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ゲストハウスは使用人宿舎から王宮を挟んで反対側。敷地の東側に位置している。
季節の草花が植えられたちょっとした庭園の中に建つ、長方形の建物だった。決して豪華絢爛では無いが、しっかりとした石材を積み上げて作られたそれは、滞在中のゲストに一定の安心感を与えるものだった。壁面には各部屋に設えられていると思われる意匠に富んだ飾り窓が並び、沢山の絵画が並んだ蒐集室のようにも思えた。
通された部屋は南側の角。一通りの生活に必要な家具が揃えられた、滞在するのには十二分な部屋であった。少なくともローリエの屋敷で与えられている小部屋よりは格段に広く、天蓋つきのベッド、ゆとりのある腰掛に、茶器を広げるのにちょうどいいサイズの丸テーブル、子ぶりながらも使い勝手の良さそうな文机は、あの日当たりの悪い薄暗い空間には存在しないものだった。
「わぁ……ここ、本当に使っても良いんですか?」
マルグリットは部屋に入るなり目を爛々と輝かせて、部屋中を仰ぎ見るようにくるくると回っていた。実家の資質よりも整備の行き届いた部屋だ。それこそ使用人で粗末な相部屋暮らしの彼女にとっては夢心地だろう。淑女としては少々どうかと思うが、これくらいは難役を引き受けた役得として大目に見る事にする。
「オードリィ様、滞在中はこちらの部屋をお使い下さいませ。ルーフェン様のお部屋はこのお隣となっております。後程、お二人の部屋付きメイドがご挨拶に伺いますので、ご不明な点、ご不便な点は、何なりとお申し付けください」
案内を引き受けてくれたメイドは部屋の中へ僕らを通すと、深く一礼をして音もなく立ち去って行った。その所作、振る舞いは一介のメイドにしては落ち着きと気品に溢れたものであり、遠からずも近からず、貴族に縁を持つ人間であるように思えた。
地方の屋敷であれば、雇われる使用人の大半は生活の為にすすんで奉公に来た平民の出や、どこかから売られて来た流れ者の男女である事が多い(男は『高い』ので女が圧倒的に多いが)。しかし、王城に至っては違う。生活のために働いている者も確かに多いだろうが、中には紳士としての所作や礼節、社交界での対話術や生き様を学ぶために来た貴族の息子たち。家名に箔を付けたり、名家とのコネクションを得るために遣わされた娘たちも居るという。
とりわけ重鎮や、それこそ国王や妃、王女等に仕える使用人には、相応に由緒ある家柄の者が宛がわれているという話である。そりゃ、どこの馬の骨とも分からない輩に、王族のプライベートを任せる事はできない。
「そんな事よりも……聞かないのか、さっきのこと」
「え……?」
はしゃいだ様子で部屋のものを見て回るマルグリットの背に、意を決して声を掛ける。さっき……と言うのはもちろん、中庭での発作の事だ。
「あ、あの……ごめんなさい、何のことだか……」
「……なら良いんだ。忘れてくれ」
気を使っているのか、本当に分かっていないのか、どちらにしても詮索する気が無いのなら蒸し返す必要もない。その方が個人的にもありがたい。
マルグリットは怯える小動物のように、こちらの顔色をうかがっている。楽しんでいた所に水を差してしまったようになった事は、素直に申し訳ないと思った。
やがて、タイミングを見計らったようにドアがノックされた。
「失礼いたします」
良く通る声が聞こえると、軋まぬようドアが静かに開け放たれた。その先で一人のメイド少女が、やや粗雑にお辞儀をしてみせていた。
「オードリィ様、およびルーフェン様のお部屋を担当をさせて頂きますリアです。よろしくお願いいたします」
と、どこか投げやりなイントネーションで挨拶した少女を前に、思わず大きなため息が漏れる。先ほどの使用人の話……あれはゲストに対しても同じことで、その人となりに合わせたパーラーメイドが宛がわれるものだ。
「……あの、どうかなさいましたか?」
「いや、他意は無いんだ。すまない」
まあ、そうなるよな……付き人が平貴族となれば許容の範囲内だ。正直、基礎教育すらなっていなさそうな態度は流石にどうかと思うが。
「本来私が部屋までご案内する手はずでしたが、シルフェリア様にお召し物を運ぶよう言いつけられ遅くなりました。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いいたし――お願いします」
メイド相手に敬語を使いそうになったマルグリッドの小脇を肘で突くと、彼女は慌てて言葉を言い直した。リアと名乗ったメイドは少々不審がってそれを眺めていたが、すぐに、台車に乗せられた大量のドレスを部屋の中へと運んでいくのであった。
「普段仲間としているのと同じように話せば良いだろう」
「そ、そうは言いましても、やっぱり慣れなくって……」
小声で嗜めると、彼女はすっかり消沈してしゅんとしてしまった。
ダメだ。やはりもう一度しっかり貴族社会での振る舞いをレクチャーしなければ、この先に不安しか残らない。まだ問題は山積みだと言うのに。
「それでは、私は自分の部屋でお嬢様のお召し変えが終わるのをお待ちしております。リア、すまないが僕にも代えになりそうな服を用意しておいてくれないか?」
「かしこまりました。少しお時間を頂くかもしれませんが、お待ちください」
「ああ、頼んだ」
それだけ言い残して、僕はマルグリットの部屋を後にする。
廊下へ出て扉を閉めると、久しぶりに僕は一人になっていた。
さて……女性の着替えは時間が掛かりそうだし、しばらくは自由だ。部屋ですぐにでもベッドに倒れ込みたいが、今のうちに準備のできるものは済ませてしまおう。
僕は存在を確かめるように懐を探って、一本の親指程の小瓶を取り出した。状態を確かめるように軽く振ってみると、中の赤黒い液体がドロリと揺れ動いたのだった。