4-10
「……なあ、リア」
「何?」
キョトンとしてこちらを向いたリアに、僕は何の感情も思慮も乗せずに、本当にただ素朴な疑問としてぽつりとつぶやいた。
「お前――文字、書けるんだな」
「……え?」
ビクリと彼女の肩が揺れる。かと思うとさっとメモ用紙を懐にしまい込むと、ぎゅっと胸元の合わせを抑えながら決まりが悪そうに視線を逸らした。
「あ……あれ……言ってなかったっけ?」
「……ああ。『読めるだけ』と聞いていた」
「あ、あれぇ……おかしいなあ」
あからさまに動揺して、彼女は明後日の方向を向きながら頭を掻いた。
「え、えーっとね。最近……そう、最近! 練習してるのよ! ほら、使えると何かと便利じゃない?」
「それにしては書き慣れた書体だったな」
「えっと、それは……」
そう言えば昨日僕が寝込んでいた時も、僕の頼みを忘れないようにと目の前でメモを取っていた。あまりに自然に、当たり前のようにそうしていたので全く気にしていなかったが、思考がクリアな今は何とも異質な光景として思い起こされていた。
そして、一度そう思うと自分でもびっくりするぐらいするすると、絡まった疑問の糸がほどけていくのを感じた。それもここ一番の謎――『アレクセイがどうやって僕らの情報を得ていたのか』?
「リア――」
目を白黒させて、柄にもなくバツが悪そうに背を向けてしまったリア。その背中に名前を呼びかけると、飛び上がりそうなほどにその背は大きく揺れ動いた。
「――どうして、僕がアローの屋敷に行くことが分かったんだ? あの晩餐会の後もアロー家と交流がある事は、リアには頼まれても話さなかったハズだ」
それが、答えだった。いつからかは分からない。はじめからそのつもりで王城に居るのか、それともたまたまただったのか。おそらく後者だとは思うが。
どうりでメイドにしては広く詳しい情報網を持つと思った。
どうりでアレクセイが僕らの事を知りすぎていると思った。
そしてどうりで、『あの』リアがアレクセイに興味を持たないと思った。
――彼女が、アレクセイの『目』であり『耳』だったんだ。
リアはしばらく背を向けたままモジモジとしていたが、やがて吹っ切れたようにツンとした表情でこちらへ向き直った。
「――そうよ。あたしが情報流してたの」
「やっぱりか」
僕が興味なさ気に答えると、リアは逆にびっくりした様子で目をぱちくりさせた。
「な、なによ。そこで怒られないと拍子抜けしちゃうじゃない」
「……そうか?」
期待に応えられず申し訳ないが、特に強い感情は抱いていかなかった。なぜかは分からないが。きっと、今となってはどうでもいい事だったからかもしれない。
「一応……聞いておくか。何でそんな事を?」
「決まってるじゃない!」
リアは声を荒げて答える。
「貴族になるためよ……! アレクセイ様の必要な情報を流してくれたら、そう遠くない未来に望みを叶えてやるって――だから!」
「……そうか」
なるほど……アレクセイが望む世界が生まれたら、確かにリアが貴族になる事など簡単だ。貴族と平民が結婚できないと言う『慣例』がこの世から消えて無くなれば、アロー家ほどの名家であれば、リアの望む婚約者を紹介し宛がう事も可能だろう。
「『そうか』って何よ! あんただってアレクセイ様に素直に力を貸してたら王女様と一緒になれるかもしれないのよ!?」
力の抜けた僕に迫りながら、リアはそう豪語する。
「なるほど……そうか。ああ、確かにそうだな」
思わず、あざ笑うような笑みが漏れた。もちろん、自分に対してだ。
そんな事、全く考えもしなかった。なるほど、言われてみればそうだ。王家と平貴族が一緒になっても構わない世界が生まれるかもしれないんだもんな。
そもそも王家自体が存続しているかどうか――
「な……によそれ。あんた、真っ先に考えそうな事なのに」
「とてもとても、恐れ多くて考えもしなかった。そんな事よりも――」
――彼女の愛する王国が崩れる事の方が、僕に大きな焦りを生んだ。
「……馬鹿じゃないの? あんた、頭良さそうだけど実は馬鹿でしょ」
大きなため息を吐きながらリアが口にした言葉に、流石にちょっとカチンと来た。
「失礼な。少なくとも、お前よりは教養は持っている事は確かだ」
「簡単にアレクセイ様の口車に乗せられたくせに?」
「そ、それは……他にしようが無かったからで」
「つまり、他の案が思いつく教養が無かったって事じゃない」
思ったより鋭利に、彼女の一言一言が心に刺さる。
「お……お前だって、簡単にボロ出してるじゃないか」
「そそそ、それは――」
言いかけて、ぼっと彼女の顔が赤くなった。そうしておずおずと僕から離れると、ツンとそっぽを向きながら、ボソボソと答える。
「ほんとに焦って、心配したんだから……」
「どうしてだ。僕はアローの屋敷に情報を渡しに行ったんだぞ? 何を心配する必要がある。それじゃまるで――」
――僕が情報を渡さずに逃げるのが分かっていたみたいじゃないか。その考えに至って、僕はもう一度笑いを噴き出した。
「な、なによ!」
「いや……悪い」
眉を吊り上げたリアに、僕は手をプラプラ振りながら謝罪する。そうか。聞いた感じでは、たまたまリアが白羽の矢に立っただけのようだが、なるほど、アレクセイもなかなか人を見る目がある。
「――降参だ。認めるよ。リアの方が僕よりも頭は回るみたいだ」
「でしょ? ざまぁみろ!」
得意気に胸を張るリア。マルグリット程じゃ無いが比較的大きい二つの山が、グイっと強調される。
――まあそんな事は置いておいて。笑う程度の体力が戻ったついでに、大事な事を思い出した。
「リア」
「何よ」
「来てくれて助かった。おかげで、自分の所在がどこにあるのかを思い出した」
「は?」
そもそも僕には、生きる価値も目標もありはしなかった。そう、あの時姫様に助けられて、僕と言う個人は無くなったんだ。個人ではなく、姫様の所有物として。姫様を連れ出した容疑者として――
「僕の命も価値も、そもそも『彼女』が決めるものだ。僕の一存で決める事じゃない」
「何それ、わけわかんないんだけど……」
リアにどんな怪訝な表情をされても、僕の至った真理に曇りは無かった。一つ大きく深呼吸をすると、ゆっくりとその場に立ち上がる。
「ちょ、ちょっと、どこ行くのよ!?」
「王城に帰る。姫様にアレクセイの事を伝えないと」
「は……はぁ!?」
迷いなく答えた僕の言葉に、リアは素っ頓狂な声を上げながら詰め寄った。
「姫様――話すって……はぁ!?」
「じゃ、そううわけだから。風邪ひくなよ」
「い、いや……ちょっと待ちなさいよ!」
先に行こうとした僕の手の平を、彼女のそれががっしりと掴んだ。雨で冷えたのか、氷のように冷たい手のひらだった。
「そんなの信じて貰えるわけないでしょ! ってか、信じて貰えたとしてあたしが困るんですけど!?」
「知るかよ。自分の保身は自分で何とかしろ」
「キー、この鬼、悪魔! あんただってタダじゃ済まないでしょうが!」
「それは……」
どうせ、そもそも極刑も免れない事をしているんだ。それを思えば、何をしたってそれ以上の刑罰は――
「――終身刑よりは、極刑が良いな」
「やっぱあんた馬鹿だよ!?」
リアのツッコミも無視して彼女の手をすり抜け、雨天の下へと身を繰り出した。
「ああ……もう、待ちなさいよ! あたしもついてくから! あくまであたし、アレクセイ様側の人間なんだからね!?」
よく分からない理屈を捏ねながらついて来るリアを適当にあしらいながら、僕は王城を目指す。なんだか、背中に乗っていた荷が下りた気分だった。
怖いものは無かった。ヤケクソと言えばヤケクソだが、それ以上に今までの鬱憤を晴らす勢いと解放感が僕を後押しした。
だが、そんな気概で城へと戻った僕を待っていたのは堅牢な地下牢の扉だった。




