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「何を……しているんだ?」
あまりの状況の逸脱に、僕は思わず聞き返してしまっていた。彼は含んだような笑みを浮かべると、「ごらん」とでも言うように焚火へと手を差し出した。
「たった今、燃やしていた所だよ。このアロー家の歴史と言うものをね」
そう言ったアレクセイの視線の先、燃える炎の中の表紙が僅かに読み取れた。完全なタイトルこそ判別できなかったが、断片的な単語からおそらくアロー家歴代当主の自伝や関わった事業の記録、国の歴史と共に歩んだアロー家の記録書が山となって炎に包まれていた。それを見つめながら、彼は満足げに深呼吸をして天井を見上げる。モクモクと天を這う黒い煙が、行き場を無くして廊下の方へと漏れ出していた。
この一言で全てを理解した。自らを陥れた者達へ復讐し、尚も彼が復讐を望む相手。
――それが、彼自身の『家』であった事を。
「――マルグリット!」
叫びながら駆け出したリアに、僕は慌てて目で追った。部屋の奥、最も火の手が少ない窓辺にマグリットは倒れていた。リアは彼女を抱きかかえ、何事か叫びながら揺すると、やがて苦しそうに咳き込みながらうっすらと瞼を開いた。
「リア……さん?」
薬でも飲まされたのか、朦朧とした彼女の表情。それを見て、リアは両目いっぱいに涙を浮かべながら力強くマルグリットを抱きしめる。そして「ごめんね……ごめんね」と赦しを乞うかのように繰り返し口にした。そんな彼女達を横目に見ながら、アレクセイはにこやかな笑みを浮かべながらゆっくりと手を叩いて見せた。
「ふむ、感動をありがとう。リアはそのままマルグリット嬢を火の手から守っておいてくれ。まだ、聞かなければならない事があるのでね」
「どの口が……仮にも手を貸した人間を簡単に売っておいて!」
「何をいまさら……君は今のこの国にとって不利益になる行為に加担したんだ。結果自体は至極当然のものではないかな?」
「この……人でなし!」
リアは親の仇でも見るような目でアレクセイを睨みつけた。アレクセイはそれを受けて小さく肩を竦めると、彼女への興味を失ったようにして僕の方へと向き直った。
「さて、彼女達にはまだ利用価値はあるが君はもう不要だ。屋敷と共に消えて頂けないだろうか?」
ぞわりと、全身を悪寒が駆け巡る。分かっては居たことだが、実際に勝機の無い敵に対峙すると、身体の方は正直に危機反応を示していた。
「そう言われて首を縦に振るヤツは居ない。お前が一番よく分かっているだろう?」
「なるほど、もっともだ……では有無を言わさぬ事としよう」
彼は指輪を嵌めた左手を僕の方へと差し出すと、艶めかしい手つきでパチンと指を打ち鳴らした。同時に見た事も無い量のエーテルの輝きが渦を成し、灼熱の火炎となって僕へと襲い掛かる。
「くそっ……ッ!」
僕は転がるようにしてそれを回避すると、咄嗟に辺りを見渡した。そしてまだ半分ほどしか燃えていない分厚いカバーの本を平手で叩くと、握りしめた飾りボタンに力を込める。燃え盛る本は僕の意志で宙へ浮き上がると、そのまま勢いをつけてアレクセイ目がけ飛翔する。彼はそれを目にしてフンと小さく鼻を鳴らすと、羽虫を払うように左手を振り上げた。途端に、彼の目の前に吹きあがった炎のカーテンが本を瞬く間に灰へと変えてしまった。
「その程度の力で私に歯向かうのは不可能だ。君が一番よく分かっているだろう?」
意趣返しのように口にして、彼は僕を見下すような視線と共に勝ち誇った笑みを浮かべる。こんな時だと言うのに、炎の中から僕を捕らえた『その眼』に僕の身体は変わらぬ反応を示していた。
ドクンと心臓が強く波打って、肺がぎゅっと握りしめられたようにいう事を聞かなくなる。細く、荒くなって行く呼吸と共に全身が痙攣するかのように震え、ドロリとした冷汗が体中の水分を絞り出すかのように吹き出て来た。
「はぁっ……かはっ……!?」
苦しみに、思わず膝を折ってその場に崩れ落ちる。
「おやおや、私が手を下すまでも無いだろうか」
僕の様子を見ながら、アレクセイは両手を広げてやれやれと首を横に振って見せた。
「よかろう。炎とは、万物へ等しくその温もりを与えるモノだ。炎は人類に生きる術を与え、知恵と力を与え、信仰を与え、そして繁栄を与えた――その炎の中で果てる己に誇りを持ち、生まれついた己の境遇を呪いながら果てるが良い」
そう歌い上げるように口にして、彼は再び指を鳴り響かせる。生まれた火炎は大口を開けた蛇のように、僕を丸ごと飲み込もうと飛来する。あれに飲み込まれたら、きっと瞬く間に消し炭になるんだろうな。丸ごと灰になった三諸侯の姿を思い出しながらも、僕は虚ろな眼差しでそれを見ている事しかできなかった。
「ルーフェン、避けてッ!」
炎の向こうから、リアが叫ぶ声がぼんやりと頭の中に響く。もはや水中に居る時のように耳が遠かった。この発作のせいで苦しんで生きてきて、克服しようと家の再興に力を注いだが、結局これのせいで死ぬんだ。皮肉だが受け入れる他無かった。
「――また、姫様を裏切るつもりっ!?」
不意に響いたリアの叫びが、朦朧とした意識の中でやけにクリアに響いていた。
『また』姫様を裏切るだって……?
馬鹿な、そんな事あってはならない。そう、一度彼女を裏切って、僕は改めて自分の存在価値を思い出す事ができた。彼女の臣民として、彼女の所有物として、全てを彼女に捧げると――それが僕の立てた、幼い頃の誓いだ。
それをまた裏切るなんて、あってはならない事だ。
地下牢で姫様に思いっきり蹴り飛ばされた感触が鳩尾に蘇って来た。あれは痛かった。正直、死ぬかと思った。同時に、胸が苦しかった。物理的にもそうだが、直前の彼女の、あの泣きそうな唇を見て、彼女にそんな表情をさせてしまった自分が許せなかった。道中、ベルナデットの話を聞いて、さらにその思いは強まった。
彼女の所有物として生きるのだと、決めたばかりじゃないか。そのためにはこの命、いくらでも投げ出す覚悟だった。だが、『今じゃない』。今投げ出しても、彼女を裏切る以外に何もない。僕は肋骨に指が食い込みそうなほど強く胸を握り締めると、その手で壁際の大きな木棚に触れる。そしてありったけの力を注ぎ込み、イメージする。
「た……お……れ……ろおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッッッッ!!!」
ミシリと鈍い音がして、木棚がぐらりと揺れる。
「何……!」
アレクセイは異変に気付くと、咄嗟に飛びのいてその場から離れて見せた。僕の支配下に入った木棚は、バキバキと自壊しながら目の前へと崩れていく。それが迫る火炎を巻き込んでその場で巨大な火柱となって燃え上がった。
その隙に、床を転がるようにしてその場を離れる。一瞬遅れて、崩れた木棚で勢いをそがれた火炎が僕の居た場所を飲み込んでいった。
「ふ……ふはははっ。火事場の馬鹿力というやつか。見事なものじゃないか」
いつの間にか発作も収まっていた僕は、おぼつかない足取りで立ち上がると、愉し気に笑うアレクセイへ再び対峙した。
「アレクセイ……お前の境遇は『おそらく』だが推測が付いている。お前の復讐は正当だ。誰にも咎められる謂れは無い……だが、どうしてアローの家を憎む? 仮に家督闘争であったとしても、自分の家を憎む理由がどこにある……?」
僕は自分の家が嫌いだ。僕に、こんな境遇を押し付けた家が嫌いだ。だが、それと僕が生まれた事は別の問題だ。境遇を憎んでも、我が家の歴史そのものには相応の敬意は払っている。
彼はその問いを受けて、まるで胸の内の炎が鎮火したかのように無表情になると、その濁った瞳で何の感情もなく僕を見つめ返した。
「人の境遇を勝手に理解したつもりになって、『何故』……だと?」
彼はふらりと柳のような足取りでマルグリット達の傍にある机に近寄ると、その傍にに飾ってあった肖像画を外し、焚火の中へと放り込む。絵の具の油に燃え移って、絵はすぐに青い炎に包まれる。注意深く眺めると、黒ずみながら穴開いていくそれはアローの一家を描いたらしい一枚だった。椅子に座った白髪を蓄えたよぼよぼの老人と、いかにも大貴族の女らしいふくよかな女性。その両サイドに若い頃のアレクセイと思われる人物と、おそらく本物のニコラスと思われる人物が佇み、両親の前には二人の少女が寄り添う。
衣装や背景こそ豪華ながらも、人だけを見ればありふれた家族団欒の風景であった。




