カルピス
真希さんは冷えたお酒のならぶコンビニの一角を前にして、知らず知らず腕組みをしながら、片手の親指と人差し指で小さなあごをつまむようにして目線を上げたり下げたり、ときどき缶チューハイに手を伸ばしては引き寄せて、デザインをぼんやり見つめるかと思うと、カロリーを目ざとく確かめつつ、口のなかで自然とその味を想像する。
似たようなものの違いまではあまりぴんと来なくても、どれもこれも美味しいことはちゃんと分かる。でも、美味しそうと思うそばからすぐに、いつものえぐみが後へ続いた。あのいがらっぽい妙な後味が、ひさしぶりに起こりかけた真希さんのお酒への感興をみごとに砕く。
「どうするの。真希はチューハイ?」
真希さんをひとりこの場に残して、ひと回りしてきたらしい年下の彼がふっと隣にあらわれて訊いてくれる。
「えっとね、どうだろう、わたしもしかしたらお酒はいらないかもしれない」
「飲まない?」
「うん、翔ちゃんが飲むのを見てる。わたしはお茶にしようかな。いい?」
「それはもう任せる」
ありがとう、じゃあそうするね、と答えて、初めから目をつけていた緑茶のペットボトルのキャップ部分を指先につまむと、すっと抜き出した。陳列棚の一番前がすっぽり空く、そのいっときをぴたりと止めて、時間の波を遮断したいと思うまま、真希さんは念じるようにそこへ真摯な眼差しを向けたとたん、切なる願いに反して、その夢はがらがらとこすれるような響きと共にあえなく崩れ去った。
ふっと息をついて、ちょっぴり落ち込むまま彼を向くと、片手に持った小さな買い物かごには何も入っていない。
「翔ちゃんはいいの? お家にもあるんだっけ?」
「家にまだウイスキーがあるから、それにしようかな。ハイボール」
言いながら、彼は真希さんの前を横切るように腕まくりしたシャツの手をぐっと伸ばし、二往復のうちに炭酸水のペットボトルを二本抜き出して空だった買い物かごに収めた。酷暑の時季にも、外出にはきまって長袖を身に着けて、半袖を着るのは好まない彼。
「二度とか三度気温が下がっただけですぐに冷えるのが嫌でさ。カフェなんて夏なのに嘘みたいに寒かったりするし。それにシャツは長袖が基本だと思う。こっちのほうがかっこいいよ」
そう言って、シャツの袖をつまみながら、あるとき自分の気持ちを素直に教えてくれた彼の、へんに強がらないところに真希さんは惹かれた。漠然とした感覚ではあるけれど、信頼できるような気がしたのだ。
もちろん、彼については知らないことのほうがずっと多くて、でもそもそも彼の奥深くに分け入って、いろいろな物事をふたりで共有したいという気概はいまの真希さんの心のうちからはずっと遠かった。
遊びでいい、とは口にこそ出さないけれど、ふと思ったりもする。その心を打ち消したいとは不思議と思わない。その余裕が心地よかったりもした。いっしょにソファに並んで、テレビでも見ながら、わたしはお茶をゆっくり飲んで、彼はハイボールをごくごく空けて、ウイスキーをロックでいって、全然赤くならない白い肌にかすかな赤みが差す。そのときを待って。
「何かつまむ?」
不意に、夢想を破る声に打たれて、まだぼんやり整わない頭を覚まそうと真希さんは首をぶんぶん左右に振ると、
「あ、いらない。俺はちょっとチーズとか欲しい」
真希さんはなおもぶんぶん言わせながら「ちがうちがうの、わたしはカルピス」そう答えるが早いか、彼は忽然視界から掻き消えたと思うと、立ち所に再びにょきっと生えて、真希さんの鼻先へひんやりしたものを押しつけた。
「冷たッ」と思わず小さく叫んで身を離すのにも構わず、
「ほら、カルピスサワー。真希もいっしょに飲も」
「飲む」真希さんはこっくりうなずいた。
真希さんがお茶を陳列棚にもどす隙に、彼は早くも後ろを向いておつまみを探っていたのをふと探り見ると、すでにチーズはかごに置かれて、自由なその手はカルパスへと伸びていた。
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