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場を取り繕うように、すぐ傍の棚へと視線を向ける。そして本を物色する振りをしながら盗み見るように背後を伺うと、彼女は変わらず僕を監視するようにじーっと睨んでいた。ううん、怖い。また小言を言われてはたまったものではないので、とりあえず手身近な本を手に取って表紙だけを眺めてみた。
『人は生まれながらにして善なるか』『神の国』『理想郷』。それだけでは何も判別はできないが、大げさなタイトルは大抵のところ思想書だ。かと思えばその棚に『国家』『エルダーワイズ』『エーテルランド正史』といった歴史書や研究書と思われる物も混ざっている。おそらく、この書庫の整理や整頓を行っている人間は居ないのだろうなと、そんな事を思っていた。そもそも、本とただの紙束とが一緒くたに棚に並べらていると言うのがその表れだ。ベルナデットも、「王族とその付き人しか入れない」と言っていたような気がする。となると、ここを直接的に管理しているのは姫様と――国王陛下と言う事になる。
そんなことを思いながら次の本を引き抜いた時、勢い余ったのか傍に差し込まれていた丸めた羊皮紙の山がバサバサと一緒に落ちてしまった。
「おっと……」
慌てて拾い集めると、ベルナデットも傍に来て、ため息を吐きながらそれを手伝ってくれた。
「……仕事を増やさないで頂きたいものです」
拾い集める動きの中で揺れる彼女の黒髪から、ふんわりと花のような匂いが広がった。主の品位を崩さぬよう自らの身だしなみにも気を使っているんだろう。怖くてまじまじと眺めた事は無かったが、薄化粧ながら顔立ちは整っている。髪の色に比べて肌の色素は薄く、どちらかと言えば北の国に住む人間に近いような気がする。
全体的に線は細いが、女性的な肉付きがあって、漂う香水の香りもリアや姫様のそれと違ってどこか扇情的。これが大人の色香というものなのだろうか。
「……何か?」
流石にこちらの視線を感じたのか、これまでにない鋭さのそれと目が合った。僕はとっさに視線を外すと、足元の紙束集めに専念する。
「ん……?」
ふと、束の内の一枚に目が留まった。くるくると一枚の羊皮紙が巻かれたそれは、他の書類と違って中身を示す走り書きが無かった。代わりにべっとりと、大量の蝋で合わせ目が閉じてあり、これまでに開かれた形跡を感じさせないものだった。
「これは……」
思わず手に取って、ブツを改める。開けて中を見てみたかったが、流石にこれほど厳重に封じてあってはナイフが無ければ開ける事はできない。だが、その蝋に押された印を見て僕は思わず息を飲んだ。
――《五芒星に巻く蛇》。
見覚えは無い……が、聞き覚えはあった。なぜならこれはあの夜に――
「――どうかなさいましたか?」
ベルナデットがこちらを見ている事に気づき、僕は思わず飛び上がった。
「い、いや……何でもないんだ」
僕は慌ててそれを拾い上げると、他の束と一緒に棚へと押し込む。
彼女は多少訝しげな表情をしたものの、僕がすべての書類を棚へ戻したのを見ると、それ以上何も口にしなかった。
ベルナデットとの会話の中で、気づいていないわけじゃなかった。ただ、気づこうとはしていなかった。それは未だに僕が迷っていたせいもあるかもしれない。だが、気づかされてしまった。どうしようもなく、明確に。
そうか――ここが『王室書庫』。そしてセドリックの手記は、確かにあった。
それから部屋に戻るまで、頭の中は手記の事でいっぱいだった。ちなみにベルナデットの目がある中で持ち帰る事などできるわけもなく、今はそのまま書庫に置いて来た。
「……どうかなさいましたか?」
まだまだぎこちないフォーク捌きで夕食のサラダビーンズを突きながら、マルグリットが僕の顔色を伺った。
「なんだか、お疲れのようですが……」
疲れたと言えばその通りだが、そんなに顔に出ていただろうか。僕は一度両手で頬を叩くと、軽く頭を左右に振った。視線を戻すと、マルグリットがびっくりした様子で、こちらを見つめていた。
「一つ、伝えておかなければいけない事がある」
僕はそう前置くと、手にしていたフォークを置いて彼女に向き直った。
「はい……何でしょう」
改まった様子に彼女も察してくれたのか、手を休めて椅子に深く座り直した。
今、この部屋には僕と彼女と二人しかいない。リアは「人に会う」と言って、最低限の給仕だけ行いどこかへ行ってしまった。メイドとしてはどうかと思うが、今日に限ってはそれがありがたかった。
いざ伝えようとすると、どうしても躊躇してしまう。本当に良いのだろうか。今なら見なかった事にもできる。だが、誰かに話したかった。話すことで少しでも気分が軽くなるような、そんな気がしていた。
「さっきの書庫での話だが……」
「書庫……はい、とっても楽しかったですね」
ニッコリと、マルグリットがほほ笑んだ。
王城へ来て、リアや姫様と話すようになって、彼女の笑顔を目にするようになった。
彼女は自分の今の境遇をどう思っているのだろうか。いきなり貴族の真似事をしろと言われ、リアにバレながらも交友を持ち、姫様と友人のような関係を育み、そして今……国の大事に関わろうとしている。彼女を巻き込んだのは紛れもなく僕だ。そしてそれは、彼女も織り込み済みのハズだ。僕らは利害一致の関係――共犯者なのだから。
しかし、アレクセイの一件はその範疇を越えてはいないだろうか。僕が揺れ動いているのは、すべて僕自身の――いや、ゴート家のためだ。
だが、彼女はどうだ。彼女に何か利はあるのか?
ただ悪戯に危険に巻き込んでいるだけじゃないのか?
いや……本来なら、気にするべき事では無いはずだ。そもそも共犯なんてのは建前で、僕は彼女を『利用している』に過ぎない。そう思わないようにしていただけだ。
でも、彼女の笑顔を目にするようになってから、久しぶりに姫様の夢を見てから、意識せずにはいられなくなった。それが何故なのかは、よく分からない。罪悪感とか、そういった類のものかもしれない。だが、これ以上そんな想いを抱かないで済む方法があるとしたら――
「――そうだな。沢山の本があって、僕も楽しかった」
「はい! 私、いろいろな本を見せて頂いたんです。文字はまだ読めないですけど……シルフェリア様のお話を聞いているだけでも、とても幸せでした!」
僕の愛想笑いに、彼女は心からほほ笑んでくれた。
――そうだ、この事はあくまで僕自身の為に行う事だ。これ以上彼女を巻き込む必要はない。足を踏み入れるのは僕だけで良い。
僕は誰かの未来を背負えるほど、器の大きい男じゃない。
それから、マルグリットとの食事の席は珍しく会話が弾んだ。彼女が語る、姫様から聞いた物語に相槌を打ち、僕が知っている話であれば補足に言葉を挟み、今度は逆にマルグリットが相槌を打つ。そして、自然と笑顔も溢れた。
楽しかった。思えば、彼女とこうした食事をした事は今までになかった。先の見えない不安の中で、テーブルマナーを教えながら、ゆっくり料理を味わう暇も無かった。
今日は僕も、彼女のマナーを指摘する事はしなかった。だから彼女もリラックスしていたのか、するすると口から言葉が漏れた。童話の話だけでなく、いろいろな事を彼女は語ってくれた。
母親は自分と同じ使用人で、自分は生まれながらにメイドであった事。父親は知らない事。これまでいろいろなお屋敷を転々として来た事。そのどれもクビになって来た事(相当にどんくさかったようだ)。「森のライオン」の話は、母が祖母から語り継いだ話であった事。祖母の故郷は海の向こうであるらしい事。
そのどれもが初耳で、僕は彼女を何も知らなかった事を思い知らされた。興味が無かったと言えばそれまでだが、ちょっと聞けば出て来た話であったはずである事も確か。
違う。それはきっと、情が移らないようにしていただけだ。身の上を聞くという事は、彼女の人生を受け入れる事に他ならない。僕に、その覚悟が無かっただけだ。
ひとしきりを話し終える頃には、食事もすっかり平らげていた。マルグリットがカートに食器だけ戻して、後の片づけはリアが帰って来てから頼む事にした。
マルグリットは、明日もう一度王室書庫を探してみると言った。僕は、今度はリアと一緒に行ってくれと言い添えた。
それから簡単に夜の挨拶を交わして、僕は部屋を出た。よほど楽しい時間を過ごしてくれたのか、扉を閉める瞬間まで彼女はずっと笑顔だった。その笑顔を尻目に自分の部屋へと戻ると、明かりも付けずに衣装棚のロングコートをひったくる。そして袖を通すと、存在を確かめるように飾りボタンに手を触れた。
一つ、大きく息を吐いて気分を入れ替えてから窓の外を見る。いつの間にか、昨夜のように雨足が強くなっていた。少し憂鬱な気分だったがそれを払いのけて、僕は隣に気付かれないようそっと部屋を後にした。




