分で麦酒が美味いわけないだろ」
「お荷物が贅沢いってんな。せっかくテメェを護衛してやったんだ。もっと生還を喜べよ」
「無事に帰れたのはヴィヴィのルート選びが大きいと思うけど? ギドはずっと、後ろで嫌味言ってただけだけどね」
「……あ?」
いつもは笑って流すアルトスが、今はムキになって言い返している。そんな彼に、ギドはカチンと来たようで「上等だよ……」と言いながら手甲を外し、ボキボキと拳を鳴らしていた。
「いい加減にしてよ二人とも。それよりもこれからの事を話すほうが先でしょう?」
パメラが慌てて二人を制するが、ギドはハッと鼻で笑った。
「これからの事? そんなの決まってる。こいつをクビにして新しいメンバーを募る、だろ? なんたってアルトスが女神に賜ったのは【武器使用不可】だぜ?」
「そ、それは……」
「剣も満足に振れないのをお前も見ただろう。これからも戦えない奴をお姫様みたいに護衛すんのか?」
「ギド!」
エリックが立ち上がり、ギドに詰め寄る。しかしもう遅かった。
「……今、女神に賜ったって言ったか?」
「マジか……ハズレスキルはよく聞くが、【武器使用不可】なんてあるんだな」
「ウワサでは聞いたことある。女神の戦力外通告だって」
「アルトスってあの魔剣士の小僧だろ? あそこのパーティー、戦力激減じゃねえか」
いくらアルトスたちの馴染みの店だとしても、ここは冒険者たちが集う酒場だ。好意を向けている冒険者たちだけじゃない。隙あらば出し抜こうと思っている連中も数多くいる。それが証拠に、ニヤついた顔でそそくさと外に出る冒険者もちらほらいた。
エリックは額に手を当てて、深い溜め息をつく。いつもは年長者の余裕を見せ、渋い笑顔を絶やさない彼がゲンナリした表情になっていた。
「ギド、お前……」
「かっかしなさんな小隊長殿。これでもアンタの意図を汲んだんだぜ?」
「何を」
「アンタがアルトスを大事に護衛した理由だよ。遅かれ早かれコレを狙ってたんだろ?」
「!!」
「この噂が流れたら俺たちに加わりたい前衛職が何人も出てくるはずだ。なんせ、深層からこの役立たずに傷一つ付けずに護衛したんだからな」
エリックはうっと言葉を詰まらせる。ギドの言う事は図星だったのだろう。そして露骨に自分のためではないと言われたアルトスはエリックを驚いた目で見ていた。
実は前衛職こそパーティー選びに慎重だ。肉壁とも揶揄される彼らは使い捨てにされることを特に嫌がるので、中にはソロに興じて低階層で甘んじるものもいる。
そんな中、エリックは慈悲深くもアルトスを深層から護衛して生還させた。置き去りにする話も珍しくない昨今、前衛職からすればそれだけで就職先として魅力的に見えるはずだ。
「だがお前の態度で印象は最悪だ」
エリックはそう言うも、ギドの言うことに否定はしなかった。そのことにアルトスはショックを受ける。つまり、彼はもう見限っているということだ。
「こんな俺でもいられる場所を作ってくれたのはアンタだぜ。感謝してるし、感謝もして欲しいね」
アルトスの心中はぐちゃぐちゃだったが、一つだけ沸き上がるのは怒り。こんなこと自分の前で言って欲しくなかったのに。このギドという男は嫉妬心の果てに自分を傷つけるため、ワザと人前で皆に聞こえるように言っている。例え剣を振れるようになったとしても、お前の居場所なんざ無いと、そう言わんばかりに。
それはハッキリと害意だと分かった。アルトスはとうとう噴火してしまう。
「さっきから黙っていれば。ギド、君は随分とセコいヤツだったんだね」
荒々しくジョッキを置き、立ち上がるのはアルトスだった。隣のパメラが「アルトス、落ち着いて!」と袖を引っ張るが、アルトスの黒い瞳には怒りの炎が燃え上がっていた。
「君のことは性格以外、出来る人だと尊敬してた。さっきまでは。それが何? 鬼の首を取ったみたいに。リーダーでもないのにクビ、クビって。君そんな権限無いだろ」
アルトスが瞳をまっすぐ向けて、ギドにそう言い放つ。普段は童顔で大人しい彼がここまで怒りを顕にしたことはほとんどない。酒場の他の客たちも、「あの大人しそうなヤツが……」と目を丸くして驚いていた。
「てめえ。どういう立場なのか解ってんのか。ゴミのくせによ」
「君こそ。戦士として恥ずかしくないのかよ。振るうのは悪口じゃなくて剣だろ! 誇りはないのかよ!」
「いつまでも剣士ヅラしてんじゃねえぞこの野郎!」
ブン、とジョッキを投げつけるギド。怒りのあまりあさっての方向に飛んでいったが、それを誤魔化すようにしてギドは机をひっくり返す。
「リーダー止めて!」
「やめろ二人とも! こんな所で暴れるな!」
しかし二人は止まらない。周囲もにわかに盛り上がり「喧嘩だ!」と誰かが叫ぶと、酒場は即席のリングのようになってしまった。
「このクソガキが。年下のクセにいい気になりやがって。今日という今日は思い知らせてやる!」
ブン、とギドがパンチを繰り出す。常に重装甲を纏う彼の体術は、それだけでモンスターを昏倒させる威力を持つ。人の身などひとたまりもないだろう。当然ギドはそれを分かってやっている。
かたやアルトスは群青のレザーコートと鉄の手甲足甲だけが防具。防御を捨て魔法剣を叩き込む、それだけに特化した魔剣士は基本的に回避に重きを置くのだ。
「おら、避けてるだけじゃいつまで経っても終わらねえぞ!」
アルトスは思わず舌打ちをする。重装甲の彼に十分なダメージを与えるには、それこそ剣で戦うか魔法を使うくらいしか無いだろう。
だがこれはあくまで素手喧嘩だ。そんなものを使えば、たちまち周囲の印象が悪くなる。おそらくギドは激情に見せかけて、これすらも計算に入れているのだろう。
「本当にセコいやつ!」
アルトスはギドの大振りのアッパーを避けると、ガラ空きになった脇へ拳を伸ばした。フルプレートアーマーの中で唯一の弱点。当然下着としてチェーンメイルを着込んでいるだろうが、アルトスだって鉄製の手甲をはめている。
可愛い顔をしているが、アルトスはそれでも冒険者。一七〇に満たない小柄な少年のようで、冒険者同士の荒事も二度や三度ではきかない。喧嘩の術ももちろん知っていた。
脇は急所。強打すれば、いかにギドでも少しは大人しくなるはず。
そう思った時、再びアルトスには予想し得ない事が起こった。
「――え?」
アルトスが拳を放ったその瞬間。
いきなり腕に炎が現れた。拳の先など赤熱を帯びて白く輝いている。
「な、なぁ!?」
ギドが素っ頓狂な声を上げ、同時に熱風がアルトスの頬を叩いた。
ガァンという金属音が届くことはなかった。代わりにアルトスの拳は、何か柔らかい泥を殴ったような感触がする。
これは危険だ。そうアルトスが焦って拳の軌道を変えたその時だった。
ボゥ! と大きな炎が上がった。
踊り上がるそれは蛇のようにも見えて、酒場の高い天井にも届きそうなくらい大きな炎。周囲を囲んでいた冒険者たちも驚き、中には腰を抜かすものまでいた。
「ぎゃ! うわちちちち!」
ギドが悲鳴を上げてゴロゴロと床に転がった。彼の上半身が炎に包まれたのだ。
「パメラ! 水呪文!」
エリックの声に、ハッとなってパメラが水呪文を展開。空中に現れたバケツ一杯ほどの塊が、バシャっとギドに降りかかる。炎は一瞬で消えたが、床板が焦げていた。
「て、テメエ! 男の素手喧嘩に魔法使いやがって!」
ギドがずぶ濡れのまま上半身を起こして、狼のように唸る。今にも側の剣に手を伸ばさんとする勢いだ。
「ち、違う! 僕は炎呪文なんて使ってない!」
「ふざけんな! 見ろこれ……え、どう言うことだ!? ドワーフ印の鎧が!」
ギドの怒りがいきなり失せた。アルトスもまた、拳を突き出したまま呆然としていた。
なんとギドの鎧が、脇腹から胸にかけてえぐれるように溶けている。ギドの鎧はモンスターの魔法も防ぐドワーフ製のもの。にもかかわらず、アルトスの素手がそれを著しく変形させていたのだ。
「やめないか二人とも!」
怒鳴り声が聞こえる。エリックは激怒してアルトスの胸ぐらを掴んだ。
「アルトス! よりによって魔法を使うだと!? 感情で仲間を殺す気か!」
「ち、違う! 違うんだみんな! 僕にも何が何だか!」
とりつく島もない。アルトスは助けを求めるようにパメラを見たが、パメラは目を合わせてくれなかった。ヴィヴィは遠い場所でアルトスをじっと見つめている。周囲の冒険者たちも「あいつやりすぎだよ……」「やっていい事と悪いことがある」と軽蔑の目で見ていた。
「言い訳はいい……今日は解散だ。また明日大事な話をする。外で頭を冷やしてろ!」
「大事な話って何だよ。僕を追放する気なのか? ギドと同じ事いうのか? 長い間頑張ってきたじゃないか!」
「リーダーとしてパーティーに最適な判断を下すだけだ」
「そんな……話を聞いてくれよ! 僕とエリクサーを! 伝説の宝を目指すってそういったじゃないか!」
「もう話すことはない!」
否定はせず、会話を打ち切る。エリックはアルトスの目を見ようとしない。
明らかな拒絶。つまりそれは、ほとんど追放と言っているようなもの。
アルトスはハッキリと理解する。
やはりエリックは自分のことを既に切り捨てていたのだ。
ギドとの喧嘩だって、やろうと思えば年長者の彼がすぐにその場を収められたはずだ。なのに、結果はご覧の通り。考えたくはないが、彼はこの展開を――アルトスがやりすぎることを期待していたのかもしれない。
都合よく、無能となったアルトスを追放する口実を作るために。
アルトスはエリックが怖くなり、逃げ出すように酒場を飛び出す。
背後から聞こえてくる「あんなクズとっとと追放して、次探そうぜ!」というギドの声に、ついにその瞳から涙が溢れた。
次は本日(2021年10月4日)の20時30分ちょっと過ぎくらい