例えばそういう普通の恋の話
ご近所に住む田畑悠貴という男はマイペースだ。
一応断っておくが協調性がないわけではない。
実際に社会に出てサラリーマンをやっているみたいだし、接客業の私がうまくやっているか心配もしてくれている。
見た目も悪くないのに、恋人が居ても長続きしないのは、彼の独特なペースについていけないという部分だろう。
多分、彼は恋人という存在が何たるか理解していないのだ。
何日も連絡が取れなければ、女性は不安になるということ。
やっと連絡取れても、謝罪や言い訳もなく、ただただいつもと変わらない態度でいられること。
休日に何をしていたかという些細な報告すら無意味と思ってしないこと――ちなみに聞くのは好きなようだが、情報交換という思考が著しく欠如している奴である。
最初こそ、マイペースでのんびりとした優しい雰囲気を醸し出している、そこそこイケメンの男が故、告白は絶えず恋人に困ることもないようだが、実はまったり自己中男だと気がついた女性から振られてしまうという循環型である。
家族や昔からの知り合いは慣れたものではあるが、やはり時々突拍子もない行動に出るから困りものだ。
だからといって人を大切に思えないタイプでもない。
人よりちょっと――結構外れた感性を持っているだけで、ほとんどどこにでもいる当たり前の一般人だ。
そんな悠貴と私は幼馴染と言っていいのだろうか……小学生の時に集団登校が一緒だったくらいしか接点がなかったが、親同士が仲が良かったというやつで、自然と子供同士のの私――金村穂乃香と悠貴の接点が他の子供たちより多かったという程度である。
お互いに異性として意識したことはなく、相手の親が自分を、うちの親が悠貴を可愛がってくれていたため、私から見ると「田畑さんちの息子」という立ち位置の方がしっくりくる。それでも、まぁ親が気に入る相手なのだから悪いやつじゃないと普通に会話はするし、ルームウェア姿で相手の家に上がりこむ気軽さもある。
恋人が居れば流石に密な付き合いは激減するが、互いが互いに実家暮らしの社会人のため、おすそ分けやお土産を持っていく程度の付き合いは継続している。
そんな普通の幼馴染として付き合ってきた私と悠貴の間に変化をつけたのは、悠貴の年の離れた妹である美玖留ちゃんが変な言葉を覚えてきたことに始まった――。
◆◇◆
「だめぇ!! ほのちゃん、食べられちゃうううう!!」
毎度お馴染みであるはずのおすそ分けを持ってきた途端、玄関先でそう叫ばれた。
母特製の茄子の煮びたしが入ったタッパーを、悠貴のお母さん――保子さんに渡したタイミングなもんだから、目が点になる。
ちなみに母の茄子の煮びたしは絶品だ。
父親が突如として開眼した家庭菜園は、庭一面が畑になった当初こそ驚いたものの、夏ともなればおすそ分けしなければ消費が間に合わないほどの豊作だ。
不味くはないが美味しいとも言い難い、家庭菜園でとれた父親の野菜を、絶品料理に仕立て上げる母親の料理の腕は流石である。
余談が過ぎたが、とにかくそれを持ってきたタイミングでの訴えの叫びだったものだから、なんだなんだと目を白黒させてしまうのは仕方がない。
「あらぁ、亜由子さんの煮びたし嬉しいわぁ」
涙目で叫ぶ自分の娘を絶賛無視して保子さんが母の手料理を喜んでくれている。
頬に手を当てて、嬉しそうにふふふっと控えめに微笑む保子さんを見ると、どうしてあそこまで豪快かつ肝っ玉な母親の友人をやっているのだろうかと疑問に思えてくるが、多分尋ねると今日・明日・明後日の夜が潰れる三部作になりそうなので黙っておく。
無視する保子さんの後ろで、両手両足をバタバタさせてそれでも訴える美玖留ちゃんは涙目で叫んだ。
「ほのちゃん、来ちゃダメなのっ! お兄ちゃんに食べられちゃうよっ!!」
「よりによってなぜ悠貴? そして私の身の安全を確保しようとしてくれる美玖ちゃん、激かわっ」
最後に本音が駄々洩れしたが、仕事ではちゃんと自制しているので許してほしい。
金村穂乃香、二十四歳、絶賛プライベートタイムである。
ちなみに悠貴と呼び捨てにしているが年上の二十六歳だ。
美玖留ちゃんは五歳――大層、年齢の離れた兄妹ではあるが、二人ともれっきとした田畑保子と田畑謙二の子供である。
謙二さんが「どーしても二人目ほしくなっちゃって、保子さんに頑張ってもらっちゃった☆」とかるぅく言っていたが、真実は二人の間でしかわからないし、無理に聞き出そうとも思わない。
けれど、保子さんがずっと二人目を希望していたのは、何となく雰囲気で察していたので本当に二人で頑張ったのだろう。
まぁ、そんな美玖留ちゃんが必死に訴えているのを、保子さんは軽く諫めながら玄関に立ったままの私に言った。
「そうそう、悠貴やっと帰ってきたのよ」
「あ、やっとですか? 今回は何日いなかったんですか?」
「一週間よ、一週間。ずーっとソロキャンプしてたんですって」
「ありゃま。そりゃ大層、悠貴にピッタリな趣味を見つけてしまいましたね」
「連絡して既読になるだけまだいいけれど、返信いっこもしてくれないのは本当、我が息子ながら困ったわぁ」
タッパーを持っていない手で頬を抑えながら首をかしげるあたり、この年齢にしてあざとさを感じられる保子さんである。
会話の通り、田畑悠貴という男は突如としてフラリとどこかへ出かけたかと思うと、一切連絡をせずにいなくなることがある。
スマホを持たない小学生の頃に一度それをやらかして、大捜索することになったため、彼の行動は止められないと理解した周囲の大人の勧めで特例でスマホを持たせられた奴だ。
前科一犯どころか、結構罪を重ねている。家族に対しても恋人に対しても。
一応、社会人になってから有給を使ってどこかへ突如として出かけるという事が多くなった。
会社に出勤しているものとばかり思っていたところ、実はちゃっかり有給を取って休んでいるあたり、計画的犯行なのが否めない。
結局のところ、単独行動を好む男であり「そういう生態の生き物だ」という扱いをしたならば、理解できるのだから案外わかりやすいのかもしれない。
「今、部屋にいるわよ? あがってく?」
「ほぅ? 私も明日から連勤なんで、久々に顔でも拝んできますかね」
「だめぇっ! 食べられちゃううううっ!」
上から保子さん、私、美玖留ちゃんの発言である。
玄関を上がる私に対し、それを阻止しようと暴れ泣きだす美玖留ちゃん、そしてそれを抑え込む保子さん。
通り過ぎ間際に「どうしたんです?」と主語のない質問をしても、保子さんはすぐに察して「謙二さんよ」と半ば呆れ加減に旦那の名前を呟いたことに、思わず私も「あぁ」と遠い目をしてしまった。
そうして泣きわめく美玖留ちゃんを後目に、小さくお邪魔しますと呟きながらリビングを通って二階に上がる。
階段上がって向かいの扉が彼の部屋である。
「おかえりー」
そう言いながらノックもしないで扉を開くと、机にカラフルなルアーを並べた悠貴がフローリングの床に胡坐をかいて座った状態で視線だけで迎え入れてくれる。
黒い柔らかめの髪はカジュアルショートで、ほっそりとした切れ目は眠たげなのがデフォルトだ。
筋の通った鼻は、稀にハーフと間違えられるらしいが純日本人である。
薄い唇を一の字に結んで、笑いもしないのも相変わらずで、彼は表情を作るのを酷く苦手としているから理解できるが、初対面の人はまず誤解してしまうだろう。
「ん」
ルアーの手入れをしながら、なぜか焼き鳥を食べている悠貴の口からは、挨拶らしき音が飛んだ。
「ソロキャンプ始めたんだって?」
ロクな挨拶もなしに向かいに座った私が、折り畳みローテーブルに並んだルアーを眺めながら尋ねると、悠貴は咀嚼し飲み込み、改めて「ん」と短く返事をする。
口にくわえていた焼き鳥の竹串を皿の隅に置いたのを見て、思わず突っ込んだ。
「ちょっと悠貴、ねぎまのネギ食べなよ。みっともない」
「……ぐにぐにしてる」
「この柔らかいのが美味しいのに」
「食べる?」
「ネギだけっ!? 酷くないそれ!?」
しかも自分が残したやつ!
「……一本食べる?」
「惜しそうに言わないでよ。いらないわよ」
たぶん、差し出す気もなかったんだろう、一応言葉で言ったものの、行動はルアーをケースに片づけるところから変わらないから所詮口だけである。
「ソロキャンプどこ行ってきたの?」
「山梨」
「思ったより本格的っぽいっ! 何したの?」
「焚火」
「何焼いたの? 釣り? 釣りもできたの?」
「沢釣り。ヤマメ」
「ヤマメ! 聞いたことある! 食べたことないかも! 食べたの魚だけ?」
「缶詰とか。飯盒とか。動画観て勉強してった」
「あははっ、悠貴、意外と勤勉! でも備えあれば憂いなしってやつだねぇ」
私が思わず笑い声をあげると、今まで淡々としていた悠貴の口元がゆるりと弧を描いて笑みを浮かべる。
私はこの何気なく微笑む悠貴の笑顔が好きだ。
マイペースで無表情な彼は色々と誤解されやすい。
自分から情報を輩出するのが苦手で下手なだけで、尋ねれば答えてくれるし、言葉は少ないけれど質問の仕方によってはちゃんとした返答が得られる。
表情もさほど変わらないため、何を考えているかわからないとよく言われてしまうけれど、決して何も考えていないわけではなく、逆に考えすぎるが故にすぐに言葉が出てこないタイプだと私は思っている。
「……ソロが飽きた頃には、連れていくよ。ヤマメ、一緒に釣って食べよ」
ほら、ちゃんと考えているのだ。
「いつ飽きるのかはわかんないけど、気長に待つわ」
あははっ、と声をあげて笑いながら私が答えるだけで、彼は満足そうに頷いて。
一瞬できた静寂に、一階から美玖留ちゃんの泣き声が聞こえてきた。
どうもあの後、保子さんに強めに叱られたらしい。
その原因でもある謙二さんも、仕事から帰ってきたらしこたま叱られるんだろうなと思いながら、思わず悠貴に尋ねた。
「美玖留ちゃんのアレ、どうしちゃったの?」
「……親父が……うん」
「あー、それは何となく保子さんから聞いたけど」
具体的に何をされてあんな風に泣きわめいているのかが分からず困惑していると、悠貴はルアーをテーブルに置きながらため息交じりに教えてくれた。
「確か『オオカミと七匹の子ヤギ』を読んでもらっていたみたい?」
――オオカミと七匹の子ヤギは、言わずと知れたグリム童話の一編であり、お母さんヤギが一匹で出かける際、留守番をする子ヤギ七匹に対し「誰が来てもドアを開けてはいけません」と注意して出かけていった。
そこへオオカミがやってきて母親を真似るがあっさり見破られ、次第に声や容姿を真似て母親と思い込ませ、信じた子ヤギたちが扉を開けたところでオオカミに食べられてしまう――というお話だ。
ここでこれ以上の詳細は不要の為、省略するが、つまるところ父親である謙二さんがが美玖留ちゃんに絵本を読んでいる時に、彼女から出た素朴な疑問がきっかけだった。
『オオカミさん? ってイヌ?』
という子供ながらにして純粋なものである。
イヌだと答えるとヤギを食べる動物が世界中の家庭で飼われていることになるため、謙二さんはまず否定した。
そして、イヌの仲間であると伝えると同時に笑いながら言ったのだ。
『男も実はオオカミなんだぞぉっ! 美玖留なんて可愛いから、頭からがぶがぶ食べられちゃうんだ!』
『オオカミさんなのっ!? お兄ちゃんも!?』
『もちろん悠貴もきっと美玖留が可愛くてバクっと一口で――』
『ぎゃー!』
純粋な少女が故に、狂い泣きの美玖留ちゃんが完成された瞬間である。
多分、もっと具体的な内容があったと思うが、ここは悠貴の回想で教えてもらっているものだから、多少簡略化はされているだろうがおおよその流れはそういう事らしい。
無論、大人の意味でも謙二さんは美玖留ちゃんに注意を促したかったのだろうが、彼女は若干五歳の幼稚園児だ。
そういう意味では妻である保子さんに大いに叱られ、挙句の果てに自分も男に分類される生き物だと忘れていた謙二さんが、自分の発言で最愛の娘である美玖留ちゃんに避けられ、近づくと大泣きされるという状況にまで発展したらしい。
田畑謙二、自業自得。
そんな一般家庭で起きた小さな事件をボソボソと語る悠貴の言葉に、ようやく私は納得した。
「なるほどねぇ。美玖留ちゃん、本当純粋に育ってる」
「感心するところ、そこなんだ」
「いいことじゃない。保子さんの育て方が素晴らしいのね。謙二さんは自業自得だけど」
「そこは同感」
相変わらず悠貴は無表情だけれど、彼にしては珍しく口数が多い。
会話を楽しめるならそれに越したことはないし、共通の話題というのは盛り上がってなんぼである。
ふと悠貴と視線が合って、なぜか心臓がビクリと跳ねた。
思わず視線を逸らしながら立ち上がり、棚の上に並んだランタンを眺めるのは本当に気になっていたからだ。
「それにしてもランタンだけでいくつあるの? いつの間にかすごい増えているね」
話題を逸らしたのもなんとなくだ。
何となく――目があった時の悠貴がいつもと違って見えたのは気のせいだ。
いつもの無表情なはずが、美玖留ちゃんの言葉のせいで、多分初めて悠貴を“異性”として見てしまった。
――男は狼って、悠貴も?
一瞬、そんな風に思ってしまった邪な自分の気持ちを悟られぬよう、背を向けて棚の上のランタンを一つ選んで持ち上げる。
シンプルながらもスタイリッシュで、そしてちょっと煤けた部分があるからインテリアではなくちゃんと使っているものだというのがわかる。
ちょっと強引な話の逸らし方だったかもしれないけれど、悠貴は素直に会話の波に乗ってくれて。
「ネットで見てはつい買っちゃう」
「あはは、散財してるねぇ」
「必要な分だけだよ。多分」
「多分なんだ? 全部使ってるの?」
「使ってるやつと、これから使うやつ」
「なるほどね、まだまだソロキャンプ熱は続きそうだねぇ」
会話の途中で悠貴が立ち上がって背後に近づいたのは何となくわかっていた。
けれど。
「インテリアとして私も買おうかな。ちなみに、値段ってどのくらい――っ」
背後に立っている悠貴に問いかけるため、顔だけ振り返っただけなのに。
噛みつくようなキスをされた。
え。
あれ?
私、キス、されてる?
悠貴に?
え?
なん、で……?
――頭が真っ白になって。
目を閉じた悠貴の睫毛が意外と長いなんて思ってみて。
悠貴の唇がかさついてるな、という感想と。
なんだろう。
結構、これでも混乱しているけれど。
キスの味が、焼き鳥味なのは、たぶん、初めてだ。
角度を変え、いつの間にか顎に手を添えられていたけれど、やがてゆっくりと離れていく悠貴が目を開いて、私の顔をジッと見つめて。
「それ、あげる」
「……はぇっ?」
「ランタン、たくさんあるし」
「あ、うん……はい、ありがと?」
「うん」
「あの……」
「うん」
「じゃあ……あの、おじゃま、し、まし……た……?」
「――うん」
――正直、そのあとどうやって帰ったか覚えていない。
多分、私の事だからちゃんと保子さんや美玖留ちゃんに挨拶はしたと思う。
顔に熱が集中しているのも、心臓がバクバクしているのも、多分笑って誤魔化せているはずである。
逃げるように帰り道を早歩きしながら、温もりが未だに残る唇を指先で押さえる。
あまりにも唐突過ぎるキスに驚きすぎたのも確かだけれど。
何事もなかったかのように会話が続けられた悠貴の態度に釣られたのもあったし。
なにより、キスした後の悠貴が何であんなに泣きそうな顔をしてたのか。
「……え? なんで?」
ランタン片手に呟いても当然返事などあるわけもなく。
あの時、ちゃんとキスした理由を聞いておけばよかったと後悔する羽目になるのは一か月後の事である。
という夢を見たんですよ。
夢だから、とわかっていたのに、男性側の急な態度に「んな馬鹿なっ!」って目を覚ました午前五時。
続き見たいと寝たけれど寝つけず、結局文章にして妄想しようとここまで書きました。
だから続きはないんですけど、妄想の続きでよければちょっと考えときます。(考えるだけ)