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雨上がりのクールドリヨン ~劣等貴族の下克上~  作者: もがみのどか
4章 雨に濡れたフルール・ド・リス
33/52

4-5

「――もう、大丈夫でございますよ」


 一瞬の事だったのか、それとも数分の事だったのか、ベルナデットの言葉で足元にしっかりとした地面の感覚があるのを感じていた。

 閉じていたらしい目をゆっくりと開く。ぼんやりと戻って来た視界の先には、無表情なメイドの整えられた黒髪が揺れる。そして彼女の後ろに広がった光景が、僕の意識をごっそりと奪って行った。

 長方形の部屋に壁いっぱいの本棚。四方八方、三六〇度、高く見上げる天井までびっしりと、棚に収められた本や紙束で部屋は埋め尽くされていた。見た所書庫のようだが、昔に立ち入った事がある王宮書庫とは違うものだ。王宮書庫に比べれば規模は小さい。それでも幼い頃に日夜読みふけった実家の書庫とは比べ物にならないほどの数の本だ。これまでの記憶を遥かに超える宝の山を目の前にして、僕は心が洗われるような気持ちで見惚れてしまっていた。


「すごいです、ルーフェン様……私、こんなに沢山の本、初めて見ました」


 マルグリットも呆気に取られた様子でぽかんと口を開け、首が痛くなりそうな程に頭上を見上げていた。


「ローリエの屋敷の書架でも足元に及ばない……ここは天国か」


 思わず口からため息が漏れると、くすくすと可愛らしい笑い声が室内に反響した。


「お気に召して頂けたようですね。わたくしも嬉しいです」

「――ひ、姫様っ!?」


 声の主に気づいた僕は、慌ててその場に膝を折った。僕らの目の前には、いつの間にかいつもの白いドレス姿のシルフェリア様が、軽やかな笑みを浮かべて佇んでいた。


「ごきげんよう、オードリィ様、ルーフェン様」

「ご、ごきげんよう、シルフェリア様」


 マルグリットも慌てて裾を掴んでお辞儀をする。姫様はマルグリットへと近づくと、白い絹のロンググローブに包まれた御手で彼女のそれを取った。


「ささ、こちらへどうぞ。人目もありませんので、街の時のようにリラックスして頂いて構いませんよ」

「は、はいっ。ありがとうございます……っ」


 言葉とは裏腹にガッチガチのマルグリットを、姫様は書架の奥へと引き連れていく。僕とベルナデットも、ゆっくりとその後を追った。


「……それで、この場所は?」


 僕は先ほどの質問をもう一度ベルナデットに問う。


「申し訳ございません。それは申し上げられません……王宮の書庫の一つ、とだけ」


 ベルナデットは改めて謝罪と共に頭を下げた。


「以前、お話しましたでしょう? 私のコレクションの事」


 そんな彼女の代わりに、姫様が弾んだ声で答えてくださった。彼女が言っているのは、お茶会で口にしていた『童話コレクション』の事だろう。スカートをはためかせて可憐に歩きながら、姫様は弾んだ声で語る。


「以前『森のライオン』のお話を聞かせてくださったお礼に、どうしてもご案内したくって……ベルナデットに無理を言って、開けて貰ったのです」

「本来、王室の方とその付き人以外を入れる事は禁止されておりますが――」

「わたくしの一存があれば別です。この城では、父様とわたくしがルールですから」

「――承知しております」


 ものすごく不満を募らせた表情のベルナデットに対し、悪びれる事無く笑顔で答えた姫様。そのどこか薄ら暗い笑み……素敵だ。


「わ、私なんかのために無理をさせてしまって、なんとお詫びすれば……!」

「お詫びだなんて、とんでもないですよ。こちらこそ、存分に街を案内する事ができなかったのでそのお詫びのつもりなのですから」


 恐縮しまくりのマルグリットだが、姫様はそんな事お構いなしだ。どことなくだが、いつもの彼女の様子よりも生き生きとしているように見える。それがあの頃の様子に重なって、何とも言えない暖かい感情が胸の内を満たした。


「ささ、オードリィ様こちらへ。まずは、わたくしのとっておきから――」


 それからおどおどした様子のマルグリットを、姫様ははしゃぎながら連れまわす。あちこちの棚へ向かっては本を手に取り、開き、マルグリットへと見せる。マルグリットは姫様の横から覗き込むようにして、彼女の話に相槌を打つ。文字は読めないから、本そのものを読む事は出来ないのだろう。次第に、姫様の語る解説を聞く方が主になっていく様子が見て取れた。

 それでも、姫様の語る物語の世界に引き込まれ、一緒になって笑い、時に読めない本を覗き込んでは一緒に読んでいる気分になっているようにも見え、彼女も彼女なりに楽しんでいるのをひしひしと感じていた。

 正直、すぐにでも割って入って姫様の話に耳を傾けたい所だったが、あの空気を壊す気にもなれず、手身近な棚の本に目を走らせながら遠巻きに見守るのに留めた。ざっと目を通しただけでも太古の哲学書や、数学、兵法書などなど。どれも多くの人間が目を通したような形跡は無く、特定のページだけ何度も読み返した跡があったり、そもそもあまり開かれていなかったり。種類も中には目にしたこともないようなものこそあったが決して目新しいものばかりではなく、個人的に集めた蔵書であると言うのが一目見た感想。中には諸外国の言葉で書かれたものも多く、大げさな表現だが、まるで人類の英知を集めたかのような、そんな印象を受けていた。

 いったいどれだけの知識と知恵がここには集まっているのだろう。一生を掛けても読み切る事ができるかどうか……ああ、願うならここに泊まり込みで解読を行いたい。


「――勝手に蔵書を漁られますと困ります」


 大量の本の山を前に軽く思考がトリップしていた所を、ベルナデットの無機質な声で現実に繋ぎ留められた。


「ここにお連れした事は内密なのですから、どうかご自重ください」

「っ――あ、ああ……申し訳ない」


 振り向くとすぐそこに彼女の真っ赤な瞳があって、僕は思わず手にしていた本を取り落としそうになった。そそくさとそれを本棚に戻しながら、視線を軽く姫様達の方へと向ける。きゃっきゃと笑いながら語らう二人の姿が、とても年頃の女の子らしかった。

 そんな二人から取り残された世界。僕とベルナデットと二人きりの空間だった。

 ……気まずい。


「そ、その……この部屋は、王城のどこにあるんですか?」

「申し上げられません……と言うより、分かりません」

「それはどういう……?」


 珍しく歯切れの悪い言葉に、僕は思わず聞き返す。


「私もこの場所がどこにあるのか正確に捉えていないのです。広大な城の一部なのか、それとも王都のどこかなのか、はたまた全く予知し得ない場所なのか――」

「ま、待ってくれ。じゃあ、そもそもどうやってここに――」


 そこまで口にして、ふと思い至る。あの小部屋での光――あれか。


「あの時の光は……?」

「それも、私の口からは……ただ、王家の紋章術の一つと仰せつかっています」

「《百合紋フルール・ド・リス》の――」


 《百合紋》の紋章術。自国を治める存在のものであるにも関わらず、僕も伝聞程度にしか知らない事だった。この紋章社会に於いて国を治めるレベルのものであるから、とんでもない力を持っているのは確かなのだろうが、やれ瞬きの内に水平線の敵を倒せるだの、やれ目の前のものを文字通り消滅させることができるだの、噂に尾ひれがつきすぎてどれが本当なのか全く分からない。ただ一つだけ分かっている事があるとすれば、《百合紋》の力は『エーテルを操る力』だという事だ。

 紋章術の基本原理は、エーテルの力を使って天火風水地の五大元素に影響を与えるもの。《翼獅子》であれば無機物――地。《水瓶蛇》であれば水――はそのまま水。《炎鴉》であれば炎――これもそのまま火。と言うように、能力の大本を辿れば必ず五大元素へと行き着く。そんな中で《百合紋》の力とされているのが天――すなわち第五元素エーテルだ。エーテルとは世の中に存在するあらゆる物質・現象の媒介と言われているエネルギーの事であり、このエネルギーを使う事で紋章術は力を発揮している。人によってはそれを『空気』と呼んだり『光』と呼んだり、いまいち正確な形は捉えられていない。しかし、それは明確に存在しているものであり、そのエーテル自体を操るという事は、森羅万象を掌握しているという事に等しい。

 それこそが《百合紋》――国王という絶対的な権力を有する一族の力。それほどの力であれば、この身に何が起きても不思議では無い。


「なら、あの小部屋での水滴音は――」


 僕の言葉にベルナデットは何も言わず、ただその緋色の瞳でまっすぐ僕を見返した。

 なるほど……であるならば、あの時の巨大な《百合紋》の説明も付く。


「あの部屋自体が巨大な《偽符》と言う事か……」


 ん……?

 そうなると、一つだけ引っかかる事がある。

 《偽符》を使えると言う事は、ベルナデットは《百合紋》の力を理解しているハズだ。そうでなければ《偽符》を使うことはできない。思い返せばそもそも彼女はあの部屋の現象については『口にできない』と言っただけだ。


「――いかがいたしましたか?」

「いや……なんでもない」


 リアもそうだが、頭の回る女性は苦手だ。心の内を全く見せない彼女の表情に、改めて思い知らされた。

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