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美しき王国  作者: 無武虫
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中編


龍之介はあんな恐ろしいことを思い出したにもかかわらず、ぐっすり眠って朝早くに起き、(早朝に起きるのは龍之介の習慣なのだが)段ボール箱の上に座り、じいからもらったフランスパンをむしゃむしゃ食べている。

「ああ……まずくもねえしうまくもねえ」

龍はまだ毛布にくるまってスースー寝ている。

龍之介はパンの袋を縛って閉じ、立ち上がって伸びをする。段ボール箱の下から、丸い蓋つきの時計を取り出し、蓋をパカッと開けて時間を見る。

「もう少しでバイトの時間か……ってか龍はまだ寝てんのかよ!」

時計の蓋を閉じて段ボール箱の下にしまい、

「おーい龍、朝だぞー起きろー」

大声で言った。だが、龍はまったく起きる様子がない。

「しょうがねえなあ。そんじゃ、パン地獄にしてやろ!」

フランスパンの入った袋を取って、龍に向けて投げた。それが龍の顔面に直撃して、

「痛っ!なに⁉ 」

龍は目を覚まし起き上がる。パンの入った袋が毛布を掛けた下半身に転がって

「なんだ……パンか」

一安心した。

「やっと起きたか。それ食って早くバイト行くぞ」

龍はまだ眠くて、不満げに、

「えーまだ寝ていたいよー」

と言いながらも、パンの袋を開ける。


シャーシャーと窓のカーテンを開ける音でしずくは目を覚ます。掛け布団をはいで、

ベッドの上で体育座りをする。

「……龍が上界に来てくれるまで、いったいどれくらいかかるんだろう?」

と膝の上に顎を乗せる。朝から憂鬱な気分である。

ベッドのカーテンが開けられて、侍女が現れる。

「あらっお姫様、起きてらっしゃったのですね。おはようございます」

しずくはうつむいて、元気のない声で

「おはようございます……」

侍女は少し心配げに、

「どこか具合が悪いのですか?……朝ごはんは用意致しました。朝ごはんは元気の源ですからね!」

「ありがとう。具合が悪いわけじゃないの……ただ、不安なだけ。だから、ちょっと一人にしてもらっていい?」

「そうですか……。わたくしがお姫様の気持ちを分かってあげられたらいいのですが……では、わたくしは二階の部屋に戻りますね」

侍女はサササーッと去っていく。しずくは一人になると

「ふう」

と一息ついて、

「あまり食欲ないけど……おばさんが一生懸命作ってくれたから、食べよっかな」

ずり、ずり、とベッドの上を前に進んで、スニーカーを履き、ダイニングに行く。


竜也の宿舎の中は、窓から朝日が射し込んで明るくなってきている。竜也はベッドの中で熟睡している。

「ピンポーン」

玄関のインターホンが鳴った。竜也は昨日の疲れが残っているせいか、

「う~ん」

とうなって寝返りを打っただけである。少し経ってまた

「ピンポーン」

と鳴ると、竜也は目を覚ます。

「ん?誰?……」

竜也が起き上がると、外から敦子の大声が聞こえてくる。

「たっつやー迎えに来たよー起きてるかーい?」

竜也は慌ててベッドから降りて、

「あ、すみません!今すぐ準備します!」

玄関の横の洗面台に駆けていく。水道の水を出し、顔を洗う。ササッと洗って水を止め、下にかけてあるタオルで顔を拭く。顔を上げると、ふと、鏡に映る自分の姿が目に留まる。金髪に切れ長の大きな目、スッと高い鼻。いつも見慣れている姿のはずなのに、今日は少し違って見えた。

「俺、ただのチャラ男じゃなくなったかも……なんか男前になった感じ……」

と自分で自分の姿に見とれる。

「おーいたっつやー、まだかーい」

敦子の大きな声に竜也は、はっとなり、

「あ、今行きます!」

玄関に向かい、ドアを開けて外に出る。


下界のパン屋では、じいの前に龍と龍之介が立っている。

「二人ともおはよう」

「おはようございます」

「チワーす」

じいは龍之介のてきとうな挨拶も意に介さないほど機嫌がよく、

「龍、今日はいよいよパンを作ってもらうぞ!龍之介も一緒にな」

「おーやったあー」

と龍は小さくガッツポーズをして喜ぶ。

「俺はパン作りは嫌いじゃねえぞ」

龍之介も珍しく嬉しそうである。じいは龍を見て

「龍はパンを作ったことあるか?」

「いや、まったくないです。パンどころかご飯もまともに作ったことがないので……」

じいはその言葉を待ってましたっという感じで、

「そうか。でも大丈夫だ。綾香がみっちり教えてくれるからな。……まあ、龍之介もちょっとはできるしな」

「ちょっとじゃねえしー。俺、けっこうできるんだぞ」

龍之介の反論をじいは無視して、

「龍、龍之介、厨房に行ってくれ。綾香が一生懸命準備して待ってるからな」

「はい」

「へ~い」

と二人で左の方の厨房のドアを開けて、中に入る。


「あっ二人とも早いねー。おはようございます」

綾香は昨日と同じように白い服に白い帽子、マスクをつけており、朝からとても元気な様子である。

「おはようございます」

「チワーす」

龍は厨房の中を見渡す。清潔な感じで明るい空間の真ん中には大きく平らな四角い調理用テーブルがある。左奥には大きなオーブンや焼いたパンを保存する保管庫などがある。綾香は、はりきった声で

「龍くん、龍之介、パン作りを始めますよ!まずはそこの水道で手を洗ってね」

「ウィーっす」

手前の左の水道に、龍之介は真っ先に行く。龍もついていき、二人で並んで石鹸で手を洗う。パッパッと手の水をはらった後、綾香のもとへ戻る。

「龍くんは初めてパンを作るでしょ?」

「はい、そうです。だから、分からない事ばかりで……」

綾香は優しく微笑んで

「そうだよねー。だから初めは簡単なロールパンから作っていくよ」

とテーブルの角の方へと歩いていく。二人もついていくと、きれいな板の上に丸く広がったパンの生地が二つ置いてあるのが見えてくる。板の周りには、強力粉やドライイーストなどの色々な材料やボール、泡だて器、スケッパーなどの器具がある。

テーブルの角には、大きくて分厚いレシピ本が開いて置かれている。綾香はレシピ本の所に来て、ロールパンのレシピが載っているページを見る。

「生地は作っておいたからーあとはレシピ通りに作っていこうね。私がレシピを音読するから、二人はそれを聞いて作ってね。あ、龍くんは私が時々サポートするよ」

龍は少し恥ずかしがりながら、

「あっはい、お願いします」

二人はそれぞれの生地の前に立つ。綾香は二人の準備ができたことを確認すると、

「始めるよー。まず、板の上で叩きつけるようにして力を入れて約10分、全体が均一に耳たぶくらいの柔らかさになるまでこねます」

二人は綾香の指示に従って、パンの生地をこねていく。


朝食を食べて、お皿も洗い終わったしずくは、何やら難しい顔をしながら、本棚の前にしゃがんで、本を取ってはパラパラーと読んですぐに戻し、また次の本を取ってはパラパラ読みしている。俗にいう乱読である。

「トントントン」

ドアがノックされた。しずくは本棚から目を離さずに、

「おばさんですか?」

「いや、違うよ。神垣龍人だ」

龍人の声を聴いた途端にしずくはドアをにらみつけて、

「今度は何しに来たの?またあのカフェに連れていくつもり?」

「もうあのカフェに君とは行かないよ。今日は別の街を案内しようと思ってね」

龍人はカチャッとドアを開ける。部屋に現れた龍人は、青地に右肩が銀色の王子服を着ている。しずくは龍人をにらみつけたまま、

「別の街ってどこよ!……あの繁華街なら行ってみたいと思えるけどね」

「繁華街とは別の方角にある街なんだ。ちょっとそこに用事があってね。静かで穏やかで古風な感じのすごくいい街だよ」

しずくは本棚に視線を戻して、

「私とあなたは趣味が合わないみたいだね。私はあの繁華街のような賑やかで明るい街の方が好きよ。だから、一人で行けば」

龍人はなんとかしてしずくを誘い出そうと考えて、

「……ほら、君も、ずっとここにいるだけじゃ退屈だろ。あと、用事を済ませたら、繁華街の人気のあるレストランでごちそうするからさ」

しずくはう~んと首をかしげる。確かに一日中ここにいるのはつまらないわね……と思い、

「そうわね……繁華街に連れてってくれるのなら……行ってもいいかな」

龍人はその言葉を聞いて、ほっとする。しずくは立ち上がり、

「私、まだパジャマだから、出かけるなら着替えなきゃ。龍人はドアを閉めて外で待ってて」

「うん、わかった」

龍人はドアを閉めて、小声で

「よし!上手く誘えた!」

とガッツポーズをする。龍人にとってしずくとの仲直り作戦バージョン2だ。


制服姿のしずくはとても不満げに、

「えー何これーしょぼーい」

と龍人の連れてきた街のしょぼさにがっかりする。

しずくの前を歩く龍人は、

「確かにしょぼいかもしれないけど、この街は必要だし、とてもおもしろいんだ。僕は『職人の街』って呼んでるんだけど」

「ふ~ん」

しずくは周りを見回す。買い物客はまばらで、店は、自転車屋や鍵屋、工芸品の店や布団屋、そば処などがあり、龍人の言う通り、色々な職人が集まって店を開いているような街である。

「んで?あなたの用事っていったい何なの?」

龍人は、よくぞ訊いてくれたっと嬉しそうに

「この街のある店に特注しているものがあるんだ。それを取りに行こうと思ってね」

「へ~その特注してるものって何?そんなに必要なものなの?」

龍人は言葉に力を込めるように、

「僕にとって、いや、王子として、とても大事で、なくてはならないものなんだ」

二人は道を歩いていく。


龍人は一つの店の前で立ち止まる。

「え?ここなの?」

その店はおんぼろな感じで良く言えば古風な小屋のようである。正面には大きめの透明な窓とドアがあるが、中は薄暗くて見えない。店の上方には二つの剣が交差したようなものがある。

「そうだよ。ここが目当ての店だ」

龍人はドアの方に行き、ガラガラと開けて、

「ちょっと待ってよ」

というしずくの声も聞こえず、中に入っていく。

「龍人ってかなり感覚おかしくない?」

ぶつぶつ文句を言いながら、しずくも中に入っていく。


店の中は電気もついていなく、窓から射す日の光でかろうじて周りが見渡せる程だ。

目の前にはレジとカウンターがあり、左の壁には特殊な装飾の杖や包丁などが掛けられている。しずくは少し身震いして今度は右の方を見る。龍人は右へ行ってカウンターの角を曲がり、「カンカンカン」と鉄を叩く音が響く奥の方へと歩いていく。

しずくは右の壁を見ると、その光景に、

「ヒッ!え?何?」

と思わず声を上げてしまった。右の壁には、様々な色や形、大きさの剣が縦に三列、横に二十列ぐらいずらりと並んで掛けてある。しずくは少し壁に近づいてよく見てみる。その剣一つ一つが手の込んだ装飾を施されており、これが手作りならすごい職人技だなあと感心する。

龍人は奥のカーテンを開けて、

「こんにちはー。神垣龍人です」

鉄を叩く音が止み、職人の声が聞こえてくる。

「おや、王子様かな?……あ、どうもごぶさたです。注文していただいたものはもうお作りしましたぞ」

「本当ですか!早く見てみたいです」

「ちょっと待っててくれ。今持ってきやすから」

龍人はカーテンを閉めて、嬉しそうな顔で戻ってくる。壁に掛けられた剣たちに、見入っているしずくの元へ来て、

「すごいでしょ、この剣たち。僕も初めて見た時は驚いたっけな……」

しずくはちらりと龍人を見て、

「うん、すごい……。この剣たちって、あの奥にいる人が全部一人で作ってるの?」

「そうだよ。あの職人さんは上界で唯一の剣作りの達人なんだ。剣以外にも色々なものを作っていて……」

龍人の話をしずくは遮って、

「でもさあ、これって人を刺したりできそうだし、危険じゃない?」

職人が一本の剣を持ってカウンターに出てきて、

「確かに剣は危険だ。だが、そこに置いてある剣では人は殺せない……まあ、この剣は違うがな」

しずくはその声にビクッとしてカウンターの方を振り向く。

剣作りの達人は頭に白いタオルを巻いて、目に大きな大きなゴーグルをかけており、顔は大きくて白髪混じりのひげがたくさん生えた迫力のあるおじさんである。

「王子様、こんな感じの剣でよろしかったかな?」

職人は龍人に近づき、剣をカウンターテーブルの上に置く。しずくは覗いてみると、目を見張った。

その剣は、壁に掛けられた他の剣とは格が違い、銀色に光る刃は切れ味が良さそうで、柄の部分は青く、刃と柄の間は青い炎のように横に広がっており、その真ん中に透明な球がはめこまれている。

龍人は左手で剣の柄の部分を握り、重さを確かめるように持ち上げた。

「ちょっと振ってみてもいいですか?」

「どうぞご自由に」

龍人は左手に持った剣でシュッシュッと店の奥に向かって素振りを始める。その剣さばきは後ろから見ても華麗に思える程で、軽いものを振っているかの如く自由自在に空を切る。しずくは思わず見とれてしまうが、いけない、いけないと我に返って、この人は敵で、敵が強いってことは良くないことだわと思い直す。

龍人の素振りが終わると、職人は

「いやあ、お見事です。この剣をここまで使いこなせるとは。どうですか、その剣は体に合いますか?」

龍人は剣をカウンターテーブルの上にそっと戻して、

「重さもちょうどいいし、何より僕のこの特殊な体によくなじんでいます。今すぐ、購入してもいいですか?」

職人はゴーグルを頭の上にずらして、剣を手に取り、注意深く眺める。

「そうだな、結構な高価の代物だが……まあ、王子様なら大丈夫か」

テーブルの下から剣の鞘を取り出す。剣を鞘に納めながら、

「そこのお嬢ちゃんには怖い話かもしれんが、この剣は人をいとも簡単に殺せる。しかも、王子様のような使い手ならば、人ならざるもの、人より強いものを殺すことも、おそらくできるだろう」

しずくは背筋が凍る。

(人でないものって何?)

職人はレジの方に行きながら、次の言葉に力を込めるように、

「だから、王子様には、この剣の扱い方に十分気をつけてほしい」

龍人は会計をしにレジに向かいながら、

「それは承知しています。その剣は王国や姫を守る時にしか使わないと決めています」

「ほほう、そうかそうか」

龍人は会計を済ませると、

「しずく、用事はこれで済んだから、一回帰って、その後君の好きな繁華街に行こう」

ぼーっと立ち尽くしていたしずくは、はっとして、

「あっうん、わかった」

と龍人の元へ行く。剣を職人から受け取った龍人は出口のドアをガラガラと開けてしずくを待つ。しずくが来て、二人で出ようとすると、職人は

「王子様、そのお嬢ちゃんはまさか姫ではあるまいな?」

しずくは自分のことを言われてドキッとする。龍人は平然と、

「しずくはこの王国の新しい姫です。まだあまり人々には知られていないようですけど……」

職人はニヤリと笑って、

「ほほう、それは面白いことを聞いたな。その剣に何かあったら、またその姫を連れて、来てくださいな」

龍人は苦笑いして、

「もうしずくは連れてこないかもしれないけど、また必ず来ます。ではさようなら」

「さいなら」

二人は店を出て、ドアを閉める。途端にしずくは、ふぅと一息ついて

「なんか緊張したなー。あの職人さんちょっと不気味じゃない?……確かに私はもうここに来たくないかも」

龍人は普通に笑って

「ふふふ。そう言うかなあって思ってたよ。付き合ってくれてありがとね。ちゃんと、繁華街に連れていくから」


「えーまだ焼き上がらねえのかよ!」

龍之介はオーブンの中のパンを見るのにうんざりして、肩をだら~んと落とす。

龍はパンが焼けていくのを初めて見るので、興味津々でオーブンの中のロールパンを見つめている。綾香は、店の開店時刻が迫ってきたため、すでに焼き上がって保管庫に入れられている様々な種類のパンを出しては売り場に持っていき、忙しく厨房と売り場を行き来している。遂に龍之介が後ろのテーブルに寄っかかりだすと、売り場から戻ってきた綾香が、

「あー龍之介、さぼってるー。じいに言いつけちゃうぞ!」

龍之介はふわあと大きなあくびまでして、

「だって綾香さん、俺、今朝からずっと働き詰めですよ。ちょっとぐらい休ませて下さいよー」

綾香はテーブルの角を曲がって、龍たちに近づいてきて、

「それは皆一緒で、働かなきゃいけないのー。龍くんを見習いなさい。それに、パンの焼け具合を見極めるのは難しいんだから、あなたが龍くんに教えなきゃでしょー」

「へ~い」

龍之介は面倒くさそうにオーブンを見る。

「お!焼き上がったんじゃないか?」

でたらめに言った。龍は真面目に受け止めて、

「え!本当に?……」

とオーブンにさらに顔を近づけ、目を凝らして見る。

「う~んいや、俺の感覚ではだけど、……まだ焼き加減が足りないような気が……」

隣の保管庫を開けてパンを取り出そうとした綾香は、

「どれどれ」

とオーブンを覗き込んで、

「龍くんの言う通り、あともう少しだね。龍之介、でたらめに言ったでしょ?」

龍之介はふんっとそっぽを向いて、

「パンが生焼けになろうが焦げ焦げになろうが、俺にとっちゃどうでもいいんだよ!」

とふてくされた。

「焦げ焦げにしちゃだめっしょ。これ一応売り物だし……」

龍は諭す。綾香も同調して、

「そうだよー。ちゃんとしたものを作らないとお客さんが困るんだからね」

「はいはい分かりましたよ!」

と言いながらも、龍之介はオーブンの方を見ない。綾香は、

「龍くん、よろしくね」

と言い残し、保管庫からパンを取り出して売り場に向かっていく。

龍之介は綾香の背に向かってあっかんべーをした。

それから数分後ー

「龍之介、これなんかちょうどよく焼けてないか?」

テーブルに寄っかかって半分寝ていた龍之介は、

「んが?……」

と目を覚まし、オーブンを見て、

「ああ、今度こそ焼き上がったんじゃないか」

「だよね!じゃあオーブンの火を止めて見てみるか」

龍はスイッチを押してオーブンの火を止め、バンッと開ける。その途端、白い蒸気がわあっと出てくる。

「パンを取り出す時は素手じゃあちいから、ミトンを手にはめた方がいいぞ」

と初めてまともに指示する龍之介。

「あっそうだね。……ミトンってどこ?」

「このテーブルの引き出しのどっかにあると思うが……」

龍之介は偉そうに指示しておきながらミトンの場所も詳しくは把握してない。しかも自分で探そうとしない。

龍はテーブルの方を向いてしゃがみ、引き出しを開けて探す。綾香が厨房に戻ってきて、

「お!焼き上がったかな?」

龍はテーブルの上に顔を出して、

「あっはい、たぶんできました。でも自信ないんで、確認してもらっていいですか?」

龍之介のチェックだけじゃあてにならない。頼れる綾香さんにチェックしてもらわないと。

綾香はテーブルの角を曲がってきて、

「もちろん、確認しますよー」

とオーブンの中を覗き込む。

「わあ上手にできたじゃない!龍くんは初めてなのにすごいね!」

「いやあ、それほどでも……」

綾香さんに褒められた!それだけで龍は嬉しい。龍が照れると、龍之介は偉そうに、

「俺が助言したおかげでもあるがな」

龍之介も誰かに褒めてもらいたいのだ。努力してないけど。綾香はそんな龍之介を無視して、

「龍くん、焼き上がったパンたちを、手にミトンをつけて取り出そう。それから売り場に持っていこうね」

「あっはい」

龍はしゃがんでテーブルの二段目の引き出しを開ける。中には一組のミトンがあり、龍はそれを取って手に装着する。立ち上がってオーブンの方を向くと、

「私はそろそろ開店時刻だから、売り場で待ってるね。あとは任せたよ」

綾香は厨房を出ていく。龍はやけどを警戒しながら、ロールパンの載った角皿を、オーブンから取り出す。香ばしい匂いが漂い、おいしそうにこんがりと焼けたロールパンたちを目の前にして、龍は目を輝かせる。

角皿をテーブルの上に置くと、

「うまそうだな!ちょっと食べようぜ!」

とよだれを垂らしそうになる龍之介。

「いや、これ売り物だから食べちゃいけないでしょ……」

龍は仕事をしてお金をもらうからには甘ったれちゃいけないという強い信念がある。その信念が欠けている龍之介はまたふてくされて、

「俺が一人の時はいつもつまみ食いしてたんだけどなあ」

「えっそれじいと綾香さんに見つかったら怒られるっしょ」

「大丈夫だよ、一個ぐらい」

龍之介はつぶやくが、龍は無視して、角皿を持って売り場に向かっていく。


「今日は雄也さんと一緒に働けないんですか?」

敦子と竜也は、溶接作業をした工場の隣の工場に来ている。その工場は中心に低めの4m幅のベルトコンベヤーが流れている。その両脇で巨大ロボットが二体立てられている。作業着を着た数人の奴隷達が、台や脚立の上に乗って巨大ロボットの点検や修繕を行っている。

「雄也は今日は忙しいから、あんたに付き合ってる暇はないんだよ。それに、今日はあんたなら一人でできそうな仕事をやってもらうからね」

敦子は厳しいが、竜也のことをきちんと評価した言葉をかけた。竜也は、

「雄也さんがいないと寂しいなー」

と言いつつも、新しい仕事は何だろう?と楽しみな気持ちになる。

敦子はやがて、ベルトコンベヤーの真ん中の、中継地点のような金属板の所に来る。金属板は5m程の長さで、その両脇には一人用のデスクが設置されている。デスクの上にはノートパソコンが開いて置いてあり、その右横には分厚い指示書がある。

「このデスクがあんたの今日の仕事場だよ。まずはそこのパソコンを立ち上げな」

竜也はデスクのイスに座り、パソコンの電源を入れる。パスワードを入力する画面が出てきて、敦子が画面を覗き、

「パスワードはその指示書の2ページ目に載っているからね」

竜也は右横の分厚い指示書を見る。表紙には『programming robot』と書かれている。どんなことをやるんだろうなーとワクワクしながらページをめくる。一ページ目には目次があり、『初めに』や『ロボットのプログラミングとは』、『プログラミングの手順』などの項目がある。二ページ目には『Robot0005』というパスワードが載っている。

竜也がそれを入力するとログインされて、パソコンの画面が変わる。画面の背景が青になり、ファイルやソフトなどのアイコンが表示される。

「そしたらプログラミングロボットっていうソフトのアイコンをクリックして」

敦子に言われた通りに、竜也はマウスを動かして、アイコンをクリックする。画面が緑色になり、真ん中に小さな文字で『しばらくの間お待ち下さい』と表示される。待っている間、指示書をパラッパラッとめくってみた竜也は、ある事に初めて気づく。

「もしかして……あの巨大ロボットのプログラミングを俺がやるんですか?」

敦子は今更気づいたの?という感じに、

「そうだよ。あんたちょっと鈍いね。……お、もうすぐロボットが運ばれてくるね」

え?と竜也はパソコンの左に顔を出す。ベルトコンベヤーの上に横たわった、巨大ロボットが近づいてくる。やがて、巨大ロボットは竜也のデスクの左に隣接した金属板の上にスーと滑り込んでくる。巨大ロボットの頭がデスクの真横に来ると、ロボットは止まり、パソコンの画面の文字が変わる。『ロボットの頭にコードを差し込んで下さい』と表示される。

「ん?コードって……あっこれかな?」

竜也はパソコンに取り付けてある長めのコードを発見する。そのコードの先を持ち、

「え~と……これを頭のどこに差し込むんだ?」

ロボットの頭を眺めて探していると、敦子が、

「後頭部の辺りに四角い蓋があるから、それを見つけな。その蓋を開けると、コードの差込口があるよ」

後頭部ってことはーこのでかい角の下の部分かな?と竜也は角の下に顔を潜り込む。四角く区切られた蓋を発見する。

「お!あった!」

竜也は左手でその蓋をパカッと開けて、右手に持ったコードを差し込む。ふうっと一息ついて顔を戻すと、パソコンがデータを読み込み、ソフトが開かれた。

『戦闘用プログラミング』、『飛行用プログラミング』、『命令遂行型プログラミング』、『自動運転用プログラミング』の4つの項目のバーが表示される。

「あとはその指示書を見ながら自力でやってみな。わたしゃ他の仕事があるから、またあとでね」

「はい、わかりました」

敦子が去ると、竜也は一番上のバー、『戦闘用プログラミング』をクリックしてみる。ページが開かれて、『攻撃対象物を入力して下さい』と表示される。

「攻撃対象物?……指示書を見ればいいのか」

指示書をパラパラーとめくり、攻撃用プログラミングの手順と書かれたページを開く。

「15歳以上60歳未満の男女?……女も攻撃すんのかよ!」

女、というと竜也は急に愛しいあの人を思い出す。両手を頭の後ろに組んで天井を見上げ、

「そういえば……今、愛子はどうしてるんだろうなあ……」


「へい、へい、いらっしゃい!」

龍之介と龍は店の裏で、レジをする綾香と客に声をかけるじいの後ろに待機している。じいが後ろを振り返って、

「龍之介、ここは魚屋じゃないんだから、その掛け声はやめてくれないか」

龍も確かにじいの言う通りだなと思い、

「俺もちょっとその掛け声は変だと思うな」

龍之介はしょんぼりとして、

「……俺はいいつもりでやってたんだけどなあ……」

気づけばもう夕暮れ時で、お客さんが一番多い時間帯である。

「ありがとうございましたー」

と元気よく接客をしている綾香の後ろ姿を見て、この人朝からはきはきとしていてすごいなあと龍は感心している。綾香は龍の視線を感じたかのように後ろを振り向き、

「ちょっと龍くん、レジやってみない?私、厨房でやる事があるんだけど……」

何もすることがなく、退屈していた龍は、

「はい、俺で良ければやってみます。というかやってみたいです!」

綾香はニコニコーと素敵な笑顔になり、

「よかったあ……それじゃあよろしくね」

レジを離れ、厨房に入っていく。龍はレジの所に立ち、さっそく来たお客の会計をする。


しずくは繁華街のレストランで昼食を食べた後、あちこち色々な店に龍人を連れ回して、その割に買い物したものは少なく、散々遊んで、昨日とは違い、

「バイバイー」

と機嫌よく龍人と別れて部屋に入った。部屋は電気がついていて暖炉の火も焚かれている。キッチンで侍女がエプロンをつけて立っており、

「お帰りなさいませ。今日は晩ご飯は召し上がりますか?」

しずくは遊び過ぎたせいか、疲れがどっと出てきて、お腹も空いてくる。

「あっうん……作ってもらっていい?」

侍女は、はりきった様子で、

「もちろん、お作りいたしますよ!麻婆豆腐にしようと思うんですけど、よろしいですか?」

「え!本当に?私、麻婆豆腐、というか中華料理全般に大好きなんです!」

侍女は優しく微笑んで、

「それは良かったです。栄養バランスを考えると毎回、というわけにはいきませんが、なるべく献立に中華料理を入れるようにしますね!」

「ありがとうございます」

しずくは本棚の上に買ってきたものを置き、ベッドへと直行する。


パン屋のバイトを終えた龍之介と龍は河原の家に帰った。それぞれの段ボール箱の上に座り、今日のバイトの報酬、カレーパンを食べている。龍之介は最後の大きな一口を一気にほおばって、水筒の水と共にゴクンッと飲み込む。

「はあ……うまかったぜ」

一息ついた後、龍之介は段ボール箱の横の薪を一つ拾って焚き火に入れた。ジュワッと火が燃え上がり、少し明るくなる。シュッと背中の剣を鞘から抜き、その刀身を眺める。

「う~ん。切れ味が劣ってきたかな?」

段ボール箱の下から砥石を取り出して、シャーンシャーンと剣を研ぎ始める。

一方、龍はちょびちょび少しずつカレーパンをかじって、ゆっくり味わっている。やがて、半分くらい食べ終わったところで、

「あのさあ龍之介、俺に宿った竜の力ってどうやったら強くなるのかな?例えば、その剣とかで修行しなきゃなの?」

龍之介は剣を研ぐ手を止めて、

「……『戦い』を経験することで、竜の力が宿ったり、強くなったりするのかもしれんが……正直、俺にもよく分からん。まあ、修行を積むことも大事だろうが、この剣は貸せねえな」

「いーよいーよ剣は貸してもらわなくて」

と龍は慌てて訂正した。そして、新たな疑問が湧いてきて、

「そっかあ『戦い』か……。もしかしてさ、上界に行くのにも戦いが必要なのかな?ってかどうやって上界に行くんだろう?」

龍之介はゴホンッと咳払いをしてから、

「俺は、上界に行く方法は知っている。もう思い出したくないんだが、一度だけ上界に行こうとした事がある。……大失敗に終わったがな。ただ、上界に行くまでにも、たどり着いた先でも、壮絶な戦いが待っていることは確かだ」

龍之介の言葉が、ずっしりと龍には重く感じられた。

「それは……先行きが不安だな。思い出させて悪いんだけどさ、その上界に行く方法って具体的にどんなものなの?」

龍之介は少し黙る。

「全部は教えたくないし、知らないが……」

と前置きを言った後、

「この下界の中心にある巨木のような柱を見たことがあるだろう?あの中に、上界と下界をつなぐゲートがあるんだ」

龍は一瞬、どこの事か分からなかったが、パン屋から空を見上げた時に見たものを思い出し、

「ああ、あれか!……確かにあの巨木は上界につながってそうだけど。そう簡単には登れないよね」

「困難だし、危険だし、前人未到のことだが、挑戦してみる価値はある。だが、それなりの準備と覚悟が必要だ」

そうだなあ……自分にそれはあるかな?と龍は考え込む。が、決心してカレーパンを大胆にかじり、

「覚悟は決めてる。でも、準備が足りない」

準備は、どうすればできるのだろうか?龍はまた少し考えると、

「ピピピッピピピッ」と機械音が聞こえてきて、考えていたことが吹き飛ぶ。

「何の音?」

「レーダーが反応してるんだ」

龍之介は段ボール箱を持ち上げ、中からレーダーを取り出す。人型のマークが赤く点滅しているが、飛行船のマークはどこにもない。

「下界の外に人間が現れたようだが……飛行船が来ていないのがおかしいな。……とりあえず行ってみるか!」

龍之介は立ち上がり、

「あっ龍も一緒に行くか?新しい仲間になるかもしれないぞ!」

カレーパンが残っていて、眠くなってきている龍はあまり乗り気がしないが、

「うん、行ってみるよ……変な奴じゃなきゃいいけど」


カレーパンを食べながら、走って龍之介についてきた龍は今、5m程の高さのある塀の目の前に来ている。提灯を持った龍之介はピョンッと軽々しく塀の上に跳び乗る。少しためらう龍に向かって、

「この世界に来ると体が軽くなっていることは前にも言ったよな。もう天使もお前のことは絶対に襲わない。だから安心して跳び乗ってこい」

「分かった」

龍は走ってピョーンと跳び、龍之介の横にきれいに着地した。

「よし、人間がいるかどうか捜すぞ。レーダーが壊れてなければ、この辺にいるはずなんだが……見当たらねえな」

「俺も真っ暗で全然見えないよ」

風に乗ってかすかに、

「ねえ、そこに誰かいるの?」

と弱弱しい声が聞こえてくる。龍之介と龍は顔を見合わせて、

「なあ、今、誰かの声がしなかったか?」

と訊いてくる龍之介。

「うん、たぶん聞こえてきた」

「だよな。ちょっと降りてみようぜ」

龍之介は下の草原に跳び下りる。龍も跳び下りる。


風に乗ってまた、

「誰かいるならだずけてよ~」

と弱弱しい声がする。龍之介は声の主のいる場所をある程度把握して、

「絶対あそこら辺にいるな。行こうぜ」

提灯を前にかざして、前方を照らしながら歩いていく。龍もついていく。やがて、ぼんやりと人影が見えてくる。龍之介はどんどん近づいていき、提灯の明かりで声の主の全貌が明らかになる。そいつは坊主頭で栄養失調のように痩せ細っていて、ボロボロのTシャツに短パン姿の背が低めな少年である。

「よがっだあ……ズルッ、人がいだんだあ……」

龍之介が提灯をさらに少年に近づける。少年のアホ面と、鼻から大量に垂れている鼻水、ニコーと笑ってむき出しになった数本欠けている歯が現れる。龍はあまりにもかわいそうな姿をあわれに思う。

「お前、どこからどうやって来たんだ?それと、その鼻水どうにかしろ」

龍之介はポケットからティッシュを取り出し、少年に渡す。少年が顔の鼻水を拭いて鼻をかむと、ティッシュはビチョビチョに濡れ、それなのにまだ鼻水が垂れている。

「それは僕にも分からないよ。ズルッ、家がなぐなって、公園で寝で、目が覚めたらここにいだんだ……」

龍之介はビチョビチョになったティッシュを見て、

「おいおいまじかよ、汚ねえな」

とつぶやく。龍はやっぱり変な奴じゃんとがっかりするが、一応、自己紹介する。

「俺は神谷龍。今だに自分が死んだのか定かではないけど、この世界に来た人間は皆、一度死んでいるらしい。だから君もきっと、飢えて死んだとか殺されたとか、たぶん死んだんだよ。……ところで名前は?」

死んだと告げられても、依然、ニコニコ笑っている少年は、

「僕はゲン太って言うんだよ」

ゲン太は龍之介を見て、

「あなたの名前はなーに?」

「俺は龍之介だ。あの塀の中の街にずっと前から住んでいる。お前、たぶんお腹空いてるだろう?俺ん家にはパンとかピザならあるぞ。俺たちについてくるか?」

食べ物があることを聞いて、ゲン太はよだれまでだらーと垂らし、

「うん、行く!」

「よし、それじゃあついて来い」

龍之介が塀の方に戻ろうとすると、ふっとあの時、初めて龍之介と出会った時の事を龍は思い出し、

「龍之介、ちょっと待って!」

と引き止めた。龍之介の耳元に口を近づけて、

「もしかしてさ、この子も天使にさらわせるつもり?」

と囁く。龍之介はひっひひっと悪そうな笑みを浮かべて、

「もちろん。いつもの儀式のようなものだからな。……天使もこのチャンスを逃すわけがねえ」

龍は自分が天使にさらわれた時のことを思い出し、

「……俺は運よく助かったけどさ、この子は奇跡でも起こらない限り、助からないよ」

龍之介は依然、にやけたままで、

「いや、わからんぞ。奇跡に奇跡が重なるかもしれねえ。まあ悪魔さんに心臓喰われちゃっても俺たちに責任はないしな」

生真面目な龍は、納得がいかず、

「責任が全くないってわけじゃ……」

と言いかけた所で龍之介は無視し、

「なあ、ゲン太、行こうぜ!」

鼻水とよだれを両手で拭いて両手までビチョビチョにしているゲン太には、二人の会話がちっとも聞こえてないらしく、

「あっうん!」

と龍之介について塀の方へ駆けていく。

「龍之介はいい奴なのか悪い奴なのか……」

龍は悩ましくなるが、仕方なく走って二人についていく。


三人は塀の前に来ると、まず龍之介がピョンッと塀の上に跳び乗り、続いて龍も、龍之介の隣に跳び乗った。

「え~何でそんなに簡単に跳べるの?」

ゲン太は塀を前にしてもじもじする。龍之介は、いつもの決まり文句で、

「大丈夫だ、お前でも跳べる。この世界に来ると体が軽くなっているんだ」

「ほんどに?でもやっぱり怖いよ~」

すると龍は、

「あ、そうだ!」

とひらめいた。

「ゲン太くん、俺が手を伸ばすからさ、その手を掴める所までジャンプしてみてよ。ゲン太の手を掴んだら、持ち上げるから」

それなら天使にさらわれないかもしれないと龍は思い、手を下に伸ばす。ゲン太はニコーと笑顔になり、

「ありがとう……やってみるよ」

助走をつけてピョーンと跳び上がる。龍の方に手を伸ばし、龍が、

「よし、これで大丈夫だ」

ゲン太の手を掴もうとした瞬間、ザッと黒い影が高速でその間に入り込み、ゲン太をさらっていく。

「……嘘だろ……」

あともう少しだったのに……と龍は落ち込む。龍之介はぷぷぷと笑って、

「やっぱりな。しっかし天使も手荒だなあー。まあ龍、そう落ち込むな。まだ助かる可能性はある。俺たちは想定されるあいつの落下地点に向かうぞ」


夜空には満月よりも少し欠けた月が皓皓と照り輝く。薄暗い空に、バサッバサッとおじさん天使が飛んでいる。おじさん天使は左手でゲン太の腕を掴み、右手で煙草をスパスパ吸っている。

「高いよ~怖いよ~龍くん、だずけて~」

ゲン太は涙まで出て顔はベチョベチョである。

「黙れ、小僧。俺は天使だ。俺みたいな高貴な天使は、お前のような汚い奴が大嫌いなんだよ!」

ゲン太の両手についた大量の鼻水がだら~と手から腕へと流れる。それが、天使の手につき始めて、

「うえ!なんだこの感触?」

天使が少し弱ったのを見て泣き止んだゲン太は

「僕をどこに連れていくの?」

ズリッズリッと少しずつゲン太の腕がずり落ちており、焦った天使はゲン太を無視して、

「おーい悪魔!早く来てくれ。また獲物を逃がしちまうかもしれねえ」

前方に悪魔が、リンゴを丸かじりしながら現れる。

「ちーす」

「悪魔、今度こそ逃がさない方がお前の身のためだぞ!」

悪魔は相変わらず呑気な顔をしており、

「大丈夫っすー。俺、パンチに負けないように顎筋鍛えてきましたからー」

ゲン太は何やら掴まれていない方の手で顔の涙や鼻水、よだれを拭い、ベチョッと天使の手につけた。

「いや、今回はパンチとかじゃ……うわぁなんだこれ!」

ズリズリズリッと一気にゲン太の腕がずり落ちていき、やがて、天使はゲン太の手を離す。

「あっやべえ、やっちまった」

ゲン太は下界の街へと落ちていく。


龍之介と龍は道をずっと走っている。龍之介が急に立ち止まり、レーダーを見て、

「レーダーであいつを追跡したところ……落ちるとすればここら辺だな」

道のど真ん中にどかっとあぐらをかいて座り、提灯を地べたに置く。龍を見上げて、

「ここで待ってみようぜ。いつも俺はこうやってちょっと期待しながら待つんだ。今まで大体だめだったけどな」

龍はクスッと笑い、

「それで15人も犠牲にしたんだっけ。よくもそんなに飽きずにやれるねえ」

「まあな。俺は仲間っていうのが好きなんだ。一緒に仕事したり、遊んだり、喋ったり、時には喧嘩したりできる仲間がな」

「ふ~ん……」

意外だな、と龍は率直に思った。龍之介の口から出たとは思えないが、確かに……俺と龍之介が初めて出会った時、龍之介はすんなり俺を仲間にしてくれた。そこが、龍之介のいい所なのかもしれない。

そんなことを龍は考えていると、

「わぁぁぁぁ」

と叫び声が空から聞こえてきた。

「おっゲン太が落ちてきたんじゃないか?」

龍之介はレーダーを見る。龍は空を見上げるが、真っ暗で何も見えない。

「おい、見ろよ。あいつすげえぞ!たぶん落ちてやがる」

龍之介はレーダーを龍に見せてくる。どれどれとレーダーを覗いてみようと顔を下げた途端、

ガンッ!龍の頭に真っ逆さまに落ちたゲン太の頭がぶつかる。

「痛!」

龍は目の前に火花が散ったようになり、よろける。ゲン太は道をコロコロと転がり、店の壁にドンッとぶつかって止まった。龍之介は提灯を持ってゲン太に近づき、

「ゲン太、お前すげえな!どうやったんだよ。けがはないか?立てるか?」

ゲン太はよろよろしながら立ち上がり、笑顔で鼻血を垂らしながら

「えへへ。僕、けっこうやるでしょ。僕も仲間に入れてくれる?」

龍之介はティッシュをゲン太に渡し、

「もちろん仲間に入れてやるぞ。……あっ龍、お前も大丈夫か?」

龍はずきずき痛む頭をおさえながら、二人の元へ行き、笑って、

「ゲン太は石頭だなあ。まだ頭が痛いよー」


「その鼻水に天使もまいったってか!」

焚き火を囲んで、龍の左に龍之介、右にゲン太が座っており、ゲン太も段ボール箱の上に座っている。

「確かに俺もゲン太の鼻水にはびっくりしたからなあ……」

と龍はつぶやく。ゲン太はまだ鼻をグジュグジュやっており、

「だってさぶいんだも~ん」

龍之介はももを叩きながらバカ笑いし、

「いやあ寒くても普通そんなに鼻水出ねえだろ。ティッシュと毛布を貸してやるからこれでなんとかしろ。あ、毛布で鼻は拭くなよ」

龍之介は段ボール箱の下からポケットティッシュと毛布を取り出し、

「龍、これ渡してくれ」

と龍に向かって投げた。龍は両手でキャッチして立ち上がり、ゲン太のところまで歩いて渡す。

「あでぃがとう」

ゲン太は体に毛布をかけてティッシュで鼻をかむ。まだ少し垂れているが、前よりはましになる。龍が戻りかけた所で

「あの龍くん、僕、お腹がすっごく減ってるんだけど」

龍之介はまたももを叩いて大笑いし、

「そういえば龍、昨日のピザが残ってたよな。あれあげちゃってくれ」

龍は、そんなにおかしなことかな?と首をかしげながら、自分の段ボール箱の元へ行く。ピザの入った箱を取り、ゲン太のところに持っていく。ゲン太はティッシュを小さく丸めて鼻の両穴に詰めており、龍からピザを渡されると、

「あでぃがとね。僕、ピザだ~いずきなんだ」

と嬉しそうに箱を開けて、食べ始める。


ザーとどこからか聞こえてくる激しい音でしずくは目を覚ます。

「ん?なに?」

パジャマ姿のしずくは起き上がってふわあとあくびをし、目をこすりながらベッドのカーテンを開けた。部屋は電気がついているのだが、なんだかすっきりしない朝だ。しずくは靴を履き、激しい音のする窓の方へと歩いていく。

「雨?」

外は曇っていて朝なのに暗く、中庭に激しい雨が、植物たちの上に叩きつけている。

「これもまさか魔法とかじゃないよね」

しずくは窓を開けて、手を外に出す。大粒の雨が手のひらに降ってきて、手がずぶ濡れになる。

「本当に降ってるんだあ……」

しずくが窓を閉めると、キッチンで朝食を作っている侍女が、

「あら、お姫様、おはようございます。今日はあいにくの大雨ですねえ」

しずくはダイニングテーブルのイスに座り、

「おはようございます。この雨じゃあ今日は一日出かけられないかな?」

「いや、それはご心配なさらなくて大丈夫ですよ。この国の雨は一気に降って、すぐに止むんです。だから午後には出かけられますよ」

しずくはテーブルの上に頬杖をつき、

「本当ですかー。……下界はどうなってるんだろうなあ……」

窓の外を眺め、小声で

「龍は今どうしてるだろう?……大丈夫かな?……」

気がつけば龍の事を考えてしまう。しずくの頭から龍の存在は離れられない。


ポツン、ポツンと顔に当たる水滴で、龍は目を覚ます。起き上がって周りを見ると、龍之介はまだガーガーいびきをかいて寝ているし、ゲン太は鼻提灯をぷく~と膨らませて寝ている。龍は両手を広げ、手のひらを空に向けて、

「あ、……小雨が降ってるな」

毛布を剥いで立ち上がり、龍之介の元へ歩いていく。

「龍之介、そろそろ起きた方がいいよ。雨も降ってるし、早くパン屋に行こうよ!」

ふんが、とうなっていびきが止み、龍之介はパチッと目を開ける。

「え!寝坊助のお前が起きてるっつうことはやべえな!」

跳び起きて段ボール箱を持ち上げ、丸い時計を取り出し、蓋を開け、時間を見る。

「完全に遅刻だ!俺が寝坊するなんて嘘だろ!」

時計を戻して立ち上がり、今にもパン屋に向かって走り出しそうである。

「ちょっと待ってよ龍之介!まだゲン太が寝てるんだよ。あいつも連れていくだろ?」

「まじかよ!あいつも寝坊助か?」

龍之介は方向転換し、ゲン太の元へ走っていく。ゲン太はまだ鼻提灯を膨らませて、

「おいしそうなピザだ……」

と寝言まで言っている。龍之介はゲン太の顔の前でしゃがみ、

「しょうがねえ奴だなあ。こうしてやる!」

大きく膨らんだ鼻提灯を手でチョップしてパンッと割った。

「わあ!」

ゲン太は目を覚ます。龍之介の危機迫る顔を目の前にしてヒッと小さな悲鳴を上げた。

「ゲン太、俺たちはパン屋にバイトに行くんだ。お前も来るだろ?」

ゲン太は目をこすり、寝ぼけて

「バイトお?それってお金もらえるの?」

龍はゲン太の方に近寄り、

「お金もパンももらえるし、長袖の服だって貸してもらえるかもよ」

この子はきっと前世が貧乏で、こういう言葉に甘いだろうなと思いながら言った。

「ほんどに?じゃあ、僕も行く!」

見事に引っかかった。ゲン太は毛布を剥いでよろよろと立ち上がる。

対照的に龍之介は勢いよく立ち上がり、

「よし、お前ら遅そうだから俺は先行ってるぜ」

とパン屋に向かって走る。


どしゃ降りの雨が、バタバタバタとパン屋のボロい屋根を打ちつけている。

じいはレジの所からボーッと外を見ており、

「久しぶりの雨だな……今日は客が少なそうだ」

そこへ龍之介がギャーギャー騒ぎながらやってくる。びしょ濡れになっており、

「なんだこのくそみてえな雨は?」

悪態をついた。じいは後ろを振り返って、

「おや?龍之介か?……てっきり今日は来ないと思ってたが、よく来たな。タオルを今持ってきてやるからな」

じいは厨房のドアを開けて中に入っていく。

「今日のじいは意外と優しいな……」

龍之介は拍子抜けする。遅刻したのに怒られないのは珍しい。

わあ~わ~と叫びながら、龍とゲン太が屋根の下に駆け込む。二人ともビチョ濡れで、特にゲン太はまた鼻水がだら~と垂れている。

「おう来たか。遅刻したけどじいは怒ってないみてえだぜ」

はあはあと少し息切れしている龍は、

「それは良かった……けどさあ、ゲン太が何度も転ぶから大変だったよー」

「へへへ。ごべんね……」

泥のついた顔で鼻水を垂らしながら笑うゲン太。キョロキョロと周りを見渡し、

「ここが……パン屋?」

パン屋にしてはボロい、パン屋には見えないとでも言いたいのか?そのボロボロの服装で言えることじゃねーと龍は内心思った。

バンッと厨房のドアが開き、タオルを数枚重ねた束を持ったじいが現れる。

「おう、龍も来たか……そこの坊ちゃんは誰だ?」

強面のじいに見られると、ゲン太はヒッと小さく悲鳴を上げて龍の後ろに隠れた。

龍はしょうがないなーと思いつつ、

「この子はゲン太くんです。一緒に働きたいって言うんですけど、いいですか?」

じいは少し顔をほころばせて、

「そうかそうか……いいとも。特に今日はやることがたくさんあるからな」

龍之介は寒さにぶるぶる震えていて、

「……じい、早くそのタオルを……」

「おお、そうだったな。皆の分、ちゃんとあるからこれでしっかり拭きなさい」

じいは一人一人にタオルを渡していく。ゲン太も恐る恐る龍の後ろから出てきて、タオルを受け取る。ゲン太の前で立ち止まったじいは、

「おや、ゲン太くん、その服装はいかんな。パン屋の服なら貸してやるから着替えなさい」

「は、はい」

じいは厨房に戻っていく。三人は濡れた髪や顔、体をタオルで拭く。皆、タオルがビチョビチョになるが、特にゲン太のは鼻水や泥でかなり汚れる。

じいが厨房からパン屋の服を持って出てきて、ゲン太の所へ行く。ゲン太の前に服を広げて、ゲン太と服を見比べ、

「ちょいと大きいかな?……まあとりあえずこれに着替えてくれ」


龍と龍之介が厨房の中に入ると、

「しっかしすごい雨だねー。二人ともおはよう」

綾香はいつも通り元気な様子である。

「おはようございます」

「チワーす」

綾香は龍之介の後ろを首を伸ばして見ようとし、

「あれ?じいから新しい子が来たって聞いたけど……」

龍はクスッと笑い、

「ゲン太って言うんですけど、鼻水がすごいしドジだし、とても厨房には入れられませんよー」

綾香はふふふっと笑い、

「へ~そういう子なんだあー。龍之介はいつも個性的な人を連れてくるね」

「え?俺そんなに個性的ですか?」

どういう意味だ?いい意味で個性的なのか、悪い意味でなのか……

龍は考えるが、綾香の笑顔を見てまあいいっかと思う。


「ああそこじゃない、ん?いやそこだ。……もうちょっと右かな?いやそこじゃない!」

ゲン太は脚立の上に乗って天井の雨漏りしている箇所に木の板を当てている。じいの指示に従いながら、一生懸命どこに当てるか探す。しばらく模索した後、

「うん、そこだ」

とじいのOKサインが出て、天井に木の板を釘とトンカチで打ちつけ始める。作業は手際よく、次々と釘を打ちつけていく。その様子を見たじいは、

「おお!なかなかやるじゃないかあ!……意外だな」

ゲン太はニコニコーと笑い、

「僕も一応、職人の息子だからね」

と自慢した途端、ポロッと釘が一つ落っこちてくる。


しずくはテーブルのイスに座って昨日買ってきたものを袋から取り出す。それは、直方体の箱である。しずくはゆっくりと箱のふたを開ける。

「わあ……本物のメトロノームだ……」

箱の中にあるのはメトロノームである。しずくは慎重にメトロノームを取り出し、テーブルの上に立てて置く。

「これがずっと欲しかったんだよなー」

振り子の金具を外して重りを少し下げる。手を離すとカチッカチッカチッと振り子が左右に揺れ始める。ふいに、しずくは立ち上がり、ポーズをとる。しずくの頭の中でクラッシックの曲が流れ始める。しずくは動き出し、テンポをとりながら、つま先立ちでクルッと回ったりして、バレエを踊る。

広い部屋を舞台のように見立てて、森の女王のヴァリエーションである。

片足をふわっと上げてピョンッと跳び、また片足をふわっと上げたりする。やがて、曲の絶頂期になり、クルックルッと周りながら片足を前に後ろに上げ、それを何度も繰り返す。

「トントン」とドアがノックされた。

しずくの頭の中の曲が止まり、しずくは崩れ落ちるように膝に手をついて、ハア、ハア、と肩で息をする。

「久しぶりだから、やっぱり疲れるわね……」

また「トントン」とドアがノックされ、しずくは片手でメトロノームの振り子を止めて重りを上げ、金具で止める。

「な~に?龍人でしょ」

「よく分かったね」

龍人はドアを開けた。しずくはテーブルの上に手をついてメトロノームを眺めながら、

「だってこの時間帯に来るのはあなたしかいないじゃない」

甘えた声で言った。龍人はふふふっと笑い、

「そうだったね……」

ふと、メトロノームに気が付き、

「あっそれ。昨日買ったメトロノーム……。さっそく使ってくれてるんだあ……」

「うん。私、これずっと欲しかったから……」

しずくはまだ肩で呼吸しており、龍人はそれにも気が付き、

「……さっきまで何かしてたの?」

「あっうん。バレエのヴァリエーションを踊ってみたんだけど、久しぶりで……」

バレエ?ヴァリエーション?と龍人の頭は?でいっぱいになる。恥ずかしそうに、

「え~とバレエ?ヴァリエーション?とかって僕には聞き慣れないんだけど……」

ほえ?本当に?としずくは不思議に思い、龍人の顔を伺う。龍人はいたって真面目な様子であるので、

「そうねえ……、バレエっていうのはダンスの一種で、舞台の上で物語に沿って色々なキャラクターを踊って演じるの。つま先立ちをして片足を上げたり、腕をしなやかに動かして表現したり、脚を180度に開いてジャンプしたり。ヴァリエーションは、舞台の上で一人で踊ることを言うの」

へ~そういうものがあるんだあ……と龍人は感心して、

「ダンスっていったら僕なんか社交ダンスしか知らなかったよ。現世にはいろいろなものがあるんだね」


パン屋の裏の洗濯物干しには、ゲン太の服や皆の使ったタオルが干されている。

雨はすっかり止んで、夕焼け空が広がっている。


レジでは綾香が会計をし、じいが客引きをしており、その後ろで龍はぼーっとつっ立っている。

「おっと危ねえ!」

「キャあ!ははははは!」

龍の後ろで、龍之介とゲン太は余ったタオルをしっぽにして、しっぽ取りゲームをしている。じいが後ろを振り返って、

「こら、やめんかい!仕事中に遊ぶアホがいるか!」

よっしゃあ!と龍之介はゲン太のしっぽを取って喜んでいる所で怒られ、急につまんなそうに

「へ~いすいまへ~ん」


龍之介は段ボール箱の上に座り、手の中のお金を見て、チッと舌打ちする。

「じいのやつ、バイト代減らしやがったな……」

龍は段ボール箱の上で、チーズ入りのパンをチーズを伸ばしながら食べている。

「仕方ないよ。俺たち大した仕事してないし、龍之介なんか今日遊んでただろ?しかもゲン太も加わってあのパン屋がそんなに給料払えるわけが……」

龍の言葉をかき消すように、龍之介は

「分かった、分かった。分かってんだよ!……」

と少しキレ気味に言った。はあとため息をつき、

「けどさあ、俺だってこんな貧乏暮らしに嫌気がさしてんだよ。……まあ、メシにありつけるだけいいが……」

龍之介のため息が移ったのか、龍も、はあとため息をつき、

「俺も……別の悩みなんだけど……こうやって日を重ねるごとに、しずくが、現世が、どんどん遠ざかっていく気がして……」

龍之介は袋からチーズパンを出して食べ始め、

「……それはどうしようもねえことだなあ。でも、しずくって女とお前は両想いなんだろ?」

龍は少し頬を赤らめて、恥ずかしがりながら

「うん、たぶんしずくも俺のことを想ってくれている。ってか最初はあいつの方が俺を好きになってくれたんだ。だから、」

龍之介は言葉を継ぐように、

「だから、早く会いたいし、助けに行きたいってか」

え?よく分かったな……と龍は驚き、龍之介を見る。龍之介は

「そういうことだろ?」

と言ってパンを一気に口に入れた。龍は顔を戻して強くうなずき、

「うん、……そういうこと」



珍しくじいがニコニコで機嫌がよく、

「皆、おはよう。今日は特別な日だぞ!」

龍之介、龍、ゲン太の三人は並んでじいの前に立っており、

「おはようございます。……今日は何が特別なんですか?」

龍は真っ先に訊いた。じいはよくぞ訊いてくれた!と嬉しそうに、

「今日はな、上の街、上界からお客がいっぱい来るんだ。奴ら、金持ちだからどんどん買ってくれて、今日はたぶん大儲けだぞ!」

龍之介は前に乗り出して

「そんじゃあ俺たちの給料上がるのか?」

「ああたぶん上がるだろう」

龍も負けじと前に出て、

「もしかして、上界から姫が来たりしますか?」

じいはいぶかしげな顔をして、

「姫だと?この王国に姫などおるのか?」

龍は少し興奮気味に、

「はい、います!梅山しずくって言うんですけど、俺はその女の子に逢いたくて……」

じいの顔がさらに歪んで、

「なぜ、お前がそんなこと知ってるんだ?」

あっやべえ……言い過ぎた……と龍は興奮が急に冷めて後ろに下がり、

「え~と、それはですねえ……」

それを見かねた龍之介はまた前に出て、

「いや、姫とかじゃないっすよー。ただ、こいつ、上界に会いたい女がいるだけ……」

じいの顔は普通になって、

「そうか、そうか。若い頃はそういうこともあるものだな」

とじいは納得した。龍之介のおかげで、龍はほっと一安心する。じいはまた機嫌がよくなって、

「皆、厨房に行ってジャンジャンパンを作ってくれ!」


しずくはダイニングテーブルで朝食を食べ終わり、

「ごちそうさまでしたー」

と手を合わせた所で、

「トントン」とドアがノックされた。しずくは不思議に思ってドアを見つめ、

「え?龍人?今日は早くない?」

「違います。わたくしです」

ドアが開いて侍女が中に入ってくる。

「どうしたの?食器なら自分で片づけられるけど……」

しずくは少し嫌に思って言う。そんなしずくの態度にも侍女は親切で、微笑み、

「その用事で来たのではございません。王子様からの旨をお伝えに参りました」

「え?龍人から?」

「はい、そうです。今日は王子様は朝早くから出張されているので、夜まで一日戻らないとのことです」

しずくは興味なさげに、

「ふ~ん。どこに出かけるの?」

侍女は後ろ手でドアを閉め、サササーと歩いてしずくに近寄り、小声で

「これは、お姫様には内緒にしろと言われたのですが、特別申し上げますね」

と囁く。なになに?としずくは興味が湧いてきて耳を傾ける。侍女はキョロキョロと周りを見て誰もいないことを確認した後、

「今日は、上界の人々が数十人集まって飛行船に乗り、下界の街に買い物をしに行く日なのです。その付き添い、及び下界の視察のために王子様は出張されたのです」

しずくは驚いて立ち上がり、

「下界⁉ ……私も行きたい!私、下界に逢いたい人が」

「だめです!」

侍女がしずくの言葉を大きな声で遮る。しずくは侍女の顔を伺うと、侍女は珍しく険しい顔をしている。侍女はまた小声で、

「王子様はお姫様が下界に行くのは危険だとおっしゃっていました。ついていかないように見張っておけと仰せつかっております」

しずくはがっかりしてガクンッとイスに尻もちをつき、

「え~。そんなあ……」

せっかく龍に逢えるチャンスだったのにーとしずくは心底落ち込む。


「プップクプー、プププ、プックププー」

下界の商店街の道にラッパを吹く兵士が兵隊歩きで現れる。その後ろからぞろぞろと豪華な衣装を着た上界の人々が、買い物籠やバッグを手にぶら下げて、色々な店を見物しながら歩いてくる。


パン作りをしていた龍たちはラッパの音を聴いて、一斉に窓の方を振り向く。龍は窓に貼り付けになって、外に見入ってしまい、しずくがいないか探す。龍之介はチッと舌打ちして、

「いいよな、あいつら。あんなに優雅で、しかもいい服着ちゃってさ」

ゲン太は背伸びしながら外を見て、龍之介とは対照的に楽しそうで、

「なんか賑やかだなあ……お祭りみたい」

綾香だけが一生懸命働いており、

「ほら、だめでしょ。皆、今日はいっぱいパンを作らなきゃなんだからね」


龍はしずくを探しながらも、今日の仕事を一生懸命こなした。気づけば夕方になっていて、こんな時ほど時間が短く感じることはない、とつくづく思う。

パン屋の前の通りは空いてきて、上界の人々は次々と帰っていく。レジでは綾香が会計を、じいはパンを一口サイズにちぎった試食をお客に出して客引きをしている。龍はその後ろでぼーっと立ち、

「……しずくは……来なかったか……」

とひどく落ち込む。諦めたくなかったが、探す気力はもう失せた。しずくはきっと、姫だから来させてもらえなかったか、王子に止められたか……。信じたいのは、いや、確かなことは、しずくも俺に逢いたいということだ。手紙にもちゃんと書いてあった。逢いたいって。大丈夫、しずくは浮気なんかしない。龍はそう自分に言い聞かせる。

そんな龍の心境をよそに、龍之介とゲン太は相変わらずアホな遊びをしている。

龍之介が次に試食に出すちぎったパンを投げて、それをゲン太が口でキャッチするというアホな遊びだ。

じいがやっと気づいて後ろを振り向き、

「こら、食べ物を粗末にするな!」

と軽く叱った。


上界の人々の帰っていく方向に逆らって歩いてくる三人組が、商店街に現れる。

三人組の先頭は坊主頭で巨漢であり、3LのサイズのTシャツと短パンを身に着けている。その男の最も奇妙な点が、右腕の先につけている巨大な金属でできたミノムシのような形で、棘がたくさん突き出ている武器だ。武器は黒光りしており、いかにも何かを破壊するためにつけている、といった感じである。その男の後ろには、背がひょろりと高く、赤い髪で鼻が異様に高い、よく似た双子が歩いている。その双子は二人とも紺色の分厚いコートを着ている。

「おい、ペルト、パルト、この街くそみてえだな」

先頭の男が暴言を吐いた。双子の片方、ペルトはシリアスな顔をしながら、

「そうですねーゲン蔵さん」

双子のもう片方、パルトはニヤついて

「いっちょ荒らしちまいましょうよ!」

先頭の男、ゲン蔵は目をギラつかせて、

「荒らしてえなあ!壊してえなあ!」


パンは見事に売れて、売り切ればかりであり、残っているパンは売り場の3分の1を占める程度だ。

ゲン蔵達三人組はパン屋の前に来ると、ゲン蔵は立ち止まり、

「おい見てみろよ、パン屋があるぜ」

パルトは軽いノリで、

「ボロいっすね~」

ペルトはギロッとパン屋を見て

「……」

と無言。ゲン蔵はポコンと樽のように出たお腹をさすり、

「腹減ってきたなあ、食い荒らしてえなあ!」

三人組はパン屋の売り場に入った。ゲン蔵はクロワッサンの前に来て

「おう何だこのパンは?」

と左手でクロワッサンを一つ取る。ペルトとパルトはパンを見物して、

「けっこう売り切れてるじゃないかー」

とほめるペルト。パルトは

「でもまずそうじゃね」

二人の言葉を聞いたのか分からないが、とにかく空腹という生理的欲求に駆られたゲン蔵は

「食ってみようぜ!」

一口でクロワッサンを食べてしまう。

綾香は怪しい客が入ってきたと気づき、じいの肩をトントン叩いて小声で、

「ねえ、じい、あのお客さん変じゃない?」

と囁く。

「どれどれ」

じいが売り場を覗いた途端、

「うえまじい!」

ゲン蔵が大声で喚いた。そして、

「こんなくそみてえなパン、こうしてやる!」

右腕の武器で上からダンッと叩きつけ、クロワッサンたちを全部潰す。

「キャあ!」

綾香は叫んでしまう。ゲン蔵は綾香の方を見て、

「へへへ、女がいるのか」

笑いながらレジの方に近づいてくる。


綾香の叫び声で龍は、はっとなる。龍之介とゲン太もただならぬ事態を察し、遊ぶのをやめる。龍は、いつになく険しい顔をしているじいを見て、

「どうしたんですか?何か起こったんですか?」

じいはこちらを見ずに、

「これは私たちで片づける。……君たちはどこかに隠れてなさい」

だが、龍は綾香が心配でその場を離れられない。


ゲン蔵はニヤニヤしながら綾香とじいの目の前にやってきた。

「やあ、お嬢ちゃん。なんか文句があるのかな?」

綾香は潰されたクロワッサンの残骸を見て、

「あのパンは私たちが心を込めて、一生懸命作ったものです。ですから、あんな風にするのなら、お引き取り下さい!」

綾香の必死の訴えもゲン蔵の心には全く響かず、

「おい、ペルト、パルト、こっち来いよ。おもしれえ女がいるぜ!」

やがて、ペルトとパルトがゲン蔵の後ろに来る。ゲン蔵は左手でズボンのポケットから金貨を何枚か出し、じいの前にバンッと置いた。

「じいさん、この金で小娘を俺に売らないか?」

じいはものすごい形相でゲン蔵をにらみつけ、

「それは……できません」


ゲン蔵を見たゲン太は、恐怖で震えだし、

「わあ!ゲン蔵兄ちゃんだ!」

と龍の後ろに隠れる。ゲン蔵はレジ裏を見て、

「ああ、ゲン太か……。良かったなあ!ようやくお前も死ねたんだ」

それからじいに視線を移し、

「この娘を俺にくれないなら……他に何かサービスしてくれねえと気が済まないなあ……」

さっきからずっとゲン蔵の話を聞いていて、頭に血が上り、怒りで拳を震えるほど握り締める龍之介は、もう我慢できず、

「てめえなんかにサービスしてやるわけねえだろ、バカが!」

龍の前に出て喚いた。

「あ⁉ なんだと!」

ゲン蔵はニヤけるのをやめて、右腕を上げ、武器をちらつかせて、

「じいさん、あんなこと言わせていいのかな?俺はこんなボロいパン屋なんて、ボコボコにぶち壊す力を持ってんだぞ!」

ゲン蔵の脅しにも負けず、龍之介はさらに前に出て、

「そんなの偽物の力だ!てめえなんかぶっ殺して……」

とっさにじいは龍之介の口を武骨な左手でおさえて、

「こやつの言っていることは気にせずに、どうか許して下さい……」

龍之介はジタバタして

「ふんが!ふんが!(死ね!死ね!)」

と喚き、ついにじいの手を振り払う。

「おい!お前、俺と決闘しろ!俺が勝ったら、皆に土下座するんだ!」

ゲン蔵は、ははは!と笑い始め、

「ペルト、パルト、聞いたか?このチビが俺と決闘したいだってよ!」

パルトも大笑いする。ペルトは無表情。

「いいぜ、やってやるよ。ついて来い」

ゲン蔵達三人組は元来た方向へ戻っていく。

ゲン蔵達が去ると、緊張が一気に解けた綾香はへなへな~と崩れ落ちた。龍は綾香をしっかり受け止める。龍之介は剣の刀身を眺めて、

「よし、……俺が皆の分、怒りをぶつけてぶっ殺してくる……」

剣を鞘に納めて行こうとすると、じいが腕を組んで出口を塞ぐように立っており、

「龍之介、あやつらと戦っちゃいかん!お前の命が危ないぞ!」

龍之介は走り出し、じいを押しのけて

「うるせえ!俺をなめんなよ!」

出口を蹴り開けてパン屋の前の通りに出、ゲン蔵達が去った方向へ走っていく。


下界の商店街のはずれは人がおらず、閑散としている。

そこにゲン蔵と龍之介が向かい合って立っている。ゲン蔵の後ろには荒廃した土地が広がり、龍之介の後ろには商店街の端の店の壁がある。

龍之介はシュッと背中の剣を鞘から抜き、前に構える。ゲン蔵は左手で手招きし、

「ほら、かかってこいや」

龍之介は走り出して、

「死ねー!」

と跳び上がり、ガチンッと火花を散らして龍之介の剣とゲン蔵の武器が空中でぶつかった。


綾香は厨房の横の壁に背をつけて体育座りしており、ひどく落ち込んでいる。

ゲン太がレジに、じいがその横で二人ともぼーっとつっ立っている。龍はその後ろで自分の右手の拳を見つめている。

「あの力が本当に使えるのなら……」

一度しか経験してない、あの力。使うなら、今しかない。

龍は決心して顔を上げ、

「じい、俺行ってきます。龍之介を助けなきゃ……」

じいはゆっくりと後ろを振り返り、

「そうか……私はもう止めないぞ。……気をつけてな」

龍は少し、じいの顔が優し気に、しかし悲しみをたたえているように見えた。

「はい」

と返事して戦場へと向かう。


「たぁ!」

龍之介はジャンプして剣を横に振り、ガンッとゲン蔵の右腕の武器に当たる。それは龍之介の渾身の一撃であり、ゲン蔵の左頬をかすめたらしく、左頬にかすり傷がつき、血がたらーと垂れた。ゲン蔵はニヤけてその血を舌でなめ、

「なかなかやるじゃねえか。もっと楽しませてくれよ!」

と狂気じみた目になる。龍之介はもう疲れ切っていて、はあ、はあ、と肩で息をし、剣を前に構えて立っているだけでも精いっぱいだ。そこでゲン蔵が本気モードになり、

「おらぁ!」

右腕の武器で攻撃してくる。龍之介は剣で防御するが、後ろに押されてしまった。その後も

「おらぁ、とりゃ、そりゃ、おりゃあ!」

と次々にブンブン右腕を振って攻撃してきて、龍之介は剣で何とか防御しながら、どんどん後ろに下げられていく。やがて、フラッとふらつくと、

「飛んでけこらぁ!」

最後の横からの一撃で剣が手から離れ、吹っ飛んでいく。龍之介は意識が朦朧とし、クラッと前のめりに倒れそうになる。それに追い打ちをかけるようにゲン蔵が右腕を上から降ろしてドンッと龍之介を地面に叩きつけた。右腕を上げると、龍之介が地面にうつぶせで倒れている。ゲン蔵は左手で額の汗を拭って、

「ふう……俺の圧勝だな」

と言い捨て、後ろを振り向き、

「おい、お前ら、こいつどうするか?」

後ろの荒れ地で観戦していたパルトは、ニヤニヤして

「そいつ、上界に持って帰れば売れるんじゃないっすかー?あっペルト、お前縄、持ってるよな?」

ペルトはシリアスな顔をしながら

「あ、うん、持ってるよ」

コートのポケットから、結んである長縄を取り出す。

ゲン蔵は残酷な笑みを浮かべて、

「そいつぁいい案だな。ペルト、その縄でこいつ縛り上げてくれ」

「はい、わかりました」


商店街の通りには、下界の買い物客らしき人達が歩いている。その道のど真ん中を龍は走っており、

「あいつら、いったいどこに行ったんだ?」

やがて、商店街の端っこに来ると、その先の広場が目に入る。龍はそこに乱闘の跡の匂いを感じて、広場に出た。予感が的中し、その先の荒れ地に三人組を発見する。ペルトがグルグル縛り上げた龍之介を縄でズルズル引きずっているのが見えて、

「龍之介!」

大声で呼ぶ。だが、龍之介は意識を失っていて反応せず、三人組の誰も気づかない。急にもの凄い怒りが湧いてきた龍は立ち止まり、右手の拳をぶるぶる震わせる。

「お前ら!待てよこらぁ!」

龍の声がドス太い声と二重に重なって地響きのように轟く。龍の額に青い竜の紋章が現れる。ゲン蔵達もさすがに驚いて龍の方を振り向いた。

「おう、さっきのパン屋の兄ちゃんか?……気持ちわりぃ声だすなあ」

ゲン蔵はのしのしと近づいてくる。

「龍之介を返せ!返さねえなら俺と戦え!」

また二重の声が轟く。ゲン蔵は少し引きつった顔で笑みを浮かべ、

「……お前、そんな丸腰で俺と戦うってか?」

龍は右手の握り拳を空に向かって上げた。ピカーと青白い光が、右手から四方八方に溢れ出し、その光が回る。

「へへ、なんだ。それがお前の武器か?おもしれえ!」

ゲン蔵は走ってくる。龍は光を放つ右手を前に出し、ゲン蔵に向かって走り出す。

ガンッとゲン蔵の右腕の武器と龍の青く光る右手がぶつかり、ピキッとゲン蔵の武器の先にひびが入る。両者、一度離れた後、また走り出す。今度は、ゲン蔵の右腕の攻撃を龍はかわし、横からその武器を思い切り殴る。ピキピキと武器の左側に大きなひびが入り、少し割れてゲン蔵の右腕の肌が露わになる。

「嘘だろ!これが割れるだと!」

とゲン蔵が壊れた武器に気を取られている隙に、龍はゲン蔵の顔面をぶん殴った。

ゲン蔵の鼻がグシャッと潰れてその巨体が後ろに吹っ飛ぶ。ザザザーと荒れ地に尻もちをつき、鼻血も出てきて、クラクラーと後ろに倒れた。自分の右腕の武器を上げ、眺めて、

「俺の、俺の、自慢の武器がぁぁぁぁ!」

大声で叫んだ。ゲン蔵は怒りマックスになり、狂気に満ちた目で

「殺す、殺す、ぶっ殺す!」

起き上がって立ち上がる。


綾香は無事レジに復帰したが、泣き腫らしたような目をしている。じいは遠くの空を眺めて、

「もうすぐ、日が沈むなあ……」

夕焼け空もだんだん暗くなってきて、黒い雨雲が広がり始める。綾香は涙声で、

「龍くんも行っちゃって……まだ帰ってこないなんて……」

じいは眉間にしわを寄せて、

「若い頃は、私は喧嘩に強かったんだがな……今や喧嘩を止めに入ることすらできん。あやつらが無事、戻ってくるのを、ただ祈ることしかできんのお……」

「……そうですね……」

パラパラッと小粒の雨が屋根に当たる音がした。

「おや、小雨が降ってきたか?」


ゲン蔵と龍は壮絶な戦いを繰り広げている。龍は無傷だが、右手の光が小さくなって青い炎と化す。ゲン蔵の体は龍の拳で焼け、服が破けて肉がえぐれている箇所がいくつかあり、右腕の武器を乱暴に振り回す。ふと、ゲン蔵の右からの渾身の一撃が、当たりそうになり、龍は半身になって体を後ろに反り、なんとかギリギリでかわす。そして反撃しようと右手を出すが、青い炎がシュッと急に消えてしまった。

「?……」

右手を見つめる龍。額の竜の紋章も消えてしまった。ゲン蔵はその隙に、龍の横に投げ出していた右腕を、踏ん張って、

「うりゃあぁぁ!」

右にブンッと勢いよく動かし、武器の壊れてない右側の部分が龍の腹に直撃した。

「ぐはぁ!」

腹に武器の棘が刺さって空中に体が浮き、ポーンと吹っ飛ばされた。10m以上横に吹っ飛び、バンッと壁に背中を打ちつけた。ズルズルと下に落ちて完全に意識を失う。

だら~んと右腕を垂らして肩で過呼吸気味になっているゲン蔵は、龍の方を見て、

「はあ、はあ、んぐ、はあ……勝ったぜ」

広場にも小雨が降ってきて、

「ゲン蔵さん、もう帰りましょうよ。雨も降ってきたし、飛行船に乗り遅れますよ」

荒れ地からパルトが声をかけてくる。ゲン蔵は左手で鼻血を拭い、

「はあ、はあ、……そうだな……帰るか」

ゆっくりと荒れ地の方に体を向け、右腕を引きずりながら、ペルトとパルトの元へ歩いていく。

龍は壁にもたれかかってうつむいており、腹の部分は服が破れて肉がむき出しになっている。挫滅した部分からは血がたらーと垂れてくるが、ふと、その一部がザラザラと青い竜の硬い鱗のようなものに覆われていく。その青く照り輝く竜の鱗は挫滅した部分にみるみる広がって、やがて、出血は止まり、腹の部分は全て鱗で覆われた。


龍の精神世界の中。真っ暗な闇にスーと二本の立派な角の生えた竜の顔が浮かぶ。

「神谷龍よ……」

太い声で竜の顔がしゃべりだした。

「え?何者?」

龍は実際に声には出してないが、精神世界の中では心で念じたことが相手に伝わる。

「私は竜の神だ……」

「竜の神?どこかで聞いたことあるような……。あ!龍之介が言ってたかな?」

「そうか……その君の友達を救いたいという高い志は、素晴らしいものだと思う」

龍は急に外で起こっていることを思い出す。

「あっそうだ!龍之介が連れていかれちゃう!助けに行かなきゃ!」

「まあ、そう逸るな。そのために私が現れたのだ。……君に、さらに力を与えようと思ってな」

龍は少し気持ちが落ち着く。だが、龍之介の話、少年が竜の神に支配され、死んだ話を思い出し、竜の神を疑って、

「本当ですか?でもまさか、その力で俺を支配しようとしているわけじゃ……」

「いや、そのつもりは全くない。ただ、私の力に適応できない場合があるだけだ。君は大丈夫だ。なぜなら君には強い意志がある」

「意志?ですか……」

「ああ。私は今まで君をずっと見てきて直感している。あとは君がうまく使いこなせるかどうかだ」

龍は少しの間考える。俺に、意志がある。高校になじめず、勉学にも励まなかった自分に意志ができたというのか?

だが、竜の神の言葉は自然と自信をつけさせてくれる。だめだった自分が、少しだけ変わろうとしているのかもしれない。そう思い、決心して

「はい……もしその力を与えてもらえたら、必ず、使いこなして、龍之介を助けだします!」

「良い心意気だ。……幸運を祈る」

竜の顔が消えて真っ暗な闇に戻った。


小雨が降る中、龍は壁に背をつけて力が抜けたように両腕を垂らしている。まだ目を覚ましておらず、うつむいたままである。だがふと、その両腕が肩からもりもりと盛り上がって太くなり、表面は青く照り輝く竜の鱗に変わっていく。その太い両腕はシュルシュルシュルとまるで大蛇のようにどんどん伸びていく。


ペルトとパルトが二本の縄で一緒に龍之介を引きずって荒れ地を歩いている。その後ろを、ゲン蔵がまだ右腕を引きずって歩いている。パルトが、

「さっきのやつ、何者だったんですかねー?」

ゲン蔵は息も絶え絶えに

「……分からねえ。だが、ものすげえ力だった……」

その後ろから、空中をシュルシュルシュルと龍の大蛇のような両腕が迫っていく。ゲン蔵を右からバチンッと叩き、

「うっ……んあ!」

ゲン蔵の右腕に激痛が走って、左側によろけた。さらに龍の左腕が追い打ちをかけるように斜め上から叩き、ドスンッとゲン蔵の巨体が倒れる。倒れた所で、さらに上からバンッバンッバンッと叩きつけた。ゲン蔵は一瞬で気絶し、倒れたまま動けなくなる。

「ん?なんだ?」

とペルトが後ろを振り向いた時にはもう遅く、龍の右腕が目前に迫り、バチンッと左から叩かれた。

「わあ!気持ち悪!」

パルトが気づくと右腕は左に動き、バチンッ!とパルトをもっと強く叩く。ペルトは縄から手を離して右に倒れ、パルトも縄から手を離し、左に倒れた。龍の右腕は、さらにダンッダンッダンッダンッと交互にペルトとパルトを、上からもの凄い勢いで叩きのめす。ペルトは静かに気絶し、パルトは

「わぁぁぁぁぁ!んぐぁ」

と悲痛な叫び声を上げた後、力尽きて気絶した。


両腕が元の状態に戻った龍は龍之介をおんぶして、電気のついたパン屋の前まで、歩いてくる。

「龍くん!龍之介!」

と驚く綾香。

「おお、よく戻ってきたな!」

じいは喜んで大声を上げた。二人の声で龍之介は目を覚ます。

「ここは……あっパン屋。俺、生きてるのか?」

じいは通りに出てきて、

「よくやった!龍、龍之介……龍之介を降ろしていいぞ」

だが、龍は半分気を失っていて、

「あ……俺……もう、動けな……」

と言葉が続かず、前のめりにフラッと倒れそうになる。

「おっと!」

じいはガシッと龍を受け止めたが、重すぎて

「あーいたたた……腰が……」

綾香がとび出してきて、

「龍之介、降りてあげて」

と龍の肩に預けてある龍之介の腕を持ち上げる。

「おう、わりぃわりぃ……」

龍之介は綾香の手を借りて降り、

「……俺やっぱ生きてるのか」


焚き火の周りで、龍之介とゲン太はそれぞれの段ボール箱の上に座っており、龍は段ボール箱の前で体に毛布をかけて横たわっている。龍之介は、ティッシュで鼻血を拭きながら、

「龍、ありがとな。助けに来てくれなかったら、俺は一体どうなってたか……」

龍之介は今になってようやく現実が分かったか。

と思った龍はぷっと吹き出し、

「あんなでかい奴に挑むなんて無茶だろ。俺の竜の力を使っても一度は負けたんだよ」

龍之介はふんっと鼻をかんで鼻血を出し切り、

「もっとでかい奴と戦ったこともあるぜ……まあ負けたけど。それより龍、お前どうやって俺を助けたんだ?」

龍は龍之介に背を向ける。それは不可解なことで、訊いてほしくなかったことだ。

「それが、あまりよく分からないんだ。あいつにぶん殴られて意識を失った後、竜の神が出てきて……」

「竜の神⁉ じゃあ、お前、まさか、体の半分が燃えて……」

龍之介は興奮気味になるが、龍がそれを制するように、

「いや、違う。竜の神は力を与えるって言ったんだけど、その後もしばらく目が覚めなくて……目が覚めたら、一瞬、自分の両腕が大蛇のように太くて長く見えたんだ。でもそれもスーとすぐに消えたから、幻覚なのかもしれないけど……」

龍之介は少し興奮が冷めて、

「……そうか。それはよく分からない現象だな……。それで、奴らはどうなった?」

「皆、いなくなってたよ。荒れ地に龍之介だけが縄でグルグル巻きにされて倒れてたんだ」

龍之介は立ち上がって、ティッシュを持った手で思いっ切り地面を殴り、ジャラッと石ころが飛び散る。

「くそ!あいつら、ぶっ潰してやりたかったのに……のこのこ逃げやがったな!」

龍は体の向きを龍之介の方に戻す。これも不可解だが、龍之介に伝えなければ。と龍は思い、

「それが、そうとも限らないんだ。荒れ地に、三つの人が埋まった跡のような大きな穴ができていたんだ。もしかしたらだけど、竜の神が言っていた事と俺の一瞬見えた奇妙なものが本当なら、……俺が無意識のうちにあいつらが地面に埋まる程の攻撃をしたのかもしれない」

へ?と龍之介は龍の方を驚いた顔で見る。

「本当か?……それならなんかすっきりするな。俺がやれてたらもっとスカッとするんだけどなあ」

ゲン太はペコリと頭を下げて

「ごべんね、みんな。僕の兄ちゃんのせいで傷つけちゃって……」

龍之介は段ボール箱の上にドカッと座り、

「お前、何も悪くねえよ。あいつ、本当に悪い奴なんだろ?」

ゲン太は強くうなずき、

「うん!……ゲン蔵兄ちゃんは昔から凶暴だった。だから、みんな、やっつけてくれてありがとう」


「痛っ!」

龍は突如お腹に激痛が走って跳び起きる。そ~と毛布を外してみると、お腹の部分の服が破けており、青く照り輝く竜の鱗のようなものが見えてくる。

「うわあ!何だこれ!気持ち悪っ!」


しずくは朝食を食べ終えて

「ごちそうさまでしたー」

と手を合わせる。その途端、昨日と同じタイミングで

「トントン」

ドアがノックされた。しずくはまたー?嫌だなあと思い、

「今日もおばさん?早くない?」

「神垣龍人だ。どうしても報告したい事があって……入ってもいい?」

何だろう、龍の事かなあ?と龍のことを考えると自然に笑顔になり、

「いいわよ。聞かせてちょうだい、昨日のことを……」

龍人はドアを開けて数歩、中に入ってくる。龍人は疲れ切った、険しい表情をして、

「昨日、君に何も説明せずに出かけてしまってごめん……」

と頭を下げた。しずくは、見ていられないっと顔を横に背け、

「別にそんなこと全然気にしてないわよ。ただ、あなたがどこに何をしに行ったのか知りたいだけ……」

少しは知ってるけど、と龍人に気づかれないようにしずくは笑う。龍人は少し頭を上げて、

「それは……本当は秘密にしたいところなんだけど……。やっぱり、君にも教えるべきだよね!」

今度はしっかり顔を上げた。一呼吸おいて

「僕は下界に行ったんだ。飛行船の付き添いと視察のために行ったんだけど……」

「へ~それで、どうだったの?下界は」

龍人は少しうつむいて笑い、上ずった声で

「名目上は、王子としての仕事、というわけなんだけど、僕は、本当は、神谷龍くんが生きているかどうか確かめたくて、てきとうに視察しながらずっと探したんだ」

神谷龍っと聞くとしずくはバッと興味津々で龍人の方を向き、

「龍は生きているの⁉ 見つけた?」

龍人はゆっくりと顔を上げて

「君はまだ龍くんに未練があるんだね……。僕は直接彼を見つけることはできなかったよ。ただ、奇妙な事件が起こったんだ」

「事件?それって龍が関わっているの?」

しずくの問いかけに龍人は直接は答えず、

「下界の荒れ地で、乱闘が行われた。上界の犠牲者は三名。一名が意識不明の重体で、他二名は重傷を負った。聞くところによると、何者かにメタメタに攻撃されたらしい」

しずくは思いのほかの事に目を丸くし、

「もしかして……その何者かが、龍?」

龍人は動揺する。首の後ろを手でかく。

「……僕は、そう考えたくないけど、その可能性は否定できない。……龍くんに秘められていた力はもの凄かったからね」

しずくは首をひねってう~んと考え、

「でも、龍が罪のない人をそんなに攻撃するわけがないわ……」

龍人は首を横に振って即座に否定する。

「いや、犠牲者は……犠牲者と呼ぶにふさわしくない程、悪い奴らなんだ。上界の中でも珍しい、かなりの問題児だ」

それを聞いたしずくは急に笑顔になり、

「じゃあ、龍はいいことしたんだー」

今度は龍人が、ん?と首をひねって

「でもあそこまでボコボコにするのは、よくない気が……」

だが嬉しそうなしずくを見て、それ以上は否定できず、

「……まあ、そういう事があったというだけで……僕は疲れたから一日休みます」

ドアの方に戻って部屋の外に出ていき、バタンッとドアを閉めた。龍人が出ていくとすぐ、しずくは立ち上がって大きく伸びをし、よし!と強くガッツポーズをして、

「龍が強くなったってことは、龍と逢えるのも夢じゃないかも!」


じいの前で龍之介、龍、ゲン太は横に並んでいる。龍はお尻を後ろにつき出してお腹を両腕で隠すという変なポーズをしており、

「どうしたんだ、龍?お腹が痛いのか?……それともちんこが勃起してるのか?」

どっと、龍之介とゲン太は大笑いする。特に龍之介がひどく、

「わははは!女の事考えすぎてちんこが勃っちゃったってか!」

龍は全身が熱くなるほど恥ずかしくなり、

「ちっ違うよ!本当にお腹が痛いんだ!……見せられないけど」

じいは龍の体を眺めて

「おや、お前さん服に血がついてるし、ボロボロだな。……そうだ、あの服は龍にピッタリかもしれない。ちょっと龍、私について来い」

とパン屋の裏に向かって歩き出し、

「龍之介とゲン太は厨房の中に入っておれ」

命令して出ていく。龍もお腹を隠しながらついていく。


パン屋の裏の通りを、龍はまだ両腕で腹を隠しながら、じいについて歩いていく。やがて、じいは倉庫の前で立ち止まり、龍を見て

「もう隠さんでいいぞ。さっきのは冗談だ。お前さんの腹は昨夜ちょっと見ておる」

え?嘘?見られてた?……と龍は驚いてじいを見るが、じいの真っすぐな瞳が嘘でないことを物語っており、龍は安心して

「……そうなんです。お腹が、気持ち悪いことになっていて……」

ゆっくりと腹から両腕を離す。青く照り輝く竜の鱗が露わになるが、じいは意外に、

「気持ち悪いなんて事ないじゃないかー。むしろ、頼もしく見えるぞ」

「そうですかー?」

と言いつつも龍は少し嬉しい。じいの言葉が温かく感じた。


倉庫の中は薄暗く、ほこりっぽい。龍の周りには乱雑に、たまに使いそうな物からほとんど必要ないガラクタまで色々置かれている。じいは奥の方で、バラッバラッとガラクタをどかしながら何かを探している。どんどんほこりが舞って、龍はゴホンッゴホンッと咳き込む。じいの手が止まり、

「お!これかな?」

よいしょっと何かを持ち上げ、龍の前にドスンッと置く。それは、ほこりを被った大きな段ボール箱だ。じいは段ボール箱の上のほこりを払って、

「おそらくこの中にあるはずだが……」

ゆっくり段ボール箱を開けた。まず現れたのは、黒い布に取り付けられた剣の鞘と鞘に納められて出ている剣の柄の部分、そして柄と刀身の間の炎のように横に広がる紫色の部分である。

「わあ……すごい。剣だ……」

龍がずっと欲しかった、剣。感嘆してそれ以上言葉が出ない。じいは微笑み、

「これは、私の宝だ。私は刃物や剣を作っていたこともあるし、特殊な衣服を作っていたこともあるんだ。そこで培った技術を使って密かに作った私の最高傑作でもある」

じいの、宝。それが俺に受け継がれる。龍はとても満たされると共に、宝をくれるじいの優しさに胸を打たれた。


厨房のドアの前に来た龍は、黒いマントに、背には鞘に納めた剣が斜めについている。龍が厨房のドアを開けて中に入ると、ゲン太と龍之介が並んでパンの生地をこねており、二人とも一斉に龍を見て、

「おー龍くん、カッコイイー」

褒めてくれるゲン太。龍之介は

「いいなあ、俺も新しい服が欲しいぜ」

とうらやましそうである。


河原に焚き火が焚かれている。

龍之介は段ボール箱に座りながら、手に持った金貨を眺めて、

「やったぜ!あいつら、バカだな。金貨を置いていくなんてよー」

龍は段ボール箱の上に座って鞘から抜いた剣を眺める。龍の剣の刀身はメラメラと燃える焚き火を反射しており、切れ味が良さそうである。龍之介はそれを見て、

「いいじゃねえか、その剣も。たぶん、俺の剣よりも強いぜ」

龍はシュッと縦に剣を一振りする。

「うん、なんか何でも斬れそうな感じがする。例えば、ゲン蔵の右腕の武器とか」

龍之介はへへっと笑い、

「ありゃまじで硬かったな。……ぶち壊してやりたかったなあ」

「ひび割れる程度だったけど、俺がちょっと壊しておいたよ」

へ?本当か?と龍之介は目を丸くし、

「……そりゃお前、相当、竜の力が強くなってるな。そのお前が剣を使いこなしたらどうなる?……最強じゃねえか」

龍は、言い過ぎじゃない?と思いつつ、

「いやいやそんなことないよ。……でも、もっともっと強くならなきゃ」

覚悟を新たにする。

「ピピピーピピピー」とレーダーの音が鳴り始める。

「え?何の音?」

ゲン太は初めてレーダーの音を聴くので分からない。

「レーダーだ。また誰か来たのかもしれねえ……」

龍之介は段ボール箱の下からレーダーを取り出す。レーダーの上の方には飛行船のマークが、下の方には二つの人のマークが黄色く点滅している。

「おお、二人いるぞ!おもしれえ」

龍之介は提灯を持って走っていってしまう。龍は剣を背中の鞘に納めて、

「ゲン太、君も行くか?」

ゲン太はニコニコーと笑い、

「うん!行く行く!」


ピョンッピョンッと龍之介と龍は塀の上に跳び乗る。辺りは20m先も見渡せる程の明るさで、龍之介と龍はすぐにだだっ広い草原の中にポツンッポツンッと二つの人影を発見する。

「おっあれじゃねえか?」

「たぶん……でも、小さすぎるような気が……」

ゲン太は二人の後ろで、塀を目の前にしてもじもじしている。

「ねえ、龍くん……僕、またあの怖い人に襲われないかなあ?」

龍は後ろを振り向き、

「もう、大丈夫だよ。だってあのおじさん天使を撃退したんだろ?……俺の横に跳び乗ってみて」

「ほんどに?じゃあ、やってみるよー。えい!」

ゲン太は跳び、見事、塀の上の龍の横に着地した。それを確認した龍之介は

「よし、新たな仲間の元へ行くぞ」


龍之介の提灯に照らされて、突如現れた二人の姿が露わになる。二人とも幼稚園児くらいの小さな子供で、真っ裸である。一人は男の子で、平気でチョーと立ちしょんをしている。もう一人は女の子のようで、男の子の斜め後ろで

「うえ~んうえ~ん」

と滝のように大量の涙を流して泣いている。

「おいおいガキかよ。……俺はガキは苦手だな。龍、こいつらなんとかしてくれ」

龍之介もどっちかといえばガキじゃない?と龍は思いながらも、ちっちゃいちんこをブルンブルン振っている男の子に近寄り、しゃがんで目線を下げ、

「君、名前は何ていうのかな?後ろの子はお友達?」

男の子は真っ直ぐに龍の目を見て、

「僕はペイだよ。それで、これが妹のポイちゃん。僕たち、お空から落っこちてきたんだよ」

龍之介は龍の耳元で、

「おそらくこいつらは飛行船から落ちてきた元奴隷だ。厄介なものを見つけちまったな……。どうする?いっそのこと天使に襲わせるか?それとも放っておくか」

と囁く。龍は少しの間う~んと考える。確かに面倒くさそうだけど、子供の安全が第一だと思い、

「いや、この子たちを見殺しにはできないよ。二人でおんぶして安全に連れて帰ろう。そうすれば、天使に襲われなくても済むんじゃない?」

げげ⁉ と龍之介はぶったまげて、

「お前、正気か?俺、服が濡れるしおんぶするの嫌だぜ……」

「ポイちゃんを泣き止ませればいいだろ?多少服が濡れても気にするなよー」

と龍は説得して、ペイの方に顔を向け、

「ペイくん、これから家に避難させてあげるからね」

そして、ポイの方に近づき、よしよしと頭を撫でてあげて、

「ポイちゃん、もう大丈夫だからね」

ポイは少し泣き止み、龍の顔を見て、

「え?パパ?」

龍はニッと笑顔になり、

「パパじゃないけど……君を守ってあげる」


ポイはすっかり泣き止んで、龍之介の背中ですやすや寝ている。ペイは目をしっかりと開けて、龍におんぶされている。

「まさか天使も俺たちごと襲ったりはしねえよな?」

龍之介は珍しく怖がっているようだ。

「それは絶対ないっしょ」

「だよな」

龍之介は少し安心してよいしょっと跳び、塀の上に無事、着地した。龍とゲン太はその後に続いて、ピョンッと一斉に塀の上に跳び乗る。


ペイとポイは焚き火の手前に共用の段ボール箱を与えられて、二人でその上に座る。ついに、焚き火の周りを四つの方角で取り囲むような形になる。

「へへへ、じいが喜ぶかもな。じいはあんな顔して小さい子供が大好きなんだぜ」

龍之介は苦笑いした。龍は純粋に驚き、

「え⁉ あのじいが?……それは意外だな」

ポイは目を覚まし、キョロキョロと周りを見て、

「お兄ちゃん、ここどこ?」

ペイは与えられたあんぱんを半分に割ってはいっとポイに渡し、

「ここはね、家だって。……お外だけどね」

平気で立ちしょんしてた君が言うか!と龍はつっこみを入れたくなるがおさえる。


「皆、おはよう」

じいの前に龍之介、龍、ゲン太が横に並んでおり、ペイとポイは龍と龍之介の後ろに隠れている。ポイが龍之介の後ろで、幼稚園の朝の挨拶のように、

「せんせい、お・は・よ・うございます」

と丁寧にお辞儀する。じいは驚いた顔をして、

「お!なんか今かわいい声が聞こえてきたぞ」

えへっとニコニコしてペイとポイが同時に、龍と龍之介の間に顔を出す。じいは顔をくしゃくしゃにする程の笑顔になり、

「おうおう、カワイ子ちゃんが二人も!」

じいはしゃがんで、両手を広げ、

「さあ、二人とも、こっちにおいで」

キャッキャッ笑いながら、ペイとポイは走ってじいの胸元にギューと抱き着く。

「おじいちゃん、やさしいね」

「あたち、だーいちゅき!」

じいは二人をギュッと抱き締め、

「いい子だ、いい子だ。かわいそうに、こんな裸にされて……」

じいは二人から腕を離して、ポンッと二人の頭の上に手を置き、

「今、服を持ってくるからな。いい子にして待ってるんだよ」

じいが厨房に入っていくと、龍之介は苦笑し、

「な、言った通りだろ?」

「こんなにころっと変わるとはね……」

じいも単純なのか、子供好きなだけか……まあ、いい一面が見られたということで。龍は自分なりに納得した。



ウィーンガシャンッウィーンガシャンッと機械的で破壊的な音が下界の白い街の通りに訪れる。その音の主は、巨大ロボットだ。巨大ロボットは倉庫群前の通りをゆっくり歩いている。巨大ロボットの前には大きな荷車があり、巨大ロボットは荷車から二本突き出ている持ち手を持って押しながら歩いている。通りを挟んで倉庫群の反対側には大きめの家々がずらりと並んでいる。ふと、巨大ロボットが通りかかった家のドアが開き、小さな子供が走ってくる。

「わあ、ロボットだ!かっこいいー」

ドアの後ろからお母さんらしき人が現れて、

「勇太!行っちゃだめよ!」

だが勇太は言うことを聞かず、ロボットの所まで来てしまう。


神崎竜也は溶接面を被り、巨大ロボットの溶接作業をしている。ジジジッジジジッと火花を散らしながら、前よりもずいぶんと手際よく工具を使いこなしている。

雄也はベルトコンベヤーの横のベンチに座って、珍しく紙パックの野菜ジュースを飲んでいる。チューチューと飲み終わると、紙パックを握りつぶしてポイッとゴミ箱に捨てた。竜也の方を見て、

「おい竜也、そろそろ代わっていいぞ」

竜也は作業する手を止めて、工具をプレートの上に置き、溶接面をはずす。元気な竜也は笑顔を見せ、

「雄也さん、さっき野菜ジュース飲んでませんでしたか?」

少しからかうような言葉をかけた。だが、雄也はいつも怖いが、さらに怖い顔をして、

「竜也、笑ってる場合じゃねえぞ。今日は、お前が見るべき儀式がある」

竜也はサーと血の気が引いたようになり、顔が引きつる。

「儀式?……ですか?」

雄也は工場の外の方を顎で指し示し、

「あっちを見てみろ」

それは竜也から見て右の方であり、竜也は台を降りると、工場の外の様子がいつもと違うことに気づく。がやがやと騒がしく、人が集まっているようで、作業着を着た奴隷も数人、工場の外の通りの方を見物している。雄也は台の方に回ってきて自分の溶接面を被り、

「行ってこい、竜也!その目に焼き付けてくるんだ。……この世界の現実を」

竜也は雄也の言葉ではっと目が覚め、持っていた溶接面を投げ捨てて走り出す。


巨大ロボットが押している荷車の中には、3歳~5歳くらいの小さな子供が数人、楽しそうな顔をして乗っている。だが、通りの右側の一戸建て群の前にはその子供達の母親と思われる人たちが必死の形相で、

「健ちゃん!降りてきてー!」

「マリちゃーん!」

などと叫んでいる。また一人、小さな男の子が近寄ってきて、巨大ロボットは右腕を動かし、その子を拾い上げて、荷車の中に乗せた。


竜也は奴隷達の間をすり抜けて、敦子の横に来る。敦子は胸の前で腕組みをして、通りの方を見物している。竜也は周りの騒がしさに負けないように、大きな声で、

「アッコさん!何が起こってるんですか?」

敦子はいたって普通の様子で、

「まあまあ落ち着いて。もうすぐ分かるからね」

突如、目の前にたくさんの小さな子供がひょこりと顔を出している、大きな荷車が現れた。そして、その荷車を押す、5m級の高さの巨大ロボットの姿が露わになる。

竜也は、はっと息をのみ、周りの奴隷達は

「うわぉー」

と歓声を上げた。竜也はその迫力に圧倒されながらも、ふと疑問が浮かび、

「これって俺たちが作っているロボットですよね?」

と敦子に訊く。敦子はまんざらでもないという感じに

「そうだよ。それがどうかしたのかい?」

竜也は荷車に乗っている子供達を見ながら、

「ロボットは、一体どこに向かって、何のために、あんな小さな子供達を運んでいるんですか?……とても遊びには見えないんですけど」

敦子は少し冷たい目で、

「……あの子たちはね、実の親から切り離されて、上界の子供のいない裕福な家庭に養子として、引き取られるんだ」

「上界?上界ってどこですか?」

敦子は斜め上の空を指さして、

「あの、巨大なキノコのような巨樹のようなものがあるだろう?あのさらに上に裕福な人たちの住む街があるんだよ……」

竜也は空を見上げる。巨樹が空の半分を覆うようにそびえ立っている。

「あれの上に?……それじゃあ、子供達は二度と実の親に会えなくなるってことですか?」

敦子は竜也をいぶかしげに見て、

「そうだよ。でも、あの子たちは幸せになれるんじゃないの?だって裕福になれるんだよ?」

「そんなの間違ってる!」

竜也は声を荒げた。敦子も、周りの奴隷達も、驚いた顔で竜也を見る。竜也は少し声を抑えて、

「……俺は生前、養子でした。でも幸せじゃなかった。実の親がどんなに貧乏でも、小さい頃かわいがってくれた父さんと母さんに逢いたかった!」

竜也は涙が出そうになるのをこらえる。悲しみの気持ちは、巨大ロボットへの怒りに変わり、

「俺は、あのロボットを止める」

と決心して通りに出、歩き出す。敦子は竜也の迫力に少しうろたえるが、竜也の背に向かって

「竜也!そんなことしたらあんた、ケガどころじゃ済まないんだからね!」

だが、竜也は無視して巨大ロボットに向かって歩いていく。どんどん巨大ロボットのジェットエンジンや大きな二つの紫がかった半透明の羽のついた背に近づいていく。やがて、その背が目前に迫ったところで、

「竜也ー!」

と懐かしい、聞き覚えのある声がロボットの更に先の方から聞こえてきた。そこで、はっと竜也は我に返り、その声のした方を見る。

通りに出た一人の女がこちらに向かって手を振っている。やがて、愛子だ!と竜也は気づき、

「愛子ー!」

と呼んで走り出す。巨大ロボットの横を通り過ぎ、荷車の横も通り過ぎ、無我夢中に走る。愛子も走っていて、やがて二人はぶつかる程の勢いで抱き合う。竜也は愛子を強く抱き締めて、

「ずっと、逢いたかったよ」

愛子は竜也の右肩の上に顔を預けて幸せそうな顔をし、

「私も。ずっと、あなたのこと考えてた」

二人はゆっくりと体を離して、見つめ合う。

「竜也ー、なんか前よりもたくましくなったんじゃない?」

「え?そう?……ロボット作ってるからかな」

たくましくなった。愛子にそう言われると、なんだか嬉しい。竜也はほくそ笑む。

愛子は竜也の後ろの方を見て、

「ロボットってあの大きな奴?」

ロボットのことを訊かれて、先ほどの怒りがぶり返してくる。

竜也は後ろを振り返り、巨大ロボットをキッとにらみつけて、

「うん。でもあんな悪いことに使われるなんて……」

「そうねえ……私も聞いたわ。あの子供達は実の親と離れて、遠くの街に連れてかれちゃうんでしょ?」

「ひどい話だよね……」

だが竜也は、せっかく愛子と再会できたんだ、もっと楽しい話をしよう、と思い、顔を愛子の方に戻す。努めて笑顔を作り、

「愛子はさ、そっちの工場でどんなことしてるの?」

愛子はとびきりの笑顔になり、

「私はね、お父さんと一緒に皆の食事を調理しているの。大きな鍋とか釜でたくさんの人と協力して大量のご飯を作ってるんだよ。それがねーすっごく楽しいの!」

本当に楽しそうな愛子を見て、竜也はさっきまでの怒りを忘れるほど嬉しくなり、

「あ!もしかして、俺が毎日食ってるご飯も愛子たちが作ってくれているのかな?」

「うん!たぶん。色々な所に届けているらしいから」

「いつも、めっちゃおいしいよ!病院とか学校の食事より全然うまい」

「ほんとに?そう言ってくれると嬉しい」

二人は意気投合して楽しく、濃密な時間を過ごす。が、その時間もすぐに消え去る。ウィーンと竜也の背後に大きな音が迫ってくる。小さな子供をたくさん乗せた大きな荷車が二人の横を通り、それを押す巨大ロボットが来る。愛子の笑顔が消え、

「何なのよ、このロボット。怖い……」

竜也は巨大ロボットをにらみ、

「ロボット、お前、止まれよ」

だが巨大ロボットはこちらを見向きもせずウィーンと大きな機械音を立てて、通り過ぎていく。竜也は少し怒りがこみ上げてくるが、心配そうに竜也を見る愛子を見て、必死に抑える。ふとまた巨大ロボットに小さな男の子が近づいてくる。そして、その子の母親らしき人が、他の親とは違って、

「たっちゃん!行っちゃだめ!」

と通りに右の方から走って出てきた。

「たっちゃん!たっちゃん!」

泣き叫ぶ母親の声が、竜也の頭の中にもやもやとこだまする。もやもやしたものが竜也の目の奥の視神経で古いフィルムのような映像に変わる。


「たっちゃん、こっちおいで」

やさしそうな笑顔の竜也のお母さん。幼少期の竜也が走っていくとお母さんは抱き上げ、

「いい子いい子。ママ、たっちゃん大好きだよ」

頭をなでなでしてもらう。


「竜也ーどうしたの?」

どこかへ魂が抜けてしまったようにつっ立っていた竜也は、愛子の声ではっとなり、幼少期の記憶から現実に戻される。竜也は愛子を見て、それからその向こうの巨大ロボットに視線を移す。たっちゃんと呼ばれた男の子がついに、巨大ロボットの右腕に持ち上げられて、荷車の中に放り込まれた。その母親は、少しおびえた顔でそろりそろりとロボットの右横に近寄る。

「うちの息子を、たつみを返して下さい!」

ロボットはウィーンと顔を右横に回し、両目がピカーと光ってビュンッとビームを放つ。

「キャ!」

たつみの母親の足元すれすれの地面に、ピーと線を入れるようにビームが焼き付く。それを見た竜也は、

「許せない……」

と走り出す。愛子の横を通ると、愛子は心配そうな顔で、

「ちょっとちょっと竜也、何するの?」

竜也は愛子の少し後ろで立ち止まる。

「ごめん……でも、行かなきゃいけないんだ……愛子はここで待っててくれる?」

愛子は竜也の方を振り返る。

「……分かった。でも気をつけてね……」

竜也は黙ってうなずき、巨大ロボットに向かって走り出す。

やがて、巨大ロボットに追いつき、ロボットの左横を歩いて、

「ロボット!いくらお前がプログラミングされて命令で動いているとしても、こんなことはひどすぎるんじゃないか?」

その途端、ゆっくりと歩いていた巨大ロボットからは想像もつかない速さで、左腕がブンッと竜也の目前に迫り、視界が真っ白になる。それは、もの凄い威力の攻撃で、竜也は左横に吹っ飛ばされ、ズドンッと体の左半身が倉庫の壁の中に埋まった。

「キャぁぁぁ!竜也ー!」

愛子が必死の形相で走ってくる。竜也はだんだん意識が薄れていくが、それと共に激しい感情がこみ上げてきて、埋もれた左半身が急に熱くなる。フラッと壁から出ると、左半身が顔から足まで青い炎に包まれている。走っていた愛子は、

「えっ……竜也?……」

とその姿に驚いて絶句し、立ち止まる。竜也の左半身の炎はみるみる肥大して、それはやがて、金色に輝く竜の鱗に変わっていく。体の胴体から脚、腕、首に金色の竜の鱗が広がり、左手の先は竜の鉤爪に、左足の先は三本指の竜の足になる。頭の部分が、左半分だけ立派な角の生えた金色の竜の顔になる。腰の部分から大きな竜の尾が生える。金色の竜の翼が背中の左側と右側の両方から勢いよく生える。バサッバサッと両翼で羽ばたいて空中に躍り出る。

左から回り込んで、ロボットの頭の目の前に、竜也は飛んでくる。周りの群衆の目が一斉に竜也に向けられる。巨大ロボットはピカーと両目が光り、ビュンッと竜也をめがけてビームを発射する。竜也はビームが顔に当たる寸前でシュッとかわす。それからバンッと竜の足でロボットの頭を蹴った。ロボットはズルズルと蹴られた衝撃で後ろに下がる。ロボットは一瞬停止したようになるが、両腕をウィーンと上げて構えの姿勢を取る。急にブンッブンッと竜也に向けて両腕を振るい始める。竜也は空中で方向転換しながら、華麗にパンチをかわしていく。ふと、竜也は右目を開ける。それまで意識を失っていて、目の前に急に攻撃してくる巨大ロボットが現れたため、頭が混乱する。その一瞬の隙をついて巨大ロボットは右腕で、上から叩きつけてきた。竜也はザザザーと地面に着地して後ろに下がる。少し右手を下についた程度で、体勢は、ほとんど崩れてない。竜也は体に何か違和感がある。左腕を見下ろすと、金色に輝く竜の鱗で覆われた腕と竜の鉤爪になっている手が露わになる。

「なんだこれ?……」

考える暇なしに、巨大ロボットが左腕を振り下ろしてくる。竜也はとっさに左手の鉤爪でロボットの大きな拳を受け止めた。

「なんだか分からねえけど、とりあえず俺はお前と戦ってんだな?俺はお前の戦闘パターンはプログラミングで把握してんだ。……ぶっ壊してやる!」


戦いの最終局面。観衆が見守る中、ついに巨大ロボットがシューと停止する。竜也は巨大ロボットの顔の目の前で空中に飛び上がり、ロボットの顔を蹴る。

「お前の弱点は分かってんだ!」

こいつの弱点は、首だ。俺たちが溶接している部分。

少し後ろに下がった後、今度はさらに強く、渾身の一撃の蹴りを顔にくらわせる。

ジリジリジリと電気ショックのようにロボットの頭がピクッピクッと動き出して、ポーンと首から外れて後ろに吹っ飛ぶ。ゴロッゴロッと大きなロボットの頭が落ちて転がっていく。観衆もはっと息をのみ、一時の静寂に包まれる。ブルッブルッと巨大ロボットは壊れたように震えだし、畳まれていた半透明の紫色の羽が横に開いてジェットエンジンが点火し、ビューンと空へと舞ってあちらこちらへ制御不能な飛行をしながら遥か遠くに去っていく。

敦子や雄也たち奴隷は通りに出て、観戦していた。雄也はあっけらかんとして戦場を眺め、

「ありゃ……俺たちのロボットが……。アッコさん、ロボットを壊したあの気持ちわりぃ奴は何者っすか?」

「竜也だよ。まさかあの子が予言の子だったとはね……」

敦子の言う、予言の子とは、竜の神が少年に宿った際に奴隷達に告げたことだ。

竜也は左半身の竜がスーと消えて元に戻る。力尽きたように地面に落ち、ガクンッと膝をついて前のめりに倒れた。眺めていることしかできなかった母親たちが、一斉に荷車に駆け寄る。我が子を抱き上げ、皆、泣いて喜ぶ。

愛子は両手で目を伏せていたが、戦いが終わったことに気づき、そっと手を離す。目の前の光景に一瞬何が起こったか分からず、立ち尽くすが、倒れている竜也を発見して、

「竜也!」

と叫び、駆け寄る。竜也の体を起こし、頭を膝の上に乗せると、竜也の顔は死人のように青白い。

「竜也!起きて、死なないで!」

竜也はガフッと少し血を吐き、

「……だ、だいじょうぶ……生きてるよ」

だが、ウ~ウ~とサイレンが鳴り始め、下界の白い街中の赤いランプが光る。

ブンブンブンと上空から三機の軍用ヘリが降りてくる。

「なに?なにが起こってるの?」

三機の軍用ヘリが竜也と愛子を取り囲むように上空を飛行してきて、ヘリのドアが開き、数人のヘルメットを被った特殊警察がゾロゾロとヘリから跳び下りてくる。

特殊警察は地面に着地すると、拳銃を取り出し、愛子と竜也に銃口を向ける。

「キャ!……警察の人?……何ですか?」

愛子は怯えきっている。特殊警察は険しい顔で、

「あなた、その男から離れなさい!そいつは危険すぎる!」

「どうして?竜也は子供達とその母親を助けたのよ……その何が悪いの?」

特殊警察は手錠を取り出す。

「その男はこの王国の法令を破ったのだ。それは重い罪になる」

そして、愛子の手から無理やり竜也を引き離そうとする。

「嫌だ!私、もう竜也と離れたくない!」

愛子は泣きながら必死に抵抗するが、数人の警察に囲まれておさえられる。

竜也は手錠をはめられ、歩けないほどの状態であるため、担架が用意され、担架に乗せられてヘリへと運ばれていく。愛子は数人の警察に抑えられたまま、

「竜也を戻して!私の恋人なんです!」

だが、もう竜也はヘリに乗せられてしまい、そのヘリがみるみる上昇していく。

愛子は泣き崩れて、ガクンッと地面に膝をつく。

「……竜也ー……」

愛子を取り囲んでいた特殊警察もそれぞれのヘリに戻り、軍用ヘリ三機が上昇していく。通りの真ん中に一人ポツンと残された愛子。大泣きしながら、

「うわ~ん竜也ー。やっと逢えたのに、ずっと、一緒にいたかったのにー」

愛子の涙は止まらない。初恋が、終わった。


小さな城の中。二階のドアが開き、龍人が出てくる。階段を下りていくと、そこにケイリュウが待っており、

「王子様、大事なご報告がございます」

龍人の耳元に口を近づけ、

「下界から一名、監獄に入った者がいるようです」

と囁く。龍人は大きく目を見開き、

「もしかして、それは神谷龍ですか?」

ケイリュウは黒ぶち眼鏡をちょこっと上げ、目をぎらつかせて

「そういえば、そんな人もいましたね~。いいえ、違います。今日逮捕した者は下界の奴隷でして、名を神崎竜也と言います。この者は大変危険でして、あの巨大ロボットを完膚なきまで破壊したそうです」

龍人は目を大きく見開いたまま、

「ここ最近、そのような事件が続いて物騒ですね……。この王国にある迷信や呪いのようなものが現実に現れてきているのかもしれません」


夜になり、店を閉める頃のパン屋。

「お金ちょーだい」

ペイとポイは二人してじいに小さな手を差し出す。

「はい、ど~じょ~」

じいはニコニコして、ペイとポイの手に小銭を少しずつ渡す。その後ろで龍之介、龍、ゲン太がジ~とその様子を見ている。龍之介がチッと舌打ちし、

「どんだけじいはあいつらに甘いんだよ。あいつら、今日何にもしてねえぜ……」

龍は確かに龍之介の言う通りだと思うが、諦めることも大事だと感じ、

「まあ、しょうがないよ。あんだけかわいらしいんだから……」


シャーンシャーンと龍之介は段ボール箱に座ってひたすら剣を研ぐ。邪念を振り払うかのようだ。龍はそんな風に思いながらジ~と龍之介の手に持つ砥石を見つめる。

「龍之介、俺も剣を持ったからさ、なんか剣の手入れとかしたくてうずうずしているんだよね。もし、龍之介が嫌じゃないなら、その砥石貸してくれる?」

龍之介は剣を研ぐ手を止めて、

「あーこの砥石か。別にお前にくれてやってもいいぞ。どうせ拾いもんだし」

「いやいや貸してもらうだけでいいよ」

龍は内心、やった!と喜ぶ。ほらよ、と龍之介が砥石を投げてくる。龍は、それをキャッチして、嬉しくなり、

「ありがとう……」

シュッと背中の剣を抜いてゆっくりと刀身を研ぎ始める。


じいは大きめのゴミ袋を持ってニコニコしている。

「ペイちゃんポイちゃん、ゴミはいくつ拾えるか~な~?」

ペイとポイはあちらこちらに歩き回り、落ち葉や木の枝、鳥の羽などの小さなゴミを拾っている。ペイは

「僕、いっぱ~い拾えるよ!」

ポイも負けじと

「あたちもあたちも!」


龍之介は小川の前に座って釣りをする。ゲン太も横に座っている。

「おいゲン太、もう春も終わる頃でこんなにのどかな休日なのに、なんで一匹も魚が釣れねえんだよ!」

ゲン太はまたあのボロボロのTシャツに短パン姿で立ち上がり、

「えっへ~ん僕はね、釣り名人なんだー。だから僕に任せてよ」

河原の方ではペイとポイがキャッキャッ騒ぎながら追いかけっこをしている。その奥では、龍がまるで見えない敵と戦っているかのように

「は!は!とう!は!」

と汗を流して剣を振る。


厨房の壁に貼ってある6月のカレンダー。綾香の手が6月のカレンダーをビリッと破り、7月のカレンダーになる。

「皆、そろそろ夏休みだよー。暑くなってるけど、頑張ろうねー」

龍之介はチッと舌打ちし、

「休みっつっても金はもらえねえし、暇になるしいいこと一つもねえけどな」

龍は冬の頃は短髪だった髪が随分と長くなり、四角錐がたくさん生えたようなツンツンの形、龍人に似た髪形になってきている。

「そうか、もう夏か。俺もそろそろ覚悟を決めないと……」

時間ばかりが過ぎていく気がする。一刻も早くしずくに逢いたい。龍は自分自身を引き締める。


パン屋の壁にはピザを作るための窯があり、灰がたくさん被っている。じいは灰カキで灰を下に落としている。

「ペイちゃんポイちゃん、た~んと掃くんだよ」

「は~い!」

ペイとポイは小さなほうきでせっせと下に落ちた灰を掃く。


ペイとポイは素っ裸で小川に入ってキャッキャッ騒ぎながら水をかけあったり、バチャバチャ泳いだりする。龍之介とゲン太は河原の中央で、焚き火の上に魚焼き機を置き、釣ったばかりの魚を三匹ほど焼いている。

「うまそうだな」

と目を輝かせる龍之介。ゲン太はよだれを垂らしながら、うちわで火をあおって

「うん、おいしそー」

その奥で、龍は見えない敵と戦うように、

「は!とう!は!は!」

と剣を振る。


厨房の壁に掛けられた7月のカレンダー。綾香の手がそれをビリッとはがし、8月のカレンダーになる。

「いやー暑いねえー。龍くんは夏と冬どっちが好き?」

龍は少し考える。夏はやっぱり暑い。この長袖の服だと余計に暑く感じる。

「冬ですかねえ……冬の方が、厚着すればなんとかなるし」

「私も冬の方が好きだよ」

龍は少しドキッとして綾香を見つめる。綾香のきれいな瞳が見つめ返してくる。

龍は目をそらしてしまい、剣を振り過ぎてまめがたくさんできた右手を見下ろす。

綾香さんは素敵な人だ。でも、俺には想い続けている人がいる。だから、はっきりさせておきたい。龍は決心して、

「……俺、実は……綾香さんに隠していることがあるんです」

サッと綾香の耳元に口を近づけて囁く。上界に想い人がいること、その人に逢いに行かなければならないこと、などを伝える。龍が顔を離すと、

「いいじゃない!私は応援するよー!」

綾香はニコニコの笑顔になる。


じいは窯でピザを焼いている。その両脇にはペイとポイがいて、ピザが焼けていくのをじ~と観察している。

「ペイちゃんポイちゃん、焼き加減はど~お~かな?」

「え~わかんないよ~」

と困り顔のポイ。

「僕もわかんな~い」

ポイに同調するペイ。


焚き火を囲んで、皆がそれぞれの段ボール箱に座って夕食のパンを食べる。龍は、早く食べ終わって、まめだらけの右手を見つめる。やがて、よし!と気合いを入れて両頬を両手で叩いた後、

「龍之介、ちょっと話があるんだ……」

龍之介はパンの最後の一口を食べて、水筒の水をがぶ飲みし、

「なんだ?……あれか、女の話か?」

龍は強くうなずく。

「そうだ。しずくと逢えなくなってから半年が経つ……。だから、逢いたくてしょうがないんだ。俺は、準備ができたような気がする。……上界に行きたいんだ」

龍は最後の言葉に力を込めた。龍之介は右手こぶしの上に顎を乗せる。

「確かに、お前は随分と強くなった。だが、上界に行くには相当な激戦を乗り越えなければならねえ……」

龍は以前、龍之介が話していたことを思い出す。

「前に、龍之介、上界に行こうとしたことがあるって言ってたよね。思い出したくないかもしれないけど、聞かせてほしい……。上界に行く時にどんな戦いがあるのかを」

龍之介は指でおでこを押さえる。珍しく苦しそうに、

「俺は、あの中心のでけえ柱みたいな巨木の中で、俺の体の何倍もある巨大な鬼と戦ったんだ。……俺は大敗し、瀕死の状態にまでなった」

「鬼⁉ 鬼がいるのか?……俺はそいつに勝たなきゃならないってこと?」

顔を上げないままの龍之介は、

「……ああ。だが正直、今のお前のレベルでも勝てるかどうか保証はできない」

龍はしばらく黙って考え込む。真剣に考えているつもりが、頭にしずくの笑顔が浮かんできて、思わず微笑む。

「そうかぁ……でも、俺はあきらめない。あす、出発する」

龍之介は目を丸くして顔を上げ、

「え?もうアシタに?」

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