第16話 僕の足はぬいぐるみ
「……希望者が誰もいないだって? そんなバカな」
「なんでだよ。あぶれた冒険者なんていくらでもいるだろうが!」
ギドが冒険者ギルドのカウンターで声を荒げた。そばにいたエリックは彼を押さえつけることなく、むしろ同感だとばかりにカウンターに詰めよっていた。
だが相対するのは巨漢のギルドマスターだ。ギドのがなり声などどこ吹く風。それどころかジロリと睨みを効かせると、ギドは「うっ」と言葉を詰まらせていた。
「誰もお前らと組みたくないってよ。聞いたぞ。お前らアルトスを一方的に追放したんだってな」
「それは誤解だギルドマスター。私達は正規の手続きで彼を追放した。スキルによる明らかな戦力欠落。メンバーへの暴力と、他のメンバーを連れての脱退。これだけで追放の基準は満たしているはずだが?」
「だが他の冒険者はそうは思っていない」
エリックはくだらないとばかりに肩を竦める。
「ギルドマスター、規律を説くアンタがそれをいうのか」
「アルトスは手柄を立てた。女神様の引退宣言をはねのけて、たった二人で第三階層まで潜った上に、ダンジョン変異をいち早く気づいたんだ。だがお前らはヤツを簡単に切った。無能に見えるってだけでな」
「デタラメだ。あいつは剣を振れないんだぞ!」
「あの子を強いと太鼓判を押すのはあの白い手のイゾルテだ。たいそうお気に入りだとよ」
「……ッ!」
「あの狂戦士にそんなのデタラメだと言える度胸があるなら言え。そもそもギルドにも強さの証明が提出されて――」
「もういい!」
エリックは話を切り上げて冒険者ギルドを出る。驚いたギドは、慌てて彼の後についてゆく。既に夕暮れ時になった街の空は赤く染まり、建物は長い影を作り出している。
「どうなってるんだ。たった一晩だぞ。何があった!?」
「もしかしてあのガキ、自分の家柄の事を使ったんじゃあねえか。ほら、カストゥス。親戚の親戚かもだが、この国ではデカい名前だ」
ギドはそういうが、エリックは首を振る。
「ギルドマスターは名で優遇しない。もうヤツの事はいい。それよりも仲間が手に入らないことがマズい」
ガジガジと親指の爪を噛むエリックを見て、ギドは肩を竦めていた。
「……仕方がない。この街に来たばかりの連中をスカウトしよう」
「あの筋肉ダルマに止められねえか?」
「ウチに希望を出さなかったのはあくまでここに根付いた連中だ。ギルドマスターはそれでも自由を謳う。本人達が希望を出せば文句を言わないだろうよ」
「ハッ! 裏を突くねえ。流石は隊長様だ」
「ギド、パメラを使ってスカウトできるか?」
エリックがそういうと、ギドが怪訝そうに片眉を吊り上げる。
「そう警戒するな。あの女の事はよく知っている。困った女だが有能だ。お前もな」
「……はぁ、何つうかアンタ、本当に成り上がりにしか興味ねえんだな」
「悪いか? 下士官止まりしかない騎士団崩れなんてこんなもんだ」
ギドは意外だと目を見開く。エリックは基本的に自分のことを話さず、パーティー運営第一に動く。初めて腹を割ったような言葉にギドは面を喰らうも、どことなく親しみが湧いていた。
「功名心、いや元職場――上層に対するコンプレックスか。怖いねえ」
「なんとでも言え。お前だって名声と金が欲しいだろう?」
「もちろんだ。アンタはそうやって俺を引き入れたんだよな」
「私とお前らならできる。私は君を高く評価している」
この短い言葉で、巧みにギドを特別扱いするのはエリックの技だ。
秘密を共有して、貴方だけだと言えば人は煽てられるもの。
それを上手に隠すのは詐欺師であり、店を構えれば商人であり、軍服を着れば指揮官であるということだ。
「しょうがねえ隊長様だな。わかった。分け前は弾んでくれよな」
「お前だけが頼りだ……そうだ、これを」
エリックが懐から取り出したのは髪のメモだった。ギドは怪訝な顔で中身を見ると、そこには冒険者の名前が羅列されている。どれも【要注意】のラベルが貼られたものだった。
「なんだこりゃ? 犯罪者リストか?」
「情報屋から買い取った冒険者のブラックリストだ。良かったなお前の名前が無くて」
「そん中でもこの鬼族のモモチ=アリサカ? こいつは特段にヤバいヤツみたいだな。星が何個もついてる」
「気をつけろよ。お前のためでもある」
「わかったわかった。ったく仕方ねえな。俺がいねえと回らねえんだから」
気分のいいギドは、エリックの言葉巧みなそれに気づいていない。主導権を握ったと思っているだけで、実際に首輪をかけられている。
猿はおだてれば木に登る。兵は誉れを与えれば笑って死ぬ。そしてギドのような男は、お前が主人公であると言えばよく働く。エリックはその事をよく知っている。
そしてこれから組むであろう冒険者達もまた、そうやってエリックに取り込まれてゆくのだろう。
★
頭がめっちゃ痛い。
アルトスが目を覚ますと、突然耳元でシンバルでも鳴らされたような頭痛が襲いかかってきた。何とか上半身だけ起き上がってみると、辺りは綺麗な家具が並んだやたら豪華な部屋だった。
「あいたたた……あれ、ここどこだっけ?」
アルトスはこてんと首を傾げる。見たこともない場所だ。寝ていたベッドはキングサイズの巨大なもので、手に返してくる感触はフワッフワ。天蓋を覆うレースカーテンも細やかな装飾刺繍が綺麗で、ここだけこの世から隔離された理想郷のようにも思える。
「……ああそうだ思い出した。宿屋に帰ってピンバッジ見せたら、宿屋の主人凄い喜んでくれたんだっけ」
段々と思い出してくる。あのあとアルトスはヴィヴィに付き合って飲めない酒を飲んで、フラフラになって宿屋にたどり着いた。宿屋の主人は目を丸くしていたが、ピンバッジを見るや「そうかあ、お前出世したのかぁ」と男泣き。
そうして主人に連れられたのはいつもとは違う棟への通路と階段。その最奥にあったのがここだったというわけだ。流石はギルドランク4といったところだろうか。アルトスへの待遇は前と段違いだった。
「凄い部屋だな。実家より凄いじゃないか……ありがたく使わせて貰おう」
アルトスはそう言って伸びをして、ベッドから降りようとしたが足に何かくっついている事に気がつく。不思議に思ってシーツをあげると、そこには紫色の髪の毛が覗いていた。
「ヴィヴィ!? うおぁ酒臭ッ!」
むわんと漂うのは濃厚な酒気。よくよく考えたら、こんな小さな体でありえない量を飲んでいたなと思い出す。体は少女なのにこれでも長寿族。年齢はゆうに三桁を超えているというから驚きだ。
急に恥ずかしくなってくるアルトス。彼は今、下着姿でいる。その上でヴィヴィがひっついているというのはどういうことだろうか。
霞む記憶を辿って「よし、やましい事はしていない」と強引に納得すると、彼は思い切ってシーツをあげてみる。
「……ヴィヴィ、朝だよ。昨日飲み過ぎ――」
シーツをめくりあげて、言葉を失うアルトス。
どういうわけか、ヴィヴィは下着姿で寝ていた。髪留めも解いて特徴的なツインテが無く別人のようだ。
スゥスゥと眠るヴィヴィは完全に右足に手を回していて離れそうにない。アルトスの膝あたりに慎ましくも弾力のある胸が押しつけられていて、不意に心臓の鼓動が速くなってくる。
何がどうしたらこうなると、再びアルトスは昨日の記憶を辿る。うんやっぱり何もしていない……と思いたいが、心臓の鼓動が速くなればなるほどに自信が削れてゆく。
「なんで!? どどどどどういう」
「んあ? 朝?」
むっくりと起き上がるヴィヴィ。アルトスはさらに悲鳴をあげる。ヴィヴィはパンツ一丁だった。だがヴィヴィは全く気にしていない様子で「頭が痛い……」とおでこに手を当てていた。
「あー……おはよアルトス。昨日は激しかったね」
「何が!?!?」
「お酒のペースが」
「ですよね! 誤解されるような事言わないで! てか何で堂々としてるの!? 上! ない!」
「? ああ、そっか。ゴメンゴメン。エルフって基本薄着文化だから」
「薄着? ほぼ裸じゃないか!」
「失礼なちゃんとパンツは履いてる」
ギャーギャー叫ぶアルトスはさておいて、エルフの薄着文化は本当である。
エルフは自然帰依の文化が根付いているためか、あまり文明的なものは身につけず薄着な事が多い。ヴィヴィがいつもヘソ出しシャツにホットパンツで、埃よけや風よけ、魔法の余波を防ぐためだけにマントを身につけているのはそのためである。
かといって原始人のようでないのは、彼ら彼女らが人間基準であまりにも美しい見た目をしているからだろう。
「てか! その前に! 何で一緒の部屋なの!?」
「知らない。ワタシは特に気にしないって言ったら、宿屋のおじちゃんが一緒に入れって」
「嫁入り前の女の子が! そういうのはいけないと思います!」
「うーわ人間族ってめんどくさ。もう腹割って話し合った仲なんだからいいでしょ?」
何がいいんだろうか。確かにお互いの腹の底を曝け出したが、こんなにまで親密になるなんて聞いていない。いや、親密というよりこれが彼女の文化圏の当たり前で、アルトスだけがそれに振り回されているだけなのかもしれない。
だとしても、ダークエルフの貞操観念どうなってんだと頭を抱えるアルトス。今までこんなトラブルは無かったのに……と、思い返してみてハッとした。
今までずっと宿屋は個室だった。やっても種族間で固まるというのを徹底していたような気がする。そもそも宿屋は圧倒的にシングルの部屋が多い。直前のパーティーでも、しっかりと部屋が別れていた。
もしかしたらそれは、こういった異種族間のトラブルを回避するためのものではないのだろうか。ありうる。ダンジョン経済に偏った街はまさに異種族のサラダボウル。何気ない所作が誰かの失礼に当たる。宿屋にシングルが多いのは、特にリラックスした時に起きやすいトラブルを避けるためだったのだ。
なるほどとまた一つ賢くなったアルトスだが、それならばこの部屋に二人を押し込んだ宿屋の主人は勘違いしているのかワザとやっているのか。あとで文句を言おうとアルトスは心に誓った。
「……あれ? ベッド二つあるじゃん! 天蓋付きの! よく見たら個室もある!」
確認してみると、一人用のベッドが置いてある部屋が三つほど。給仕用、あるいは団体様でもあるらしい。小さな部屋ながら家具はメインフロアと同じぐらい高級品だった。
「一人で寝るのは本当は好きじゃない。エルフの家族はみんなで雑魚寝。だからいつも一人の時は人形抱いて寝るの」
ヴィヴィがもぞもぞとシーツの中から取りだしたのは、小さなクマのぬいぐるみだった。しっかりとした作りのものだが、年期が入っているのか少しくたびれている。
なら、仕方ないか……と、一瞬だけ納得しかけたアルトスが首を振る。
「だったら人形と寝ればいいじゃん!」
「アルトスの足が掴みやすい」
「僕を人形代わりにしないでよ!」
「ごちゃごちゃうるさいな。美少女が添い寝してるんだからいいでしょ」
「よくないんだって!!」
げに恐ろしきは異文化ギャップ。
アルトスは学んだ。エルフ族の距離感がとても両極端だと言うことに。基本的に排他的なはずのエルフは、一旦家族や仲間認定すると近すぎるほどのスキンシップを取ってくるらしい。
アルトスは騎士の生まれ。徹底的な躾を施されているので、異性と同衾など考えただけでも興奮と恥ずかしさを通り越して卒倒沙汰。なのでアルトスはシーツに包まって顔を伏せると、「お願いだから服を着てください……お願いです……」とか細い懇願の言葉を繰り返していた。
ヴィヴィはというと「はぁ、人間族ってめんどくさいなぁ」とむくれながら、半裸のまま洗面所へと向かっていった。
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