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「……何だと?」
奴は今、何といった?
『国王』が『偽物』だと――そう言ったのか?
「ま、まて……そんなバカな事が……!」
「では、君は会った事があるのかな? 本物の国王陛下に」
馬鹿を言え……本物も何も、恐れ多くも面と向かって会う機会など存在しない。いや……だからこそか。僕には彼の言葉に否定する根拠が無い事を理解する。
「まあ、会う事などできるハズが無いのだがね――本物のロンベル陛下は生後間もなくお隠れになっているのだから」
生後間もなく――それを聞いた瞬間に、頭の中では手記の事と彼の話す内容とが、がっしりと噛み合ってしまっていた。
「ま、まさか、セドリックの手記の中身は――」
「ご明察――『故』ロンベル陛下の出生前後の記録だ。その死が明確に記されている」
嘘だ……そんな事があり得るのか?
既に頭の中ではすべてのパズルのピースが合わさりつつあり、否定するきっかけを失おうとしている。だが、決して安易に鵜呑みに出来る話ではない。
「い、いや……手記を見てもいないのに、お前はどこでその情報を手に入れたんだ?」
「もちろん、聞いたのさ……我が友人セドリックにね」
「はっ……!」
今度は思わず、僕の方に変な笑いが漏れた。
「知っているぞ! セドリックは何十年も前から終身刑で獄中に居た……そんな人間からどうやって情報を仕入れる!?」
正直、鬼の首を取ったつもりだった。彼の戯言を論破したと、そう思っていた。でもそれは間違いだ。彼の微笑が一瞬にして、僕の浅はかな考えを切り裂いた。
「聞いたのだよ、獄中で――私とセドリックは隣り合わせの牢に居たのだからね」
絶句。返す言葉は浮かばなかった。僕はただ、焦点の定まらない目と、言葉の詰まった震える唇で、彼の姿を見つめるほかに出来る事が無かった。
「彼が居なければ、私が今こうしている事も無かった。血縁主義と言う、この国の『疾患』に気付く事も無かった。彼は本当に優秀な人間だったよ。本当に多くの事を私に教えてくれた――」
それから彼は雄弁に獄中の出来事を語ってくれたが、それを聞く耳も無い。ただ、漠然とした危機感が胸の内にふつふつと沸き起こるだけだ。
やばい――彼の気が狂っているとか、そういう話じゃない。彼が本当に、全てを成し遂げてしまいそうな事がやばいんだ。
国王が偽物だって?
そんなもの……本当だとしたら国が崩壊するに決まっている!
血縁主義の終焉?
そんな生ぬるいものじゃない。本当に、国自体が消えてなくなるんだ!
そんな事まで僕は望んじゃいない。血縁主義が崩れ去り、単純に王国の内情が一新するものだと思っていた。『スクラップ&ビルド』は僕の望みの範疇を越えている!
だって、それでは彼女は……シルフェリア様は――
「――怖気づいたかな?」
挑発的なアレクセイの言葉で、僕はハッと我に返る。気づくと、彼はいつの間にか僕のすぐ目の前に立っていた。秋の雨模様で冷え込んでいるはずなのに、僕の身体はびっしょりと汗で濡れていた。
「さて……こちらのカードは見せたんだ。君の知っている事を語って貰おうか」
「あ……いや……その――」
言葉が出なかった。こんな事になるなら初めから協力などしなければ……いや、協力しなければあの時僕らは殺されていた。では、生きる代わりに国を売るのか?
彼女の国を――
「ふむ、悩んでいるようだね。それは王国の一員としての愛国心によるものかな。それとも――誰か一個人へ向けられたものかな」
どきりと、心臓が爆発しそうなほどに高鳴った。アレクセイは、したり顔で続ける。
「知っているよ。マルグリット嬢と共に、ずいぶん仲が良いようじゃないか。いや、君の場合はもっと昔からか……」
「何で……」
「私は『目』と『耳』が良いんだ。君たちの事は良く知っていたよ、そう――この屋敷に招く前からね」
……は?
「知っていたさ……だからローリエ候の尋問は最後に回した。君たちがどう出るか、興味があったからね。主人の為に散るか、それとも自らの為に命乞うか。前者なら望みどおりに、後者なら私の為に働いてくれるのでは――と思ったわけだ。まあ、あらかた検討は付いていたがね」
完全に停止した思考の先で、アレクセイはすらすらと舞台のセリフを読むように言葉を紡ぎだす。
「蓋を開けてみれば案の定。君たちは自らの正体を明かし、命を乞うた。なら、私も予定通りに動くだけだ。君たちに協力関係を取り付け、私の欲しいものを手に入れてもらうためにね。本当にありがたかったよ。私の考えに賛同、ないしは心を揺らしてくれるものなどそう多くはない。そう――血縁主義の海を往く航海から難破した貴族の嫡男でもない限りはね」
全て分かっていた?
そのうえで、僕らに『協力せざるを得ない状況』を作らせた?
「んな馬鹿な――」
思わず、思った事がそのまま漏れて思わず手で口を塞いだ。
それを見て、アレクセイは口を端を釣り上げて、まるで見下ろすような視線を僕へと向けた。僕が最も嫌う『あの眼』だった。ドクンと、心臓が高鳴る。限界だった。肺が握りしめられたようにいう事を聞かない。呼吸ができない。顔中から、泥のような汗がぼたぼたと滴り落ちる。
掻きむしるように服の喉元を握り締めた。ゼーゼーと言う呼吸と共に、息を吸っているのか吐いているのかも分からない、声にならない悲鳴が喉を通り抜ける。
「実に良く働いてくれたよ。さて、最後の仕上げだ……」
言いながら、彼は大きく上下する僕の両肩を力強く掴む。
「さぁ、王室書庫はどこにある……? 手記の在処を言うんだ……!」
決して逃がすまいとするような、凄まじい力だった。力のこもった爪が、肩に食い込むのを感じた。この場を脱しなければ。そう本能が警鐘を鳴らしていても、頭も身体ももはや僕の支配から離れていた。
『あの眼』と言う鎖で、雁字搦めに捕らえられていた。
「まだ、僅かに残った良心が邪魔をするかな……王国自体へはそれ程でもないと思っていたのだかね。シルフェリア様への想いは相当のようだ」
「――!?」
姫様の名前が出て、僕は咄嗟にアレクセイの『眼』を真正面から見上げていた。きっと怯えた犬のような瞳をしていた事だろう。それでも、本能が咄嗟に反応していた。
「何……気負う必要は無いさ。何度も嘘を重ねれば、怖いものは無いだろう」
「なん……ども……?」
アレクセイの問いに、絞りだしたような掠れた声で答える。
「君はもう十分、シルフェリア様を裏切っているのだよ。身分を偽り、友好を偽り、私の協力者であることを偽る事でね――」
姫様を裏切っている――その言葉が、何よりも重い一撃となって心を揺さぶった。不意に、姫様の笑顔が脳裏にちらついた。マルグリットと過ごしている時の、あの絵がを――違う。そうじゃない。
僕の中での姫様の笑顔は、あの雨の日に河原で見た大胆不敵な強者の笑顔だ。彼女の為に、生きて来た。彼女の傍に居るのに相応しい人間となるために、家の再興に力を注いで来た。そして、今回王城へ戻って来て、彼女が僕の事を覚えていてくれた事が何よりも嬉しかった。幸せだった。
それを僕は……裏切った?
僕の命を救い、僕の生きる意味でもあった彼女を僕は――
「うあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
気付くと叫んでいた。頭で考えるよりも早く、両手で力任せにアレクセイの腕を払いのけていた。
「おっと……!」
思ったよりも簡単に、彼の手は僕の肩を離れる。それから僕は逃げ出すように、ドアへ向かって駆け出していた。びっくりするくらい、ヤケクソだった。
「貴様……!」
ハイドリクスが行く手を阻もうと身を乗り出す。僕は襟元の飾りボタンを掴むと、机の上に放置したグラスに意識を集中する。グラスはすぐにエーテルの輝きに包まれて、弾かれたようにハイドリクスの眉間目がけて飛び立った。
「くっ……!」
ハイドリクスは咄嗟に腕で顔を覆うようにグラスを防いだ。鼓膜に響く破砕音と共にグラスが砕け、中の液体と共に細かい破片が彼の上半身に降り注いだ。一瞬彼の視界を奪った隙に、僕はその横をすり抜けて体当たるようにして扉をぶち破る。それからただ一目散に、逃げる事だけを考えていた。
とにかく逃げたかった。
アレクセイの『眼』から。彼の計画から。
そして……シルフェリア様を裏切ったという現実から。
振り返る余裕など無いが、ハイドリクスの他に僕の行く手を遮る者は居なかった。手身近な通用口から屋敷の外へ転がり出るように飛び出すと、激しい雨空の下を僕は当ても無く駆けていた。




