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雨上がりのクールドリヨン ~劣等貴族の下克上~  作者: もがみのどか
5章 雨上がりのクールドリヨン
47/52

5-9

「……いくらか確信は得ているようだが、おそらく君の勘づいている通りだ。私は貶められた。四人の諸侯と弟――そして、私の母に」

「母……?」


 アレクセイはぐるりと眼球を動かして肩越しに僕の姿を捉えると、だらしなく開いた口で語り始める。


「母は優秀な人間だった。家督こそ弟であり長兄である父が継いだのだが、彼は臆病な男でね。対人関係を恐れて社交界にもめったに顔を出さなかったわけだが……それを良しとして、実質アローの家を仕切っていたのは母だった」


 アロー家が社交界に顔を出さなかったのはそのせいか……大きすぎる家だ、姿を現さない事でその品位が落ちる事は無かっただろう。


「父は身体も弱かった。どうやら、人一倍老化が早い奇病だそうでね。見ただろう、肖像画の彼を。あれでもまだ四〇を数えていないのだよ」


 あの老人が父……なら、ふくよかな女性が母という事か。


「父は母の傀儡だった。母の采配に、アローの紋を押すだけの生涯だ。それはそれで充実していたと思うよ。夫婦仲は悪くなかったようだからね。だが、父の死期が迫って私が家督を継ぐ準備が始まると、状況は一変した。自惚れるようだが、私は優秀な男でね……十七の時には既に自分の船と航路を持ち、シャルドンの泡葡萄を土産に周辺国家と大きな取引を行っていた。逆に弟は手がかかる男だった。勉学でもなんでも、何かと失敗をしては母に泣きつくような奴だったよ。そんな僕が家督を継ぐとなれば、面白くないのは母だ。昔からそうだった。全く手間を掛けずに勉学も、剣も、対人関係も、全てを憂愁にこなした僕と、手間を掛けて自分を頼って育った弟。母は、弟を溺愛していた。そして、不出来な弟が家を継げば、アロー家は変わらず自分が仕切る事になると――そう考えたハズだ。四諸侯に声を掛けたのも彼女だと、弟から家督を奪い返してから母に懇意にしていた使用人に聞いたよ」

「ま、まて……その母と弟はどうしたんだ」

「弟の妻――下の妹諸共、シャルドンにある屋敷と共に、既に消し炭になっているよ」


 その場に居た誰もが言葉を失った。この国に於いて、同族殺しは最大の禁忌だ。それだけでも極刑や終身刑は免れない。それをさらりと、何の感情もなく告白するだって?


「流石に狂ってる……僕には分からない。家督を奪われる事は、それ程の恨みを孕むものなのか?」

「家督を奪われた事はどうでもいいさ。私も少なからずアローの歴史に敬意は抱いていたからね。むしろ、陥れられた事を知るまでは弟達の今後を心配すらしたものだ」

「なら何故――」


 問いかけると、アレクセイはモウモウと巻き上がる黒煙に覆われた天井を仰ぎ見る。

 そして、天に上った故人を偲ぶような優し気な声で呟いた。


「ニーナ……なぜ君は、死ななければならなかった?」


 その名前に、何となく聞き覚えがあった。だが、思い出せない。

 喉に突っかかる思いの僕の代わりに、答えを出してくれたのはリアだった。


「あっ……アロー家の長女の――」


 思い出した――昨晩、街の中でリアが語ってくれた調査報告。その中に出て来た名前だ。確かアレクセイが投獄された後、自殺したと――


「――は? ……いや、嘘だろ?」


 瞬間、脳裏に閃いた答え。しかし僕は思わずそれに疑問を持った。

 だが、そんな僕の反応にアレクセイはニヤリと口の端を釣り上げると、またその濁った瞳で呆然とする僕の姿を捉えた。先ほど炎に包まれた大きな木棚が、炭の塊となってがらりと音を立てて崩れる。


「彼女は妹であり、長女であり――私の婚約者だった。彼女が生まれた時から決まっていた事だ。だが、そんなものは関係なく、僕は彼女を愛していたよ。妹として、未来の妻として。彼女もまたそうだった。二人の明るい未来を、幾度となく語り合った」


 血の濃さが《力》の強さとなる以上、大きな家であればあるほど親族間で結婚する事も珍しくない。そのせいか分からないが、時たまアレクセイの父のように奇病が発生する事もあるが……それでも、そうやってこの国は成り立って来た。

 アレクセイもまた、そうだった。だが、それで……そのせいで?


「なのに、彼女は逝ってしまった……それを知ったのは牢を――島を脱してからだ!」


 途端に彼は興奮したように、両手で顔を覆って前髪を掻きむしった。


「何故死んだ!? 何故、死ななければならなかった!? 自殺だと……? 死ななくて済む方法はいくらでもあったハズだ! だが弟も、母も、末妹もそれをしなかった! それはもはや、奴らがニーナを殺したも同然なのだ!」


 ぼ……暴論だ。確かに、アレクセイを陥れた家族がその婚約者であるニーナもないがしろにした可能性はある。だが、自殺をどうやって止めるって言うんだ?


「じゃあお前は、婚約者の無念を晴らすためにアローの家に復讐するのか……?」

「馬鹿げていると笑うか……? だがそれが、私が獄を脱した理由の根源だ」


 顔を覆った指の隙間から、あの濁った瞳が炎を仰ぐ。暗雲のように淀んだ輝きの奥に、僅かながら黒曜石のような邪気の塊が炎に照らされて見えたような気がした。


「馬鹿げてるわよ……たった一人の為に、どうしてそこまでできるの!?」


 理解できない様子で声を荒げたリアに、アレクセイは嘲笑じみた笑みで答える。


「――復讐は、私の『愛』だ」


 今までの何よりも重い言葉で、彼はその言葉を口にした。


「相手は親族に凶悪犯を生んでもなお傾きもしないほど強大だ。なら、もっと強大な力で抑えつけ、蹂躙し、破壊するしかない……その方法を教えてくれたのがセドリックだった。彼は本当に優秀な男だったよ。残してきた家族の事を心から心配していた能天気な私をすっかり目覚めさせてくれた。その上で、アローの家を破壊する術を教えてくれたのだ」

「セドリック……彼がどうして、国王陛下の事を?」

「簡単な事だ。宮廷医師として、彼がロンベル殿下を取り上げたからだ。そして、不幸な奇病によって生後間もない殿下の命が失われるのも目にした。エーテルランド王家は代々子種が少ない……焦った当時の国王フィリクス三世は、国内で時を同じくして生まれた赤ん坊と、自分の赤ん坊とのすり替えを画策した。当時はまだ緋紋戦争の真っ最中だそうでね。『世継ぎが死んだ』という敵に塩を送るような話題を公表するわけにもいかなかったそうだ。そのため、偽物だとしても世継ぎの存在が必要だったのだよ。唯一その事を知るセドリックは、真実の露呈を恐れた国王の手によって終身刑を課せられた。罪状は『不明』だそうだ。極刑を選ばなかったのはせめてもの情けだと思われるが……フィリクス三世には感謝しなければなるまいな」

「彼はその事を恨み、お前を通して無念を晴らそうとしたという事か」

「いや……それは違う。彼も聖職者の端くれだ。自身に課せられた運命に関しては、受け入れこそすれ恨みなどしていなかった。だが、獄中で何十年にも渡る瞑想を続け、至ったらしいのだよ――この世界のあるべき真理の姿に」

「それが……血縁主義の破壊だと言うのか?」


 アレクセイはそのまま小さく頷いた。


「彼が言うには『未来』を見たらしい。血縁による多少の優位性は残っていても、それで人生の全てが決まるわけではない、遥か遠い未来の姿を。決して全てが幸福とは言い難いが、人が自らの意志と希望で自らの幸福を掴もうとするその世界に、真の理想郷を見たそうだ――流石にそこまでの事は、私も鵜呑みにはしていないがね」


 そう言って、自嘲するように含んだ笑いを浮かべる。


「だが、彼は死の間際までその真理を夢見た。そして私へと託したのだ――それを成すための『パンドラの箱』の在処と共に」


 人が自らの意志と希望で幸福を掴む――そんな世界、ほんとうにあり得るのだろうか。人が自らの意志で自分の未来を決め、人生を歩む。決められたレールも無く、当然生まれによる嘲笑も無い。努力が報われる世界――それは真理と言って過言でない。

 アレクセイはそこまで語ると、すっと意識を入れ替えるようにしていつもの自信に満ち溢れた姿に戻り、佇んだ。


「問おう、ルーフェン君。私は何か、間違った事をしているかな?」

「…………」

「私はただ、この国の未来を憂う者の遺志を継いで真実を語ろうとしているだけだ。それを自らの私怨の精算に利用こそすれ、決して私利私欲のためではない。そんな私を、君は糾弾するのかね? 望むべき真理の世界が来るかもしれないと言うのに――」


 僕の心の中を読んだように問いかけて、彼は乱れた前髪を掻き上げた。薬指の指輪に刻まれた《炎鴉》の紋章が、炎の反射を受けてまぶしい程に輝く。


「……間違ってはいない。お前のする事は、この国の未来のためになるかもしれない」


 それを聞いて、彼はうっすらと勝ち誇った笑みを浮かべた。


「だが……その『箱』を開けてしまったら、きっと多くの人間の心を逆撫で、多くの血が流れる事になる。そこまでの事をしての革命の意味が果たしてあるのか?」

「流血を伴わない革命など存在しないよ。太古の昔から、国の在り方が変わるときは菅らず人の血が流れたものだ」


 悪びれる様子も無く彼は答えた。ああ、そうか――だから僕は彼と相容れないんだ。


「いずれ、そう言った世界を望む声が自然と上がるかもしれない。それにより、革命が起こる可能性だって――だが、それは『今』じゃない」


 僕は確固たる自信を持って、そう答えた。

 そんな世界の在り方を知った今なら、ゆっくりでも国の在り方を変えていく事もできる。それが本当にこの国の為になる事ならば、きっと『彼女』ならばそうするだろう。だが今、多くの流血を伴って急激に世界を変容させる必要はどこにもない。そんな事、『彼女』は望みはしない。アレクセイにはアレクセイの都合があるように、僕には僕の都合がある。彼女の愛する国を、民を、共に愛すると言う都合が。

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