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雨上がりのクールドリヨン ~劣等貴族の下克上~  作者: もがみのどか
5章 雨上がりのクールドリヨン
40/52

5-2

 現れたシルフェリア様とその後ろに控えるベルナデット。

 僕は飛び上がって見張りと同じように膝を折ると、深く頭を下げてそれに答えた。


「それとそちらはリアですね。ごきげんよう」

「え……私の名前?」


 僕以上に吹っ切れているらしいリアはとりあえずゆったりとその場に座ると、姫様を前にしてもいつも通りの様子で小さく首を傾げた。


「城で働いている使用人の名前は全て覚えていますよ」


 姫様は天使の微笑みでそう答えると、もう一度アメジストの瞳を僕へと向けた。


「さて……本当にびっくりしました。こんなことになるなんて」


 落ち着いた口調で語る姫様。


「それで……罪状に嘘偽りは無いのですね?」

「……詳しく聞き及んで居ませんが、相応の事をした自覚はあります」


 彼女の問いに、僕はありのまま素直に答えた。


「では、わたくしを欺いていたのですね?」

「……」


 答えられなかった。アレクセイに指摘され、最も揺れ動いたその事実だけは、僕の心はまだ耐えきれていなかった。


「……肯定と、受け取ります」


 姫様が少し寂しそうな表情をしたのを、僕は見逃さなかった。彼女にそんな表情をさせてしまった事に、胸が張り裂けそうなほど苦しくなった。


「ルーフェン……」


 リアの心配そうな声が背中に響く。否定したい。だが、事実はその通りなんだ。覆しようが無い。


「今日は聞きたいことがあってやって来たのです」


 話題を変えるように、姫様はそう口にした。


「オードリィ様――マルグリット様の行方に、心当たりはありませんか?」

「……マルグリットの?」

「ええ。まだ、捕まっていないと聞き及んでいます。あなた方なら、何か心当たりがあるのでは……と」

「それを聞いて、どうなさるのですか?」

「お前……!」


 おもむろに見張りが槍を持って立ち上がったが、控えていたベルナデットが無言でそれを制する。彼女の鋭い眼光に当てられて、彼は縮こまったようにして膝を折った。


「無論、この国のため正当なる裁きを受けて頂きます。ただ――」


 姫様は一瞬言い淀んで、それから言葉を選ぶように慎重に、その先に続けた。


「彼女の口から真実を聞きたいのです。わたくしにはどうしても、彼女が人を平気で欺けるような人間には見えません」


 ……なるほど。それに関しては全面的に同感だ。マルグリットは人を欺くのに向いていない。致命的に。トロいし、頭は回らないし、すぐに人の言った事を信用するし、物覚えも悪いし、鈍感だし、空気は読めないし……最悪だな、言っていてどうしてパートナーに選んだのか疑問しか残らない。他に選択肢が無かったと言うのが答えだが。

 これがもし彼女のポジションに居るのがリアだったら、もっとうまく事は運んでいただろう。だが、そうじゃないのは神の導きだ。でも……彼女が居なかったら姫様ともう一度お会いして、話をする機会はきっと無かった。彼女が居なかったら、王室書庫も見つからなかった。


「彼女は……どんくさい人間です。大勢の兵士の目をすり抜けて逃げ出すなんて芸当ができるとは思いません。そもそも、自分に容疑が掛けられている状況すら理解できるかどうか」

「あー、それに関してはあたしも全面的に同意するわ」


 欲しくも無いリアの同意を得つつ、僕はもう一度思考を巡らせた。

 逃げられないと言うならどこへ消えた?

 どこかに隠れているか――いや、ボロが出るに決まっている。

 メイドとして紛れ込んだとかどうだ――慣れない仕事に順応できるとは思えない。

 そもそも、『彼女一人の力』でそれを成せるヴィジョンが無い。

 ならどうやって――

 その時、不意に昨日の士官の言葉が耳に蘇っていた。『ニコラス――アレクセイが直々にリークしに来た』。彼がこの城に居た……?


「……まさか」


 至った答えに愕然とする。だが、そうとしか考えられない。


「当てがあるのですね。それはどこですか?」


 変な汗が噴き出るのを感じた。この状況で言葉にするのは勇気が必要だった。いや……勇気だなんて、そもそも退路が無い状態なのは理解しているハズじゃないか。むしろ渡りに泥船だと思って、僕は惜しげもなく自分の考えを口にした。


「――マルグリットはシャルドン公の屋敷に居ます」

「はぁ!?」


 真っ先に反応したのはリア。次いで、姫様が「何を言っているのか分からない」と言った様子で、いぶかし気な表情を浮かべていた。


「シャルドン公の屋敷……何故そんな所に」

「王室書庫の在処を聞き出すため――でしょう」


 その言葉に、ベルナデットの表情が陰る。姫様はまだ事を理解していない様子で、戸惑いだけを露にしていた。


「ど、どうしてそんな事を……?」

「書庫にある物品に、シャルドン公がご執心だからです」

「シャルドン公が……その物品とは?」


 姫様の問いに、僕は真っすぐ彼女を見つめ返してハッキリと答えた。


「――申し上げられません」


 その答えに姫様は驚いた様子で目を丸くした。が、すぐに険しい表情を浮かべるともう一度口を開く。


「もう一度だけ尋ねます。その手記とは何ですか?」

「申し上げられません」

「……そうですか」


 それだけ言うと、姫様は静かに俯いてその表情を隠した。彼女が何を考えているのか分からないが、きつく結ばれが唇が、柄にもなく今にも泣きそうな様子に見えていた。


「……見張りの方、少しだけ席を外して頂けませんか?」

「は? あ、い、いえ……それは、できません」


 彼女の唐突の打診に、見張りは完全に虚を突かれて狼狽えていた。


「御身にもしもの事があれば――」

「大丈夫です。ベルナデットが居るのですから」


 そう彼女が語ると、兵士はベルナデットの姿をちらりと盗み見た。そうして何かを納得したように頷くと、きびきびとした足取りで地下牢を後にした。

 彼が完全に出て行ったのを確認すると、姫様は頭にかぶっていたベールを脱いでベルナデットへと手渡す。そして細やかなな空色の長髪を一度振り乱してから、顔に掛かった分を手櫛で静かに掻き上げた。


「……ルーフェン様、お近くへ」


 その光景をまるで晴れた日の清流のようで美しいと見とれていた僕に、姫様は小さく手招きをした。髪に隠れて伺い知れない表情で。

 僕は腰を浮かして近寄ると、姫様は「もっと近くへ」とさらに呼ぶ。仕方なく鉄格子のすぐ目と鼻の先。手を伸ばせば姫様に手が届く距離で僕は膝を着いた。すぐ傍から漂う甘い花のような香りが鼻孔の奥をくすぐって、不本意ながらやんわりと気持ちが和む――が、それもつかの間。全く予想だにしなかった、転がってくる丸太にでもぶつかったかのようなとてつもない強い衝撃を鳩尾に受けて、僕は小部屋の奥へと吹き飛んだ。


「かは……っ!?」


 目の前が真っ白になって呼吸が止まる。そうして石畳の上を転がりながら、しまいには壁に後頭部を強く打ち付けた。鼻の奥がつーんとして、思わず眼尻に涙が浮かんだ。

 何が起きたのか理解できなかった。それでも潤んだ目で衝撃の方向を伺うと、丸太の正体は姫様の蹴り上げたつま先であった事が、片足を上げた彼女の姿から咄嗟に理解した。彼女はそのまま足の裏で鉄格子を思いっきり何度か蹴りつけると、格子に押し付けた足を抱えるようにして小部屋の中を伺った。


「――おい、いい加減にしろよテメェ」


 乱れた前髪の下から力強い紫炎の眼光がこちらを覗き込んで、背筋がヒヤリとする。涙目による錯覚か、彼女が足を打ち付けた格子が少し拉げているような気がした。


「お前たち、『俺』の国で一体何をしている……?」

「え……え……?」


 ギリギリと八重歯を見せて奥歯を噛みしめながら、怒りに震えた声で姫様は言った。おそらく本当に何が起きているのか分からないリアは、まるでいつものマルグリットのようにおどおどとして、僕と、姫様とを交互に見渡していた。

 僕はと言うと、後頭部を打った衝撃で垂れてきた鼻血を親指で払うように拭いながら、変わらない意志でシルフェリア様を見つめ返していた。


「罰を与えるのは簡単だ……だが、その前に全部吐け」


 唸るように口にした彼女に、僕は毅然として答える。


「嫌です」


 その瞬間、姫様はもう一度勢いをつけて格子を蹴りつけた。今度は錯覚ではなく、確かにぐにゃりと鉄の棒が歪んだ。


「……頑固さは認めてやるよ。だが、俺の国で好き勝手するのだけは許さねぇ。分かってんだろルーフェン、『お前なら』」


 もちろん。この国も、民も、すべてはいずれ彼女のものだ。いや、それが決まっているからこそ既に彼女のものと言って過言ではない。自分のものだからこそ、誰であっても分け隔てなく想いを向ける。自分のものだからこそ、それを害する存在は絶対に許さない。自分のものだからこそ――自分の命を賭して、それを守る。

 それが彼女の愛なのだと――僕は幼い頃からずっと知っている。


「姫様、お願いがあります」

「……ああ?」


 だからこそ、そんな彼女の『所有物』だからこそ、僕は恐れることなく言葉を紡ぐ。


「私に――いや、僕に、マルグリットの捕縛をやらせてくれないか」

「はぁ……?」


 彼女は眉を潜めて大げさに聞き返した。


「そのままの意味だ。僕に、マルグリットをアローの屋敷から連れ出させてくれ」

「そんな事、どの口が――」


 いきり立つ姫様だったが、すべてを言い切る前に僕は立ち上がり、再び格子越しに彼女の前へと歩み寄る。あの河川敷では、歳の差はあれ女性の彼女の方が身体は大きかった。決して背が高い方では無い事は自覚しているが、それでも成長期を経た今では僕の方が彼女よりも頭一つ分は余裕で抜きんでている。

 十年間。ずっと居たかった距離で、僕は彼女を見下ろしていた。

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