第12話 白い手のイゾルテ
「い、今のもしかしてダンジョン変動?」
「多分そう……だけど、焦らないで。変動は深層から順々に来るし、一気に来ないから」
再びゴゴゴゴゴという音。それはゆっくりだがこちらに近づいている。アルトスはダンジョン変動を目の当たりにしたのは初めてらしく、気が気でない様子。対してヴィヴィは一瞬ギョッとした表情を見せたが、音がとても遠いと思ったのかすぐに冷静さを取り戻していた。
「おーい! そこの!」
急に呼びかけられてビックリした二人が声の方を見る。そこには第二階層を下りてきた冒険者のパーティーがいた。背丈が小さいリリパットの女性が先頭に歩いて、その後ろに屈強な冒険者達がついてくる。
リーダーと思わしきリリパットの女性は異様な姿をしていた。目がまん丸でとても可愛い少女然とした顔。ショートボブの茶髪はさらさらで頭には大きな赤リボン。そして白いワンピースドレスを着て、その胸元あたりには服装に合わない黒い小さなピンバッジがあった。
それだけなら可愛い少女に見えるが、ワンピースの上に着込んだ左胸だけ守る胸当てと、彼女の背にある幅広の長剣が異様さを醸し出している。
「やあやあ、君達も朝早くから精が出るね。もしかして昨日から潜ってた?」
ニコニコ顔のリーダーの女性は実にフレンドリーに話しかけてくる。前のアルトスならすぐに応えていただろうが、彼はもう同じ轍を踏まないとばかりに警戒の色を見せる。
「お? こんなに可愛い私が話しかけてるのに一切油断しないとこみると……相当の手練れみたいだね」
「お嬢、こいつらあのエリックのとこの連中では?」
背後のモフモフ猫耳の豹人が、お嬢と呼んだリーダーに耳打ちする。装備品から見るに、こちらも戦士のようだ。
「へぇ、君が例のアルトス君か! 女神様に酷いスキル貰ったってもうウワサになってるよ。気の毒に。あ、私の名前はイゾルテ! 白い手のイゾルテって聞いたことない?」
「げ。アルトス、あいつが例の……」
「嘘でしょヴィヴィ!? こんな子が!?」
「あーいいねー。私と会った人は皆そう言う! なーに想像したのかな~ゴリマッチョでも想像したのかな~?」
イゾルテがさらにニマニマし始める。初々しい冒険者を眺めているような目だ。だがその大きな瞳の奥にある黒い光がドンドン大きくなっている気がする。
「……トップランカーが何のようか知らないけどアタシ達急いでるから。あんた達も逃げた方がいいよ」
ヴィヴィがそう言って話を打ち切ろうとするが、イゾルテが待ったとばかりに短い腕を伸ばす。
「まあ待って。そんなに邪険にしないでよぉ。私たちの先を歩いてた君達にちょーっと聞きたいことがあるっていうか」
「何? 情報なら高いけど?」
「んふふ。ツンツンしちゃってかーわいい。で、本題。さっきからウチの僧侶の帰還呪文が使えないんだけど。何でか知らない? あとこの音何? 君達が先行してた場所から聞こえるんだけどナー?」
合いの手のようにして、再びゴゴゴゴゴという地鳴りが響き渡った。
「お嬢、逃げましょう。聞かなくったってこれは間違いなくダンジョン変動ですぜ。転送座標がズレたんですよ」
「いーじゃん! どうせ変動なんてゆっくり起きるんだからさ! まだ時間あるでしょお?」
「悪い癖ですぜ。変動を引き起こすほど強そうだから呼び止めた。そうでしょう?」
「……あたり♪」
豹人のその言葉に、ニヘェ、と笑うイゾルテ。その目の奥は真っ黒だった。深い深い、井戸の底ような黒。
アルトスはゾッとした。彼女はやはり噂通りの狂戦士だったらしい。
イゾルテはアルトスに何かを感じ取ったのだろう。狂戦士という職業を与えられた人間は強さに敏感だ。彼らは戦いたくて戦いたくて、その戦闘意識が自身の肉体強化に乗り、さらなる血を求める。仲間にすればこれ以上頼もしい前衛職は無いが、時折暴走してモンスターよりも厄介な存在になることで有名だった。
「アルトス君、それにそこのダークエルフっ娘。知ってると思うけど、ダンジョン変動の理由の一つに、階層を壊しかねないほどの大乱闘をした時があるんだよね。それさー君達がやったんじゃないの?」
思いっきり思い当たる節があるので、アルトスの心臓は飛び出しそうだった。ヴィヴィを見ると「何のことやら?」と涼しい顔をしながら、いつの間にかアルトスの横に来て手をギュッと握っていた。
「君さー、ウワサだと剣が使えないんでしょ? でもやった。私が身震いするような大乱闘やった。ぜーったいやった。違う?」
「さ、さあ?」
「いい加減にしてくれない? それに情報は高いって言ったけど?」
「ええ~、やったら意地悪じゃんダークエルフちゃん。そういえば貴方のお名前は?」
「……ヴィヴィ」
律儀に名乗ったのは既にイゾルテが名乗っているからである。これは冒険者ギルドの決まりでもあるのだが、それ以上に名を名乗らないという無礼を働いて難癖を付けられないようにするためでもある。
「ヴィヴィちゃんね……ん? どっかで聞いたような……まあいいや。ねえ、いくらでも払うから教えてくれないかなぁ? そうじゃないと」
イゾルテの笑顔にとうとう狂気が帯び始める。口角が弓張り月のようにつりあがり、スーッと伸ばした手は背負う大剣の柄に添えられている。
「剣で聞きたくなっちゃうな~。御法度だけどさ~いいかな~? アルトス君強そうだし~」
「お嬢、ちょっと止めて下さい。今度こそギルドマスターに登録剥奪されますよ?」
「ちょーっとだけ。先っちょだけ! ホラ見て。よく見るとアルトスって可愛い顔。ファンになりそう」
その言葉と共に、ヴィヴィの握る手が強くなった。「痛ッ!?」と驚いてヴィヴィの顔を見ると、若干怒っているようにも見える。
「剣も振れない君がどうして第三階層まで来れるのかな~不思議だなァ~」
やっぱり狂戦士は話が通じない。欲望に忠実すぎてこわい。
アルトス達が身構え、イゾルテのパーティーメンバーが「お嬢マジで止めて!」と止めに入る。相変わらずゴゴゴゴゴと音が響いて、ダンジョン変動が現在進行形で行われている。だがイゾルテはお構いなしの様子だった。
「ハァ、ハァ、もう我慢できない……」
ダラダラとヨダレを垂らし、いよいよ大剣の柄を握るイゾルテ。
「なあ、決闘しようや」
目と瞳の色が反転した。
狂戦士の固有アビリティである『狂化』の兆候だ。とてもこわい。
「ヒッ! い、いきなり何ですか!?」
「ちょっと! 冒険者同士の争いは御法度でしょ!」
「キミ、強い。解る。キミ、ゼッタイ、ツヨイ」
アルトスとヴィヴィが心の中で同時に「へ、変態だぁぁあああ!」と絶叫する。アルトスはヴィヴィの手をクイクイと引いて合図した。この緊急事態にヴィヴィも理解を示したようで、ゆっくりと腰のカバンから煙玉を取り出し、気づかれないように親指をピンにひっかけていた。
「アルトス、三つ数えたら投げるからね。いい?」
「う、うん」
だが、それでも上手く逃げられる確証が無い。イゾルテの纏う剣気はそれ程までに鋭いのだ。ウワサ通りの喧嘩っ早さと、その内包する苛烈さが証明するランキングトップの実力。もしかしたら二人は、黒い巨人と相対しているときよりも酷い相手に喧嘩を売られているのかもしれない。
完全に逃げ腰になっている二人。だがここでようやく救いの手が入る。
「お嬢ダメだって言ってるでしょ。さ、もう帰りますよ。今日は休みだ」
待ったをかけたのはモフモフ豹人の戦士だった。イゾルテを背後から子供を抱きかかえるように持ち上げると、慣れたように左肩に乗せた。
「へ? ああもうトリスタン、ちょっと! もう! いいとこだったのに!」
「いいところ、じゃないでしょう。ギルドマスターも絶対やるなって言ってました」
「バレなきゃいいじゃん!」
「子供みたいな事言わないの」
トリスタンと呼ばれた豹人の肩に乗るイゾルテは、むくれながら「降ろせこのバカ猫!」とポカポカ頭を叩いている。水を差されて興が冷めたのか、イゾルテの狂気は既に消えていた。
「……すまんなアルトスとやら。非礼を詫びよう。お嬢はどうも強い相手となると目がなくてな」
イゾルテを肩に担ぎながら、ペコリと頭を下げるトリスタン。どことなく品のいいソレに、もしかしたら騎士の出なのかもと思える。
「は、はぁ。た、大変です……ね?」
「慣れている。ただお嬢がこう言うからには、君には何かあるんだろう。今後は上手に隠すのだな。まあ、ウチのお嬢が鼻が良すぎるってのはあるんだが」
「うるさいなもう! 私は獣人じゃないぞこのバカ猫!」
ポカンと頭を叩かれてトリスタンはため息をついていた。そのモフモフの顔に苦労が滲み出ている。
「我々は先に戻る。ダンジョン変動となれば、冒険者ギルドも君達が出たところで一旦入り口を塞ぐはずだ。急げよ」
「アールートースー! 次は決闘しようねー!」
「お嬢ダメですって!」
そう言ってイゾルテ達は嵐のように去って行った。手をつないだまま取り残されたアルトス達は、何か残念なものを見た気持ちでいっぱいになる。
「……いろんな冒険者がいるんだね」
「そうだね。ただ、ラッキーと言えばラッキーだったかも」
「ラッキー? なんで?」
「あの変態リボンはあんなんでもトップランカー。それなりに顔が利くから。君に恩を着せるために先にギルドに報告してくれるでしょ」
容易に想像出来た。そもそも冒険者ギルドへダンジョン変動の報告義務がある。イゾルテ達が先行していた場合、これ以上に説得力のあるものはないだろう。
「だからって決闘はしないけどね。あんなの黒い巨人より無理だよ」
「そうだね……アルトス、もしあの変態リボンと二人きりになったら……ワタシ、キミのちょん切るから」
「何を!?」
「ナニを。沼地では浮……裏切り者はそうなる」
アルトスがヴィヴィの顔を覗くと、彼女は頬を僅かに膨らませて怒っていた。また怒らせるコトしたのかと頭を抱えるアルトス。うーんうーんと唸るも、その悩みは見当違い。
ヴィヴィはただ、変態とはいえ他の異性がアルトスと話すことを嫉妬していただけだった。
次は2021年10月10日の午後8時くらい