5-3
「……何だよ、ヤろうってのか?」
姫様は先ほどまでと違い、あからさまな殺気を纏ってこちらを見上げた。先ほどからずっと耐えがたい寒気が身を包んでいたが、それを圧して並び立つ。
また蹴られるだろうか。それならそれでも良い。でも、やれる事は最後までやろう。僕は唇をぎゅっと噛みしめると、大きく息を吸い込んで、それから彼女の前にしゃがみ込んで地面に手を突いた。
「頼む……行かせてくれ! 必ず連れ帰って罰を受ける! だから――」
必死に声を張り上げて、額を地面に擦り付ける。姫様が小さく息を飲む音か、かすかに聞こえた気がした。
「……話がまるで見えない。彼女は、テメェの何なんだ……?」
「強いて言うなれば……『所有物』だ」
「所有物だと……?」
「彼女は『鍵』だ。開けてはいけない、災厄の詰まった扉の鍵だ。それをシャルドン公に渡しちゃならない」
「だから話が――」
姫様があからさまに狼狽えるのを感じていた。確かに、何を言っているのか彼女の立場じゃ分からないだろう。だが、かと言ってすべてを語るわけにもいかない。頑なに。
「あ、あたしからもお願いします……!」
背後で、リアが同じように地面に額を擦った。
「あたしは詳しい事は知らないのだけれど、シャルドン公が王国の為にならない事をしようとしているのだけは知っています。ずっと……『彼』に内通していましたから」
声を震わせながら、言葉を絞り出すように訴える。リアが自分の身を削るなんて……驚いた。どういう風の吹き回しなのか。でも、今はただひたすらにありがたい。
「いや、待て! ルーフェンはとマルグリットの罪状は『身分詐称・反逆助長』と伝わってる。リアはその協力者だと……ゲストハウスの部屋から密書も見つかっている!」
なるほど、そういう事になっているのか。アレクセイもまた、意地汚い事をする……密書に関しては初耳だが、事実としての罪状に嘘偽りないのは秀逸だ。
だが、『そう触れられている』事が分かったなら、やりようはある。僕は顔を上げて上体を起こすと、そのまま真っすぐ姫様を見据えた。
「シルフェリア様……いや、シルフィ、聞いてくれ。僕達はシャルドン伯の正体を『知っている』」
僕はこれから真実を語る。アレクセイが触れ回った僕らの罪状と同じ。ただ、それよりも途方もなく現実離れした、だが紛れも無い真実。
「今、この王都に現れた『ニコラス・アロー』を名乗る人物は偽物だ」
「は、はぁ……? 何を言って――」
「――最後まで聞けッ!」
「――っ」
怒鳴った僕の声に、彼女はビクリと肩を震わせた。いつもの彼女らしくない反応は年相応の少女らしく新鮮だったが、それくらい彼女のキャパシティはいっぱいいっぱい。思考が『いい感じ』に混沌としていると言う事だ。
それでいい。もっと理解を越えてくれ。情報の基本は質より量だ。より大量の情報で、彼女の思考を鈍らせる。
『すべてが本当』の情報の海の中で、何が本当で、何が嘘か、その判断を狂わせる。そうなれば後は『僕』と『アレクセイ』、どちらの真実に『騙されるか』だ。
アレクセイは言った。「僕は既に姫様を裏切っている」と。その真実は覆せない。受け入れるしかない。なら、僕は最後まで彼女を騙し続ける。公爵と平貴族、身分による信用格差を埋め尽くすほどに、彼女の気持ちを僕へと向けて見せる。
――彼女への想いなら、誰にも負ける気はしない。
「彼の本当の名はアレクセイ・アロー。十年前――ちょうど、僕とシルフィが出会った頃に国家反逆の罪で罰せられた、ニコラス・アローの実兄だ」
「実兄だぁ……?」
シルフィは助けを求めるように背後のベルナデットを振り返った。
「……確かに、ニコラス様には実兄がいらっしゃいます。それもルーフェン様が仰る通りの罪状で無期投獄中となっているハズです」
シルフィと違ってベルナデットは至極落ち着いた様子で淡々と答える。
「アロー家自体があまり積極的に社交界に関わらないため話題に上がる機会も無かった事でしょう。それに当時は姫様も大変で――」
そこまで言って、ベルナデットは言葉を言い直すように小さく咳払いをした。
「ですが所詮、記録を調べればすぐに知る事ができる話です」
そう一部を強調するように口にして、ルビーの瞳が僕を捕らえた。「誰でも知る事ができる情報である」と言う事を訴える彼女なりの牽制である事は明白だ。
「投獄中……確かに、本来なら。だが、既に脱していたとしたら?」
「流石に世迷言です。彼が送られた孤島の監獄は綿密な警備が施されております。それに、もしそうであったとしたら王城で相応の騒ぎになっているはずです」
孤島の監獄……だって?
そんな話は聞いていない。いや、僅かながらそういうワードも無い事はなかったが……今度は僕がちらりと後ろのリアを見やる。すると彼女は申し訳なさそうな顔をしながら舌を出して、僕を拝んだ。
こいつ……! こういう時にまで、イラつかせないでくれ!
だが、焦る必要は無い。なぜなら『事実として奴は脱獄している』のだから、それがどんな厳戒な所かとか、どんな手腕を使ったとか、僕にとってはどうでもいい事だ。
「確かに、終身刑の凶悪犯が脱獄したとなれば王城――ひいては王都、王国までもが震撼するだろう。だが、それで安心する事こそ思考停止だ」
「……と、申しますと?」
普段彫像のように動かないベルナデットの眉が、一瞬ひくりと吊り上がった。少し挑発が過ぎたか、僅かに纏った怒気に冷汗が垂れる。
「あなたのような人が手放しで信頼を置く監獄だ。さぞ王国からも大きな信頼を得ている事だろう。だが期待や信頼と言うものは、同時にプレッシャーも与えるものだ」
それは、誰よりもこの『ルーフェン・ゴート』が良く分かっている事。だからこそ、脱獄騒ぎが起こらない理由だけは当事者でなくても手に取るように理解できる。
「……そんな重圧の中で、信頼を裏切るような報告をできるか? それも、直ちに王国の安全を脅かすような存在でも無い者の脱獄を。こっそり探して連れ戻すくらいの事を、考えてもおかしくは無いと思わないか?」
秘密裏に捜索部隊を編成し、諸侯各地へ送るような事はしただろう。だが、大々的な発表は控えたのは間違いない。これも事実からの逆算だが。
僕の持論を聞いたベルナデットは視線を伏せて何事か思案を行ったあと、小さな溜息を吐きながら深く頭を下げた。
「……差し出がましい事で話の腰を折ってしまいました。申し訳ございません」
「お、おい、ベルナデット……」
普段そつが無い彼女の降参宣言に、シルフィの動揺も見るからに大きい。縋るような視線で彼女を見つめ、そして奥歯を噛み締めた。
「ちなみに……ちなみにだ。そのアレクセイとかいう野郎は過去に何をした」
「僭越ながら……東国への王国内政に関する情報と武器の提供です。事件はとある貴族達の連名による告発状により明るみとなり、ご自身の貨物船を使って特産葡萄酒の輸出に紛れて行った悪徳な計画性から、当時齢十八という若さながら終身刑が決まりました」
「だけど、そんな事が身内に起こりながらもアローの家は変わらずの地位で存続しているぞ……?」
「その程度で地位が揺らぐ『三大名家』では無いと言う事でしょう。とは言え、罪の意識が無いわけではない様子で、事件の後すぐに当時のご当主が病床で他界してから、跡を継いだニコラス氏は領地の一部を自主的に接収・譲渡を行っております」
「――それこそが、全ての発端だ」
彼女らの話に、鋭い刃を突き立てるように割って入る。この場に居る人間の視線が一斉に僕を向くのを肌で感じていた。
ここから先の事は、今までの様々な情報・状況からの想像だ。正直、僕もそれほど自身は無い……だが『事実』という答えは既に持っている。
それを頼りに全貌を構築する。アレクセイの『復讐劇』を――




