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そう長くない時間を経て、隊列は尖塔を抱いた狭い正門へと差し掛かる。
巨大な観音開きの扉を中心に、王家の象徴である《百合の紋章》を描いた旗が城壁に沿って幾重にもはためいていた。
馬車の御者を除いて、偽兵士達とはここでお別れだ。本来であれば城壁の外に建てられた兵舎に駐留する事ができるのだが、彼らにとっては必要のないものだし、居られても困る。街に見物でも行く振りをして王都から脱するようにと言いつけてある。
護衛を城門に待機していた兵に引き継ぎ、馬車は門を潜っていく。兵士は前後に四人ずつ。いずれも《百合紋》の旗槍を担ぎ、儀礼用と思われる装飾が施された白塗りの鎧を身に着けていた。
馬車はそのまま城壁の内沿いに西へ、巨大な王宮本館を大きく迂回するようにして、薔薇に囲まれた庭園を抜けていく。見どころの一つであるこのローズガーデンには秋咲きのバラの花がめいいっぱいに花弁を広げ、その香りを車内にまで届けていた。
庭を抜けると狭い木々に囲まれた使用人宿舎の前を通りかかる。他の建物に比べれば宿舎はかなり簡素なものだが、それでも一介の平民が暮らすには十分すぎるものだ。
そこから馬車は進路を変えて、王宮へと向かう。小窓から外の様子を眺めながら、僕の心には人知れない焦燥感が芽生えていた。
この案内経路を僕は知っている。そしてそれは、明日にもまた降り出しそうな空模様と様子を同じくして、既にこの計画の雲行きの怪しさを感じさせるものだった。
やがて馬の蹄の音が鳴りやんで、馬車は完全に停止した。
「申し上げます! どうぞ、こちらでお降りください!」
兵士のハキハキとした声が車外から響き、僕はマルグリットへ目配せする。
彼女は最後まで無言の抵抗を続けたが、やがて観念したように扉へと目を向けた。
「は、はい!」
震える声で答えたマルグリットに頷いて見せると、身を乗り出して小さなドアを開け放つ。頭をぶつけないよう注意を払って先に馬車から降りると、くるりと踵を返して馬車の中へと手を差し出した。
「お気をつけてどうぞ、お嬢様」
「あ、ありがとう……ございます」
ぎこちなさはあるが、まあ及第点。彼女は控えめに僕の手を取ると、もう片方の手で慣れない丈のスカートを控えめにたくし上げ、その姿を現した。
オードリィ様のドレスを着せるのは大変だった。そもそもこの女、細身のお嬢様と背丈は似通っている癖に、体型に関しては随分と女性らしいものだから、コルセットをぎゅうぎゅうに締め付けてやる必要があった。僕としても慣れない作業だったが、兎に角親の仇とでも思って締め上げるんだという話を昔何かで読んだのを思い出して、見よう見まねでそれをこなした。
その甲斐あってかドレスはバッチリ着こなして(少なくとも僕の目では)、その生地の淡い桃色と執拗に重ねられたフリルのスカートは、どこか世間知らずなあどけなさがあるマルグリットのイメージにとてもしっくりと来るものだった。
後ろで乱雑に纏めていた髪型も解きほぐし、亜麻色のウェーブを風に任せるままにしている。とは言え、完全に下したままというのはどうも落ち着かないと本人が言うので、片側だけ耳に掛けさせて、それを彼女が持っていた琥珀のピンで留めさせた。それによって覗いたうなじがどこか大人の色っぽさを与え、これはこれで良い魅力を与えたような気がする。
こうして出来上がった彼女の姿は、どこからどう見ても麗しい貴族の令嬢にしか見えない事だろう。と言うか、見えてくれ。そうでないと計画に支障を来す。
備え付けの階段を慎重に降りてくるマルグリット。その心中はガッチガチに緊張しているのが、きつく結ばれた唇と、忙しなく動くその眼からひしひしと伝わって来た。
ふらふらとおぼつかない足取りも見ているこっちの方がハラハラする。今にも裾に足を引っかけて、階段から転げ落ちてしまいそうな――
そんな事を思った矢先、まさにイメージしたその通りに、彼女はスカートに足を引っかけて思いっきり前につんのめっていた。
「きゃっ……!?」
ふわりと宙に浮いた彼女の身体。僕は咄嗟に身を挺して彼女の正面に滑り込んだ。
が……その時の僕は重要な事を忘れていた。僕は、力仕事にめっぽう弱い事を。
「掴ま……れっ!?」
抱き留めようとした僕の力より、落ちてくる彼女の勢いの方が勝っている事は考えるまでもなく明白な事だった。僕は呆気なく、彼女に下敷きにされていた。
「あ……ああああぁぁぁぁぁ、ごめんなさい……っ!」
僕の上で彼女は再三の涙を浮かべながら、必死に何度も頭を下げていた。
僕はと言うと、彼女の重さで肺を押しつぶされながら生死の境を彷徨っていた。
やはり人選を間違えたか……白くぼやけていく視界の中であっても、後悔は後に立つものだった。
「――うぉっほん!」
不意の仰々しい咳払いが、薄れゆく僕の意識を現世に繋ぎ止めた。
仰向けのまま視界を巡らせると、付き人の兵士と王宮を背にして、初老の男がどこに目を向けたら良いのか困った様子で視線を泳がせているのが見えた。
距離でも分かるほどに青筋を浮かべており、どうやら虫の居所が悪いらしい。
「昼間から淑女が見せる恰好ではありませんな……」
「あ……あうううぅぅぅぅ……」
マルグリットは顔を真っ赤に染めながら慌てて立ち上がると、すっかり小さくなりながら俯いて、下した髪で表情を隠してしまった。
「げほっ……ごほっ……し、失礼いたしました。我が主に代わって、痴態をお詫び申し上げます……」
彼女から解放された僕は、むせ返りながらも男に対して深々と頭を下げる。
それを良しとしたのか否か、バックにまとめた白髪交じりの頭髪を整えながら彼はもう一度小さく咳払いをすると、羽織った青いマントを大げさにはためかせて、右手をこちらへと差し向けた。
「書状をこれへ」
「はっ……」
僕は頭を下げたまま懐から筒状に丸めた羊皮紙を取り出すと、それを傍らの兵士へと差し出す。羊皮紙は兵士の手を介して、彼へと渡った。
男はそのまま乱雑に書状を広げると、嘗め回すようにそれを読みふけっていた。
「ローリエ侯ヘルナル・ミュール殿の式典参加状、確かに。して……ヘルナル殿のお姿がお見受けできないが?」
やはりか……悪い予想通りの状況に、僕は心の中で舌打ちをした。
どおりで、王城の敷地を行くのに付き人の兵士が多いと思った。
どおりで、仮にも諸侯の来城なのに『使用人の通用口』に案内されたと思った。
――僕たちは今、微塵も信用されていない。