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美しき王国  作者: 無武虫
1/3

前編


夕焼け空。田舎の港町を一本の電車が走っている。

電車の最前列の車両の中。田舎のローカル線のようなこの車両の中は、さほど混み合っていない。俺の隣の老人は本なんか読んでいるが、別に大したこと考えてないのだろう。俺は今、スマホでネットサーフィンしている。イヤホンから聴こえる尾崎豊の歌は、今日の退屈でやるせない俺の気持ちを紛らしてくれている。

刺激が欲しいんだ。高校一年生もあと残り僅か。この一年、面白い、ワクワクすることなんか一つもなかった。高校生活なんてそんなもんなのだろうか?


私は晴れの高校生。今日はクリスマス・イヴ。でも私は独りぼっち。今日もきっと今までと変わらない夜なんだろうなぁとか思いながら私は哲学の本を読んでいる。

「次は、竹浦ー」

電車運転士の声がもやもやと聞こえた。なんか眠くなってきたなー。


電車は竹浦駅で停車し、人々が手でドアを開けて降車していく。車両の中に残ったのは、神谷龍かみたにりゅうと梅山しずくの二人だけである。

「ドアが閉まります。ご注意下さい」

シャーとドアが閉まり、電車が動き出す。

窓から、家々と田畑以外、何もない田舎の風景が見える。しずくは顔が本で隠れており、コクン、コクンと頭が本と一緒に横に動いて、横に倒れそうになっている。

「次は、終点、鬼ヶ浦ー」

やがて、鬼ヶ浦駅で停車する。龍はスマホから顔を上げて、立ち上がる。

「あれ?……終点だから、ドアが自動で開くはずじゃ……」

龍の頭は冴えている。イヤホンでガンガン音楽を流していても、終点でドアが自動で開くことくらいは記憶している。龍はドアへと歩いていき、

「……手動なのか?」

スマホを持っていない方の手でドアを開けようとする。

「嘘だろ⁉ 開かない!」


誰もいない、閑散とした無人駅。『鬼ヶ浦』と書かれた白い看板がある。ピューと空っ風が吹いて、ホームの落ち葉が飛んでいく。


龍はスマホとイヤホンをリュックにしまって、両手で、

「ふんっ!」

と無理やりドアを開けようとした。だが、ドアはびくともしない。

「ちょっと!運転手さん!開けて……」

前の運転席を見る。運転席には電車運転士がいなくなっている。

「消えた?……」

電車は、レールのないはずの進行方向に動き出す。

「何が起こってるんだ?……」

どう考えてもあり得ない、この状況。龍はどうしてよいか分からない。

龍は周りを見渡す。ふと、しずくに気が付く。しずくはまだコクン、コクンと頭が横に動いている。龍はしずくの前に来て、

「おい」

と声をかける。すると、ヒューンとついにしずくは右横の座席の上に倒れた。

龍は驚きあきれて、

(はぁ?こいつ、この状況で寝てんのか??)

龍は、次は大きめの声で、

「おい!起きろ!」

「わぁ!」

しずくは目を覚まし、起き上がる。本は床に落ちて、隠れていたしずくの顔が現れる。美人ではないが、クリッとした目に小さな鼻、口紅を塗ったように赤い唇に小さなあごのかわいらしくて幼げな顔だ。目の前の龍を見上げると、

(キャ!嘘!……イケメン!)

頬を染めて見とれてしまう。その後、はっとして、

「ん?ん?……」

と首を振って周りを見渡す。

「あっ!私、竹浦駅で……通り過ぎちゃった?」

「竹浦なんかとっくに通り過ぎてるよ。なぜだか知らんが、終点の鬼ヶ浦も過ぎて、電車は勝手にレールのないはずの所を走っているんだ。運転手もいない……」

「えっ!ほんとに?」

しずくは後ろの窓から外を見る。日は沈んでいて、外は暗くなっており、住宅街が見える。

「知らない街だぁ……」

しずくは龍の方に顔を戻し、恥ずかしそうに龍の顔をちらちら見ながら、

「あの~。あなたの名前は?……」

「俺は、神谷龍。鬼崎高校一年だ」

「わ、わたしは、梅山しずくです。横山高校一年です」

龍はしずくの顔を見つめて、

「へ~同い年かぁ……。意外」


電車はレールのない、雑草ばかりの荒れ地を走っている。ふと、雪が降り始める。


龍は窓の外を見て、

「あっ雪だ」

「え?」

しずくも後ろを振り返って窓の外を見る。住宅街に雪が降っている景色は、とても美しく、

「……わあ……。きれい……」

見とれるしずく。だが、龍は重大なことに気づく。

「待てよ……。海が見えないか?」

「え、どれどれ……」

しずくは目を凝らして外を見るが、

「えー見えないよー」

「確か、ここは港町……。もしかして!このまま電車が止まらなかったら、海に落ちるのかも!」


電車は海にぐんぐん近づいている。ふと、電車の前方に短いトンネルのようなものが見えてくる。


二人はトンネルには気づいてないようで、海をやっと認識したしずくは、パニックになり、

「キャッ!海に落ちる!」

「……このまま死ぬのか?」


岸から海に向かって短いトンネルが突き出ている。そのトンネルの中へと、電車は入っていく。


しずくは目を閉じて頭を抱えており、龍は立ったまま周りを見渡す。

「なんだ?……トンネル⁉ 」


トンネルの内側には木の枝や蔦が張り付いている。その中を電車は通っていく。


トンネルを出た先にはだだっ広い草原が広がり、その上に電車のレールが敷かれている。二人を乗せた電車がトンネルから出てきて、緩い坂を降り、草原の上を走っていく。


「ここは……どこだ?」

電車の窓から見える外は、何もない真っ暗な空間のようだ。龍はしずくから離れて前の方に行く。窓から外を眺めると、電車の明かりで草原が見えて、

「何⁉ ……草原?……」

一方、しずくは目を開けて顔を上げる。

「あれ?……落ちてない?……あっ!龍くんがいない!」

しずくは首を振る。龍を見つけると、

「あ、いた。よかったぁ……」

学生鞄を右肩にかけて、龍の元へ駆け寄る。龍の隣に来ると、龍は呆然と窓の外を眺めていて、

「どうしたの?」

としずくは龍の視線を追う。すると突然、

「ブフォン!」

という轟音とともに、二人の目の前の窓の外に大きな翼を生やした巨大な黒紫色の竜が現れる。

「わあ!」

「きゃあ!」

二人は同時に床に尻もちをつく。巨大な竜はバサッバサッと大きな翼をバタつかせる。ビリビリッと風圧で窓が割れそうなほど揺れて、竜は次第に遠ざかり、天空へと飛び去っていく。二人は唖然として、口をポカーンと開けており、

「……今のは何だったんだ?……巨大な竜?……」

龍はおもむろに立ち上がるが、しずくは腰を抜かしてホケーと窓の方を見たままだ。龍はそんなしずくを見て、

「しずく、……だっけ。大丈夫?」

と右手を差し出す。しずくは、はっとなり、その手を借りて立ち上がる。よろけそうになりながら、

「あ、ありがとう……」


草原の上にレールが長く続いている。その先の、少し離れた所に巨大な赤っぽい壁が見えてくる。


龍は呆然と立ち尽くして窓の外を眺めている。しずくはその横顔をちらちら見ながら、両手の人差し指を交差させてもじもじしている。やがて、両手を後ろに回して、

「あの~龍くん、……。龍って呼んでもいいかな?」

龍はしずくをチラッと見て、

「いいよ。……俺も普通にしずくって呼んだし」


巨大な壁の少し手前で電車のレールは途切れており、そこへ電車がスピードを落としてやってくる。そして、停車する。


「おっ!止まった!」

龍は一番前の左側のドアに駆け寄っていく。

「待って!」

しずくも龍を追いかけていく。しずくが追いつくと龍はドアを手で開ける。

「やったぁ!開いた!」


電車から草の上に二人は降りて

「さぶっ!」

「ほんとだ、寒―い!」

と外の寒さに震える。龍は電車より前方に歩いていく。草の生えてない所に来ると、目の前には赤いレンガでできた巨大な壁が見えてくる。龍は立ち止まり、

「壁?……」

高さは二十メートル程で、横に果てしなく続いている。龍たちの目の前の所には、真ん中に縦に大きな切れ込みが入っている。壁の一番上の、切れ込みの両サイドにはガス灯がついており、その明かりが龍たちを照らしている。

「大きい……」

しずくも龍の隣に来て巨大な壁を呆然と眺める。二人の吐く息は白い。ふと、電車が逆方向に動き出す。

「あっ!戻っちゃう!」

と気づいて後ろを振り返った時にはもう電車がだいぶ離れていて、

「もう、だめだ。帰れない……」

龍は普通の日常に戻ることを諦めた。壁の方から

「ガチャン!」

と大きな音が響く。二人が壁の方を見ると、

「キキキキキー……」

真ん中の切れ込みが横に広がって、壁が両開きの扉のようにこちら側に開いてくる。やがて、完全に開いて、ガチャンッと止まる。

「あ……街だ……」

「と、とりあえず入ってみる?……」

龍は黙ってうなずき、壁の中の街に向かって歩き出す。


二人は広い道を歩いてくると、突き当たりにアメリカの田舎町にあるような一軒家を発見する。その家には豪華なクリスマスの飾り付けがされている。

「もうクリスマスだっけ……」

「うん、……。今日が、クリスマス・イヴ」

しずくは少しだけ期待していた。一人じゃないクリスマス・イヴ。しかも初恋の人と過ごすクリスマス。

二人は周りを見渡す。同じような一軒家が、横に細長く続く道を挟んで両側に何軒も並んでいる。ほとんどの家にクリスマスの飾り付けがされている。家と家の間には、クリスマスツリーや大きな茂みがある。

「人が、住んでいるのかな?……」

龍は不思議に思ってぼやいた。人の気配を感じないが、人工的なものはある。

「ちょっと歩いてみようよ」

二人は細長い道を左の方に歩いていく。しずくは家を眺めながら歩いて、

「こういう家って見たことないよねー」

「クリスマスの飾りがすごいね……。まるで、外国みたい」

家々を見物しながら歩いていると、しずくはある家の前で立ち止まる。

「わぁ……かわいい……」

その家はピンクで彩られた飾り付けで、幼い女の子が喜びそうな感じだ。

一方、龍はその反対側の飾り付けが質素な家の前で立ち止まり、眺めている。

「なぁしずく、……この家に訪ねてみないか?」

しずくは龍の方を振り返り、

「えーその家、ださーい」

「いや、他の家に比べて落ち着いた感じじゃない?」

しずくは不満げな顔をするが、しぶしぶ龍の方についていく。


暗い緑色のドアを、龍はトントンとノックする。その後ろにはしずくがいる。

「すいませーん!誰かいませんか?」

と言った途端、勢いよくドアが開き、

「子供はいないぞ!」

もの凄い形相で拳銃をこちらに向けた白髪のおじいさんが現れた。

龍、とっさに両手を上げる。おじいさん、二人の顔と服装をじっくり眺める。二人に緊張が走る。

「なあんだ。死んだ魂か……」

拳銃を下ろしてドアを閉めようとする。龍、そのドアを引き留めて、

「待って下さい!……死んだ魂ってどういうことですか?」

おじいさん、振り返って

「電車に乗ってきただろう?あれは、死んだ人間が乗ってくるんだ。お前さんたちは死んだんだよ」

龍としずく、驚いて顔を見合わせる。

「死んだって……。俺、何も身に覚えがないんだけど……」

「私も……」

「ここにいる人間は皆、一度死んでいるんだ。お前たちみたいな子供は奴隷として連れていかれるから、気をつけなさい」

そしておじいさん、またドアを閉めようとする。

「ちょ、ちょっ待って!」

龍は慌ててドアを引き留めた。

「奴隷ってどういうことですか?……。それと、俺たちどこかに泊めてもらわないと」

おじいさん、ゆっくりと龍の方を振り返って

「泊めることはできない。死んだ子供の魂をかくまうと、私が国に罰せられてしまう。ここは天国じゃないんだ。奴隷というのは、天国に行けない子供や若者たちがひたすら働かされる、そういうことだ」

龍としずくは絶句する。

「兵士に見つからないように、どこかの茂みに隠れなさい。兵士に見つかれば捕まってしまう」

そう言い残して、ドアをバタンッと閉めた。

龍としずくはその場で動けず、沈黙が流れる。やがて、龍はしずくを見て、

「……どこかに隠れるしかないのかな……」

「……そう、みたいだね……」


二人は来た道を戻っていく。龍は家と家の間にある大きな茂みを指さして、

「こういう茂みの後ろに隠れられるかな?」

「分かんないよ……」

すると、遠くの方から、

「ジングールベール、ジングルベール鈴が鳴るー。今夜も楽しい街警備♪」

と歌声が聞こえてくる。

「やばい!誰か来た!」

龍、とっさにしずくの手を掴み、

「しずく、隠れるぞ!」

大きな茂みに近づいた途端、

「わぁ!」

「キャッ!」

二人はその茂みの中に吸い込まれた。


二人は周りを見渡す。そこは不思議な空間で、草で覆われているはずの所が透けており、360度、中から外が見えるようになっている。

「なんだこれは……」

「……でも、隠れ場所としてはいいかも」

女の子座りのような恰好の龍は、目の前の透けた所に手を伸ばしてみる。

「壁だ……透けた壁に取り囲まれてる?」

茂みの外の目の前の道に長い二つの人影が現れる。しずくは小声で

「誰か来たみたいだよ……」

話し声が聞こえてくる。

「ここら辺にいるはずなんだけどなぁ」

歩いてきたのは、青い兵士服と帽子を身に着けた二人の兵士だ。片方の兵士はチビでデブであり、もう片方の兵士はのっぽである。二人の兵士は茂みの前で立ち止まる。チビデブの兵士、茂みを指さして

「ここじゃね」

チビデブの兵士が茂みに近づいてくる。龍としずく、はっと息をのみ、後ずさりする。兵士の顔が目前に迫ってくる。その顔はブチャブチャで、鼻が真っ赤に腫れている。

「なーんてな。こんな所にはいねえか」

と笑って離れていく。

だが、のっぽの兵士は手に持ったレーダーと茂みを交互に見て、

「でもなんか匂うんだよな……長年のカンというか。レーダーも反応してるし」

「気のせいじゃね。次行こうぜ次」

そして、二人の兵士は去っていく。

「危なかったー……」

二人は胸を撫でおろす。

「でも、あの兵士はレーダーを持っていた。気づかれるのも時間の問題かもしれない」

「大丈夫よ。だってあの兵士たちは私たちのこと見えてなかったし、この中にも吸い込まれなかったじゃん」

「う~ん……」

龍はまた透けた壁に触れる。ある事に気づき、

「もしかして……。俺たち、また閉じ込められたんじゃないか?」

「え?……出る方法とかないの?」

龍、透けた壁のあちらこちらを叩き始める。

「嘘!出られない?」

焦る龍の手が何か突起物に触れた。そのボタンをぽちっと押してしまい、

「あっ……今なんか押した」

その途端、二人の間の地面に穴ができる。その穴はみるみる広がり、二人の足元の下に真っ暗な異空間が広がる。

「なにこれ⁉ 」

しずくが気づくと同時に、

「ピンポーン」

と音が鳴り、二人は異空間へと落ちていく。


二人は真夜中の空に放り出された。真っ逆さまに落ちていく。ビューと強い横風を受けて、

「うわぁぁぁぁぁ!」

「きゃぁぁぁぁぁ!」

二人の叫び声は風にかき消される。

ふと、はるか下の方に二つの小さいが強くて青い光が見えてくる。その光が近づいてくると、だんだん光が発せられている所の全容が明らかになる。それは、不思議な形の大きな飛行船だ。上から見た飛行船は、ヨーロッパの華やかなお城のようである。船首の方は広い芝生の甲板のようで、そこから二つの光が発せられている。

二人は、その光に向かって落ちていき、甲板がみるみると近づいてくる。

「わああああ!」

光の発している円状のものに頭がぶつかりそうになった瞬間、フワッと体が浮き上がった。全身が生温かく青い光に包まれて、体の上下が反転し、頭が上になっていく。視線がゆっくりと上がっていき、目の前にぼんやりと人の姿が映る。

それは、次第にはっきりとしていき、黒いスーツに赤いネクタイの執事のような姿をした男が現れる。

「王子様、お姫様、ようこそ夢と緑の空飛ぶお城へ。私は執事のケイリュウと申します」

ケイリュウは深々とお辞儀をする。その髪はぴっちりと固められている。

龍としずくの足元の青い光が消え、二人は緑の芝生のカーペットの上に降り立つ。

「王子様、お姫様、お食事の時間です。さあさあこちらへどうぞ」

「王子様?……」

「お姫様?」

「……それってどういうことですか?」

ケイリュウは黒ぶち眼鏡をひょこりと上げて、

「え~とですね~。要するにあなた達は選ばれた魂6666ということでして、わが王国はあなた方を王子様とお姫様として迎え入れることになったのです」

「俺たちは選ばれた魂……」

二人とも唖然とする。

「……俺たち死んだんですよね?それで天国の王子様になるってことですか?」

歩きかけていたケイリュウは立ち止まって振り返り、

「ええそうです。あなた方はこの飛行船が向かう美しい王国、いや、天国と言っても良いでしょう。そこの王子様お姫様となるのです。それではあちらでお食事をご用意致しましょう」

と二人をテラス席へと案内する。芝生の上を歩いていく途中、龍は飛行船の中央を見上げる。ガラス張りの窓から光が漏れる、大きなお城のような建物がそびえたっており、とても華やかな様子である。

龍はテラス席の船首側のイスに、しずくはお城側のイスに座る。二人が荷物を下におろすと、ケイリュウはドリンクメニューを持ってきて、

「お飲み物は何に致しましょう?」

龍はメニューを見て、

「コーヒーで」

しずくは驚いて、

「コーヒー飲めるんだーすごい!私は紅茶でお願いします」

「かしこまりました」

ケイリュウは城の方に去っていく。そして、すぐに飲み物を持ってくる。龍の目の前にコーヒーカップが置かれ、

「ブラックのコーヒーでございます」

湯気を立てながらカップにコーヒーを注いでいく。龍はコーヒーの香りをかいで、一口飲む。

「あつっ!そして苦っ!」

しずくの前にはカップと紅茶の入ったポッドが置かれる。

「お好みでこちらの砂糖をお使い下さいませ」

と個包装の砂糖を指し示して、去っていく。しずくはポッドの中の紅茶をカップに注ぐ。砂糖の袋を開けて、紅茶の中に全部入れる。一口飲むと、

「甘っ!」

とベロを出した。

「そりゃあそれだけ砂糖入れれば甘いだろ」

龍がつっこむと、

「あなただってコーヒー飲めるとかいう顔しながら苦っとか言ってるじゃない」

「しょうがないだろ」

「お互い様ね」

二人に笑いがこぼれる。そこへ、ケイリュウが食事のメニューを持ってくる。

メニューには、パスタAセットとBセットがある。龍はすぐに決めて、

「Aセットで」

「私もAセットでお願いします」

ケイリュウが城の方に去っていくと、

「なんだかデートみたいだね」

しずくは少しはしゃいだ様子である。龍は顔を赤らめる。しかし、龍は今の状況とこれからの事について心配し、考え込んでいた。

ケイリュウが料理を運んでくる。

「セットの大エビのサラダでございます」

サラダにぷりぷりとしたエビが載っている。

「こちらのエプロンをおかけになって下さい」

二人にエプロンが渡される。ケイリュウが去ると、龍はエプロンをかけながら、

「しずくはさー、この状況どう思う?」

しずくはエビにフォークを刺して、

「私はー、そんなに悪くはないなーって思ってる」

しずくの意外な言葉に龍は驚き、

「どうして⁉ 」

「だってーお姫様になれるみたいだしー、天国に行けるしー」

「でも天国がどんな場所か分からないし、そもそも俺たち死んだっていう自覚もないだろ?」

「そうだけど……。執事のケイリュウさんが美しい王国だって言ってたじゃない?悪い所ではないかもしれないよ」

「……う~ん……」

龍は考え込む。だがいくら考えても分からない。そこへ、料理が運ばれてくる。

「魚介のトマトスープスパゲティでございます」

しずくは真っ先に料理に手をつける。

「あれこれ考えてもしょうがないよ。なるようになる。ほら、早く食べないと冷めちゃうよ」

二人は黙々と料理を食べる。しずくはあっという間に完食し、

「は~あ、おいしかった」

龍はまだ半分も食べ終わってない。

「早く食べないとあなたの分まで食べちゃうわよ」

「食べられる気分じゃないんだ」

結局、半分残してごちそうさまをする。ケイリュウが食器を片づけに来て、片づけ終わると、

「次はお着替えの時間です。あちらのお城へ案内いたしましょう」

二人はまだ制服姿である。二人は荷物を持って立ち上がる。

「何に着替えるんだ?」

ケイリュウは意味深な笑みを浮かべて、

「それは行ってからのお楽しみです」

やがて、お城の目の前に来ると、

「あちらの左の方のドアがmenで右の方のドアがwomenでございます」

龍としずくは二手に分かれて、それぞれのドアを開けて中に入っていく。


龍が中に入ると、大きな髪飾りをつけた小太りな侍女が手ぐすね引いて待っていた。

「ようこそ、王子様。さあさあこの鏡の前にお立ち下さい」

龍は言われるがままに鏡の前に立つ。鏡に映っている龍の背後には、赤やベージュ、黄色や緑など様々な衣装が並んでいる。

「それではお荷物を預かりますね」

「あ、はい……」

龍は侍女にリュックを渡した。侍女、リュックをかごに入れた後、衣装をハンガーラックから取って、次々と龍の前に当てていく。

「どれもお似合いですね~、王子様」

やがて、龍の前に朱色の長袖に長ズボンの王子服を当てると、

「特にこれがお似合いですね」

その服の右肩の部分には金色の竜のマークが縫い付けられている。

「あ……いいかも」

龍も気に入った。その服に着替える。

執事のケイリュウが部屋の中に入ってきた。

「なかなかお似合いですね~」

とニヤニヤして、

「では、こちらへどうぞ」

お城の内側のドアへと案内する。


ケイリュウがドアを開けて出て、続いて龍も出る。そこは、天井の高い広い空間で、目の前では豪華な衣装を着た、たくさんの男女のペアが社交ダンスを踊っている。

突然、電気が消えて真っ暗になる。天井から、龍にスポットライトが当てられる。

「この度、めでたくご結婚される、王子様とお姫様の登場です」

アナウンスが流れた。会場の全員が拍手する。

ふと、龍の反対側、斜め右の方にスポットライトが当てられる。現れたのは、朱色のドレスを着たしずくである。

「……あれはしずくか?」

「ええ、そうです。朱色のドレスがよくお似合いですよね。王子とつり合いが取れています」

「さっきアナウンスでご結婚、とか言ってたよな?そんなの聞いてないぞ」

「そりゃ王子様とお姫様ですから、ご結婚されるのは当然のことでしょう。つべこべ言わず、さああそこの席へと、お座り下さい」

龍は不満に思うが、仕方なく新郎新婦席へと歩いていく。しずくと共に席に座るとスポットライトが消え、全体の明かりがついた。

「それではデザートの時間です。苺のショートケーキになります」

アナウンスが流れると、人々は踊りをやめ、白いテーブルクロスの敷かれたテーブル席につく。

龍としずくの前に苺のショートケーキが運ばれてくる。

「おいしそー」

としずくはウキウキ気分である。一方で龍は心底嫌に思いながらショートケーキを見ている。

「ねえ、龍、私のドレスどう?似合ってる?」

「うん、似合ってるよ」

龍は素っ気なく答えた。

「なんか元気ないね」

「……そりゃいきなり王子様だとか結婚だとか言われれば頭が混乱するよ」

「普通はそうかもしれない。でもね、私は受け入れることにしたの。お姫様だって悪くはないし、龍と結婚できるなら……」

しずくは頬を赤らめる。

「とりあえずくよくよ悩んでないで、ショートケーキをおいしくいただこう、ね?」

しずくはフォークでショートケーキに手をつける。

「うん……」

龍は感情のこもらない返事をした。



飛行船の下部の中。全裸の老若男女がひしめき合っている。全体は人間の腸の中のような形をしていて、真ん中に通路がある。通路の後ろの行き止まりにトイレがあり、行列ができている。通路の中央では、数人が歩いていて、その中に一人の青年、

神崎竜也かんざきたつやがいる。竜也は金髪で目が大きく切れ長で、端整な顔立ちをしている。竜也は周りを見渡す。

壁から出ているひだのような突起物と突起物の間に人々が寝ている。人々には皆、肩に4桁の番号が刻まれており、竜也の番号は4999。

「ガラガラ」と前方から通路に食事の入った棚が、全身白ずくめでマスクをつけた二人の職員によって運ばれてくる。「バンッバンッ」と棚が開けられ、職員が番号を呼び、食事を配膳していく。

「3876番、はい。4999番」

竜也の番号が呼ばれた。竜也はお盆に載った食事を受け取り、座る場所を探しながら歩く。頭の禿げかかったおじさんが竜也を見て手招きしている。竜也、おじさんの口元を見ると4999番と言っているようだ。竜也はそのおじさんの前で立ち止まり、あぐらをかいて座る。おじさんの隣には巨乳の女の子が座っており、竜也をちらちら見て頬を赤らめている。

「うちの娘が君と話をしたいって言うからさ、話してやってくれないか?」

「あっはい」

竜也は箸で食事を口に入れながら、

「名前は?」

「唐澤愛子、17歳」

「俺も17だよ」

竜也は愛子の巨乳が気になって仕方なく、目がそっちばかり行ってしまう。それを察した愛子は、

「私のこれね、コンプレックスなの」

「へえ~そうなんだ」

竜也はしらを切る。話題を変えて、

「愛子はさ、この状況どう思う?」

「すっごく不安。だってどこに送られるのかもわからないし……」

「俺も同感。急性白血病で入院して病院で寝たきりになっていて、ある日目が覚めたらここにいたから、わけがわからないよ」

愛子は隣のおじさん、愛子の父をチラッと見て、

「私も。交通事故で意識がなくなって、目が覚めたら目の前にお父さんがいて……。お父さんと再会できたのは嬉しかったんだけど……」

「再会ってことはすでにお父さんは亡くなっていたってこと?」

そこで愛子の父が口を開く。

「そうだ。私はおそらく一ヵ月前には死んでいる。私の推測ではここにいる人間は皆死んでいるのだよ」

「やっぱり俺は死んでしまったんだ……」

竜也はがっくりとうなだれる。

「この船はどこへ向かっているんですかね?天国ですか?地獄ですか?」

「おそらく天国ではないと思う」

「そっかぁ……」

竜也は不安に駆られてうつむく。


龍としずくはケーキを食べ終わり、ケイリュウがお皿を片づける。

「それではお部屋にご案内します」

ケイリュウは階段を上って、二階の小スペースに向かっていく。龍としずくも立ち上がり、ケイリュウについていく。

二階の廊下は、床や壁に豪華な装飾がされている。ケイリュウ、龍、しずくはそのホテルのような廊下を歩いていく。ケイリュウはある部屋の前で立ち止まる。部屋のドアには『VIP』と書かれている。ケイリュウはドアの鍵を開けて、

「こちらへどうぞ」

龍としずくは部屋の中に入っていく。

暖色系の薄暗い電気がついており、中はホテルのスイートルームのようだ。

「いいお部屋だね」

「うん」

「それではごゆっくりお過ごしください」

ケイリュウはドアを閉めた。部屋の右の方にダブルベッドが一つあり、

「今日はいろいろあったし、疲れてるからもう寝よっか」

「うん……。でも、ベッド一つしかないよ。俺、床で寝よっか?」

「いいよ、いいよ。変なことしなければいいから」

二人はベッドの中に入る。少しの間、沈黙が流れる。龍は切り出す。

「……今日あった事って本当なのかなぁ?夢じゃないのかな?」

「夢じゃないと思うよ。だって二人の夢が交錯しているなんてありえないじゃない?」

「夢だったらいいのになあ……」

「……朝起きてみれば分かるよ。それじゃ、おやすみ」

「おやすみ」

龍はなかなか寝れないでいるが、しずくはすぐにスースー寝息を立てて眠りにつく。だが、少し経つと龍もウトウトし始めて、眠りにつく。


「うわあ、やめてくれ!」

龍はまどろみの中で叫んだ。龍は全裸にされ、4人の男どもに運ばれている。

「いっせーのーせっ」

掛け声と共に龍は体ごと飛行船の外に投げ出された。

「うわぁぁぁぁぁ」

暗闇に落ちていく龍。


「ガンッ」と龍は地面に頭を打ちつけて気絶した。


全裸の龍は草原の上に横たわっている。パチッと目を覚ますと、目の前には青空が広がっている。体を起こすと、

「痛っ」

頭痛に襲われて右手で頭をおさえる。

「ここはどこだ?」

周りを見渡す。前方には塀が横に果てしなく続いており、その周り一帯が草原だ。塀には門があり、門番が二人立っている。

「あれ?俺、電車で学校から帰ってたんだよな……」

そっからの記憶がない。何か、強烈な出来事があったような気がして胸がざわつく。

「うわっなんで裸?……」

龍は自分の体を見る。

「いったい何が起こってるんだ?」

混乱して頭がぼやけた薄霧の中のようだが、おもむろに立ち上がる。塀の方を見る。

塀の向こう側には街が広がっており、

「なんだ?あれは……」

街の上空を覆う分厚い雲が少し消え、街の中心部が現れる。街の中心には、巨木のような一本の大きな支柱が立っている。

「……とりあえず行ってみるか」

その光景に少し好奇心をそそられて、龍は門に向かって歩いていく。


二人の門番は全身にピカピカ光る金属の鎧をまとっている。二人とも槍を持っている。龍が門の前までたどり着くと、

「何の用かね?」

片方の門番が目を覆う部分を上に上げた。

「気づいたらここにいたんです。街に入らせてください」

「それはできないな」

ジャラッと音を立てて二人の門番が門の前で槍を交差させた。

「不法入国者め。あっちへ行け!」

もう片方の門番が怒鳴って槍を龍の首元近くに突き刺す。

「うっ」

龍は槍をよけるようにしてよろめいた。

「……仕方ないか……」

理不尽にも程がある。全裸にされて不法入国扱いされるなんて……。龍はうなだれて、落ちた場所へと戻る。


草が風になびいている。龍はドカッとあぐらをかいて草の上に座った。

真上にある太陽がギューンと沈んでいき、空模様が急速に変化して夜になる。

暗闇の中、龍は丸く縮まって寒さに震える。

「さぶい……」

季節は冬であり、裸でいるため、寒くて仕方がない。とても寝られる状況じゃないが、それでもウトウトし始める。ぼんやりとした視界の中、塀の上にピョンと跳び乗る提灯とそれに照らされた竜の顔のようなものを発見する。

「?……」

龍は首を傾げて見る。その提灯を持った竜の顔が塀からこちら側へピョンッと跳び下りて草の上に着地した。そのままこちらへ走ってきて、龍の方へぐんぐん迫ってくる。龍の前で止まり、竜の毛皮のようなものをヒョコリと上げて、少年の血色の良い薄黒い顔が、提灯の明かりに照らされて現れた。

「よう。俺は龍之介だ。お前を迎えに来た」

龍之介は小柄な体型に似合わず、ドスのきいた声である。

「迎えに来たって……。俺のこと知ってるのか?」

「ああ。名前は知らんがどこから来たかは知っている。奴隷を運ぶ飛行船から落ちてきたんだろ?」

「奴隷を運ぶ飛行船?……」

「このレーダーに映ったんだ」

龍之介はポケットからレーダーを出して見せてきた。ピピピと点滅して動く船の形のマークがレーダーに映っている。

「この飛行船からスーと人のマークが落ちてきたんだ」

レーダーの下の方に人のマークが点滅している。

「ところで名前は?」

「俺は神谷龍」

「龍か。名前似てるな。気が合いそうだ。お前は奴隷だったのか?それとも飛行船のお客か?」

「……その飛行船とやらに乗った覚えがないんだ。電車に乗っていて、……そこからの記憶がない」

とても大事なことがあったような気がするが、思い出せない。

「そうか。それなら仕方がない。俺は飛行船に奴隷として乗せられていたんだ。お前も裸だから奴隷だったのかもしれないな……。それじゃ、行くぞ」

「待って、喉がカラカラなんだ。その腰に下げたボトルの中身は水かい?水ならもらってもいいかな?」

「いいとも」

龍之介、肩にかかったベルトを外して腰の水筒を差し出す。龍はそれを受け取り、ゴクゴクと一気飲みした。

「よし、行こう」

龍之介に連れられて龍は塀に向かって走る。門番が二人をジロジロ見ている。


龍之介がピョンッと軽々しく塀の上に跳び乗る。龍は塀の下から見上げて、

「龍之介ー。そんな簡単に跳び乗れないよー」

「いや、お前にもできるさ。この世界に来ると体が軽くなっているんだ。助走をつけて跳んでみろ」

龍之介の言葉には妙な説得力があった。

「……分かった」

龍は後ろに数歩下がる。そして、だだだっと走ってピョーンと跳び上がる。

塀を軽々と超える高さまで飛んだ。

「本当だ!体が軽い!」

と言った途端、ザッと黒い影が龍をかっさらっていく。


龍は何者かに左腕を掴まれ、ぐんぐん空へと上昇していく。龍の眼下で街がみるみる遠ざかっていく。

月の光に照らされてその何者かの姿の全貌が明らかになる。背中に大きな天使の羽が生えており、全裸で、パーマがかかったロン毛にひげ面のおじさん天使だ。脚や腕、胸にボーボーの毛が生えている。左手で龍の左腕を持ち、右手で煙草をスパスパ吸っている。おじさん天使はしゃがれた声で、

「よう、坊ちゃん」

龍は上を見て、

「お前は誰だ?降ろしてくれ!」

と喚いた。

「俺は天使だ。お前を降ろすことはできない。お前はこれから悪魔にその心臓を捧げるのだ」

「天使?悪魔?意味が分からないよ。早く降ろしてくれ」

ビューと冷たい風が吹き、龍は寒さに震える。

「降ろせって言ってんだろ!」

龍の声が太い何者かの声と重なって二重になった。龍の額に竜の紋章が現れる。

掴まれてない龍の右手から青白い光がピカーと溢れ出し、右手の周りを回る。龍は、その手をなんだ?と驚いて見る。そして、無意識のうちに右手が勝手に動いて、天使の腹を殴った。ズボッと腹にめり込んで、

「ガフッ」

と天使は唾と煙草を口から落とす。

「いてーなチクショウ!、なんてパンチ力だ」

苦しまぎれに喚いた。龍の右手の青白い光が消え、額の紋章も消える。龍は、呆然とする。

「あっウンコ出る」

天使がブリブリブリとケツからうんこをもらした。

「おーい悪魔ー」

ザーバサッバサッと羽ばたきながら前方に悪魔が現れる。悪魔は金髪のサラサラヘアーに紫色の二本の角を生やしており、目はつり上がっていて細く、鼻はツンと上を向いてとんがっている。全裸で、つるつるの美尻に美脚である。背中から紫色の大きな翼を生やしている。右手でリンゴをかじっている。

「めんどくせー奴拾ってきちまった。悪魔、バトンタッチしてくれ」

「了解」

悪魔、リンゴの皮をペッと吐く。

「行くぞー」

天使が龍を空中に放り投げた。

「わあ」

龍は空中で手足をばたつかせる。体が逆さまになって頭から落ちそうになった途端、ガシッと悪魔の左手が龍の右足を掴んだ。ブラーンと宙ぶらりんになってバンザイの格好になる。悪魔は甲高い声で、

「俺は悪魔だ。お前を頂上に連れていき、仲間たちと共にその心臓をいただく」

「ふっざけんな、何が心臓をいただくだ!」

龍は怒って腹筋を使って身を起こし、今度は意識的に悪魔のアゴを殴った。ガチッと歯と歯が当たる音がして、悪魔は食べかけていたリンゴを落とす。悪魔の頭の上で小さなひよこたちがピヨピヨ回り、悪魔はふらつく。そして、龍の足を手から離した。

「わああああ」

龍はリンゴと共に真っ逆さまに街の方へと落ちていく。


深夜の商店街の店は皆閉まっていて街灯もなく、真っ暗だ。そのうちの一つの店の屋根の上にヒュ~とリンゴと龍が落ちてきて、ガンッと屋根の出っ張った部分に龍は腰を打ちつけ、リンゴと共に屋根の上を転がり、ドテッと道に落ちた。

龍はうつぶせに倒れる。その3メートル先で龍之介が道のど真ん中で焚き火をして、焼き魚を食べている。竜の毛皮を被っておらず、背中に剣をつけている。

「いってー」

龍はゆっくり身体を起こす。目の前に龍之介の背中が見えて、龍はあれ?どっかで見たことあるような……と思う。

「おい、お前よく生き残ったな。お前が史上初だよ」

龍之介、後ろを振り向く。龍はあっ龍之介だ!と気づく。

「ずっと天使や悪魔に負けない強い奴を待っていた」

龍はそれを聞いてはっとなって怒り、

「じゃあお前、あそこで俺が天使にさらわれるのを知っていたのか?」

「ああ。いつものお決まりだからな」

「それで今まで何人の命を犠牲にしてきた?」

「15人くらいかな。皆、悪魔に心臓を喰われて死んだよ」

龍はぞっとなる。自分もあのまま連れて行かれたら心臓を喰われていたのだろうか。

「腹減っただろう。ほら、魚でも食え」

龍之介、まあまあとなだめるように言った。龍は意地を張って、

「いらない」

と断るが、途端にグゥ~と腹が大きな音を立てた。

「ほらやっぱり腹減ってんじゃねえか。俺ん家に行ったらパンやるよ。それに寒いだろう?毛布も貸してやる」

龍之介、よっこらしょっと立ち上がる。横にある水道の蛇口をひねって水を出し、先についたホースを火の所に持っていき、水で火をジュッと消す。水を止めて、薪を拾い上げる。

「よーしじゃあ、俺ん家行くぞ」

二人は店と店や家と家の間の狭い所を通っては道に出て、また狭い所を通っては道に出て、というのを繰り返しながら走っていく。


二人は開けた場所に出た。右側に小川が流れており、真正面に河原が広がっている。小川の右側の崖の上に、一軒家が立ち並んでいる。龍はその家々を指さして、

「あそこの家かい?」

「違うよ。ここだよ」

龍之介が指さしているのは河原の中央であり、段ボール箱がポツン、ポツンと二つ置かれている。『龍之介の家』と書かれた白いプラカードが地面に刺さっている。

「これが……家?……」

龍は愕然とする。龍之介は奥の段ボール箱を指さして、

「あそこがお前の席だ」

と言い、ザッザッザッと河原の小石の上を歩いていく。

プラカードと二つの段ボール箱を円の円周上にあると見立てて、その円の中心付近に龍之介がジャラッと薪を降ろす。ポケットからマッチ箱を取り出して、マッチ棒にシュッと火をつけ、しゃがんで薪に火をつける。ポッと火がつき、徐々に広がる。

龍之介の顔が火の明かりに照らされる。龍之介、立ち上がり、ザッザッザッと小川寄りの段ボール箱へと歩いていく。龍はようやくここを家だと納得して、もう一つの真正面奥の段ボール箱へと歩いていく。龍之介、段ボール箱を持ち上げ、下から毛布を取り出す。

「ほらよっ」

と毛布を龍の方へ投げた。龍、それを受け取り、毛布にくるまって段ボール箱の上に座る。

「あとパンやるよ」

段ボール箱の横の紙袋からフランスパンを取り出し、龍の方へ投げた。龍、それを受け取り、先っぽにかじりつく。口いっぱいにほおばり、ゴクンと飲み込む。

「水、水ちょうだい」

「はいよ」

龍之介、紙袋の横にある水筒を取って小川へと小走りする。しゃがんで小川の水を汲み、また小走りして龍の元へ来て、手渡してくれた。

「ありがとう」

龍は水をがぶ飲みする。龍之介、小川寄りの自分の段ボール箱へと戻る。段ボール箱を持ち上げ、砥石を取り出して段ボール箱を元に戻す。その上にドカッと座った。背中についている剣をシュッと鞘から抜き、砥石でシャンッシャンッと研ぎ始める。

龍はパンの最後の一口を食べてグイッと水を飲み干し、ぷはーと一息つく。そして、段ボール箱の前の小石だらけの地べたに寝転がる。シャンッシャンッという剣の研ぐ音を聴きながら、また夜空に浮かぶ星々を見ながら、龍はウトウトし始める。しかし、急にはっと目を覚まして、

「龍之介、俺、天使にさらわれた時、天使に怒った瞬間手から青い光が出て、無意識に天使を殴ってたんだ……。あれって何だったのかなぁ?」

龍之介は剣を研ぐ手を止めて、驚いた顔で龍の方を見た。

「嘘だろ⁉ そりゃあ竜の力だ!この世界に来た千人に一人に宿るとされている、俺がずっと欲しかった力だ!まさかお前にその力が宿るとはな」

龍之介、ショックで砥石と剣を手から落とす。

「俺はその力を求めて山奥にまで竜を探しに行ったことがある」


まだ奴隷工場から抜け出してパン屋で働き始めたばかりの頃の事だ。龍之介は当時、仲間はおらず、一人で暮らしていた。気晴らしに、旅に出てみようと下界の外周りの塀まで来たのだ。背中に剣をつけた龍之介は塀を跳び降りて、山頂付近に分厚い雲がかかる山の方へと草原の上を歩いていく。

(山に向かう途中、山頂付近に竜の影が映ったのが見えたんだ)

山のふもとにたどり着いた龍之介。雲と雲の隙間から太陽の光が射し込み、龍之介は眩しそうに山頂の方の空を見上げる。ふと、太陽の光を遮る何かが現れ、その影が龍之介を覆うようにして山のふもとの草原に映る。その影は一匹の大きな竜である。

その影が消え、また太陽の光が射し込むと今度はその竜の影が山頂付近の雲に映る。

「あっ竜だ!」

竜の影は山頂に向かって移動して、ふっと消えた。

「山頂に行ったのか?よし、行ってみよう」

龍之介は走り出して山の坂道を登っていく。


もとの河原。龍之介は段ボール箱の横にある薪を一つ拾い上げて焚き火に向かって投げた。ジュッと音を立てて火が少し大きくなる。

「そして山頂にたどり着いた時、本当に一匹の竜がいたんだ」


山頂付近にたどり着いた龍之介。真っ白な霧の中、龍之介は山道を登っている。

「あともう少しだ」

山頂に近づくにつれて霧が晴れてきて、前方が明らかになる。龍之介、山頂に着く。

「やっと山頂に着いた。あれ?竜はいるかな?」

岩と岩の間から竜の頭が出ている。

「あれが竜かな?」

近くに行ってみると、一匹の巨大な竜が岩に囲まれて横たわっている。息をしていなく、死んでいるのか眠っているのか分からない様子である。

(その竜は胸から緑色の血を流していたんだ。それをなめてみたんだが何も起こらなかった)

龍之介、そーっと竜の胸に近づく。緑色の血を人差し指にとってそれをなめる。

何も起こらない。今度は竜の頭の方にそーっと近づき、竜の口に耳を当てる。

「……息をしていない。死んでるな」

竜の口から耳を離し、背中の剣をシュッと鞘から抜く。そして、竜の首の方から、スライスしていくように首から顔にかけて皮を剥いでいく。


「その時記念に持ち帰ってきたのがその竜の毛皮だ」

龍之介は龍の寝ている横の段ボール箱の方を指さす。

「そこの段ボール箱の後ろに置いてあるよ。竜の力を得ることはできなかったが、いい収穫だった。古くなってきているが少しも破れたりしていない」

龍は少し起き上がり、段ボール箱を横にずらして竜の毛皮を手に取る。

「へ~よくできてるね」

竜の毛皮を元に戻し、段ボール箱を元の位置に戻して、また寝転がる。

「だがな、竜の力を得たからといって良い事ばかりじゃないぞ。竜の力には危険な面もあるんだ」

龍之介が龍の方を見ると、龍はスースー寝息を立てて寝てしまっている。

「竜の力が危険だということは明日話すとするか。……俺ももう寝よう」

龍之介は段ボール箱の下からもう一つの毛布と水筒を取り出し、水筒に小川の水を汲み、それを火にかける。ジュッと音を立てて火が消え、辺りは暗くなり、月の明かりだけになる。龍之介、段ボール箱の前に寝転がって毛布を体にかけた。


空には満月と星々が浮かんでいて、とてもきれいだ。ふと、満月の光を遮る何かが現れる。その何かが河原に向かってみるみる近づいてくる。それは一匹の大きな青い竜とその背に乗る梅山しずくである。

竜の大きな影が、寝ている龍之介と龍の上に覆い被さるようにして河原全体に映る。竜はバサッバサッと翼を動かしてゆっくり河原の方へ降下し、ドスンッと着地した。龍之介はガーガーいびきをかいて寝ており、龍之介も龍も全く起きる様子がない。

制服姿のしずくは竜の背からピョンッと跳び降り、寝ている龍のもとへ歩いていく。龍の横に来るとしゃがんで、龍の肩をトントンする。

「起きて、龍。私よ」

それでも龍は起きない。しずく、立ち上がって龍を見つめる。龍は、目を覚ます。龍の目には、しずくがぼやけて映る。

「誰?」

記憶喪失で覚えてない。しずくはしゃがんで、龍の方に顔を近づける。

「誰って私よ私。ついてきて。いい場所を教えてあげる」

しずくは立ち上がり、竜の方へ歩いていく。龍はゆっくり起き上がり、訳が分からないまましずくについていく。しずくは竜の背にピョンッと跳び乗った。

「さあ龍、私の後ろに跳び乗って」

しずくは龍に手をさしのべる。龍は、言われるがままにジャンプした。しずくの手が龍の手を掴み、しずくが龍を持ち上げる。龍が竜の背にまたがると、

「さあ出発よ」

しずくは指笛を鳴らす。それを合図に大きな竜がバサッバサッと羽ばたき始める。竜が宙に浮いて空に向かって上昇していく。

だんだん加速して上へと進む。眼下で街がぐんぐん遠ざかっていく。

竜はもの凄い速度で雲の中を突っ切っていく。

「わあ、龍、楽しいね!」

「……」

龍は吐きそうになり、口を手でおさえる。

ザパァと水を被るように青い竜が雲から上に飛び出す。二人にも水がかかったようになる。

「きゃあ、冷たい!」

雲の上に出た竜はバサッバサッと前進し、さらに上へと上昇していく。

やがて、眼下に雲の上の街が広がる。

「上にも街があったんだ……」

「そうよ。私はこの街で暮らすことになったの」

その街もぐんぐん遠ざかっていく。

「一体俺たちはどこに向かっているんだ?そして君は一体誰なんだ?」

「あれ、覚えてないの?電車の中で会ったじゃない。梅山しずくよ。私たちは竜の住む天国に向かっているの。あなたもそろそろ竜になりなさい。あなたに宿った竜の力でなれるはずよ」

しずくと聞いても龍は思い出せそうで思い出せない。

左手から青い炎が出始める。

「なんだこれ!」

その炎は徐々に広がり、やがて体全体が青い炎に包まれる。体が宙に浮き、しずくを乗せた竜が少し離れていく。

「待って!」

龍、左手を伸ばすと左手の青い炎が消え、ボコッボコッと皮膚が盛り上がってくる。それがボコボコボコッと体全体に広がり、体が風船のように膨れ上がる。

「うっぷ苦しい……」

背中側の皮膚が大きく盛り上がり、青くなり、竜の形になってくる。その青い竜はどんどん大きくなり、龍の体がそれに埋もれていく。そして龍は完全に青い竜の姿になる。ガオーと吠えてしずくの乗る竜についていく。しずくは後ろを振り返る。

「あなたもやっと竜になれたのね。では、私も竜になるわ」

そう言った途端、しずくの頭から竜の長い角が二本同時にバッと勢いよく生えた。

龍を見つめる両目の目尻から黒い太い線がおでこや頬に向かって伸びていく。その黒い線はおでこ全体と目の下の頬に広がり、呪印のような文様を作る。

しずくは龍から顔を背け、前を向く。すると、しずくの背中から竜の両翼が、バッと制服を破って出てきた。しずく、両翼をバタつかせてもう一度、龍の方を振り返る。

「さあ行きましょう。竜の住む天国へ」

龍は何が起こってるのかさっぱり分からないが、とりあえずまたガオーと吠えて、しずくについていく。


二羽の小鳥が寝ている龍の頭をつついている。突然、龍はガバッと勢いよく起き上がり、小鳥たちはピヨピヨと羽ばたいて空へと逃げていく。

龍は激しい過呼吸になって大量の冷汗もかいている。龍之介はすでに起きており、段ボール箱の上に座ってロールパンをちぎって食べている。

「どうした龍。悪い夢でも見たか?」

「悪い夢というか、わけがわからない夢を見た。しずくとかいう竜に乗る女が出てきたり、俺の体がでかい竜の姿になったり。あと天国に行くとかなんとか……」

「それはすごい夢だな。案外予知夢かもしれないぞ。まあ気を取り直して、パンでも食え」

龍之介はロールパンが数個入った袋を龍に向かって投げた。龍はそれを受け取って段ボール箱の上に座る。袋の中からパンを一つ取り出し、少しちぎって口に入れる。一口二口食べて、

「夢の中に出てきたしずくとかいう女にどこかで会ったことがあるような気がするんだよな……」

何か、強い因縁のようなものを感じる。

「飛行船の中で会ったんじゃないか?お前は飛行船に乗っていた記憶がないって言ってたから、その女の事も忘れちまったのかもしれない」

「そうかもしれないな……」

忘れてしまったことが、とても悲しく思われた。大切な人だったような、そんな気がしてならない。

「それはともかく、今日はパン屋でバイトだ。裸じゃよくないからお前のためにパン屋の服も用意しておいた。お前もパン屋でバイトするか?」

「うん。そういう気分じゃないけど、ここじゃやることもないし、やってみるよ」

「よしっそれじゃあこれに着替えろ」

龍之介は龍に向かってパン屋の白い服を投げた。龍、それを受け取り、着替え始める。龍之介、段ボール箱の下から蓋つきの丸い時計を取り出し、蓋をパカッと開けて時間を見る。

「もうそろそろ時間だ。遅れるとじいに怒られるぞ。パン屋のじいはおっかないからな」

龍之介、剣を背中につける。龍之介はパン屋の服を着ていない。

「パン屋まで走っていくぞ。早く着替えろ」

龍之介は商店街や住宅街のある方へと走っていく。龍も慌てて着替え、走っていく。




飛行船の部屋の中。部屋の窓から日の光が射し込み、梅山しずくが目を覚ます。隣で寝ているのは神垣龍人だ。龍人が本物の王子であり、しずくが寝ている間に神谷龍と入れ替わったのだ。龍人は髪形も容姿も龍にそっくりである。

「トントントン」

部屋のドアがノックされた。しずくは起き上がり、ドアを開けに行く。ドアを開けると、ケイリュウが目の前に立っていた。龍人は目を覚ます。

「おはようございます。お姫様、王子様、お食事の時間です」

龍人は起き上がり、二人で廊下に出た。


飛行船のホールの二階の小スペースにケイリュウ、朱色のドレス姿のしずく、朱色の王子服姿の龍人がやってくる。下を見下ろすと、大勢の乗船客達が朝食ビュッフェをとっている。3人は階段を下りて一階に行く。

「ここで朝食を召し上がっていただくことになります。お好きな席へどうぞ」

「昨夜、晩御飯を食べた外のテラス席で食べてもいいですか?」

しずくにとって、外のテラス席は龍との初デートの素敵な場所だ。

「かまいませんよ。どうぞご自由にしてください」

「龍は外のテラス席でいい?」

龍人の容姿が龍にそっくりなため、しずくはすっかり騙されている。

「うんっいいよ」

だが声は少し龍よりも低めである。

「ではごゆっくり。私は用事がございますので、これで失礼いたします」

ケイリュウは階段を上って去る。

「じゃあ食べよっか」

二人は大勢の豪華な衣装を着た乗船客に混じってプレートにおかずをよそっていく。よそい終わると、二人はそれぞれプレートとジュースを入れたコップを持って飛行船の前側の、天井近くまで伸びる大きなガラスの窓まで来る。

「どうやって外に出るのかなぁ?龍、分かる?」

「この窓の枠に手をかざしてみればいいんじゃないかな」

龍人はこの飛行船のことも王国のことも熟知している。龍人が窓の枠に手をかざすとその一部の窓が横にウィーンとスライドして開いた。

「すごーい。龍、よく分かったね」

「なーんとなくそんな気がしたんだ」

ばれないようにてきとうにごまかす。二人は緑の芝生の絨毯敷きの外に出た。


飛行船の周りは分厚い雲に覆われており、雲と雲の隙間から朝日が芸術的に射し込んでいる。

「わあっすごい芸術的だね」

二人は三つあるテラス席のうち一番前の席に座って朝食を食べる。しずくが船首側のイスに、龍人がお城側のイスに座った。パラソルの下で朝日を浴びながら、優雅な朝食である。

「おいしいね」

「うん」

しずくのプレートにはハンバーグや肉じゃが、鮭のムニエル、ライス、サラダなどがある。しずくはそれらをあっという間にたいらげる。しずくと対照的に、龍人はじっくりゆっくり食べている。龍人のプレートにはステーキや目玉焼きののったトースト、カレー、パスタサラダなどがある。龍人はナイフとフォークで上品にステーキを口に運んでいる。その様子は高貴な王子である。しずくはテーブルの上に頬杖をついて龍人を見つめる。

「ねえ、龍って本当に王子らしい王子だよね。顔もイケメンだし、食べ方も上品だし。それに比べて私は行儀悪いし、全然お姫様らしくないよね」

龍人はそんなに美人でもないしずくを見つめる。

(確かに……)

と率直な感想を声には出さず、

「そんなことないよ。そのドレスも似合っているよ」

お世辞を言った。しずくは照れて頬を赤らめ、

「そうかなあ。えへ。ありがとう」

しずくは立ち上がり、くるりと回転したりしながらバレエのようなダンスを踊り始める。その様子はとても美しい。龍人はカレーを食べるスプーンを持つ手を止めて、それに見とれてしまう。しずくはポーズをとってピタッと止まる。龍人のもとへ駆け寄り、ツンッと龍人のおでこを押す。龍人は持っていたスプーンからカレーをこぼす。

「もう龍ったらー。そんな顔して」

「何するんだ。こぼしたじゃないか」

「メンゴメンゴー」

龍人はテーブルの上のウェットティッシュを取って開けて、カレーをこぼした所を拭く。しずくはイスに座り、また頬杖をついて龍人をじっと見つめる。龍人はパスタサラダとトーストをたいらげ、ウェットティッシュで口を拭き、手を合わせて

「ごちそうさまでした」

「やっと食べ終わったのね。待ちくたびれちゃった」

二人は食器を片づけに城のような建物へと戻っていく。


窓の下方がウィーンとスライドして龍人としずくはお城のホールの中に入る。二人は厨房の食器を片づけるコーナーにお皿とコップを置いた。二階の小スペースから、ケイリュウが階段を下りてくる。麦わら帽子を手に持っており、

「さあお姫様、日焼けなさるとよくないので、この帽子をお被り下さいませ」

「わあっかわいい。いいね、この帽子」

麦わら帽子にはピンク色のリボンがついている。しずくは帽子を被り、クルックルッと回って龍人に見せ、

「ねえ、どう?似合う?」

「すっごく似合ってるよ」

「それではお姫様、王子様、そろそろこの飛行船も王国へとたどり着く頃でございますので、外へ出ましょう」

ホールでは、大勢の乗船客たちが白いテーブルクロスの敷かれたテーブル席で食事をとっていたり、食器を片づけたりしている。

「ピーンポーンパンポーン。飛行船の乗船客の皆様、この飛行船もついに王国へとたどり着く頃でございます。外の甲板の上へ出て下さい」

とアナウンスが流れた。

ケイリュウ、しずく、龍人はお城の窓から甲板の上に出る。そして、横にずらりと並んだ窓がウィーンと次々に横にスライドして乗船客たちも出てくる。

「見て下さい!あれが、私たちが向かっている美しき王国です!」

飛行船の周りを覆っている雲が少なくなり、王国の全貌が明らかになる。王国は、リンゴを丸かじりした跡のような形で、芯に当たる中央部はたくさんの樹木が絡まった巨木のようだ。その下と上に街が広がっている。乗船客たちは歓声を上げた。

ケイリュウ達は飛行船の横に少し出っ張っている展望スペースにやってくる。

しずくは飛行船の柵から身を乗り出して、下を見る。

「わあーすごいよ龍!下にも街がある!」

しずくは身を乗り出しすぎて落っこちそうになる。慌てて龍人がしずくをガシッと摑まえた。ケイリュウが手をすり合わせて不気味な笑みを浮かべ、

「上の街が上界、下の街が下界でございます。上界には王族や貴族などの上流階級が住んでおり、下界には一般市民や奴隷などの貧困層が暮らしております。私たちが向かうのはもちろん上界でございます」

飛行船が上界へと向かって雲の中を急上昇していく。

「冷たい!」

飛行船全体がザパァと水を被ったようになり、しずく達は水しぶきを浴びた。

やがて、朝日で明るく照らされた上界が目の前に現れる。上界の中心に樹木が複数絡まった塔が立っており、その上空には分厚い雲がある。その塔の周りには同心円状に住宅や店などが何重にも連なっている。飛行船はさらに進んでいき、民衆が多く集まっている広場に向かっていく。

「見て、龍。たくさん人が集まっているよ!」

「本当だ!すごいな」

「あの民衆達はこの度のお姫様と王子様のご結婚を祝福して集まっているのでございますよ」

飛行船が広場に近づくにつれて民衆の歓声が大きくなる。


飛行船の最後尾にある大きなプロペラの回転がゆっくりになり、やがて止まった。多くの民衆が囲む広場のど真ん中にドスンと着地する。飛行船の前側にあるはしごがウィーンと下へ伸びていく。


乗船客たちはワサワサ動き始める。そして、甲板の真ん中に一本道を作るように、二手に分かれて列をなし、しゃがむ。

「何これ?」

「ウェディングロードでございます。お姫様、王子様、この道をお通りになって、飛行船をお降りください」

しずくと龍人は横に並んでウェディングロードを通っていく。左右から乗船客たちが花びらを二人に向けて振りかける。歩いている内にふと、二人の手がぶつかる。

「あっ」

二人の声が重なった。

「ねえ龍、手をつないでもいいかな?」

「うんっいいよ」

二人は頬を赤らめる。手をつなぎながら歩いていき、飛行船の前側のはしごの前まで来た。ケイリュウが待ち構えており、

「さあお姫様、王子様、王国へと降り立ちましょう」


ケイリュウに続き、二人ははしごを降りていく。三人は民衆の大歓声に迎えられる。三人が広場の芝生の上に降り立つと、次々に人々が声をかけてくる。

「お姫様ー、王子様ー」

「ご結婚おめでとうございます!」

そこでケイリュウが声を張り上げる。

「皆様、祝福していただけるのはありがたいのですが、お姫様と王子様がお通りになられるので、道を開けて下さい!」

民衆はサササッと一本の道を開けた。向こう側には豪華な住宅街とその前に大通りが広がっている。

「さあ、行きましょう」

「待って!私たちどこへ行くの?」

ケイリュウは黒ぶち眼鏡をひょいと少し上げて、不気味な笑みを浮かべる。

「あなた達はあの塔の上におられるこの国の王に謁見することになります」

「王さま⁉ ……」

しずくは少し不安になる。龍人は平然とした顔をしている。龍人は王さまのことも知っているのである。


ドスンと飛行船が着地した振動と外の騒がしさで竜也は目を覚ます。むくっと起き上がり、辺りを見回す。全裸の男女が寝ていたり、壁から出ているひだとひだの間に一つずつある小さな窓に釘付けになっている者もいる。

竜也の隣には愛子とその父が並んで寝ている。竜也は愛子を起こそうと、とっさに巨乳を手で揺すってしまう。

「キャッ何?」

愛子が目を覚まし、ガバッと起き上がる。

「この飛行船がどこかにたどり着いたようなんだ」

愛子はエッと驚いた表情になり、辺りを見回す。寝ていた全裸の男女が徐々に起き始め、左右にいくつか並んでいる小さな窓に寄っていく。

「父さん!起きて!」

愛子が父の体を揺する。

「ん?なんだ?」

愛子の父はゆっくりと体を起こす。

「父さん、どこかに着いたって!」

愛子の父は一瞬疑い深い目をするが、周りを注意深く観察し、状況を理解する。

「そうか、ようやくたどり着いたか。長く、退屈な一か月間だった。ところで私たちが連れていかれるのはどんな場所なんだ?」

三人は近くの小さな窓に寄っていく。外を見ると、豪華な衣装を着た人々が飛行船の周りで上の方を見上げて歓声を上げている。

「何が起こっているの?……」

愛子が目を丸くする。竜也は目を輝かせ、気が狂ったように喜び、

「俺たち、天国に着いたんじゃないか?外の人達は裕福そうだし、何より俺たちを歓迎しているみたいだぞ!」

だが、愛子の父は険しい顔をして外を見ている。

「いや、その可能性は低いな。よく見てみなさい。あの者たちは皆、飛行船の上の方を見て歓声を上げている。私の推測ではおそらく、この飛行船の上にも人がいて、私たちとは別の扱いを受けていると思われる。その者達が歓迎されているのであって、私たちではない可能性が高い」

「上にも人がいる?……」

「ああそうだ。私がここに来てから一ヵ月の間、たまに上から笑い声や音楽などが聞こえてきたことがある。上にいる者たちはこんな狭い場所で全裸にされている私たちとは全く違う待遇を受けているようだ」

「そんな……嘘だろ……」

竜也と愛子は絶句する。二人とも上の人達には気づかなかった。

「それじゃあお父さん、私たちは上にいる人達とは別の場所に連れて行かれるの?」

「ああ、愛子、おそらくそうなるだろう」

愛子と竜也は不安に駆られながら外を見る。外の民衆の歓声は小さくなり、一人、また一人と去っていく。

「バンッ」

突然、前にある管制室と書かれたドアが開き、三名の全身白ずくめの職員が、両手に作業着を何枚も積み重ねた束を抱えて出てきた。

「これを着て下さい」

職員らは前側から全裸の人々に緑色の作業着を手渡していく。やがて竜也達にも順番が回ってきて、緑色の作業着が手渡された。

「なんだこれ?」

「やったあ。やっと服が着れるんだ!」

人々は皆着替え始め、竜也達三人も着用する。竜也は自分の着た作業着を見下ろし、

「これは……作業着ですかね?」

「おそらくそうだろう。私たちはどこかで働かされるのかもしれない……」

職員たちは作業着を配り終えると、管制室にサササッと戻っていく。


しずく達が飛行船を降りた後、乗船客たちはゾロゾロとはしごを降りていく。

乗船客は家族やカップルであり、民衆の中にいるそれぞれの住居の案内人のもとへ寄っていく。

「平田様でございますか?」

「はい、そうです」

「よろしくお願いします。それではこちらへ」

家族やカップルはそれぞれの案内人についていき、新しい住居のある住宅街へと向かっていく。民衆達は歓迎ムードが冷め、パラパラとそれぞれの家や店に戻っていく。やがて広場には誰もいなくなる。飛行船のはしごがウィーンと回転して折り畳まれた。最後尾のプロペラが回り始め、飛行船が上昇する。斜め上に前進し、低空飛行していく。


飛行船が上昇し、前進し始めると竜也は絶望的になる。

「やっぱりここじゃないのかよ……」

「やはりな」

「嘘でしょ……」


飛行船は上界の外側に向かって低空飛行で前進していく。上界の端に近づくにつれて下の街並みが質素になっていく。やがて、上界の端までやってくると、上界の周りが海のような景色になっているのが明らかになる。


飛行船はキラキラと日の光を照り返している海の上でピタッと止まり、下界に向かって急降下していく。


「ヒャー」

飛行船が自由落下し始めると、愛子は驚いて叫び声を上げた。中の人達は皆、無重力空間にいるような感じで、体が少し宙に浮いている。


飛行船は海にザボンッと落ちていく。ザパアッと水の中に入ったかと思うとすぐに雲の中になる。やがて雲の中を抜け出し、下界の上空に降りてくる。


飛行船はピタッと止まる。下界の外側に向いている船首を、回転して下界の内側に向ける。下界の中心には巨木のような支柱が一本そびえ立っており、飛行船のある側半分は白、もう片方、奥側は黒の街が広がっている。周りは円状に塀で囲まれている。飛行船は白い街に向かって加速する。


白い屋根の工場や倉庫、家々などがあり、飛行船は倉庫群に近づいていく。やがて倉庫群の真上すれすれに止まる。


「ここはどこだ?」

竜也は窓から外を見ると、真っ白な倉庫が並んでいる。

「ようやくたどり着いたようだな」

バンッと前の管制室と反対側(左側)のドアがスライドして開く。人々は皆、我よ我よと先にドアに向かって列をなしていく。窓の外を見ていた愛子は突然、決心したように竜也の方に向き直り、竜也を見つめ、

「ねえ竜也、私、あなたのこと好き。私と付き合って。私ね、竜也とお父さんがいればこれからどんな事が起きても乗り越えられる気がするの」

竜也は急な告白に驚いた。だが、スッと真面目に愛子と向き合い、

「うん、いいよ。俺も愛子のこと好きになったし、愛子の言う通りだと思う」

そして三人は列に並んでいく。列の一番前の茶髪の青年が、ドアから道へと伸びたはしごを降りていく。道には作業着を着た一人のおじさんが立っており、青年の作業着の胸に2222と書かれた刺繍を見て、

「2222番、右へ」

青年は右の方へ行く。それから次々と老若男女が降りていき、番号が呼ばれ、指示された右や左へと別れていく。そして竜也の番になる。

「4999番、右へ、3000番左へ、同じく4000番左へ」

竜也の番号は4999番、愛子の父の番号は3000番、愛子は4000番である。つまり、竜也と愛子は別れることになってしまう。

「エッ、ちょっと待って下さい!右とか左とかってどういうことですか?」

愛子は現実を受け止めたくない。

「君たちは私と同じ奴隷だ。そして、右の方にある工場で働く者と左の方にある工場で働く者というのがすでに決まっているんだ」

おじさんは愛子にとってさらに受け入れがたい現実を告げた。

「嘘……じゃあ竜也と別れるってこと⁉ 」

「ああ愛子、決められているのだから仕方がない。お父さんと一緒に働こう」

「そんな……そんなの嫌!」

愛子は道でしゃがみ込み、泣き始める。竜也はもうこの状況を受け入れている。

竜也は愛子のもとにしゃがみ、手で愛子の涙を拭ってやる。

「愛子、工場はそんなに離れてないかもしれない。それに、離れていても、心はつながっている。また必ず逢えると信じてる。だから愛子、泣くな」

二人は見つめ合う。竜也は愛子のきれいな色をした唇にやさしく接吻する。そっと唇を離す。愛子は少し笑顔になって

「うんっ分かった。またきっと、逢えるよね」

二人は立ち上がり、手と手を取り合う。竜也は愛子の目をじっと見つめ、

「それじゃあまたね」

「うん」

愛子は父さんと一緒に指示された左の方へ行く。竜也は反対側、右の方へ歩いていく。二人は手をバイバイと振り続ける。見えなくなるまで、ずっと。


「ハア、ハア」

龍之介を追いかけて走ってきたため、龍は息切れしている。

「速いよー龍之介ー」

龍之介はパン屋のレジの裏でパン屋のじいと話している。じいは白髪で白いひげがたくさん生えている強面のおじいさんだ。白い服にエプロンをつけている。眼鏡もかけている。

「龍之介、こやつがお前の言っていた新人か?」

「はい、そうです。おじいさま」

「おじいさまじゃねえ!」

ガンッとじいは龍之介の頭にゲンコツをくらわせた。

「いってー」

「よーし新人、名前は何ていう?」

龍は少しおびえながら、

「神谷龍です。16歳です。よろしくお願いします」

龍はペコリと頭を下げる。じいの強面の顔が少しほころび、

「そうか、龍か。礼儀正しいのは良い事だ。うちのパン屋は人手不足でな。君みたいな新人を必要としていたのだよ」

香ばしい匂いのする左手の厨房のドアがバンッと開き、中から白い帽子にマスク、白い服を身に着けたかわいらしい女の子が現れる。手にトレーとその上の焼き立てのパンを持っている。

「おー綾香。ちょうどいい時に来たな。こやつが新人の龍だ」

綾香はこのボロいパン屋で働く唯一の女の子だ。綾香は龍を見ると、ニコッと笑顔になり、

「あなたが新人さんですか。龍さん、分からない事があったら私に何でも訊いて下さいね」

龍は綾香のやさしさに惚れてしまう。

「ありがとうございます!」

綾香は軽く会釈し、パンを売り場に持っていく。

「よーし龍、龍之介、今日は大掃除の日だ。龍之介、バケツとブラシを持ってこい!」

「エー今日だったのかよーメンドクセー」

龍之介はまたじいにゲンコツをくらう。


ケイリュウ、しずく、龍人は中心の塔に向かって歩いている。すると、上空に昨夜、龍を連れ去ろうとした毛むくじゃらのおじさん天使が現れる。相変わらず手で煙草をスパスパ吸っている。

「アーウンコ出る」

ブリブリブリとウンコを漏らして去っていく。ウンコはヒューンと落ちていき、ケイリュウの目の前に落っこちた。

「キャッ!何⁉ 」

しずくは驚くが、ケイリュウは目を輝かせ、

「これはこれは大変貴重なものでございますぞ」

スーツのポケットからタッパーを取り出し、ウンコを拾ってタッパーに入れる。

しずくはそれを覗き込み、ゲッとぶったまげて、

「エッそれウンコじゃん」

「そうでございます。しかしただのウンコではございません。天使のウンコというものでして、あの私たちが乗っていた飛行船の動力源にもなっております」

「嘘ーこのウンコが?龍、どう思う?」

龍人はウンコの秘密も知っているが、ばれないように

「このウンコにそんな能力があるなんてすごいと思うよ」

「エー龍は信じる?」

ケイリュウはウンコの入ったタッパーをポケットにしまい、腕時計を見る。

「王子様、お姫様、そろそろ時間が無くなってきました。王がお待ちになられておりますので、急ぎましょう」


竜也は愛子との別れの哀愁を噛み締めながら、白い倉庫群前の道を同じ作業着の人々についていく。横にずっと並んでいる倉庫の内、一箇所無い部分があり、人々はゾロゾロとそこを曲がっていく。竜也も一緒に曲がっていくと、その先に大きな工場(奴隷工場)が現れる。


工場の前では、威勢の良さそうな赤色のショートヘアの小太りなおばさんが、手に持った資料を見ながら、大きな声で

「2222番、溶接用の工具を倉庫から持ってくること、2300番、倉庫の中の部品数を数えること」

など、一人一人に業務内容を説明している。竜也の番になると、

「4999番……」

竜也の整った顔立ちを見て、おばさんは目を輝かせ、

「いい男前だねえ。名前は何ていうんだい?」

「神崎竜也です」

「いい名前だねえ。私ゃ敦子って言うんだ。この奴隷工場の現場監督をやっとる。アッコさんって呼んでくれ」

竜也は褒められて少し元気が出てくる。

「アッコさん、俺はどんな仕事をするんですか?」

期待半分、不安半分で訊いてみた。敦子は竜也の耳に顔を近づけて耳打ちする。

「あんたにゃ特別、私が付き添って教えてやるよ。まずはそこにある台車を持ってきな」

竜也は工場の中の右脇にいくつか並べてある台車の一つをガラガラと引いて持ってくる。

「そんじゃあ私についてきな」

二人は右の方の倉庫と倉庫の間の道を通っていく。三つか四つの倉庫を通り過ぎ、109と書かれた倉庫の前で、敦子が立ち止まる。

「ここにロボットの部品が収納されているんだよ」

「ロボット⁉ 」

「そうだよ。私たち奴隷は工場でロボットを作らされてるんだ」

ロボットと聞いて竜也は少し興奮気味になる。

「ロボットってどんな感じの奴ですか?ガンダムみたいな?」

竜也は生前、機動戦士ガンダムの大ファンだった。

「そりゃ見てからのお楽しみだね」

敦子は倉庫の扉をバンッと開けた。中には大きな段ボール箱がたくさん積み上げられている。敦子は中に入って、段ボール箱をよいしょっと持ち上げ、台車の上に乗せる。6つぐらいボンボンと次々に乗せていく。積み上げられた段ボール箱は竜也の身長(170㎝)を超える高さになる。

「これは相当でかいな!」

「そんじゃあこれを工場まで持ってくよ」

敦子は倉庫の扉を閉め、手をパンパンとはたく。竜也は工場に向かって台車を押していこうとするが、なかなか進まない。

「これ重っ!」

「あんた顔は男前なのに力は無いんだねえ。この工場では体力が必要だよ。もうちょっと頑張んな」

「はい」

竜也は腕に力を入れ、台車を押す。台車をゆっくりと押していき、工場の前まで来た。工場の中は、まず目の前に二メートル幅のベルトコンベヤーが作動しており、奥まで続いている。

「このベルトコンベヤーの上に段ボール箱を乗せていくんだ」

敦子はよっこらしょっと背伸びして台車の一番上の段ボール箱をベルトコンベヤーの上に降ろす。間を開けて次々と降ろしていく。段ボール箱達がベルトコンベヤーに乗って奥まで流れていく。

「そんじゃあ台車をそこに戻して、溶接作業場に行くよ」

「溶接?」

竜也は疑問に思ったが、敦子がベルトコンベヤーの横を奥に向かってスタスタ歩いていってしまったため、慌てて台車を戻し、敦子についていく。


溶接作業場。大きく平らなプレートが、下に流れているベルトコンベヤーの上に、一段目が一メートルの高さ、二段目が二メートルの高さに組み立てられている。二段目のプレートの先には幅4メートルのベルトコンベヤーが流れている。ふと、溶接面プロテクターを被り、手袋をはめた三人組が現れる。三人とも工具を手に持っている。敦子が乗せた段ボール箱の一つが右からベルトコンベヤーに乗って流れてくると、三人組の一人はプレートの右側に設置された台に、もう一人は真正面の台に、三人目はプレートの左側の台に乗る。まず、三人とも工具を二段目のプレートの上に置く。プレートの右側の人が後ろを向き、段ボール箱を持ち上げて、一段目のプレートの上に載せた。真ん中の人が段ボール箱を開けて、中身を取り出し、二段目の上に載せる。それはロボットの頭である。ロボットの頭はガンダムのようにカッコイイ顔で、先の尖った角がいくつかある。プレートの左側の人が空になった段ボール箱をポイッと奥のゴミの山に投げ捨てた。これらの作業を三人は6回繰り返す。二段目のプレートの上に巨大ロボットの頭、胴体、両腕、両脚が揃う。三人は工具を手に持ち、溶接作業を開始する。溶接とはつまり、ロボットの部品と部品の金属部分を溶かしてくっつけることである。三人は火花を散らしながら溶接作業をする。

右から敦子がやってくる。

「雄也、この子に作業を教えてやってくれないかい」

雄也、と呼ばれたのは真ん中で作業をしていた人である。雄也は作業を止めてプロテクター越しに敦子とその後ろにいる竜也を見る。

竜也はプレート上の巨大ロボットと、竜也から見て右の方に流れている巨大ベルトコンベヤーに釘付けになっており、雄也の方をまったく見ていない。それを見かねた敦子は、

「竜也ー、雄也はあんたの先輩になる人だよ。ちゃんと挨拶しな」

「あっはい」

竜也は雄也の方を見る。雄也は台から降りて頭の溶接面を外す。雄也は背が低めで小太り、金色の短髪に、両耳と下唇の下にピアスをつけた元ヤンのような男だ。雄也を見た竜也はビクッとなり頭を下げて、

「神崎竜也です。よろしくお願いします」

雄也はニコニコになり、竜也に近づいて竜也の肩に腕を回し、

「いーよいーよそんなかたくならなくて。雄也・竜也で仲良くしよーな。アッコさん、俺が面倒見ますからあとはいーっすよ」

雄也は竜也を強引に作業場に連れていく。

「ちょっと雄也ー、竜也はいい子なんだから、手荒なことはしないでよ」

「大丈夫っすよー」

敦子は心配げな顔をするが、別の仕事のためその場を去っていく。

「よーし竜也、まずはこの溶接面を被れ」

竜也は渡された溶接面を被った。溶接面は目の部分だけ四角く透明になっており、それ以外は銀色の金属である。

「それと、この手袋をつけて、工具を持つんだ」

雄也はつけていた手袋を外し、手袋と工具を竜也に渡す。竜也は手袋をつけて工具を持つ。

「よし、これで準備OKだ。あとは俺用の溶接面を持ってくるから台に乗って待ってろ」

「はい」

雄也は工場の奥に行った。竜也はドキドキワクワクに満ちた気分で、台の上に乗る。すると、目の前にガンダムのような巨大ロボットが頭をこちらに向けて、プレートの上に横たわっている。竜也は感動して、

「カッコイイー」

プレートの両サイドでは、溶接面を被った二人が、竜也の方を見向きもせずに巨大ロボットの胴体と腕を火花を散らしながら溶接している。

「よっと」

溶接面を被った雄也が、竜也の乗っている台の上の隣に来た。二人はプロテクター越しに顔を見合わせる。竜也は、雄也の目つきの悪さにギョッとなり

「ヒッ」

と小さく悲鳴を上げてしまう。

「それじゃあ作業を開始するぞ。まずは工具のスイッチをONにしろ」

「はっはい」

竜也は手元の工具を見る。工具の下半分(持ち手)の表面はプラスチックで、そこにスイッチがある。スイッチをONにすると、工具の上半分の金属棒が熱を帯びて、先端が赤くなってくる。

「竜也、お前利き手は左手か?」

左手でスイッチをONにしたのを見て、雄也がそう訊いた。

「あっはい、そうです」

「そうか。それなら今スイッチをONにした先のとんがった工具を左手に、先が平べったい工具を右手に持つんだ。そして、ロボットの頭と胴体の間の首にあたる部分をよく見てみろ」

竜也は言われた通りにして、ロボットの首の部分に顔を近づける。よく見ると、頭から出ている首の先と、胴体から出ている首の先には、一㎝幅の首輪のような部分がそれぞれあり、その一部がくっついている。雄也はくっついている部分を指し示し、

「ここまでは俺が溶接したんだ。続きはお前がやってみろ。まず、左手の工具で金属を溶かすんだ」

竜也は左手の工具の先端をまだ溶接されていない部分に当ててみる。火花が散って、金属が溶けて膨らんでいく。そこですかさず、

「そしたらすぐに右手の工具で溶けた部分の形を整えるんだ。スピードと、どれだけ綺麗にくっつけられるかが重要だ」

竜也は右手の工具の平べったい先端で溶かした部分を慎重に撫でていく。溶接してある部分と見比べながら、丁寧にかつ素早く形を整える。やがて、横2㎝程の部分が綺麗に溶接され、冷えて固まった。竜也は顔を上げて、

「こんな感じ……ですかね?」

「うん、初めてにしては上出来だな。その調子で続けてみろ」

「はい」

竜也はまた顔を戻して溶接作業の続きに取り掛かる。


「おっとっと」

しずくは、塔の下の地面から出ている大きな根につまずきそうになりながら、ケイリュウと龍人について歩く。

「あっ!」

ついにしずくは大きな根から出ている小さい根に足を引っかけて転びそうになる。ガシッと龍人がしずくの肩を掴み、体を起こしてやる。

「ありがとう」

しずくは恥ずかしくて少し頬を赤らめる。

「お姫様、王子様、ようやく塔にたどり着きました!」

しずくは前、上方を見る。足元の大きな根の先には、樹木のような枝や蔦が複雑に絡まって空高く伸びる円筒形の塔がそびえたっている。塔の周りを、ぐるぐると巻き付くように上に向かって細い螺旋階段が伸びている。塔の上空には分厚い雲がかかっており、先は見えない。しずくは感嘆して

「すごい……」

「それでは塔の上に上がりましょう」

ん?としずくは塔を見て疑問に思う。

「まさか……この階段を上ってくんですか?」

ケイリュウは不気味な笑みを浮かべ、

「お姫様にそんな無茶をさせるわけがございません。これは非常用階段です。塔の中にエレベーターがありますので、それで上に上がりましょう」

「エッあの中にエレベーターが?……」

しずくはまた疑問に思ったが、ケイリュウと龍人はそそくさと行ってしまったため、慌ててついていく。

「私がいない内にこんな事になっていたんですね……」

塔の周りは枝や蔦で覆われていて中のエレベーターは見えない。ケイリュウが手で目の前の枝や蔦をかき分け始める。胸のポケットからナイフを取り出し、かき分けた無駄な枝や蔦を切っていく。だんだんエレベーターのドアが現れてくる。

「本当にエレベーターだ……」

ケイリュウの作業で長方形に枝や蔦が取り除かれ、目の前にはエレベーターのドアとその横のボタンがある。ケイリュウはナイフを胸ポケットにしまい、エレベーターのボタンを押す。ドアが開き、三人は中に入っていく。


塔の上は実体化した雲(上に乗れる雲)が広がっている。中心にはエレベーターのボックス型に上に出っ張っている部分があり、そのボックスは薄い雲で覆われている。ふと、エレベーターの前を横に行ったり来たりして歩いている小さな子供が現れる。その子供は頭の上に金色の冠を被り、赤地に金色も混じった体のサイズよりも大きい豪華なコートを着ている凛とした顔の男の子だ。実は、この子がこの国の王なのだ。最も奇妙なのは背中のコートの下から出ている、身長を超える長さの太い竜の尾のようなものである。王はそのお尻から生えているであろう緑色の竜の尾を引きずりながら、コートに埋もれて見えない腕を組み、ふんぞりかえって

「ケイリュウはまじゃか!遅いのう」

と少し怒り気味である。


エレベーターの中は前のドア以外全面、透明なガラスでできている。とは言っても、エレベーターの周りは枝や蔦だらけなので、中は少し暗めである。エレベーターは、ゆっくりと上昇しており、今は中間地点ぐらいの高さまで来ている。

しずくは横のガラスにへばりついて、枝や蔦の僅かな隙間から外の景色を見ようとしている。だが、ほとんど見えないため、

「はあ……」

とため息をついて諦めた。


「ピンポーン」

と鳴り、エレベーターのドアが開く。目の前には王が白い雲の上に立っている姿が現れる。王は横目にこちらをにらんで、ぷんぷん怒っており、

「ケイリュウ!遅かったじょ!何をしちぇおった!」

「申し訳ございません、王さま」

ケイリュウは前に出て白い雲の上に乗り、土下座する。しずくは目の前の光景の異様さに目を丸くする。

(人が雲の上に乗っている⁉ それに何この偉そうな子供!これが本当に王さま?しかも後ろから出てる尾みたいの何?やけにでかくない?)

「もうよい!王子、姫、こっちについてきょい!」

王はプイッと顔を背け、左に歩いて去っていく。ケイリュウは頭を上げ、何事もなかったかのように立ち上がった。龍人としずくの方を振り返って

「お姫様、王子様、エレベーターをお降りになって、雲の上にお乗りください」

龍人はためらうことなく雲の上に乗った。エエッとしずくは引き気味である。それでも恐る恐る左足を雲の上に出してみる。フワッとスニーカーを履いた足が雲に包み込まれて少しの弾みで上に上がった。

「やったあ。雲の上に乗れた!」

と調子に乗り、右足も雲の上に出そうとすると、

「ピンポーン」

とエレベーターのドアが閉まり始める。

「キャッ嘘!」

しずくは慌ててエレベーターから出て前のめりになる。朱色のドレスの裾がドアに挟まる寸前で雲の上にドッテーンと倒れ込んだ。その途端、フワッと全身が雲のクッションのような柔らかい感触に包まれる。

「気持ちいい……」

しずくは目を閉じてその感触を味わうが、

「あっいけない。王に呼ばれてるんだ」

と思い出し、目を開けて起き上がろうと両腕を立てようとする。だが、両腕で雲を押しても弾力で腕が上がってしまい、上半身が起こせない。

「えっえっえっえ~」

しずくはパニックになり、子供のように手足をバタつかせ始める。その様子を見た龍人は笑いがこぼれて、

「ふふふ。しずくって面白いね」

龍人はまたしずくの肩を掴んで体を起こしてやる。しずくは起き上がれて

「ふぅ……」

と一安心するが、笑っている龍人の顔を見て、

「キャッ恥ずかしい!」

両手で顔を覆う。龍人は笑うのをやめて、やさしく声をかける。

「ごめん、つい。俺もこの雲には驚いたよ」

しかしこれは嘘である。龍人はこの雲に慣れ親しんでいる。

「一緒に王さまの所に行こう」

龍人は、しずくの顔を覆っている手を優しくほどき、その手をつないでやる。

「龍……」

しずくはまだ頬を赤らめながら、手を引く龍人についていく。

「わあっわあっわあっ」

モフッモフッと雲の上をバランスを崩しそうになりながらしずくは歩いていく。

龍人はしずくの手を持って歩くのを手伝っている。ケイリュウは王室の前で正座して二人を待っている。しずくはだんだんコツを掴んできて歩くのがスムーズになってくる。しずくは少し顔を上げる。目の前には屋根と柱でできた簡単な作りの、ただし見た目は金と赤で豪華に装飾された王室がある。その中央には、王が偉そうに王座に座っており、しずくはなんかムカつく!と思う。ケイリュウが、

「お姫様、王子様、それでは王の前にお座り下さい」

龍人がつないだ手を離して正座する。しずくもしぶしぶ龍人の横に正座する。

「それじぇは儀式を始める。まじゅは王子、姫、この度の結婚まことにめでたい事じゃ」

王はしずく達を見向きもせず、遠くの方をぽけーと眺めている。尻の下に敷かれた竜の尾は、しずく達の目の前で気持ち悪くうねっている。龍人はそんな王にも一礼する。

「そして二人ともにわしに忠誠を誓うのじゃ。わしには決して逆らわにゅと」

しずくは王の話をまったく聞いていない。ふと、王室の左隅に銅像のようなものを発見する。直立不動で上半身が裸、顔や体がピンクや緑、青や黄色など、様々な色で塗られたようである。髪の毛はボサボサで右手に槍を持っている。

(これは銅像なの?人間なら薄気味悪!)

しずくがちらちらそちらの方を見ていると王は初めてしずくを見る。

「おや?姫、レッドに興味があるのきゃ?」

(え?レッド?)

王はバッとコートに埋もれた右手を銅像か人間か分からないものに向けた。

「こいつはわしの警護をしちょるレッドじゃ」

レッドはピクッと反応し、硬い動きで龍人としずくに一礼する。人間だと分かり、しずくは身震いする。レッドはしずくをジロリと見て元の直立不動の姿勢に戻った。王は右手を王座の上に戻し、またぽけーと遠くの方を眺める。

「最後に、わしに逆らっちゃら重い罰をあちゃえる。これで儀式は終わりじゃ。もう下がっちぇよい」

王はしっしっと猫でも追い払うかのように手を振る。ケイリュウは立ち上がり、

「それでは王子様、お姫様、お部屋へご案内致します」

龍人としずくも立ち上がり、ケイリュウについていく。しずくはもう普通に雲の上を歩けるようになっている。三人はエレベーターの後ろを横切り、やがて小さなお城の前にやってくる。小さなお城は蔦などの緑で覆われていて、元は真っ白だったであろう壁がくすんでおり、屋根は紺色の古いお城である。屋根は円錐形でいくつか上に出っ張っており、二階建てのようだ。ケイリュウは右下のドアを開けて中に入っていく。龍人としずくも続いて入っていく。

目の前に階段があり、2階に二つのドアが、1階に一つのドアがある。

「2階が王子様のお部屋、1階がお姫様のお部屋でございます。どうぞごゆっくりお過ごし下さい」

しずくは1階のドアの方にすぐに近づいていく。ケイリュウは城の外に退出する前に龍人の耳元で囁く。

「王子様、そろそろばらしても良いのではございませんか?」

龍人はコクンとうなずき、小声で

「そのつもりです。あとは任せて下さい」

ケイリュウはサササッと退出する。

しずくはちょろりとドアを開け、部屋の中をのぞく。目の前には豪華な絨毯敷きの広い部屋が広がっている。

「わあすごい!いいお部屋!」

しずくは勢いよくドアを開け、中に入っていく。


左の奥にはカーテンで囲まれた豪華なベッドがある。右側の手前にはキッチンや食器棚、中央には低めの本棚、奥にはダイニングテーブルとイスがある。しずくが最も心惹かれるのが、右側と前側の大きな窓の外をぐるりと囲む広めの中庭だ。しずくは後ろを振り返り、

「ねえ、龍も入って見ていいよ。この部屋すごいよ!」

龍人は中に入って周りを見渡す。

「本当だ。いいお部屋だね」

しずくは前側の中庭の方に駆け寄っていく。中庭は日射しが入り込んでとても明るく、色とりどりの花や雑草が生えている。花の上には蝶が飛んでいる。しずくは窓を開けて中庭の芝生の上を歩いていく。中庭は低めの、大半が緑で覆われた赤レンガで囲まれている。その赤レンガの前まで来ると、しずくは、はっと息をのむ。

「わあ……きれい……」

そこからは上界の街並みが一望できる。豪華な住宅街や商店街、学校や病院、その他大きな建造物などがあり、一番遠い所には大きな風車が3つ程回っている。しずくが一番見とれているのが、上界の周りを取り囲む海だ。海は日の光をキラキラ反射している。しずくはその景色をうっとり眺めた後、部屋の窓の方に戻って、

「ねえ龍、ここからの景色最高だよ!街はきれいだし、特に海がすっごくきれいだよ!龍も一緒に見ようよ」

すると龍人は無表情で

「僕はいいよ。それに、その海は本物の海じゃないんだ。魔法で見せている、ただの上界と下界の境界だよ」

「え?何言っているの?」

「この国は魔法だらけなんだ。そして、僕は君の知っている神谷龍くんではないんだ」

龍人はパチッと指を鳴らす。短髪に見せていた龍人の髪の毛がバッと長くなって、四角錐がたくさん生えたようなツンツンの形になり、後ろは三つ編みのように垂れ下がっている。これが龍人の本来のヘアスタイルだ。高揚していたしずくの心がみるみる恐怖に変わっていく。しずくは自分の目を疑い、部屋の中に入って龍人に近づく。

「悪かったね。今朝からずっと騙してたんだ」

「え……それじゃあ、それじゃあ龍はどこへ行ったの⁉ そしてあなたは誰?」

「僕は神垣龍人だ。この国の本物の王子であり、ずっと前からここに住んでいる。まあ神谷龍くんのせいで王子から貴族に左遷されそうになったんだけど、龍くんに眠る竜の力というものが強すぎて危険だということになってね。昨夜、君が寝ている間に龍くんと僕が入れ替わり、彼は飛行船の外に捨てられた。落下地点はおそらく下界の外で、頭を打って死ぬことはないにしても、龍くんの体は裸にされていたし、季節は冬だから凍え死ぬか、運よく助かり下界の街に入れたとしても、住む場所が見つからず、食べ物ももらえず飢えて死んでいるかだね。悪魔にさらわれて心臓を喰われるってこともあるしね。いずれにしても生きている可能性は低いと思うよ」

しずくはものすごいショックで倒れそうになる。

「嘘……私たち一回死んでいるんだよね。それでもう一回死んだらどうなっちゃうの⁉ 」

「それは僕にも分からない。たぶん消えてなくなっちゃうか、別の人間に生まれ変わるかだろうね」

しずくは頭を抱え込む。電車の中で龍と出会ったこと、飛行船で結婚式を挙げたことなどを思い出す。しずくの中で、龍は生々しいほどに存在している。

「そんな……そんなの私は信じない!私、下界に龍を助けに行く!きっと生きているはず!」

しずくは被っていた麦わら帽子をダイニングテーブルの上に投げ捨て、ドアに向かって走り出す。

「それは無茶だよ。ここから下界に行くのは遠くて危険すぎる」

龍人は通せんぼするが、しずくはそれを押しのけて部屋を出ていく。

「しずく……」


城を出たしずくは雲の上を走る。エレベーターの右横を通り過ぎ、

「確か螺旋階段があったはず!」

ずっと右の方に走っていくと、やがて下へと続く長い細めの螺旋階段が現れる。

そこはもう雲の端で、階段の脇には何もない。しずくは一寸、怖気づく。だが覚悟を決めたように、

「大丈夫。私ならできる」

階段を一段一段下りていく。


龍人は呆然と立ち尽くす。

「もう諦めると思ったのに……」

龍人はいつの間にかしずくのことを好きになっていた。

「たぶんあいつのことだからエレベーターを使わずに非常用階段を使ってるんだろうな……ドジだもんな」

龍人は少し笑い始める。上ずった声で

「階段から落っこちるかもしれないしなあ……僕が助けに行ってやるしかないか」

龍人はしずくの部屋を歩いて出ていく。


しずくは塔の周りをぐるりと一周、階段を下りた所である。慎重に一段一段下りている。だがふと疑問に思う。

(このままじゃいつまでたっても下にたどり着けないんじゃない?)

そして別の手段を思い出す。

「あっそういえばエレベーターがあったんだった……」

しずくは立ち止まる。夢中で走ってきたから、冷静に判断できなかった。

「どうしよう。戻ろっかな……」

しずくが上を見、下を見、右往左往していると、上から龍人が、

「おーいしずく、階段で下りてるんだろ?危ないから戻ってこーい」

と雲の端の階段の前まで来て大声で呼んだ。しずくはやばいっと思い、

「戻っちゃだめだ。早く下りよう」

一段飛ばしで下り始める。慌てて下りていると、ドレスの裾を足で踏んで、

「あっ!」

つまずいて前のめりになったと同時に強い横風がビューと吹き、階段の横に投げ出された。

「キャああああ!」

しずくは真っ逆さまに落ちていく。


しずくの様子を上から見た龍人は

「やっぱりな……助けに行くか」

目をつぶり、右手の拳を胸に当てる。

「竜の神様、僕に力を貸して下さい」


龍人の精神世界の中。真っ暗闇に竜の顔が浮かんでくる。それが、竜の神である。

「おう龍人か。久しぶりだな」

太い声で竜の顔がしゃべった。

「お久しぶりです。今回は少しだけ力を貸して下さい」

「わかった」


龍人が目を開けた途端、背中から服を突き破って、銀色に光る大きな竜の翼が勢いよく生えた。龍人は両翼をバタつかせて空中へと舞い上がり、急降下していく。


しずくは意識を失っており、塔の横を真っ逆さまに落ちている。そこへ、上からもの凄い速度で龍人が飛んできて、ガシッとしずくを抱き締めるような形で捕まえる。バサッバサッと両翼をバタつかせてスピードを落とし、グルンッとカーブするように、体勢を整えた。空中でピタッと止まり、しずくをお姫様抱っこのような形で抱える。龍人はしずくの顔を見つめる。しずくは目を閉じていて、顔は青白い。

「ちょっと真実を教えすぎたかな……」

と反省する龍人。しずくがほんのかすかな声で、

「待ってて龍……私が助けに行くから……」

うめき声を漏らした。龍人は少しがっかりして

「そんなに龍くんのことが好きなんだ……」

両翼をバタつかせる速度を上げて、上昇していく。


しずくを抱えた龍人がフワッと雲の上に着地した。ケイリュウが駆け寄ってくる。

「王子様、やはり真実をお話しになられたのですね」

「はい……ですが、こんな事になってしまって……僕は王子として失格ですね」

「いえいえそんなことありません」

ケイリュウは龍人の後ろに大きく広がる銀色の翼に目を向ける。

「それより……竜の力をお使いになられたのですね」

「ええ。久しぶりだったので緊張したのですが、うまく力をコントロールできました」

「それは良かったです。……お姫様のことですが……時が経てば納得されるでしょう」

「そうなるといいんですが……」

龍人はしずくを抱えながら城へと戻っていく。





カーテンで囲まれた豪華なベッドの中でしずくはスースー寝息を立てて寝ている。そこへ、カーテンをそーと開ける者が現れる。その者は頭に大きな髪飾りをつけた、侍女である。飛行船の楽屋でしずくの衣装を選んだ人であり、実は龍の衣装を選んだ人の双子の姉である。手にしずくの制服と学生鞄を持っている。

「お姫様、お昼の時間ですよ。そろそろ起きて下さい」

しずくはうっすら目を開ける。目の前にはベッドの天井があり、星々の模様が綺麗である。

「ここは……どこ?」

「あなたのお部屋ですよ」

「え?だれ?」

しずくはゆっくりと体を起こす。ズキッと頭に痛みが走る。

「痛っ」

頭をおさえながら前を見る。

「あ……あなたは……どこかで会ったことがあるような……」

「あらっ覚えてらっしゃらないのかしら?わたくしはあなたのそのドレスを選ばせてもらった人ですよ。わたくしは今日からお姫様の侍女となりました。なんっでも申し付けて下さいね!」

侍女はニコリと笑ってはりきった様子である。

「あ……よろしくお願いします」

「お荷物はここに置いておきますからね」

侍女は学生鞄をダイニングテーブルの上に置き、制服をイスにかけた。

しずくはさっきまでの状況を急に思い出す。

「あ、そういえば!私、階段から落ちて……そのあとどうなったんだっけ?」

「王子様がお助けになられたそうです。もう危険な真似はしないように見張っておけと王さまから仰せつかっております」

「龍人が……え?でもどうやって……あんな高い所から落ちたのに……」

「それはわたくしにも分かりません。ただ、王子様が特殊な力をお持ちになられていることは……あの方は謎が多いですからね……」

「ふ~ん……」

しずくは憂鬱な気分で、

(本当に龍は死んじゃったのかなあ……)

「お姫様、お腹が空いたでしょう。わたくしが何か食事を作ってさしあげましょうか?」

しずくは首を横に振り、

「ううんいいの……あまり食欲がないみたい……でも、喉は乾いてるから、紅茶でももらっていい?」

「わかりました。ホットの紅茶をご用意いたしますね」

侍女がキッチンに行きかけると、しずくは呼び止める。

「あの、それと、私……もうこのドレスはしばらくいいかなあって思って……。着替えるの手伝ってもらっていい?」

「あら、本当にいいのですか?すごくお似合いだと思いますけど」

「うん、いいの……私、制服の方が慣れてるし……」

「わかりました。お手伝いいたしますね」


制服に着替えたしずくは中庭のテラス席で、ポッドに入った紅茶をカップにそそぎながら飲んでいる。紅茶を飲んでは

「はあ」

とため息をつき、また飲んでは、ため息をついている。

ふと、しずくの左上にキラキラ光る粉が降りかかり始める。

しずくの左斜め上には背中から大きな天使の羽の生えた、ピンク色のロングヘアーで全裸の女天使が現れる。女天使は羽をゆっくりと動かして浮いており、その周りには光の粉が舞っている。しずくはまったく気づいていない。

「お姫様、何かお困りごとでもありますか?」

「え?」

しずくは左上を見上げる。そして、目の前の光景にぶったまげる。

「キャッ!嘘!裸⁉ ……誰?」

前から見た女天使は絶世の美女で巨乳、スタイルは抜群である。

「私は天使です。驚かしてごめんなさいね。私が全裸なのは……しきたりのせいなのです」

しずくは女でありながら、惚れ惚れとしてしまう。

「あ……あの……天使さんはどうしてここに?」

「ここら辺を飛んでいたら、ひどく落ち込んでいるお姫様の様子を見て、心配になって来たのです」

しずくは頬杖をつく。虚ろな目をする。

「悩み事なら何でも聞きますよ」

女天使は優しく微笑む。しずくは紅茶を一口飲んだ後、

「私ね、好きな人がいるんです……。名前は神谷龍って言うんですけど……。でも龍は死んじゃったかもしれなくて……」

「神谷龍くんなら有名ですよ!……あ、天使の間ではですけど。なんか、おじさん天使をぶっ飛ばして、悪魔もぶっ飛ばしたとか!」

しずくは目を輝かせる。

「え!それじゃあ龍は生きてるってことですか⁉ 生きているなら今どこに……」

女天使は下唇に人差し指を当ててニコッと笑い、

「うんっ生きてるよ。確か……下界のパン屋さんで働いているとか聞いたけど……」

「本当ですか⁉ 良かったあ……。私、たくさん伝えたいことがあるんですけど、どうしよっかなあ……」

女天使は人差し指をピンッと上に向け、

「手紙を書いたらどう?手紙なら私が下界まで飛んでいって届けられますよ」

しずくは右手の拳を左手のひらの上にポンッと置き、

「それはいいですね!私、紙とペンを持ってきます」

勢いよく立ち上がり、窓の方へ小走りして窓を開け、部屋に入る。


しずくはダイニングテーブルの上の学生鞄を開けて、中のファイルから紙を、筆箱からペンを取り出す。


しずくは紙とペンを持って中庭に戻り、テラス席に座る。A4の紙を縦向きに置き、横書きで手紙の文を書き始める。

『神谷龍へ

龍、私のこと覚えてる?私は梅山しずく。私ね、上界っていうすっごく綺麗な街の中心の塔の上で、お姫様として暮らすことになったの。でもね、初めは龍が王子で、龍と結婚してここで一緒に暮らすんだと思ってたんだけど、王子が別の神垣龍人っていう人に代わってしまって、その人と結婚したことになっちゃったの。私は龍のことが好きで、龍と暮らしたかったのに……。龍は今、下界っていう街で働いているんだってね。私、逢いに行きたいけど、ここから下界はすごく遠いし色んな人に見張られてるし……。もし、もし可能ならだけど天使とか悪魔とかぶっ飛ばした力で上界まで上がって、私に逢いに来て!最後に、もう一つのお願い……私と王子との結婚をぶち壊して! 梅山しずくより』

しずくは書き終えると、紙を三つ折りにして、女天使に渡す。

「この手紙と、返事を書いてくれるかもしれないからこのペンも、神谷龍に届けて下さい」

「わかりました」

女天使は空中で体の向きを変え、大きな羽をバタつかせて飛んでいく。


じいが腕組みをして監視しているもと、龍之介は床の掃除をしている。バケツの中の水を少しずつばらまいてブラシでゴシゴシと壁と壁の間の床を行ったり来たりして汚れを落としている。龍之介は流れ出る汚水を見て、

「まじでこの床きったねー!」

じいがすかさず龍之介の尻に蹴りを入れて、

「文句言うなアホ!」

「いてーよくそじじい!」

「あ⁉ そんなこと言うならバイトの報酬やらねーぞ!」

「えーそれは困りますー」

じいと龍之介はコントを繰り広げている。


龍は、パン屋の裏の倉庫のドアを開け、中からバケツと雑巾を手に持って出てくる。ゴホンッゴホンッと咳き込み、

「なんだこの倉庫⁉ 埃っぽいし、ガラクタばっかだし。これたち探すだけでめっちゃ苦労したよー」

ぶつぶつ文句を言いながらパン屋の裏の砂利道を歩いていく。


龍がじいと龍之介の近くを通りかかると、じいに呼び止められる。

「おーい龍、遅かったな。どうしたんだ?」

「いや、倉庫の中があまりにも……」

〝乱雑すぎて〟と言いそうになって、やべえっと思う。

「ん?倉庫の中が何だって?」

龍は慌てて訂正する。

「いや、違います!あの、俺の経験不足でちょっと手間取ってしまって……すみません!」

ペコリと頭を下げる。じいの顔が少しほころび、いつもより優しめの口調で、

「そうか、それなら仕方がない。水道の場所はわかるか?」

「あっはい、わかります!」

(確か龍之介が火を消すのに使っていた場所だよな……)

と思い出して、パン屋の裏を通り過ぎ、左折して隣の店との間の狭い脇道に出る。


脇道の先には、公園にあるような水道が、パン屋の横の壁に設置されている。龍はそこへ歩いてきて、バケツを水道の下に置き、蛇口をひねって水を出す。ホースの先から水がどんどん出てきてバケツの中に溜まっていく。龍はしゃがんで雑巾を濡らし、ギュッと絞った。雑巾を広げてバケツのへりにかけ、水が満タンになるのを待つ。

ふと、右上からキラキラ光る粉が降りかかり始める。

龍の右上に女天使が大きな羽をゆっくり動かして浮いている。

「神谷龍くん」

「はい?」

龍は右上を見上げる。その途端、

「うわ!女!裸!」

と驚き、後ずさりする。顔が赤くなる。

「ふふふ。ちょっとこの姿は男の子には刺激的すぎるかもしれないわね」

(俺、女の裸なんかネットでしか見たことないし!しかもこの人、めっちゃ美人でセクシー女優みたいじゃん!)

龍は少し興奮気味である。その興奮を抑えながら、

「あの……お美しいですね……。どちら様ですか?」

「私は天使です。あなたにお姫様からの手紙を届けるために上界から来ました」

龍は女天使の後ろに広がる大きな羽に気づく。

(ああなるほど、本当に天使って感じだなあ……)

「お姫様が心を込めて書かれた手紙です。ぜひ読んであげて下さい」

女天使は手紙を龍に差し出す。

「お姫様……」

龍の頭の中の記憶を司る部分が動き出す。「お姫様」というのが自分の記憶の抜けている部分の大切な鍵であるような気がして、濡れている手をズボンで拭いて、手紙を受け取る。三つ折りにしてある手紙を開き、読み始める。

『梅山しずく』『お姫様』『王子』『結婚』

読み進めていくと龍の脳に電撃がビリビリッと走り、脳のシナプスとシナプスがつながって、すべての記憶が呼び起こされる。

学校の帰りの電車の中で梅山しずくと出会ったこと、電車がたどり着いた先の街で自分たちがもう死んでいると告げられたこと、飛行船に落ち、王国の王子と姫に任命されたこと、しずくと夕食を一緒に食べたこと、お城の中で結婚式を挙げたことなど、様々な情景、出来事がありありと思い出された。

「すべてを……思い出した……」

龍は夢中になって手紙を読み返す。

「神垣龍人ってやつが王子……。そいつとしずくが結婚……しずくは上界?で暮らしている……」

龍は空を見上げる。遥か上空には巨大なしいたけのように広がる地盤のようなものが見える。その周りに青空と雲が広がっている。

「あの上に街があるのか?……そこが上界でそこにしずくがいる……」

ジュワッとバケツの中から水が溢れ出している。

「やべえ!」

龍は慌てて水を止める。また手紙を読み返す。

「天使とか悪魔とかぶっ飛ばした力?……ああ、竜の力ってやつか……」

龍はまた空を見上げる。

「その竜の力ってやつであの上の街……、上界に上がれるのか?……いや上がるしかない!このままじゃもう二度としずくに逢えないかもしれない!」

「いいわねえ恋する男女っていうのは。私もそんな時期があったような……」

龍は右手を見つめる。昨夜青白い光が出た手だ。

(もし、もしこの力が本当に使えるのなら……)

「天使さん!俺、返事書きます!あ、でも筆記用具が……」

「お姫様がそれを期待されてペンを私に渡されました。どうぞこれを使ってください」

「あ、ありがとうございます」

龍はペンを受け取り、手紙を裏にして地べたに置き、返事を書き始める。

『しずくへ

俺は下界?で仲間と出会い、バイト先も見つけ、なんとか暮らせている。まだ上の街……上界に行く方法は分からないけど、俺に宿った竜の力で行けるはず……いや、必ず逢いに行く!その時まで待ってて!それと、その王子の神垣龍人ってやつとの結婚も阻止してみせる! 神谷龍より』

龍は書き終えると紙を反対側に折る。

「天使さん、この手紙をしずくのもとに届けてもらえますか?」

女天使は人差し指の先を下唇に当てて、

「ここから上界の塔の上まで飛んでいくのはちょっと大変だけどー龍くんがイケメンだからやってあげちゃう!」

(かっかわいい!)

と内心思いつつも真面目な顔を作って手紙とペンを差し出す。

「あ、ありがとうございます。お願いします」

女天使は手紙とペンを受け取り、

「それではさようならー」

と大きな羽をバタつかせて、斜め上に飛んでいく。

「さよう……なら……」

龍はその美しい後ろ姿を見送る。


竜也はロボットの首の部分を、火花を散らしながら溶接している。もうロボットの首の半周程の溶接を終えている。竜也が溶接した部分は、きれいにくっついており、滑らかな様子である。その完成度を見た雄也は、

「竜也、お前上達早いな。しかも器用だな。何かやってたことあるか?」

竜也は手を止めて、雄也の方を向く。

「あ、そういえば……生前、ガンダムのプラモデルをよく作ってました。急性白血病で入院してたんですけど、その時もガンプラばっかりやっていて……」

雄也はニッと笑い、

「そうか、それじゃあ竜也はガンダムのファンか?」

「はい、そうです!ガンダムの大ファンです!」

「それならこのロボットはお前にはたまらねえかもな。ガンダムほどじゃねえけど、このロボットも戦闘したり、空を飛んだりすることができるんだ」

竜也は目を輝かせる。

「え!本当ですか!」

竜也はロボットを見る。確かに強そうで、カッコイイ感じである。

「じゃあ頑張って完成させなきゃ」

竜也はまた溶接作業に取り掛かる。

「ガラガラ」と竜也から見て前側の、奥の工場との間の日が射し込んでいる所から、全身白ずくめの職員が4段の配膳用カートを押してくる。カートの一番上にはビールのジョッキがいくつか乗っていて、その下3段には、お盆に載った昼食が乗せられている。雄也はそれにいち早く気づき、

「やったあ!酒だ!メシだ!」

と台を飛び降り、被っていた溶接面を外して投げ捨て、走っていく。

「あ……お昼ごはんか……」

作業に没頭していた竜也は自分の腹が異常に減っていることも忘れていた。朝食も食べていないため、急に腹が空いてくる。

雄也はエスカレーターのように斜めに下がっているベルトコンベヤーの左横を通り過ぎ、低めの高さの所まで来るとピョーンと4m幅のベルトコンベヤーを飛び越えて、右側に移った。そして、カートに駆け寄っていく。


しずくは中庭のテラス席で優雅にお茶をしている。ポッドの紅茶の残りを全部カップにそそいで砂糖を入れ、スプーンで混ぜる。テーブルに頬杖をつき、

「天使さん、手紙届けてくれたかなあ……」

バサッバサッと音が聞こえてきて、赤レンガの囲いの下から女天使が現れる。

「あっ天使さん!」

女天使は疲れた顔をしている。しずくのもとへ前進してくる。

「お姫様、神谷龍くんからのお返事です」

「やっぱり書いてくれたんですね!」

女天使は手紙とペンをしずくに渡す。しずくはふと、女天使の顔を見る。美しさが少し失せて、顔色が悪い。

「あの……ここと下界を往復するのは大変でしたか?」

「うん、ちょっとね。でも大丈夫です」

女天使は優しく微笑む。

「ありがとうございました」

しずくは頭を下げた後、ドキドキしながら手紙を開く。

龍からの返事を読み終えると嬉しくて跳びはねそうになる。

「やったあ!『必ず逢いに行く』だって!」

「良かったですね」

「しかも王子との結婚も阻止してくれるって……もう龍ったらーカッコイイ!」

しずくは一人でキュンキュンしている。女天使はしずくを温かく見守っている。

「お姫様が元気になられてよかったです。私は他の用事がありますので、これで退出します」

「えー!もう行っちゃうの?寂しいー」

「ごめんなさいね。また何かお困りごとがあったら呼んで下さい」

「ありがとうございます!」

女天使は空中で体の向きを変え、大きな羽をバタつかせる。

「それではさようならー」

光の粉を後ろになびかせて前進し、赤レンガを越えて下へと飛んでいく。

「さようなら」

しずくは女天使を見送った後、もう一度龍からの返事を読み返す。ある言葉が目に入る。

「〝俺に宿った竜の力〟?……」

しずくは『竜の力』というのを聞いた事あるようなないようなどっちともつかない感じがして、自分の記憶をたどってみる。

「あっそういえば『竜の力』って……龍人が言ってたような……」

しかしそれがどんな力なのかしずくにはさっぱり見当がつかない。

「まあいっか」

ころっと切り換わり、手紙とペンを持ってルンルン気分で部屋に入っていく。


水の入ったバケツを持った龍はパン屋の脇道を通り、右折してパン屋の裏に出る。


龍がパン屋の中に入ると、じいが顔を上げて

「おい龍、遅かったな!今度はどうしたんだ?水道の場所が分からなかったか?」

少しキレ気味である。龍は慌てて口実を作る。

「水道の場所は分かったんですけど、ちょっと話しかけてきた人がいて……すみません!」

龍はまた頭を下げる。じいも少し怒りがおさまって、

「そうか……お客と話すのはいいが、仕事中だということを忘れるなよ。まずは、壁拭きをしてくれ」

(お客じゃなかったけど、まあいいか……)

と思いつつも、

「はい、わかりました」

手前から壁拭きに取り掛かる。


しずくはダイニングテーブルのイスに座って分厚い本を開いて読んでいる。本の題名は『死後の世界』。今、開いているページには、美しき王国の全体の写真が載っており、その下と横に文が書いてある。しずくはその一部を朗読する。

「死後の世界は3つある。4つあるという説もあるが、4つ目の世界はわが王国の人々にあまり認知されていない。3つある世界のいわば中心、統轄的存在であるのが右図の美しき王国である……」

しずくは左のページを見る。左下に載っている写真に目を留める。大きな赤い壁とその周りの草原、草原の上に敷かれた電車のレールが写っている。

「左図はわが王国が統治する一つ目の世界である。特徴的なのが街を取り囲む、二十メートルほどの高さの赤い壁だ。この壁にはいくつか門があり、それぞれの門の前には電車のレールが敷かれている。この門が開くのは、死んだ魂を乗せた電車が現世から来た時のみである……」

しずくは顔を上げる。

「それじゃあ……私と龍が初めてたどり着いたのがこの世界ってこと?……」

しずくは続きを朗読する。

「この壁の中の街はアメリカの田舎町によく似た街並みである。この街の住人は比較的裕福だが、ほとんどが高齢者だ。なぜなら、この街を実質的に支配するわが王国の駐屯兵が、6歳以上の男女、子供や若者を徴集しているからである……」

しずくは飛行船に落ちる前の出来事の曖昧な記憶を呼び起こす。

「これって……もしかして最初に会ったおじいさんが言ってたことじゃない⁉ 」

夢中になって読みながらテーブルの上のカップに手を伸ばす。ポッドとカップの中は空である。しずくは本から目を離して、

「なんか喉乾いてきちゃった……温かいものでも飲むか」

ポッドとカップを持って立ち上がり、キッチンへと歩いていく。

キッチンの台の上にポッドとカップを置き、コンロの上のやかんを取って、蓋を外し、水道水を入れる。半分ほど水を入れて、蓋をし、コンロの上に戻して火をつける。お湯を沸かす間、上の食器棚を開ける。お皿など以外に、様々な種類の紅茶のパックの入った箱がある。

「この紅茶たちも魅力的だけどーさっき飲んだからなー」

そこでしずくは隅にある『coffee』と書かれた小瓶を見つける。

「あっこれコーヒーかな?……初めてだけど、飲んでみるか!」

とコーヒーの粉の入った小瓶を取り、食器棚を閉めた。ポッドの蓋を取り、小瓶を開ける。トントンッと指で叩いてコーヒーの粉をポッドの中に入れる。

「初めてだから、薄めにしとこっ……」

少量入れた所で指を止め、小瓶の蓋を閉める。食器棚に戻すと、

「ピー」とやかんが音を立てた。しずくは慌ててコンロの火を切る。やかんの持ち手を持ってポッドへと運ぶ。

「ジュワ~」と湯気を立てながら、ポッドにお湯を注ぐ。やかんを戻してカップの中の小さいスプーンを取り、ポッドの中のお湯をかき混ぜる。茶色っぽいコーヒーができあがった。

「やったあ!できた!」

ポッドの蓋を乗せて、ポッドとカップを持ってダイニングテーブルに戻る。

テーブルの上に開いて置いてある本の右横にポッドとカップを置き、イスに座る。ポッドのコーヒーをカップに注いで、カップを右手に持ち、口元に運ぶ。ふーふーと冷ましながら一口飲んでみる。

「あ!苦くない!しかもおいしい!」

続けて二口、三口飲む。カップを小皿の上に戻し、また本を読む。パラパラーとページをめくり、一つのページに目を留めた。ページの右上には、空を飛ぶ巨大な紫色の竜の写真が載っており、その下と横に文がある。

「これって……私が電車から見た竜じゃない?」

しずくは文の一部を朗読する。

「死後の世界では時折、右図のような巨大な竜を見かける。人々は竜を恐れ崇めているが、竜が人間に危害を加えることはない。竜がどこから来て、どこに住んでいるのかは不明だが、4つ目の世界から来ているという説もある……」

しずくは左のページに目を走らせる。

「この神秘的な竜の存在と何かの因果関係があるのか、この世界には奇妙な力を持つ者がいる。その力はこの世界に来た千人に一人に宿るとされており、呪いや危険な力などと言われている。わが王国では、この力が関係する事件が報告されている」

しずくは何かがひらめき、顔を上げて、

「もしかして……これが竜の力⁉ 」

ドアをノックする音が鳴った。しずくは慌てて本を閉じる。本の背表紙には

『The world after death』の文字。しずくは後ろを振り向き、

「だれ?侍女のおばさん?」

「僕だ。神垣龍人だ」

途端にしずくはムッとした顔になり、

「なに?なんか用?」

龍人はドアの向こうから

「さっきのお詫びをしようと思ってね。入ってもいいかい?」

「いいけど……」

ドアが開き、龍人が現れる。龍人は青地に右肩が銀色の王子服に着替えた姿である。しずくは龍人をにらみつけ、

「私はまだあなたのこと信用してないんだからね!」

龍人は軽く頭を下げて

「さっきは悪かったよ。僕がちょっと言い過ぎた」

しずくはふんっと顔を横に向け、

「さっき、だけじゃなくて、今朝からずっと、悪いでしょ!」

龍人は頭を上げながら

「あ、そうだったね」

と苦笑いする。顔を上げると、ベッドの横の壁に掛けられたドレスを見て、しずくの制服姿を見る。

「制服に着替えちゃったんだね……」

しずくは体ごとドレスの方を向く。ドレスを見つめながら、

「うん……私、もうお姫様って気分じゃないからね……」

とぼやいた。首をひねって龍人を見て、

「あなたも少し着替えたんだね……。どうしたの?」

龍人は後ろで手を握る。少し緊張した面持ちで、

「前の服に破けちゃった箇所があってね……今、君の侍女の双子の妹さんに縫ってもらっているんだけど……」

しずくは無関心に

「ふ~ん……」

とだけ言ってイスの背に肘を置き、頬杖をつく。

(ばれずに済んだかな……)

龍人はほっと胸を撫でおろす。しずくは足をブラーンブラーンとさせて、

「んで?〝お詫び〟って何をしてくれるの?」

龍人は、はりきった声で

「君に、上界の街を案内しようと思ってね」

(え⁉ あのきれいな街に!)

としずくは一瞬目を輝かせるが、

(でもこの男に惑わされちゃいけない!)

と無理してムッとした顔を作り、

「上界の街は好きだけど……別にあなたとデートしたくないし!」

龍人はがっかりして肩を落とすが、諦めずに、

「デートとかじゃなくて、その……君が昼ご飯も食べてないって聞いたからさ」

そこで、龍人は明るい顔を作り、

「僕の行きつけのカフェがあるんだ……ちょっと遅めの昼食になるけど、そこでおいしいご飯をごちそうするよ!」

(カフェ⁉ おいしいご飯⁉ )

魅力的な言葉にしずくは心を奪われそうになるが、いけない、いけない!と懸命に気持ちを抑えて首を振り、

「お誘いはありがたいけど……私、あんまりお腹空いてないからいいわ」

と言った途端、「グゥ~」としずくのお腹が大きな音を立てた。


夕方の繁華街は、買い物客で賑わっている。しぶしぶという形で龍人についてきたしずくは、内心では楽しみながら周りの店を見回す。

「へい、いらっしゃい!」

と威勢のいいおっさんが客引きをする魚屋や肉屋、八百屋さんなど、市場のような店もあれば、洋服屋や雑貨店、本屋やカフェ、レストランなどデパートのような店もある。どの店も外装がおしゃれで、しずくの目にはキラキラ輝いて見える。前を歩く龍人に、

「ねえ……ここって素敵な所ね……私、気に入ったかも」

龍人は後ろを振り向き、微笑んで

「それは良かった……僕はこの人ごみと賑やかさが苦手なんだけどね……」

(へ~意外)

と思いつつも、しずくの中でこの素敵な場所に誘ってくれた龍人への感謝の気持ちが少し出てくる。

龍人は早めのペースで道の中央を歩いていく。しずくは時折立ち止まってはお店を眺めて、少し遅れ気味である。龍人に追いついた時はもう繁華街のはずれの方に来ていて、人は少なく、店も少ない。

「ちょっと待って……あなたの行きつけのカフェっていったいどこなの?」

龍人は後ろを振り返り、

「この繁華街のはずれに、民家にまざってカフェが一軒あるんだ。もうすぐ着くよ」


辺りはこじんまりとした民家が並んでおり、道には人がおらず、静かである。ふと、しずくは三軒ぐらい先にコーヒーのマークと『Angel coffee』の文字のあるカフェの看板を発見する。

「あれが……例のカフェ?」

「そうだよ」

(ちょっと期待はずれかも)

と思いながらしずくは龍人についていく。


しずくはがっかりして

「はあ」

とため息をついた。カフェは外装が質素で、田舎のカフェとさほど変わらない感じである。上の方に『Angel coffee』と大きく書かれており、その中央に小さな天使の絵がある。全体は民家の様で左下に木製の古風な扉があり、右に木のイスとその上に開いて立てかけられたメニューがある。

「もっとおしゃれなカフェがあったのに……なんでここ⁉ 」

龍人は苦笑いして、

「僕はこういう静かな場所が好きなんだ。それに、このカフェは外見は普通だけど、中がものすごく魅力的なんだよ」

そう言って扉の金属の取っ手を握る。

カランカランと扉を開けると音が鳴り、ウェイターがやってくる。

「何名様ですか?……あっ王子様ですね。どうもこんにちは」

龍人はよほどの常連客なのか、ウェイターの男と顔見知りのようである。

「こんにちは。……今日は二人なんです」

いつも一人で来ている龍人は嬉しそうに言った。

「そうですか。どなたと来られたんですか?」

とウェイターは背伸びして龍人の後ろを見る。しずくは不満げな顔でウェイターを見る。

「ひょっとして……高校生の彼女とかですか?」

龍人は恥ずかしそうに笑って、

「まあ……そんな感じです……」

「それは良かったですね!それではお席にご案内します」

龍人はウェイターにつられて中に入っていく。

(店内は明るそうね。でもどうせしょぼいんでしょ……)

としずくはうつむきながら中に入る。


しずくの後ろで扉が勝手に閉まった。しずくは下を向いたまま歩いている。ふと、しずくは自分の顔がうっすらと映るくらい床が綺麗なことに気づく。

(あら、意外と床はきれい)

そしてしずくは思い切って顔を上げた。目の前の光景に目を奪われる。

「!……」

店内は外から見た感じからは想像もつかない程広々としていて、天井は高く、天井からシャンデリアが下がっている。左側には天井まで伸びる大きな窓があり、外には手入れされた小さな庭が見える。窓側に二人席が三つ、右側に四人席が二つあり、奥に厨房がある。右の席の向こうには色とりどりの花や様々な植物が生い茂っており、壁は見当たらず、一枚の風景画の様である。しずくはあっけにとられて立ち止まり、

「ありえない……」

庭に生えた木々の隙間から夕日が幻想的に射し込んでいる。手前の二人席が空いており、他の席ではお客が静かにお茶をしている。龍人は手前の二人席に案内され、しずくに背を向けて座る。龍人は後ろを向き、手招きする。しずくはあっけらかんとしながら、龍人の向かい側に歩いていく。イスに座る頃には驚きが感動に変わっており、

「龍人の言ってた通り……ここ、中はすごいんだね!」

龍人はしずくの感動に満ちた顔を見て、

「君にもここの良さを分かってもらえて嬉しいよ。ここのカフェは料理もおいしいんだ。何でも好きなもの注文して」

しずくはキラキラした目でメニューを見る。ディナーコースやランチ、ドリンク、デザートなどがある。しずくはランチの『色いろ野菜のハンバーグプレート』に一瞬で決める。

「決まったよ!」

「早いね!……え~と僕はコーヒーだけでいいから、もう注文するね」

龍人はチリンチリンとベルを鳴らす。厨房からウェイターがやってくる。

「オリジナルエンジェルコーヒーを一つ」

「色いろ野菜のハンバーグプレートを一つでお願いします」

「ランチにはドリンクがつきますが、何になさいますか?」

しずくはドリンクメニューを見る。

「え~と……今日は紅茶もコーヒーも飲んだからー、アップルジュースでいいわ」

「かしこまりました。ご注文は以上でよろしいですか?」

二人はうなずく。ウェイターはメニューをテーブルから取って厨房に戻る。

しずくは木でできたテーブルを見て、

「このテーブルとイスも温かな感じでいいね」

「うん、そうだね」

龍人は顔を横に向けて窓の外を見る。小鳥が二羽、窓の近くで芝生の地面をつついている。しずくは龍人の視線を追って窓の外を見る。小鳥を見ているのかな?と思い、

「小鳥がかわいいね」

「うん」

まるでパフォーマンスを見せるかのように、二羽の小鳥はピヨピヨと飛び立って、大きな窓を斜め上に横切っていく。

「わあ!すごーい、飛んだ!」

しずくは一人でパチパチと拍手する。龍人は小鳥を静かに目で追って、

(よくできた魔法だな……)

と感心している。しずくは小鳥を見届けると龍人の方に顔を戻す。唐突に、

「ねえ、あなたっていくつぐらいなの?落ち着いている感じだから、私よりも年上?」

龍人はゆっくりとしずくに顔を向けて、

「18歳だよ。……だから君の二つ上だね」

「ふ~ん確かにそのくらいの感じね……ってなんで私が16って知ってるの⁉ 」

「それは……君を姫として迎え入れる時に、王子でなくなる可能性があった僕にも君の個人情報が教えられていたんだ」

しずくは口をとんがらせて

「え~それってずるーい。あなたは私のこと色々知ってるのに、私はあなたのこと、ほとんど知らないじゃん!」

龍人は笑って、

「はは!……そうだね。それじゃあ僕のこと何でも訊いていいよ」

う~んとしずくは考え込んで頬杖をつく。何から訊こっかなーと楽しみながら

「じゃあ、あなたはいつからこの世界に住んでいるの?」

「僕は3歳のころに死んで、この世界に来たから……15年前からかな。初めは里子として上界の少し裕福な家庭で育てられた。その後、貴族の家に引き取られ、2年前に王子に選出された」

「へ~。それじゃあこの王国のことは知り尽くしているんだね……」

「まあ……大体ね。でも、生前の世界のことは記憶にないし、あまりよく知らないんだ。だから君から色々話を聞かせてほしいな……」

「ふ~ん……後で話してあげるね」

ガラガラとウェイターが配膳用カートを押してくる。カートの上の段にコーヒーとアップルジュースが、下の段にハンバーグプレートが乗っている。

「コーヒーでございます」

龍人の前に小皿に載ったカップのコーヒーが置かれた。

「アップルジュースと、」

しずくの前にコップの中にストローの入ったアップルジュースが置かれ、

「ハンバーグプレートでございます」

テーブルの真ん中にハンバーグプレートが置かれた。

「それではごゆっくり」

最後に伝票を置き、ウェイターはカートを押して去っていく。

しずくは身を乗り出して『色いろ野菜のハンバーグプレート』を見る。

「おいしそー」

木製の丸いプレートの上に小さいハンバーグと白飯、ピーマンやパプリカ、赤カブ、ねぎ、キャベツとコーン、トマト、ほうれん草などがちょっとずつ彩りよく並べられている。しずくは目を輝かせて、

「私……こんなに食べきれないかも。龍人もちょっと食べる?」

「僕はいいよ。晩ご飯も近いし……」

「そーお?じゃあ全部食べちゃおーっと」

しずくはプレートを自分の方に引き寄せて、ケースから箸を取り出す。

「何から食べよっかなー」

と迷い箸をする。龍人は『オリジナルエンジェルコーヒー』をふーふー冷ましてちびちび飲む。しずくはハンバーグを箸で少しちぎって食べ、白飯を食べ、野菜を食べるという順番で食べていく。だんだん口に入れるのが早くなって、夢中に、上品とは言えない様子で食べている。プレートの半分ほど食べ終わると、手を止めて、

「はーあ……お腹が空いてたから一気に食べちゃった。でもほんっとにおいしい」

龍人がコーヒーを味わって飲んでいるのを見て、

「ねえそのコーヒーって苦くないの?」

龍人は口に持っていきかけたカップを小皿の上に戻し、

「苦くなくておいしいよ。その秘密はね……食事中だからちょっと言いづらいけど……天使のウンコがちょびっと入っていることなんだ」

「え⁉ あのウンコが?」

龍人は唇に指を当てて「しー」として、小声で

「天使のウンコは成分が特殊で、コーヒーとよく合うんだ」

しずくはアップルジュースを指さし、

「まさかこれには入ってないよね?」

「もちろん。アップルジュースには入ってないし、入っているのはコーヒーだけだよ」

「よかったー」

とコップを手に取り、ストローでアップルジュースを飲む。チューチュー吸いながら改めて店内を見回し、

「それにしても……おいしいご飯といい、この幻想的な空間といい、本当にここ素敵よね……まるで魔法みたい」

最後の一言に龍人は、はっとなる。

(……しずくに教えるべきか?)

龍人は後のことを考える前に口走る。

「そのご飯は手作りで本物だけど、この店の内装はほとんど魔法で見せているものだよ」

箸を持ち、ご飯へと伸ばしていた手をしずくは止めた。

「え?……今なんって?……」

「だから、この広々とした空間も、大きな窓も、庭も、外の景色も、あの植物たちも、すべて、魔法で見せられた偽物なんだ。本当は……こんな感じだ」

龍人はパチッと指を鳴らす。その途端、店内は一気に狭くなり、大きな窓も庭も、植物もなくなって、壁に囲まれた、小さな窓しかない、こじんまりとした普通のカフェになってしまう。唯一残されているのはシャンデリアのみで、店内は暗めである。慌てて周りを見回したしずくは、

「キャッ!嘘!……」

と箸をプレートの上に落としてしまう。それまで静かだった他のお客たちは、

「え?何が起こっているの?」

「何だ何だこれは?」

ざわつき始める。厨房から、エプロンをつけた、頭の真ん中がはげていて横に白髪が生えた小柄の店長が出てきて、

「何の騒ぎじゃ?」

と周りを見回す。

「ありゃ……魔法が……」

拍子抜けしたように口をポカーンと開けるが、だんだん怒ってきて顔が赤くなり、

「誰のしわざだ!」

とお客たちをにらむ。龍人は少し顔が引きつって、

「店長さん、どうもこんにちは」

ん?と店長は龍人の方を目を凝らして見る。しばし硬直した後、パッと顔が晴れて、

「これはこれは王子様がいらっしゃっておったか」

のしのしと歩いて近づいてくる。しずくは後ろを振り向き、店長を見て、

(あのはげおやじが店長?)

と怪訝に思う。店長が席に来ると、龍人は、

「すみません。僕が連れの者に見せるために魔法を解いてしまいました」

頭を下げた。店長はにこやかになり、

「いやいや王子様がやられたことなら仕方がありますまい。すぐに戻せるんじゃろ?」

龍人は頭を上げて、

「あっはい、すぐに元通りにします」

パチッと指を鳴らすと、一瞬で幻想的な空間に戻る。他のお客は

「なーんだちょっとしたトラブルか」

「さっきの空間は嘘よね……」

と安堵の声を漏らしている。店長は周りを見回して一通りチェックした後、ふむ、と満足げにうなずく。

「いやあ素晴らしい……ところでこのお嬢ちゃんはどなたですか?」

どこか腑に落ちないしずくは、ぼーっと窓の外を見ている。

「この王国の新しい姫です」

龍人の言葉に、へ?この普通っぽい子が?と店長は一瞬真面目に受け取って驚くが、いやいやそんなわけがないと首を振って、

「またまた王子様は冗談がお好きですねえ……ではごゆっくり」

のしのしと歩いて厨房に戻っていく。

(本当のことなんだけどな……)

と思いつつも龍人は少し心配げな顔でしずくを見る。しずくは窓の外を見たまま、

「確かにこの光景はありえないと思ったけど……ちょっと残念かな……」

つぶやいた。二人の間に沈黙が流れる。龍人は沈黙に耐え切れず、

「僕は真実を教えたくなっちゃって……昔からの悪い癖だな」

苦笑いした。『真実』と聞いてしずくは午前中の出来事を思い出す。

(それならあの時の真実も教えてくれるのかしら?)

しずくは龍人の方に顔を戻し、

「もしかして……私が階段から落ちた時に助けたのも、あなたのその魔法の力?」

龍人はギクッとする。

「いや、その……魔法の力ではないよ」

しずくは考える。龍からの返事にあったあの言葉。『死後の世界』という本に書いてあったこと。それらを思い出して、つなぎ合わせ、ある可能性が頭に浮かび上がる。それはどんなものなのか、それを使ってどうやって助けたのかは分からないが、口に出してみる。

「じゃあ……竜の力?」

龍人はかなり焦る。こめかみに冷汗をかくが、平静を装い、

「それは……秘密だ。あの時のことはもう忘れてくれないか?」

やっぱり竜の力だわ……としずくは確信する。でも危険な力ってあの本に書いてあったから、これ以上詮索しない方がいいかも……と思い、

「いいわよ。でも秘密とか真実とか全部教えてくれるわけじゃないんだね……ずいぶん都合がいいこと」

「ごめん……教えられない事もあるんだ」

「ふ~ん……」

しずくは不満だ。ご飯に手をつけることもなく、ぼーっとする。

「もう帰ろっか。なんか楽しくないし、居心地悪いし……」

「え!まだご飯残ってるけど……」

「私、お腹いっぱい。もう十分よ……それに、あなたとあまり話したくない」

がーんと龍人はショックを受ける。しずくはアップルジュースを飲み干してすぐに立ち上がる。

(仲直り作戦も失敗に終わったか……)

コーヒーを飲み干して龍人も立ち上がり、会計に向かっていく。


パン屋の前の通りには買い物客が歩いている。売り場では、龍がパンの並んでいる所の上の窓(厨房の中がのぞける窓)を背伸びしながら拭いている。パンを選んでいる客が数人いて、龍は邪魔しないように時々どいたりして拭いている。厨房の中では龍之介がかったるそうに掃除機をかけており、龍は窓越しにくすくす笑って眺めている。綾香とじいはレジの所に立っていて、綾香は

「ありがとうございましたー」

と元気に会計を行っている。じいは、パン屋の前を通りかかる人々に、

「今夜の夕食にパンはいかがですか」

と笑顔で声をかけている。

龍が窓の左端まで拭き終わる頃には日が沈みかけて辺りは暗くなり、お客はまばらになっている。周りの店は電気を灯し始め、じいもパン屋の電気をつける。じいは龍を見て、

「おーい龍、もう終わりにしていいぞー」

ピカピカになった窓を、龍は満足げに眺めて

「はい、わかりました」

パン屋の裏に戻っていく。


じいは厨房のドアを開けて中を覗き、まだ掃除機をかけている龍之介を見て

「おー龍之介、ちゃんとやってて偉いじゃないかー。そろそろ終わりにしていいぞ」

「へ?」

龍之介は初めてじいに褒められて拍子抜けする。バケツの水で雑巾を洗いながら、そば耳を立てていた龍は、

ーだらけて掃除してたから遅くまでかかっただけなのになあ……とクスクス笑う。じいがドアを閉めた途端、

「やったぜ!終わった終わった!」

龍之介の雄たけびが聞こえてきた。

すべて片づけ終わった龍と龍之介は二人並んでじいの前に立ち、媚びるような目でじいを見る。

「二人とも今日はご苦労だった。今日のバイトの報酬は特別だぞ!」

じいはレジの横の台の上の四角い箱を取って、

「これが、この店自慢の窯焼きピザだ。今夜の夕食にでも食べてくれ」

と龍に箱に入ったピザを渡す。香ばしい匂いが漂い、龍は急に腹が減ってきた。

「それと、いつものフランスパンだ」

パンの入った袋を龍之介に渡す。

「最後に、今日のバイト代だ」

じいはレジからお金を取り出して二人に渡す。一日中働いたにしてはあまり多い金額ではないが、これが龍にとって初めてもらった給料であり、龍はすごく満たされた、嬉しい気持ちになる。お金をズボンのポケットにしまい、

「ありがとうございます!」

頭を下げた。龍之介はもらった金額を見て不満げに「チッ」と舌打ちし、

「まあ……いつもよりはましか……」

とつぶやく。それがじいに少し聞こえたのか、

「ん?なんだって?」

とじいは龍之介の方に耳を傾ける。龍之介は「いつもよりましだなって言ってんだよ!」と言おうとして口を開くが、サッと龍の左手が龍之介の口を押さえて、

「いつもより良い報酬で嬉しいって言ってます」

龍はじいの機嫌を損ねないようにした。龍之介は

「ふんご!ふんご!(違う!違う!)」

とうめくが、それに気づかないじいは満足げに

「そうか、そうか。二人とも、もう帰っていいぞ」

売り場の方に去っていく。じいが十分離れると、龍は左手を龍之介の口から離す。その途端、

「おい!なんで止めたんだ!」

龍之介は龍に向かって少し怒った。龍は小声で

「だって龍之介、さっき文句言おうとしただろ?文句言ったらじいに怒られるし報酬も減らされるかもしれないぞ」

龍之介は落ち着いてきて、

「まあ……そりゃそうだな……」

納得した。二人は帰ろうとすると、売り場から綾香がひょこりと顔を出し、

「二人ともお疲れ様ー」

と声をかけてくる。龍は丁寧に

「お疲れさまでした」

頭を下げる。龍之介はまだ少し不満げな顔でそそくさとパン屋を出ていく。


竜也はお昼休憩の後、一つ目の巨大ロボットの溶接作業を終え、4m幅のベルトコンベヤーに乗せて、ロボットを隣の工場に送った。次に、二つ目のロボットの部品を倉庫から、雄也と協力して運んできて、竜也と雄也は交代しながら、他の二人と共に溶接作業に取り掛かった。作業を終え、二つ目のロボットをベルトコンベヤーに乗せて隣の工場に送った頃にはもう日が暮れてきて、他の二人は今日の業務を終えたということでそれぞれの宿舎に帰り、今はもう夜になって働く人はほとんどいない。さきほど隣の工場の電気が消えて、今は竜也と雄也のいる工場の天井の蛍光灯だけが皓皓と光っている。もう止まっているベルトコンベヤーの横のベンチに二人は座っており、竜也は支給された缶コーヒーを、雄也は缶ビールを飲んでいる。竜也は少し疲れており、帰りたい気分になって

「あの……俺たちもそろそろ宿舎に帰りませんか?あっでも俺、自分の宿舎がどこか分からないけど……」

雄也はグイッと一気に缶ビールを飲んで、

「お前にはわりいが、俺たちにはまだ仕事が残っている。もうすぐアッコさんが来るから、宿舎のことはあとで教えてもらえ」

「はい、わかりました」

と言いつつも、えーまだ仕事があるのかよーと竜也は少し嫌気がさしてくる。

隣の工場との間から敦子が現れて、

「待たせて悪かったね。これからが今日の最後の仕事だよ。私についてきな」

雄也は缶ビールを飲み干して、

「よっしゃあ!」

と勢いよく立ち上がり、空になった缶を横のでかいゴミ箱に投げ捨て、敦子のもとへ歩いていく。竜也はあまり乗り気がしないが、缶コーヒーを飲み干して立ち上がり、歩いていく。


工場の脇道を歩いていく三人。街灯がいくつかあり、左の周りの倉庫群の向こう側にある宿舎の電気の明かりも合わさってかろうじて周りが見渡せる程の明るさである。巨大な工場の横を通り過ぎると、またその隣に工場のような巨大な建物があり、その間に敦子達は右折して入っていく。


うっすらと工場と建物の間に低めのベルトコンベヤーが見える。敦子と雄也はピョーンと4m幅のベルトコンベヤーを飛び越えていく。竜也は暗い中で見えづらいため、跳ぶのをためらってしまう。だが、今はベルトコンベヤーは作動してないし、敦子と雄也は建物の中に入ってしまったため、えい!と思い切って飛び越える。そして敦子と雄也を追って建物の中に入る。


そこは真っ暗でほとんど何も見えない。竜也は敦子に追いつくと、

「アッコさん、ここはどこですか?また何かの工場とか?」

敦子は懐中電灯をつけて壁に光を当てながら

「ちょいと待ちな。すぐに見せるからね」

と壁にある何かを捜している。ふと光を当てた所にいくつかスイッチが並べられている。敦子はパチパチパチパチッと4つくらいのスイッチをONにした。建物の天井の蛍光灯がつき、周りが一気に明るくなった。竜也は中の様子を見ようと後ろを振り向く。目の前の光景に、目を奪われる。

「……すげえ」

建物は体育館のように広く、竜也の20mくらい先に5m級の高さの巨大ロボットが横にずらりと並んでいる。右を見ると三列にロボットが奥までそびえたっている。

敦子は懐中電灯を消して下に置き、感動して立ち尽くしている竜也を見て、

「ここは巨大ロボットの格納庫だよ。全部で五十五体納められているんだ」

「そんなにあるんですか⁉ 」

と竜也は驚き、歩いて真ん中の方に進んでいく。周りを見渡すと、長方形を作るように四方を巨大ロボットが取り囲んでいる。巨大ロボットは、格納庫の入り口付近の一体を除いてすべてが色づけされている。入り口付近の一体だけは真っ白である。

敦子と雄也はその一体の前で話している。敦子が竜也をちらりと見て、手招きし、

「竜也ー。今から作業に取り掛かるからこっちに来な」

「あっはい」

竜也は早歩きで敦子達に寄っていく。

「おーやっぱカッコイイー」

竜也は巨大ロボットを目の前にして、歓声を上げた。その近未来的な姿形や人間が作ったとは思えない程の圧倒的な迫力に惚れ惚れとする。敦子が、ロボットの肩までの高さのある大きな脚立を持ってきて、ロボットの横に脚を開いて置き、

「あんたさ、いつまでぼーっと立ってんのよ。雄也を見習ってちゃんと働きな!」

と叱る。竜也は、はっとして横でせっせと働く雄也を見る。雄也はしゃがみながら絵の具をパレットの上に出して筆で水と混ぜて色を作ったり、缶のスプレーをシューと小さな紙に吹き付けて色が出るか確かめたりしている。竜也は自分の足元を見ると、赤色のペンキの入ったバケツと、青色のペンキの入ったバケツ、はけやローラーなどの道具が床に並べて置いてある。

(え~と俺は何をどうすればいいのかな?……)

戸惑いながらしゃがみ、道具を手に取って眺める。すると雄也が、

「よし、準備完了!」

と絵の具をつけたパレットとスプレー缶や筆を入れたバケツを持って立ち上がり、ロボットの方へ行こうとする。

「ちょっとあの雄也さん!」

竜也は雄也を呼び止めた。

「あの~俺は一体何をすれば……」

雄也は立ち止まり、持ち物を床に置いて、

「わりいわりい。お前に説明するの忘れてたわ。まずはな、ロボットの脚の大部分を、その道具を使ってバケツの中の青色のペンキで塗るんだ。隣のロボットを参考にして、色にむらができないように、またはみ出したりしないようにきれいに仕上げろ」

(え~それって難しくない?)

と竜也は内心思う。雄也はそれを察したかのように

「まあ初めてだから不安かもしれんが、あの溶接作業を上手くこなした器用なお前ならできる。失敗しても、後で俺が修正するから、まずは自分でやってみろ」

竜也は少しやる気が出てきて、

「あっはい、ありがとうございます。とりあえずやってみます」

「よろしくな」

と雄也は言い残し、持ち物を持ってロボットの竜也から見て右横へと歩いていく。竜也も道具とバケツを持ってロボットの左横へと歩いていく。ロボットの右横の脚立の前では敦子が待ち構えており、雄也が来ると

「あんたは小柄なくせに体が重いんだから、上から落っこちないように気をつけなよ」

心配の声をかけた。雄也は脚立を登りながら

「大丈夫っすよー。もう慣れてますから。でもアッコさんも同じようなもんだと思いますけど」

敦子は腰に両手を当てて

「あ~ん?私はね、こう見えても体は軽いの!」

雄也は頂上付近まで登っており、頂上の板の上にパレットとバケツを置いて

「この世界に来てから軽く感じるだけじゃね……」

とつぶやくが、もう離れていて敦子には聞こえない。雄也はバケツからスプレー缶を取り出し、シャカシャカ振る。

「よっしゃあ、始めるか!」

ロボットの肩の上に乗り出して、ロボットの頭の横や上にとんがっている角のような部分に紫色のスプレーをかけていく。

竜也は、雄也の反対側で、ロボットの右脚の前に立ち、隣のロボットの脚と見比べている。

「え~と、横と真ん中の出っ張っている所以外はー……全部青だね」

確認してしゃがみ込み、床に置いたはけやローラーなどの道具を眺める。

「……まずはこのクルクル回るやつで全体を塗って、はけを使って色のむらをなくして……そしてこの小さい道具で細かい所を修正するか」

竜也はローラーをバケツの中に入れてクルクル回しながら青色のペンキをつけていく。余分についたペンキをバケツの中に落としてロボットの脚の一番上に持っていく。

「ちょっと緊張するな……」

竜也は慎重にペチャッとローラーをつけてピーと真ん中まで下ろしてペンキを塗る。隣のロボットと見比べて、

「意外と上手くできるかも」

塗った所の横からまたピーとペンキを塗っていく。


龍之介の家では昨夜と同じように河原の真ん中に火を焚いており、龍と龍之介はそれぞれの段ボール箱に座っている。龍之介はピザにパクついて、

「じゃあ、今朝お前が言ってたしずくって女が実際にいるってことか!しかもそいつがこの王国の姫だと⁉ 」

龍はおいしそうにピザを食べながら

「ああ。俺は記憶を一部失っていた。今日しずくから届いた手紙ですべて思い出したんだ。俺たちは確か、飛行船で王子と姫になるとか言われた……」

「え⁉ お前王子だったのか?……てっきり奴隷かと思ってたよ。……いや待てよ、この国に王子は元々いたはずだが……」

「そうなんだ。本物の王子……神垣龍人だったっけな。そいつとしずくが結婚させられるかもしれない。だから、俺はその結婚を止めるために、上界に行って、しずくを助け出し、できるなら……二人で生前の世界に戻りたい」

龍之介はピザの最後の一口を水筒の水と一緒にゴクンと飲み込み、

「おいおい、いきなりすげーこと言うなあ。まずな、上界に行くこと自体が大変だ。それに、王子と姫が結婚するのは当たり前だから、それを止めるってのも難しい。しかも、生前の世界に戻るっつうのはほとんど不可能だ。……でもまあ、お前の竜の力が強くなれば、上界には行けるかもしれんが……」

龍はピザを食べる手を止め、『竜の力』という言葉に過剰に反応する。

「そうだ!俺に宿った竜の力ってやつでさ、なんとかやれるような気がするんだよ!……まだその力で何ができるのか分からないけど」

龍之介は右手こぶしを顎に当ててう~んと考え込む。

「確かに、竜の力の可能性は無限大だ。でもその力が強くなると危険度も増してくる。俺は実際に見た事があるんだ。……己の力に支配され、死んでいった奴を……」

龍はさきほどまでの興奮が急に冷めてくる。

「死んだ?……」

「ああ……まあ俺たちは一度死んでいるんだけど、もう一度死んだ奴はその時初めて見た。あれは、俺がまだ奴隷工場で働いていた時のことだ……」


二年前の奴隷工場の中。今よりも少し若い敦子と龍之介がごく普通の感じの少年を残して去ろうとしている。少年はさきほど、同僚と殴り合いの大ゲンカをして、龍之介が止めに入って仲介した後、敦子に叱られ、ふてくされている様子である。少年は一人で目を閉じて立ち尽くしている。少年は急に、

「アッコさん、なんか聞こえてきます!」

と目を閉じながら言った。敦子は少年の方を振り返って

「なんだい?反省しろとでも聞こえてくるのかい?」

少年は少し必死の形相になり、

「違います!……竜の神?俺に力を与えてくれる?」

喧嘩はよくあることだったが、敦子はいつもと違う少年の異変に気付き、

「どうしたんだい?幻聴かい?頭がおかしくなったのかね?」

少年に敦子の声は聞こえておらず、目を閉じたまま、興奮したように震える両手を前に出し、

「ああ竜の神様、どうか俺を奴隷工場から脱出させる力をください!……本当に⁉ じゃあ今すぐお願いします!」

少年の叫び声を聞いて奴隷達が作業を止め、数人集まってくる。

「おい少年、どうしたんだ」

「また何かで騒いでんのか?」

などと奴隷達は少年に声をかける。だが少年は全く聞いていない。

「これはちょっと普通じゃないわね。龍之介、あの子が喧嘩してた時に何かおかしなことはあったかい?」

龍之介は少し不可解だったことを思い出す。

「あっそういえば……あいつが殴っていた左手の拳が赤くなっていて、それが初めは血かと思ったんすけど、その後赤色の光を発して、その光が溢れ出してあいつの左手がものすげえ力で殴ろうとして……俺が必死に止めたんすけど」

敦子はいつになく真剣な表情になって

「それはかなりやばいかもね……。私が若い頃ちょっと聞いた事がある呪い、『竜の力』の症状によく似てるわ」

まだこの頃、龍之介は『竜の力』のことなど聞いたこともなく、

「竜の力?……ですか?」

少年の左手から青い炎が出始めた。

「あ!あついあつい!」

少年は目を開けて左手を見る。青い炎がどんどん広がって、作業着で覆われた左腕全体に移り、やがて体や顔にまで移って左半身が青い炎に包まれる。

「誰かぁ!助けて!」

少年の悲鳴を聞いて奴隷達が何人も集まってくる。少年の姿を見て皆、震え上がり、近づかず、少年の周りを大きな輪を作るように囲む。敦子は目を大きく開き、珍しく何も行動を起こせずにいた。それは他の奴隷達も同じだったが、龍之介だけが、

「俺、なんとかしてみます!」

と少年に近づこうとする。だが、敦子は龍之介を腕でおさえて、

「あんたに何ができるって言うんだよ!」

そして、大声で

「みんなぁ!水を持ってくるんだ!」

数人がピクッと反応してその場を離れ、水道へ走っていく。少年は意識を失い、左半身だけがメラメラと青い炎を放ち続けている。ふと左半身の胸の辺りが赤く染まる。胸から、赤色の竜の鱗のようなものがみるみる広がって、顔の左半分が竜の顔になる。少年の左半身の大部分が人型の赤い竜のような姿になった。

「なんだ⁉ なんだ⁉ 」

「気持ち悪!」

周りの奴隷達はざわつく。それを制するかのように、地響きのような太い声が鳴り響く。

「私は竜の神だ……」

その途端、奴隷達は凍り付いたように静かになる。声の主は少年の左半身の竜だ。赤い竜は時々消えては青い炎に包まれたり、また現れたりしながら

「私はこの少年に力を託し、あなた達奴隷を解放させようと思った。……しかしながら」

静まり返った奴隷工場の中で竜の神の声だけが響く。

「この少年は、私の力に適応できなかった。だがいつの日か、私の力に適応できる者が現れることを私は望んでいる」

敦子は恐怖に耐え切れず、

「あんたはいつか、私たちを解放してくれるんかい?」

と訴えた。赤色の鱗で覆われた竜の体の部分は完全に消え、青い炎の中、少年の顔の左半分に立派な角が一本生えた竜の顔が浮かぶ。

「その者が現れた時、あなた達は解放されるか、この街、もしくはこの王国の何かが変わるだろう」

そう言い残すと、竜の顔は消え、青い炎に変わり、やがて青い炎もすべて消えて、少年は元通りの姿に戻った。左半身にも焼けた跡はないが、少年は力なくがくんと膝から崩れ落ち、前のめりに倒れる。龍之介が少年の元へ駆けていく。

「おい!起きろ!」

龍之介は少年の体を揺するが全く反応がない。敦子もやってきて二人で少年の体を仰向けにした。少年の顔は青白く、眠ったように目を閉じている。

「龍之介!その子の心臓は動いてるかい?」

龍之介、少年の胸に耳を当てる。

「……死んでいる……」

龍之介も、敦子も、周りの奴隷達も、あまりにも突然の出来事と少年の死に、強い衝撃を受けたのだった。


元の河原。龍之介が話し終えると、

「それは……本当に怖いね」

龍は少しビビった。

「俺はあの時初めて竜の力というものを知ったんだ。怖い、恐ろしいとか最初は思ったが、その力が俺に宿ったらすげーなとか野望を抱くようにもなった」

龍はピザの二切れ目に手を伸ばし、

「じゃあ、俺は竜の神とかいうのに支配されなければいいのか……でもその神に選ばれないと、強い力は得られない……」

真剣に考え込んでいる龍を見て、龍之介は励ますように、

「まあ、お前なら大丈夫な気がするよ。あの少年よりもずいぶん年上だし、それに、王子に選ばれたこともあるのなら……なんか運とか神とかそういうのが味方してくれるんじゃないか?」

龍之介の言葉に、龍は純粋に嬉しくなる。

「ありがとう。……そうだといいけど……」

ふわあと龍之介は大きなあくびをして、

「なんか眠くなってきたな」

それと同時に腹が大きな音を立てた。

「やべえ、腹も減ってきた。龍、ピザをもうちょっとくれ」

龍之介って本当に面白いしいい奴だな……とか思いながら、龍は箱に入ったピザを持っていく。


竜也は巨大ロボットの両脚の色付けを完璧な仕上がりで終え、今は普通のサイズの脚立の上に乗って、ロボットの右腕の大部分を赤色のペンキで塗っている。雄也も、ロボットの頭や顔の色付けを終え、大きな脚立の中段に立ち、ロボットの左腕を赤色のペンキで塗っている。敦子はそんな二人を下から見守っている。満足げに、

「うんうん、いい感じに仕上がってるわね。竜也、あんたすごい上達早いね!」

竜也は初めは慣れない作業に戸惑いながらやっていたが、次第にロボットの最終工程に夢中になっていき、今では作業に没頭しすぎて敦子の声が聞こえない程だ。

「そうなんすよ。こいつ上達早いんすよ。俺、溶接作業の時びっくりしましたもん」

雄也のでかい声で竜也は顔を上げ、

「えっあ、俺のことですか。……ありがとうございます」

それから少し経つと、竜也は色付け作業を終える。

「ふ~終わったぁ~」

大きく伸びをすると、突如、眠気と疲れと空腹に襲われる。

「竜也、あんたの今日の業務は、これで終わりでいいよ。道具は置きっぱなしでいいから、私についてきな。宿舎に案内するからね」

竜也は待っていました!と脚立を飛び降り、道具を床に置いて敦子のもとへ行く。

「あの……晩ご飯とかも支給されますか?めちゃくちゃ腹減ってるんですけど」

「安心しな。宿舎に用意されてるよ」

敦子は竜也を連れて、格納庫の出口に向かっていく。竜也は途中、雄也の方を見ると、雄也も色付けを終えて脚立を降りている。

「俺もそろそろ帰りてえなあ……」

雄也はつぶやいた。敦子は立ち止まり、

「あんたももうちょっとで終わるから、頑張んな」

「はいはい分かってますよ」

と返事をしながら、大きな脚立をロボットの真ん前に移動する。そしてバッと竜也の方を見て、

「おい竜也、今日ここで初めて仕事してどう思った?」

竜也は急に質問されて驚くが、素直に、率直な感想を言う。

「……最初は奴隷とか言われてどんなひどい仕事が待ってるんだろうと思ってたんですけど、こんなに面白くてワクワクすることができるなんて……本当に夢みたいだし、すごい仕事だと思いました!」

雄也はニッと笑顔になり、

「俺も同感だ。皆は俺たちのことをただの奴隷だと思うかもしれない。だが、俺はこの仕事に誇りを持っている。……だから、お前もその気持ちを忘れるな」

竜也は何か大切な言葉をもらったような気がして、

「はい、ずっと、忘れません。今日は本当にありがとうございました!」

と頭を下げた。雄也は笑って竜也の肩の上にポンッと手を置き、

「今日はお疲れ様。また明日な」

竜也は頭を上げて、

「明日もよろしくお願いします」

敦子は二人を眺めて微笑み、

「あんたらなんか兄弟みたいだね。そんじゃあ竜也、宿舎に行くよ」

「あっはい」

敦子と竜也は格納庫を出ていく。


しずくはあれから龍人と一言も話さず城に帰ってきて、最後の「おやすみ」という龍人の言葉も無視して自分の部屋にそそくさと入り、バタンッとドアを閉めた。はあっとため息をついて部屋の中を見る。ちょうどよい明るさの電気がついていて、前側と右側の大きな窓は緑色のカーテンで閉められている。右奥の暖炉には火が焚かれており、部屋の中はとても暖かい。手前の右のキッチンに侍女のおばさんがいて、

「お姫様、お帰りなさいませ。晩ご飯は何に致しましょうか?」

しずくは本当の家に帰ってきたかのように心底ほっとして、

「さっき食べてきたから今日はいいです。でも、あの……私のためにこんなにいい環境を作ってくれてありがとう」

侍女はニコリと微笑み、

「まだこの王国に来たばかりのお姫様が心地よく過ごせるような居場所を作るのも、わたくしの仕事ですから。……それではお姫様はもう寝られますか?」

「あ……うん、もう寝よっかなあ……今日一日疲れたし」

「そうですか。寝巻きはベッドの上にありますので、どうぞお休みください。それと、言い忘れてたのですけど、わたくしは二階の左側のお部屋で双子の妹と同居しております。何かございましたらいつでも呼んで下さいね」

「はい……」

しずくはベッドの方に歩いていく。

「それでは失礼します」

侍女は部屋を出ていき、ドアを閉めた。

ベッドの上にはピンク色のかわいらしいパジャマが畳んで置いてある。しずくはそれを手に取って広げて、

「まあ……たまにはこういうのでもいいっか……」

あまり気に入らないが、しぶしぶ着替え始める。


竜也の宿舎は小屋のような、一人暮らし用の小さな家といった感じである。両隣にも同じような宿舎があり、横にずらりと何軒か並んでいる。玄関のドアの上に電気がついており、敦子と竜也は玄関の前に立っている。

「これがあんたの宿舎の鍵だからね。なくさないようにしなよ」

竜也は敦子から小さな鍵を手渡された。

「明日の朝、迎えに来るからね。しっかり体を休めなさいよ。ほんじゃ、さいなら」

敦子は歩いて去っていく。竜也はさっそく鍵で宿舎のドアを開ける。


竜也は宿舎の入り口に立って、中を眺め、

「おー意外と快適な感じじゃん」

電気とエアコンがついていて、明るく、暖かい。左側には小さなテーブルとイス、右側にはベッドがあり、奥にはトイレと窓がある。

竜也は裸足で白いフワフワのカーペットの上を歩いていく。

テーブルの上には夕食が用意されており、ピンク色のお盆の上に丸い大きなスープ皿が一つと、いくつかの小鉢、スプーン、箸がある。お皿や小鉢の上には半透明の蓋が被せてあり、中が見えないようになっている。竜也は、

「今日の晩ご飯はな~にかな?」

と楽しみながらイスに座り、大きな皿の蓋を開ける。

「お!やったあ、カレーだ!」

カレーライスは竜也の大好物だ。竜也は喜びながらスプーンでガツガツ食べる。

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