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雨上がりのクールドリヨン ~劣等貴族の下克上~  作者: もがみのどか
5章 雨上がりのクールドリヨン
48/52

5-10

「ルーフェンの言った通り、やっぱりアンタ……狂ってるわ」


 軽蔑の視線を送りながら、リアは苦虫をかみつぶした表情で吐き捨てる。だがアレクセイはどこか嬉しそうに、天を仰いでくるりと回ってから、恭しく彼女へ頭を垂れた。


「お褒めに預かり光栄だ。狂っていなければ、もはや私は自分を保てない。こんな事、できやしないのだからね」


 狂っていなければ自分を保てない。それはまさしく、道中の事故を経てからずっと王都で僕が直面していた状況だ。狂っていなければ、常軌を逸していなければ、自分の存在が希薄になってしまいそうでどうしようもなく不安になる。そうして僕は、取り返しのつかない過ちを犯すところだった。だから、共感すべき点はある。


「――それは……違うと思います」


 不意に聞こえた掠れた声に、僕もリアも、そしてアレクセイさえも驚き振り向いた。


「マ、マルグリット、あなた――」


 声の主――マルグリットは、リアの腕の中で苦しそうに咳き込みながらも、それでも強い意志を持った瞳でアレクセイの事を真っすぐ見つめていた。


「違うとは……どういう意味だろうか?」


 無表情で抑揚のない声で、アレクセイは問う。自らの行いを、選択を、人生を否定されたであろうその言葉に、表に出さない怒りがわき上がっているのを肌で感じていた。だが、そんな彼に対して『あの』マルグリットが怖気づかずに、たどたどしい口調ながらも、言葉を紡いで見せた。


「あなたはただ、怖かったんです……自分の居場所を失って、自分の未来を失って。分かります……だって、私も同じだったから」

「同じ……だと?」


 ぴくりと、目に見えて分かる程度にアレクセイの表情が反応を示す。


「あなたは縋るものが欲しかったんです……当然です。だって、転んだら立つために杖が欲しいものですから……私の場合はそれがルーフェン様。あなたの場合は、セドリック様の意志――きっと、それだけの事だったんです」

「……私がただ、自分を慰めるためだけにこれほど大きな事を成そうとしていると?」

「そ、そこまでは言っていません……ただ……監獄で悩むあなたの傍に居たのがセドリックさんではなく、私だったらな……と、そう思ったんです」


 マルグリットの言葉は、僕自身にも強く響くものだった。存亡の窮地に立たされて、悪魔の囁きに耳を貸す事だけが生き残る術だと思っていた。だが、違うんだ。それはきっと、勝手に思い込んでいただけだ。自分の判断に捉われず、状況に流されず、誰かに頼るべきだった。土砂に巻き込まれたあの後――堂々と災害の生き残りとして王城に参上し、今後の処遇を相談すれば良かった。全ては狭い視野の中で思い込んだ、間違った判断によるものだった。

 だが僕はその間違いに気付く事ができた。正す機会を得る事ができた。彼と僕との決定的な違いは、自分の未来を信じて託せる他人が居たかどうか――だ。きっと死に間際のセドリックにとって、アレクセイ自身がそうであったように――。


「ふ……ふははははっ!」


 アレクセイは、唐突に目元を左手で多い天を仰ぐように大きな声で笑いだした。


「お前が私を救うと……そう言っているのか!? これは傑作だ! お前如きに私の何が分かる!? 『平民如き』のお前が、私の何を救えると言うんだ!」

「……っ!」


 その言葉を受けて、マルグリットは泣きそうな目で身を屈めて怯えて見せる。リアは自らを盾にするようにして彼女を抱きしめて、そんな彼女を守っていた。

 だが、今の一言でハッキリした。僕は拳を強く握りしめると、彼を見据えて言った。


「――お前には、この世界は変えられない」

「……何だと?」


 あの威圧的な表情がこちらを向いて肝が冷えたが、それでも僕は言葉を止めない。


「結局お前の芯には血縁主義が刻み込まれているんだ。革命の機運を作るなら、貴族ではなく民の視点から行うべきだった。愛する者のための復讐でも、一族の歴史を消す必要なんて無かった。すべては血縁に――貴族と言う枠組みに捕らわれた行動だ。そもそも、アローの家を消滅させてお前は自身はどうする? 王国を破壊して、新しい世界の王にでもなるつもりか?」


 僕の問いに彼は何ともつまらなそうな表情で視線を流すと、明後日の方向を向きながらぽつりぽつりと確かめるように口にする。


「そうだな……誰でもない私になれば、それは生きながらに死んでいるのと同じだ。なら、愛すべき者の後を追うのも悪くない」

「新しい世界へ人々を導きながら、その先は放り投げるのか?」

「私にとっての『革命』は手段であり目的じゃない。復讐と同じ、『こと』のついでに過ぎないのだよ」

「それが独りよがりだと言うんだッ!!」


 僕は手のひらに食い込むほどに飾りボタンを握りしめると、手当たり次第に、目につく木片、石片、書籍をアレクセイめがけて撃ち出した。その全てを彼は取るに足らないもののように、生み出した炎で灰へと変えていく。


「無駄。無駄だ! 元素を『生み出す』力は神に授かりし大いなる力のうねりの『本流』。神が世界に生み落とした『借り物』を支配するのとは訳が違うのだよ! それが今のこの世界の規律ルールだッ! 君が恨み、私が片手間に破壊しようとする、絶大なる力の制約だッ!」

「そんな事は分かってる……ッ!」


 アレクセイの放った火炎が視界にちらつき、僕は咄嗟に床を転がった。長い間炎で熱された続けた石畳が、まるで灼熱の鉄板の上のように僕の肌を焼き付ける。耐え難い苦痛が脳髄を駆け巡ったが、それを圧して僕は彼への『攻撃』の手を止めない。


「だから無駄だと――」


 言いかけた視界の端、彼の周囲を取り囲む炎のカーテンを突き抜けて、黄金に輝く鋭い光がその頬を掠めて行った。僕が機を見て飛ばした金の燭台の針――それは直接アレクセイ自身を狙ったハズだったがちらつく炎で目標がずれて、頬に一筋の血を滴らせると共に、彼の背に揺れる三つ編みの『房』を抉り取るに留まった。網目が解けた黒髪が、熱風に煽られて漆黒の翼のように広がった。


「――木や石は灰にできても、金を蒸発させる火力は無いみたいだな」


 目測を外しながらも、精いっぱいの嫌味を込めた表情と声で彼を煽る。無関心を装ったアレクセイの表情に、くっきりと青筋が浮かび上がるのが見えた。


「お望みとあれば――」


 途端に、部屋を包み込んでいた炎の勢いが増した。熱風を巻き上げ激しく揺れるその火柱達は、まるで大勢の人間がホールを舞う激しくも優雅な舞踏会のように、そして騎士達が舞う鋭くも美しい剣の舞のように、例え距離が離れていても僕の顔を、服を、確実に焦がしていく。


「その屍は、灰すらも後世に残らぬ事を知れ……ッ!」

「ルーフェン……!」


 まさしく炎神とでも言うべき情景のアレクセイを前に、部屋の隅でマルグリットを庇い続けているリアの声が僕の名を呼ぶ。

 分かっている……もう、そう長くは持たない。このままでは僕どころか、その余波で彼女たちすらも危うい。位置取りが悪かった。ドアの傍なら彼女たちだけでも何とか先に逃がしたものを。部屋の奥はそれほど床が熱くないのか、床にへたり込んでも彼女たちは平気そうな顔をしているが、それもいつまで持つのか分からない。

 傍の窓から飛び降りさせるか?

 いや……冷静に考えろ。ここは大豪邸の二階だ。いくら外が豪雨で地面がぬかるんでいるとは言え、この高さから飛び降りて無事で済むハズが無――そこで、ふと思い至った。『借り物』――か。僕はもう一度、部屋の位置関係を確認する。大きな部屋の中央で、大量の本と僕が倒した木棚がごうごうと燃え上がる。その傍にアレクセイ。奥の窓辺にリアとマルグリット。そしてアレクセイの意識は、入口側の僕に向いている――


「――リア! どんな方法でも良い、窓ガラスをぶち破れ!」

「え……え!?」


 答えを出すより先に、口が動いていた。僕の指示を受けて、彼女は訳が分からない様子で戸惑いの表情を浮かべた。


「何も考えず叩き割るんだ、急げ!」

「ああああああ、もう、分かったわよ!」


 彼女は辺りをぐるりと見渡すと、アレクセイが絵画を取り外した机に駆け寄って備付けの大きな椅子を掴む。そして、窓辺に引きずるように持ち出すと渾身の力を込めて振り上げた。


「せやああぁぁぁぁぁっ!」


 けたたましい破砕音と共に、この部屋唯一の窓ガラスが粉々に砕け散って、炎に照らされ煌きながら夜の闇へと消えて行く。熱気の充満した室内から、不意に空いた通気口めがけて灼熱の突風が吹き荒れた。


「窓から離れて伏せろッ!」


 僕が怒鳴り声を上げると、リアはすぐさまマルグリットを押し倒すようにして部屋の隅に倒れ伏す。僕もまた、焼け付く石畳の上を転がって部屋の隅に丸くなった。


「何を一体――」


 訝しげな表情を見せるアレクセイだったが、その直後に目の前で起きた事にその目が見開かれた。部屋の外へと吹き荒れる熱風。そして部屋の外から雪崩れ込む新鮮な空気に触れて、巨大な焚火が彼の意志を離れ、爆発的に勢いを増して行く。

 次の瞬間。空を照らす太陽のように強烈な閃光と共に、巨大な炎の塊が部屋全体を飲み込むようにして、溜めに溜め込んだエネルギーを放出した。

 言葉で表現できないほどの熱風と光、炎、そして衝撃が屋敷全体を大きく揺らす。

 熱さはもはや知覚を通り越して何も感じない。代わりに放たれた轟音が耳を劈き、脳漿をこれでもかと揺るがした。ぼんやりと白い靄が掛かったような視界。キーンという耳鳴りと、ぼんやりと腫れぼったい意識。僕の一張羅だった濃紺のジャケットは焼け焦げボロボロで、感覚が戻るにつれて前進の肌をチリチリと焼け付くような痛みが襲う。

 僕は頭を振って意識をはっきりさせると、まだ虚ろな視線で部屋の中を見渡した。

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