嘘という概念が存在しない世界に転生した元詐欺師の私は、嘘つきの楽園を創ります
「そういえば昨日出来心で浮気をしてしまった」
「はっ?なにそれ?あんた刺すわよ?」
「いや、それだけはやめてほしい」
「………はあ……いくらろくでなしの馬鹿旦那でも、私達のために生活費を稼いで家に入れてもらわないと困るのよ。今回だけ目を瞑って我慢してあげる。それで、何でそんなことしたの?」
「すまん。ついムラムラして魔が差してしまった。だが、心から愛しているのはお前だけだし、死にたくないから二度としない」
「当り前よ。あんたへの小遣いはしばらくなし。浮いたお金で気になっていたドレスとネックレスとバッグ全部買ってもらいますからね」
極めてストレートな言葉を互いにぶつけ合う両親の奇妙な修羅場を目撃した5歳の私は、ひょっとしたらこの世界に『嘘』というものが存在しないのではないかと思い始めていた。
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ずっと前からどこかおかしいと気づいてはいた。何なら生まれた時から違和感はあったのだ。転生者であることが原因だったのかは未だに分からないが、この世に生を受けて間もないにも関わらず、私の意識は至って鮮明だった。大切な我が子を初めて目にした母親の第一声は、母娘の感動の初対面とは思えないほど、とても酷いものだった。
「ああ…なんだか……真っ赤でくしゃくしゃな顔……猿みたいね……勿論お腹を痛めて産んだ我が子だから、当然可愛いとは思うけれど…何度見ても猿みたい…」
なんと直接的で失礼な物言いだろうと思ったが、きっとこういう明け透けな性格なのだと自分に言い聞かせた。
「猿みたいと言うより……もう猿そのものって感じだよなあ…何かの間違いで猿が産まれてきたんじゃないか?」
おい、親父、ふざけるなよ、いい加減にしろ。
「馬鹿な事言わないでよ、あなた。猿なら毛が生えているでしょう?この子は単純に猿によく似ているだけよ」
デリカシーの欠片もない似た者夫婦なのだと血気に逸る心を無理やり落ち着かせたが、腹いせに毎晩大音量で夜泣きをして二人を不眠症にする衝動を抑えることだけはどうしても出来なかった。誰が猿だ。
それからも両親の目に余る言動は続いたが、私が接するこの世界の人間は二人だけだったので、いわゆるサバサバ系夫婦なのだと納得することにしていた。配慮や遠慮こそなかったが、その分溢れんばかりの愛情をたっぷりと注がれていたことも事実だった。だが、出来の悪い昼ドラのような、駆け引きと盛り上がりゼロの浮気発覚現場を目撃して、流石にこれはおかしいだろうと気づいた。段々と外の世界のことも分かってきた私は、それから間もなく確信した。この世界には嘘という概念が存在しないのだと。私は期待に胸を膨らませた。
そんな虚言耐性ゼロの人間で溢れ返る世界なんて…元詐欺師の私なら、余裕で天下取れるはず!!
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前世の私の両親は、二人とも詐欺師だった。私が小学生になると同時に、あっけなく逮捕されてしまったということは、残念ながら二流の腕前だったということだろう。親戚の養子になった私は、その家の中でも、学校でも、近所でも『嘘つき娘』と罵られた。なぜ真面目に生きようとしている私が、親の行いのせいでほら吹き呼ばわりされないといけないのか。真剣に悩んでいた時期もあったが、そもそも単純な性格の私は割とすぐに吹っ切れた。「正直に暮らしても嘘つき扱いされるのなら、嘘をつかないと損じゃないか」そう開き直った私は、嘘をついて、ついて、つきまくることにした。名実ともに正真正銘の嘘つき娘となったのだ。
最初は自分を良く見せるための可愛い嘘が始まりだったような気がするけれど、人を騙す快感を覚えた私は、もう止まらなかった。衝動はエスカレートして犯罪行為にも手を染めた。特にSNSでは面白いように次から次へとカモが見つかった。出会い系詐欺にチケット転売詐欺…気付けば私も両親と同じ立派な詐欺師になっていた。まあ、結局たくさんの相手から恨みを買い過ぎて、最終的に命まで失ってしまったわけだから、私も馬鹿にしていた両親と同じ二流だったのだろう。二人とも失敗しても死にはしなかったのだから、私は三流かもしれない。詰まるところ蛙の子は蛙以下のオタマジャクシというわけだ。
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しかしながら、ここは『嘘が存在しない世界』。この世界の住人は、疑うということを知らない。詐欺師にとっては、まさに騙し放題の楽園だ。ド三流の私でも、一流のコンフィデンスウーマンになれるはず!!
心配事はたった一つだけ。嘘が存在しない理由だ。もしかしたら、この世界では嘘をついた瞬間に死んでしまうのかもしれない。そう考えた私は両親にそれとなく探りを入れてみたが、そんな奇抜な死に方をする人間は聞いたこともないらしい。だとしても嘘をついた人間が存在した形跡そのものが他人の記憶もろとも消滅する可能性だって残されている。異世界というのは基本的に何でもありなのだから……ええい、うだうだ分からないことを考えても仕方がない。物は試しだ!
「…ママ、お腹空いた…」本当は満腹なのですが。
「さっき食べたばかりなのに、よっぽど食いしん坊なのね」
…ふう…死んでない…消えてないよね…セーーーフ!!!よっっっっしゃあ!!!いくらちっぽけでも、嘘は嘘。それから何度かいろいろな嘘を試してみたが、全く何も起こらなかった。これで私の快適な詐欺師ライフはほぼ保証されたようなもの。大富豪や女王になるどころではない。世界征服も夢ではないだろう。この世界ごと手玉に取ってやる!
とは言ってみたものの、子供の私がすぐに詐欺師として活動するのは流石に無理があるので、世界征服詐欺計画を一人で虎視眈々と練っていた。そんな大それたことを考えていた私が6歳になった頃、突然父が戦争に動員された。よく考えれば当然のことだった。嘘がつけない世界において、腹の探り合いが必須であるはずの外交がまともに行われている訳が無い。この世界では常にどこかの国同士で戦争が起きているらしい。なんだよそれ…詐欺でお金を稼いでいる間に国が滅ぶかもしれないなんて冗談じゃないぞ…
出征してわずか半年後、父の死亡通知が届いた。たった一枚の紙切れによって告げられる肉親との永遠の別れ。人が死ぬってこんなにあっけないことなのかと愕然とした。私だって既に一度死んでいるのだけど、家族の死を経験したのはこれが初めてだった。隠し事なんてしたくてもできない母は、大粒の涙をぼろぼろと流しながら、その事実を私に告げた。
「あのバカ…なんで私達を置いて勝手に死ぬのよ……ふざけんじゃないわよ……うう………悲しいよぉ……辛いよぉ…」
私を強く抱きしめたまま子供のように大声で泣きじゃくる母。大人げない姿に呆れつつも釣られて私も涙が止まらなくなってしまう。
「……でも…大丈夫だからね…心配しないでライア…あなただけは、絶対に私が守って見せるから!!」
お互い涙が枯れ果ててしまったあと、母は泣き腫らして真っ赤に充血した目をしているくせに、固い決意の宿った母親の眼差しを私に真っ直ぐ向けて宣言した。
……違うよ、ママ。私があなたを守って見せる。もう小金を稼いでいる場合じゃなくなった。この私のハッタリと大嘘で下らない戦争なんか終わらせてやる。計画を少し前倒しするだけだ。
私が目を付けていたのは『宗教』だった。この国には何故か宗教も存在していない。だが、信じるだけで疑うことを知らない彼らをまとめあげるのに、信仰ほど好都合なものはない。私は神の天啓を授かった預言者になりきることにした。子供の預言者というのも神秘的で悪くない。実の母親まで騙すのは申し訳なかったが、敵を騙すにはまず味方からというのがセオリーだ。
「町長、あなたは悩み事を抱えているようですね」
「はい…」
「それは徐々に後退している生え際のことですか」
「な、何故それを!!前髪を伸ばして誰にも気づかれないようにしていたのに!!」
「すごい!やはり神の預言者というのは本当だったのだ!!!」
「預言者ライア様だ!!!!」
勿論下準備は必要だった。詐欺をする上で一番重要なのは情報だ。どれだけターゲットのことを調べつくしているかで成功率は天と地ほど変わってくる。まずは私達が住んでいる町の住民一人ひとりについて時間をかけて徹底的にリサーチした。嘘をつけない彼らも黙秘することはできるのだが、本当のことしか話すことのできない彼らの秘密を暴くなんて赤子の手をひねるようなものだった。
あとはお告げとして彼らが誰にも知られていないと思っている秘め事を言い当てるだけで、簡単に信じ込ませることができた。それからは町が領土、領土が国になっていくだけで、やることは大して変わらない。むしろ規模が大きくなるほど、権力を持つ人間だけを標的にすれば良くなるのでよっぽど楽だった。
「私は神からのお告げで、王子が孤独に抱えてきたお悩みについて承知しております」
「ほ、本当なのか」
「その被り物のことですよね?」
「なっ!何故それを!!」
「大丈夫です。私が信頼できる腕利きの医者を紹介いたしましょう」
「ああ!!神よ!!ついにこの悩みから解放される時が来るとは!!!」
『ライアン教』が規模を拡大して国教になるまでさほど時間は掛からなかった。不思議なことに嘘と同じく、この世界には宗教も存在していなかったようで、そのまま隣国へ、さらに山を越え、海を渡り、世界中にライアン教は浸透していった。「争いをしてはいけない」という唯一の戒律を信者たちは厳格に守り、この世界からあっけなく戦争は消えた。
詐欺師ではなく教祖として祀り上げられるのは予想外だったが、一応これで世界征服を成し遂げたと言っても過言ではないだろう。あとは私が死んだ後に備えて、平和を維持できるように聖典でも作っておくとしよう。
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下界もとい地獄の様子を眺める神達。
「神の名を騙るのはまさに不敬の極みだが、本当にこの地獄から戦争を失くしてしまうとは驚いたな。そもそも何故彼女は嘘をつくことができたのだろう?」
「単なる執行官のミスではないでしょうか…他人を傷つける嘘をついたものは、罪に応じた懲役を終えるまで、何度も生まれ変わりながら、嘘をつくことができないこの世界で争い続ける罰を受けるはずですから」
「調査の結果、生前彼女が詐欺の標的にしていたのは犯罪者予備軍の出会い系サイト利用者や転売で利益を上げている反社会勢力だったと判明しました。手に入れた儲けは全て寄付していたようですし…天国と地獄、どちらに送るべきか迷った挙句、真実しか話せないという枷をつけ忘れた状態で地獄に送ってしまったようです」
「しかし、こうやって刑罰が機能しなくなってしまっては、もう地獄とは呼べんな…果たしてどうしたものか…」
「まあ、いいではないですか…この仮初の平和もいつまで続くか分かりませんし…とりあえずしばらくの間は嘘つきどもの楽園ということで大目に見ることにしましょう」
嘘という概念が存在しない世界で、元詐欺師の少女が吐いた大嘘は、元嘘つきどもの楽園を創り出したのだった。