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第10話 深淵の底に飛び込む勇気

「うっそ! 魔力欺瞞煙玉(マジック・チャフ)が効かないの!? どう見ても魔法生物じゃん!」

「何なのアレ!? ヴィヴィは何か知らないの!? 僕よりモノ知ってるんでしょ!?」

「知らないよ! 見たこと聞いたこともない……いや、ある!」

「えっ!?」

「エリック言ってなかった? 最近ダンジョンに現れる黒い人影!」


 そう言えばと、アルトスは走りながら思い出す。彼が隠しスキル(ブラック・スキル)を得て護衛される中、エリックが恐れていたもの。悪霊か不死者リッチだと言っていたが――


「アレが人影? 冗談じゃない巨人じゃないか!」

「き、来た来た来た! 急いでアルトス! ここ右! 道間違えないで! 罠がある!」


 ヴィヴィの言うとおりにアルトスが曲がる。すると追いかけてきた黒い巨人は曲がれきれずドゴォ! と壁にぶち当たりめり込んでいる。だが痛みなど感じないと言わんばかりに立ち上がると、再び追いかけ始めていた。


 黒い巨人は先のゴーレムとの戦いで腕が切られたせいなのか、バランスは悪く壁に体を打ち付けながら追いかけてくる。思ったよりもスピードは出ていないがそのしつこさは半端なく、第三階層の要塞(フォートレス)の中盤を越えてもまだアルトス達を追いかけてきた。


「しつこいな! 何で僕たち追っかけてくるの!? 何もしてないじゃん!」

「アルトスちょっと頭下げて!」


 何個か角を曲がると、ヴィヴィがカバンから様々な投擲物を取り出しては投げる。頭上を飛んでゆくのは黒くて丸いモノに、アルトスは「まさか……」と背筋が凍る。


「今投げたの、もしかしてドワーフが使う爆弾!? 通路塞ぐ気!?」

「そんな事言ってられないでしょ!」


 アルトスが必死になって走る。再び背後から破壊音。黒い巨人がバランスを崩して壁に突き刺さった音だ。


 そのすぐ後に爆弾の爆ぜる音。爆風と衝撃がアルトスの体を一瞬だけ浮かせた。続いて聞こえた瓦礫の音が、黒い巨人の悲鳴と折り重なる。


 これで決まったか。流石はドワーフ印だと思った矢先に、再び破砕音。


 アルトスが振り向くと、土煙から出てきたのはあの黒い巨人。降り注いだ瓦礫を無理矢理力で押しのけたようだ。


 ただ流石に質量の暴力は有効だったのか、その体は傷だらけで黒い瘴気がところどころから噴き出している。見ているだけで痛々しいが、それでも巨人は止まらなかった。


「効いて……るけど止まらない! 何なのもう!」

「ヴィヴィ! もっとないの!?」

「あんなアブないの何個も持ってないよ! あともう少しで第二階層の階段だから走って!」


 ヴィヴィがスピードアップする。アルトスは置いていかれないように走る。黒い巨人と距離は稼げたが、油断しているとすぐにでも追いつかれそうだ。


 そしてようやく目的地に到達しようとしたその時。先行していたヴィヴィが顔を真っ青にして突っ立っていた。


「どうしたの!? 何があったの!?」

「ダメだ! こっち!」

「階段は!?」

「塞がってる!!」


 信じられない事を言い放つヴィヴィ。そんなバカなと第二階層への階段がある司令室を覗くと、アルトスはショックのあまり膝から崩れそうになった。


 ヴィヴィの言う通り、本当に階段への道がふさがっていた。べったりと何か黒いものが通路に付着している。膜とも壁とも言えぬ生物的な障害物が通路を塞いでいた。


「何あれ!? どういうこと!?」

「こっち! ワタシの走ったところだけ走って!」


 ヴィヴィに連れて行かれるままに走る。背後からは尚も黒い巨人が追いすがる。曲がる度に要塞(フォートレス)の壁をぶち抜いて、駄々っ子のように身をよじっては殺意を向け、乱暴に体勢を戻して追いかけてくる。


 地の果てまで追いかけると言わんばかりのその執念は、逃げる二人の精神をゴリゴリと削ってゆく。


「これじゃダメだ。いつか追いつかれちゃうよヴィヴィ!」

「ならどうすんの!? 戦うっていうの!? ワタシはあんなのと正面からやるのはゴメンだからね!」

 




 ――そう。戦うしかない。


 ――剣を捨てし者よ。悪意に拳を打ち立てなさい。


 ――それは、聖剣を憎んだ貴方だからこそできる事。





 あまりにも切羽詰まって幻聴を聞いたのか。アルトスの頭に、凜とした声が響き渡る。


「……女神様?」


 レベルアップでもなくスキル付与でもなく、決まり切った台詞でもない。ただアルトスの脳裏には、女神の声が聞こえた。


 アルトスはその幻聴めいたものを否定する気はなかった。確かに、もう戦うことしか残されていない。要塞(フォートレス)の壁を切り崩しながら乱暴に走る黒い巨人は疲れどころか痛みも知らないようだ。いつか追いつかれる。


 下層に下りる階段に向かっても先ほどのように塞がれていたら、あの虐殺の場で挽き肉になるしかない。


 ならば。


「こうするしかないのか!」


 アルトスが角を曲がってすぐに立ち止まった。ドドドドドと石畳を踏み抜く音が近づいてくる。


 先ほどのヴィヴィの爆弾でヒントを得た。


 黒い巨人は曲がり角で必ず体勢を崩す。そこを突く。


 だがそれは、一撃でゴーレムを砕いたあの巨体に肉薄することを意味している。


 もし、拳が届く前にあの足が自身を貫いたなら――


 アルトスはギュッと目を瞑ると、恐怖を押し殺して拳を構えた。


「アルトス!? 何立ち止まってるの!?」

「ヴィヴィ、僕、ここでアイツを殴る」

「はぁ!?」

「このままじゃどうしようもない。アイツを倒すんだ」

「無茶だよアルトス! いくら隠しスキル(ブラック・スキル)でも! 巨石のゴーレムがああだよ!? 殴る前に蹴り殺されちゃう!」

「だから、転んでる時! その一瞬に賭ける!」


 ヴィヴィの言うとおりだ。アルトスがいくら頑張ってもアルトスのリーチは拳の届く範囲。対して相手は蹴りだけでゴーレムを崩す巨人。あの細い足の蹴りはアルトスの腕の何倍も長く、リーチの差は歴然だ。


「バカなことはしないで! 下層に逃げよう!」

「同じだよ! あいつは、ずっと追いかけてくる!」


 アルトスが深く腰を落とした。ギラリと光る双眸がただただ一点、黒い巨人が倒れるだろう角を見つめている。


「さっき言ったことを撤回する。ここからは、勇気の問題だったんだ」


 絶望的な状況を打破するには、いつだって勇気が必要だ。


 真っ黒な深淵の底に、拳を一つだけで飛び込む勇気。


 アルトスは思う。あの巨人は生きている限り絶対に自分たちを諦めない。体から放つ殺意は、全てを憎みきっている純黒のそれ。冒険者もモンスターも、生きるもの等しく殺してやるという凝縮された負の感情。そうでもなければ、モンスター達をああも虐殺することはない。


 人生に避けられない戦いがあるとするならば、今がそう。


 アルトスが腹をくくる。荒い息は整い、恐怖で目尻に溜まった涙は消えていた。爪が食い込むほどに握る拳には、炎剣の息づかいが流れ込んでくる。


「アルトス! 死ぬ気なの!?」

「死んでも、生き残る!」


 やがて現れる黒い巨人。ヴィヴィの「危ない!」叫び声は、曲がろうとして壁に突っ込んだ黒い巨人の音にかき消された。


 起き上がろうと石畳を蹴る音が響き渡るがーー


「今だ! 食らえええええええええええええええ!」


 アルトスが体勢を崩した黒い巨人に飛びかかる。


 拳に炎が宿り、熱波が頬を叩く。


 危険を察知したのか、黒い巨人は走ろうとするのを止めた。不自然なほどに、ピタリと体が止まった。そして突然顔に一つ目がぎょろりと現れて、飛びかかるアルトスを睨み付けていた。


「……ッ! だから、なんだあああああ!」


 アルトスは歯を食いしばって覚悟を決める。既に体は空中に飛び上がり、相手が何をしようとも避けられない。一度投げられた賽はもう止められない!


 不意に、真下から恐ろしい気配を感じる。


 アルトスに迫るのは、巨石のゴーレムを打ち抜いた長細い足だ。


「負けるかああああああああああああ!」


 爆炎の拳(ブレイズ・ナックル)が放たれる。


 赤熱する拳は超高熱で今まで以上に白く輝く。アルトスの覚悟に呼応しているかのようだ。


 やがて拳の先から現れたのは炎の渦。


 それは大蛇のように、アルトスの腕へと巻き付いた。

次は今日(2021年10月9日)の午後8時くらい。

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