第15話 一緒に地獄へ落ちてくれる貴方へ
お祝いの時は酒場に行くと相場か決まっている。アルトスは頭の中に大好きな肉料理を浮かべ、ヴィヴィと共に街道を走る。
どこの酒場も混んでいた。それもそうだろう。今日はダンジョンが封鎖されている。ほとんどの冒険者達はやることがなくて、酒場に入り浸ることしかできないからだ。
何件か回ってようやく席が空いていたのは、残念なことにアルトスが喧嘩した酒場だった。ヴィヴィは顔を覗かせて元メンバーがいないことを確認すると、真っ直ぐカウンターに行って「お酒! 二つ!」と大声で注文していた。
ちなみにこの国では飲酒は人間族で言う十五に『相当する』年齢なら提供が許されている。ヴィヴィのような長寿種だと見た目からは判断できないので、彼女がよくギルドの証明証を提示しているのを見ていた。
アルトスが後から入ると、酒場が一瞬だけ静まった。何だか入り辛いな~とおどおどしていると、ヴィヴィが「はやく!」と手招きするので思い切って真ん中を突っ切り、カウンターに腰を下ろした。
すぐに出てきたジョッキは麦酒が並々と注がれている。アルトスとヴィヴィはガッと掴むと、それを高らかに掲げる。
「じゃ、生還と特命を祝って」
「乾杯」
「はいかんぱーい」
ガン、とジョッキ同士を鳴らすと、ヴィヴィはものすごい速さで酒を飲み干し、即座に「おかわり!」と給仕に頼んでいた。対してアルトスはそこまで飲めないので、一口だけ飲んでテーブルにゴトリと置き、早々と肉串に手を伸ばしていた。
「ん~! おーいしー!」
「ヴィヴィ、君そんなにお酒強かったんだ」
「実は部屋でいっぱい飲んでた。でも今はいい。もう自分を隠す必要もなんもないし」
ヴィヴィはそう言ってガンガン酒を飲み干してゆく。まるで今までの鬱憤を晴らすかのようにだ。
流石に酒場のマスターも「ペースが早すぎだぞ」とやんわり注意してきたが、ヴィヴィは「平気。こんなの故郷のに比べたら水」とバンバン飲んでいた。
「……なんか思い返したらドッと疲れて来ちゃった。一夜で色々起きすぎだよ」
「ワタシもビックリだよ。生き残ったのが不思議なくらい。しかも何? キミ本当に良いとこ出なの?」
「あ、あはは……まあ、ね」
アルトス再びジョッキを掴むも、少しだけ飲んではぁーっとため息をついた。
「どしたのアルトス? 祝い酒だよ?」
「正体を知られたのがちょっとね……」
「あの連隊長すごい褒めてたね。そんなにキミの家って凄いの?」
「僕自体は凄くないけどね」
「ご謙遜を。ねえ、ペンドラゴン卿?」
「ヴィヴィごめん。その名前で呼ばないで」
アルトスの声はかき消されそうなほどに小さく、顔も泣きそうになっていた。ただならぬ事情を感じたヴィヴィは「ごめんよ」と素直に謝った。
暫く無言が続く。
ただ、イヤな空気というわけではない。
二人ともまだ腹を割って一日ちょっとしか経っていないが、あれだけの事が起きて既に相棒のような存在になっていた。
ただ横にいるだけで心地よい。二人とも孤独が続いていたから余計に距離が近くなったのかもしれない。
「……ね、アルトス」
「どうしたの?」
「あの、さ。ワタシ、キミの事が気になって」
「僕の事?」
「その、差し支えなければ教えて欲しいんだけど。聖女のくだりとか。仲間として。ダメ?」
アルトスには予想外の質問だった。ヴィヴィは間違いなく、自分より経験が豊富で冒険者というものを解っているはず。パーティーメンバーの過去に触れるというリスクも承知しているはずだ。
だが不思議と、アルトスは悪い気分にはならなかった。むしろ嬉しいと思ってしまう。
「嫌ならいいよ! あはは、ワタシ何言ってんだか。マナー違反だよね」
「いや、いいよ。教えてあげる。というか、聞いて欲しいかな」
そう言ってアルトスはジョッキをグイーッと飲み干す。酒は弱い方で、何故大人はこんなものを大量に飲むのだろうと不思議でいたが、今それがようやく理解できた。
ああ、人間ってお酒の力を借りたい時があるのだな、と。
「僕の名前はアルトス=ペンドラゴン=カストゥス。カストゥス家の三男坊。ペンドラゴンってのは王様から家に贈られた」
「竜を統べる者か。何か武功でも立てたの?」
「……姉さんが聖剣を抜いた。トランドール王国から南南東、『静謐の湖』ってところにあった選定剣をね」
「選定剣……嘘、ワタシもしかしたら聞いたことあるかも。え、与太じゃなくて本当にあるの!?」
アルトスは笑うが、その笑顔は寂しいものだった。
「もともと『静謐の湖』は古代エルフ文明の遺跡だった。そこにあった選定剣は最初、古代人の彫刻だと思われてたんだよ。石の台座と一体化してるんだもの。飾りと思っても不思議じゃないよね」
アルトスは蕩々と語り始める。ジョッキの底をじっと見つめるのは、思い出をそこに映し出しているのかもしれない。
「王様はそれが気に入って湖畔をまるまる公園にしちゃった。『聖剣の公園』ってね。剣自体は触り放題だったよ。それが目玉だったしね」
「でも、その飾りが本物だった?」
「うん」
「キミのお姉さん……もしかして勇者とか?」
「ううん。でも、万能の人だった。剣術の大会も武術の大会も絶対優勝する人。騎士団に入団も約束されてて、家を継ぐ事も決まってた。僕の師匠でもあるよ」
話を聞いてどんな姉ちゃんだよ、と突っ込みたくなったヴィヴィ。家を継ぐことを許される女騎士など聞いたことがないが、それほどにアルトスの姉は飛び抜けて優秀だったのだろう。
「その日、僕は姉さんと一緒に公園で遊んでた。日が落ちるまで遊んで、帰る前に記念だって姉さんが選定剣を掴んで引っ張った。そうしたら、いとも簡単に剣が抜けたんだ」
アルトスの顔が急に歪む。
「信じられる? 皆が飾りだと思ってた剣、本物だったんだよ。姉さんが尻餅をついて抜いた剣が、みるみるうちに錆が取れて綺麗になってゆく。そうしたら光り輝いた。夕暮れを昼間に変えるくらいの強い光が僕たちを包んだ」
言葉が短く切れがちになる。アルトスにとってはあまり思い出したくない出来事だったんだろう。
「光が収まると、姉さんは剣を抱いて死んだように眠った。大事件になった。そしたら宮廷学者やらがワラワラ来てね。これは伝説の通りリンゴの園へ連れて行かれた。姉は世界の騎士になったって」
「リンゴの園ってのは女神様よりもっと古い神様が作った、世界の終わりに備えて勇者を集める場所……エリクサーの情報集めてるときに知ったよ。人間族の誉れって」
こくんと頷いて、それからアルトスは思い出を語ることは無かった。
ヴィヴィはそれを聞いただけで、何となく彼の事を察してしまう。そこから王様に認められて、姉は聖女として祭り上げられて。アルトスの家は一気に名声と栄光を得たのだ。
バルガス隊長の言葉も合わせれば、国王は喜び聖堂まで建てた。ともすれば、アルトスの実家は今やトランドールに轟く名家も名家ということになる。
「姉さんは以来ずっとガラスの棺の中。歳も取らないんだって。世界の終わりが来るまでずっとあのままらしい」
故に聖女と崇められたということ。アルトスのジョッキを握る手に力が入る。
「みんな聖堂に来て手を組むんだ。聖女様だって。僕はそれが許せなかった――ねえヴィヴィ、姉さんが光に包まれた時、時なんて言ったと思う?」
「嬉しい、じゃないよね」
「そう。『助けてアルトス』だった」
「……」
「でも父にそれを言ったら絶対に黙っておけって言われた。姉の誉れが穢れるって。僕は、その時全てを呪ったんだ」
アルトスがこれ以上、過去の事を語ることはなかった。
酒場は喧噪とデタラメな音楽に溢れて、二人を覆い尽くしてゆく。
じっとアルトスを見ていたヴィヴィが目を伏せ、ポツリと呟く。
「キミも、なんだね」
「ヴィヴィ?」
「みんな勝手に奉って騒いで。自分だけが泣いて。まるで自分以外が悪魔に見える。そうでしょ?」
ヴィヴィはそう言うと、すぐに来たジョッキをガーッと飲み干した。そんな小さな体のどこに入るのかと不思議に思うアルトスだが、彼女の顔を見てハッとした。その顔は全く酔っていなかった。
「アタシんとこもそう。ハイ=エルフの儀はある意味もっと酷い」
「ハイ=エルフの儀?」
「生贄の儀式だよ」
アルトスは絶句した。
生贄の儀式。
あまりにも露骨で時代錯誤な言葉だった。
「そんなバカなって顔をしてるね。キミの文化圏はそうなのかもしれない。でも故郷の沼はもう少し古い神様を祀ってた。だから、人身御供の因習はずっとあった」
ヴィヴィはまたもやグイーッとジョッキを傾けカラにする。はぁー、と吐き出す息の酒気は相当なもの。アルトスは思わず鼻をつまんでしまうが、ヴィヴィの顔はまだ素面のようだった。
「ハイ=エルフの儀ってのはエルフの体を使って、古い神様の住む世界樹に命を転移させるんだ。世界樹と共にありて上位の存在になるだってよ。世界を見守る使徒になるんだって。最後の時まで」
「使途?」
「そう。アルトス、ハイ=エルフになったエルフはどうなると思う?」
「……死んじゃうの?」
「逆だよ。永遠に生かされる。樹にされてね」
バキリ、と音。ヴィヴィが手にした串をへし折っていた。
アルトスはその言葉に、宮廷学者の忌ま忌ましい言葉が蘇る。姉は魂が神の元に送られて、世界の騎士となって永遠にあのままであると。
偶然の一致だろうか。ヴィヴィの沼地の伝統に似ている。
世界を見守る使途。どちらも生きている人間の命を止めて、来るべき時に備え最後までそのままでいる。アプローチは違えどソックリだった。
「なんだか似てるね。その選定剣ってやつに」
「古代エルフ文明に、女神より古い神様か。確かに似てるといえば似てる」
「案外同じ神様かもね。ろくなもんじゃないよ絶対」
「ヴィヴィ、その儀式は希望制……じゃないんだよね?」
「希望制だよ。ただし、同調圧の中でのね。解るでしょ?」
アルトスは初めてヴィヴィの怒る顔を見た気がした。
腹の底から、煮えくり返るような怒り。多分彼女はずーっと長い間、これをため込んでいたのだろう。
彼女の怒りは理解できた。おそらく村人はこぞって栄誉だと言ったのだろう。
その顔は喜びよりも、自分がそうならないで良かったという安心から。自分たちの生存と繁栄の責務そして罪という罪を、イケニエが全ておっかぶってくれたという安堵の息。
アルトスは怒りが湧いてくる。
愛する人を神の騎士にされた人の心は、どこに置けばよいのだろうか。
親を神に奪われた子は、一体何に縋ればよいのだろうか。
栄誉だから割り切れというのだろうか。
世界のために良いことだから黙れというのか。
それとも大事に向けたやむを得ぬ犠牲であると、泣き寝入りすれば良いのだろうか。
否。
断じて否だ。
そんな世の中など、クソッタレだ。
故にアルトスは家宝の剣を盗み野へ下った。
求めるそれは、曰く神の霊薬。
曰く、万能薬。
曰く、全てを癒すもの。
エリクサーなる神秘に手を伸ばし、姉を助けるーー
いや。
もしかしたらアルトスは姉を助けることで、復讐をしたいのかもしれない。
姉という犠牲を奉りあげた全てに「ざまぁみろ! お前らは間違っている!」と言うためにエリクサーを探しているのかもしれない。
「泣き叫ぶワタシを皆は白い目で見てた。お母さんは笑顔だったけど、顔が引きつってた。絶対に嫌だったんだってわかる。でも、選ばれたならやらないといけない。そうじゃないと、ワタシが神官達に殺されるかもって」
「そんな」
「ワタシは半分復讐心で動いてる。神の霊薬でお母さんをエルフに戻す。ワタシはあの沼地に言うんだ。お前らはとうの昔に神様に見捨てられているって」
それが彼女の動機。だから、長い間たった一人でエリクサーを探していたのだろう。彼女の目には、人が悪意の塊にーーそれこそ、かの黒い巨人のように見えていたはずだ。
そんな二人は、ここで出会った。
人に、神に、世界の理に復讐する者同士として。
「僕も同じ……なんだと思う。これは復讐心なんだろうね。姉さんを奉り上げた全部に向けた復讐。今気がついた」
「んふ。悪い騎士だ。姉の為じゃ無かったの?」
「そっちこそ、母さんの為とか言ってるくせに」
「似たもの同士なんだねワタシ達」
「似たもの同士だね」
恐らくは、この世で殆ど一緒になることのない境遇。
アルトスは姉を。ヴィヴィは母を神の貢ぎ物にされてしまった。
その苦しみは誰にも理解できないだろう。
皆が微笑み讃え祈るその背後で、涙する者の気持ちなど。
「アルトス」
「何?」
「一緒に地獄に落ちてくれる?」
いつの間にか、ヴィヴィの顔が真っ赤になっていた。目がとろんとして、テーブルに寄りかかっている。酔っているのだろう。ヴィヴィが人に弱みを見せることはない。だから、これは酔っているのだとアルトスは思った。
彼女の言うとおり、二人がエリクサーを手に入れる事は即ち、世間を敵にして神に弓引くこと。
捧げられた供物を、捧げられた尊き命を、限りなく美しい犠牲をご破算にする世界にとって最悪なこと。
文字通り、成せば地獄に落ちることなのかもしれない。
だが、彼らのようなやむを得ない事情の犠牲者たちに牙がないと思ったら大間違いだ。
アルトスはひっくり返したい。このダークエルフの少女と一緒に、大多数の大馬鹿野郎共に指をさして笑ってやるのだ。たとえ、地獄に落ちようとも。
「うんいいよ」
「ホント?」
「なんならもう一度誓いを立てる?」
「……そんな事されたらワタシもうおかしくなっちゃう」
「?」
「なんでもない。気にしないで。久しぶりに酔ってるだけ。でも、ありがと」
返答は短かったが、ヴィヴィの顔は今まで見た中で一番素敵な笑顔だった。
ならば全てを癒す希望とは。
即ち、冒涜そのものではないのか。
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次は2021年10月15日金曜日の夜8時ごろ更新。