序 弐ノ二
少女の散逸した意識が、一瞬にして呼び戻され、針金のように細く頼りない何かできつく拘束された。
それは警戒心とも、恐怖、少なくとも気力などという自発的なものでは決してない。
強制的に呼び起こされた、生存本能。
死に行く者に、それを否と唱えるだけで阻む様なでたらめな存在を、どう呼称するべきなのか。
質量ある何者か、或いは何物かが眼前に立っている気配はない。
死にかけの少女がそれを感知できない程に衰弱しきっているからか。
少女は相貌を、たった今生まれたばかりの微力を込めて見開いた。
一度は受け入れた死は、未だ彼女の視力を離そうとしないが、無明の闇の中であっても、敵を見据える習慣が直ちに失われるわけではない。
今すべき行動は、そんな気構えよちも、速やかに距離をとることだが、数10kgもの肉の塊を移動させる大業と、瞼をわずかに開くのとを同列に考えられる余裕もまたなかった。
「いやさあ。
せっかくの勝者がそのまま共倒れでお終いとか、ありえんくね?
こっちは提供できるもんも……正味の話、しちゃいけんもんも無理くり出したんだしさ。
せめておめでとありがとするくらいは生きてくんないと、やり切れないっしょ」
軽薄そうな、やや甲高い声色が、まるで誂えたかの様にしっくりと来る口振りで少女の耳を突く。
若者言葉と方言を見境なく放り込んだ口調は、責め立てるにも、困りごとを愚痴るにも説得力に欠け、更に言えば、そこから何か特別な感情を見出すことができない。
だがそれは、声の主が普通の人間ならの話だ。
「まあ、感謝を求めるのは恩着せがましいっていうの?
そんな陰口叩かれそうだけどさ。
君も好きで来たんだから、ルールは守ろうぜって話。
分かる、分かるよ。
そりゃあ分かるさ。
私だって君の立場に置かれたらきっと……いやあ、どうだろ?
流石にこんなグロ注意になった時の気持ちは、理解しろって言われても怖くて泣いちゃうかもなあ」
強いていうなら、訳者の悪ふざけ。
否、そこにすら何の意思も働いていないのなら、幼稚な翻訳ソフトを走らせただけだ。
本来なら全く違う言語体系の言葉を、無理矢理に形にした程度の羅列。
見出せないのではない。
根本的に、感情を乗せるという機能がないのだ。
「まずはおめでとさん。
ステージを代表して、白旗小脇にスタンディングオベーションかましちゃう!」
突如として辺りに響く拍手の音。
ただ直立し顔を上げるだけに生命活動のリソースを注ぎ込んでいる少女の体に、本来なら最優先で警戒すべき『音』という情報に対処する余裕は未だない。
彼女は視覚と同様に聴覚も回復していない。
要するに、先刻からの軽薄な声は、何一つ耳に入ってなどいなかった。
「ほらほらほら。
それよそれ、その反応よ。
シカトは流石に悲しいなあ。
あっ、あれかな。
親からの愛情が足りんくて、どんな顔すりゃいいか分かんねって奴。
違う?
じゃあ……ってあれ?」
声の主は、少女の様子にここに来て漸く何かを察したとばかりに、言葉を自ら止める。
それが一方的に捲し立てていた今までとは違い、初めて何かに対して反応を示したと取れるが。少女には静寂と沈黙との違いが分からない。
「ああ、なるほどな。
痛かったら言ってね。
痛くないけど。」
瞬間、少女の腹に何かが入り込んだ。