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雨上がりのクールドリヨン ~劣等貴族の下克上~  作者: もがみのどか
1章 百合の城のラ・デエース
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1-1

 耳の後ろが熱い。手もじっとりと汗に濡れている。頭の中で繰り返したシミュレーションも、今やすっぽりと抜け落ちてしまった。

 問題は無いと心に言い聞かせても、高鳴る鼓動はそれを許してくれなかった。

 最低限の恰好は揃えた。馬車引く馬も農耕用の輓馬だが、無いよりはマシだ。


「や……やっぱり、無理ですよぉ」


 向かいに座るマルグリットは、頼りない声を上げながら涙を浮かべていた。

 見てくれは薄汚れているが、事故に遭ったと言えば何とでもなる。亜麻色の髪は適当に纏められていたせいで変なクセがついているが、もともとウェーブがかっているせいか気になる程ではない。そこに、文字通り「馬子にも衣装」でよそ行きのドレスで着飾れば、どこからどう見ても立派な貴族の令嬢だ。


「覚悟を決めろ。お前だって、職を失うのは嫌だろう?」


 そう、覚悟は無理やりにでも決めさせた。でも、覚悟と後悔はまた別の感傷だ。

 本当にこれで良かったんだろうか。下手を打てば、処刑で済む話ではない。

 僕の人生はこの十八年で幕を閉じる。

 寄せ集めの人員で作った不格好な隊列は、天然の堀となっている川の跳ね橋を渡り、王都の正門を潜る。

 ゴウゴウと言う濁流の音が過ぎると、賑やかな王都の喧騒が耳に響いて来た。

 大きな中州の岸に沿って、街をぐるりと取り囲むように築かれた高い壁。その内部に所狭しと並んだレンガ造りの家々。城で働く騎士や文官、職人、商人、教会の僧侶、そしてそれらの家族達。そんな人たちが、この城下町には住んでいる。

 式典を四日後に控えた今は、地方や国境を越えてやって来た出稼ぎの商隊や芸人達。はたまた見物にやって来た、周辺の村の農民たちも加わって。

 王都は、人で溢れかえっていた。

 そんな中を馬車付きの一行が通れば注目も浴びるだろう。車内からでも、人々の物珍しい視線が突き刺さるのを感じていた。

 彼女もそれを感じているのか、それとも感じる間も無くいっぱいいっぱいなのか、居心地悪く合わせた手を太ももに挟んでモジモジと必死になって不安に堪えていた。


「普段は考えもつかない贅沢ができるんだ、悪い話じゃないだろう」

「そ、それはそうかもしれませんが……」

「じゃあ、何が不満なんだ?」

「不満は……無いです」


 少し強めに良い寄ると、彼女は縮こまってそれ以上何も言わなくなった。

 目抜き通りのレンガ造りの道の凹凸が、車輪越しに身体に伝わって来る。手すりを掴んでそれに耐えながら、光を取り入れるために小さく明けられた窓から外の景色に視線を巡らせた。

 この高さからだと街の様子は良く見えない。見えても建物の二階部分や、屋根に上り祭を楽しむ人々の姿くらいだ。

 しかし馬車が曲がり角に差し掛かり、窓に面した景色が一変すると、そこには夢にまで見た偉大なる王城の姿が、あの時と記憶と寸分と変わらずにそびえ立っていた。

 王都の中央に築かれた城壁のさらに奥。この街の威厳を表しつつも、敬愛のシンボルである王城は、雨上がりの雲の切れ間から差し込む光を受けて、幻想的に輝いていた。


「ほら、見てみろ」


 前傾になって覗いていた身を離し、代わりにマルグリットに小窓を譲る。彼女は堪えるようにきゅっと唇を噛むと、恐る恐る身を寄せて、窓の外へと視線を巡らせる。

 何を見せられるのかとおっかなびっくりだった彼女だが、眼前に広がった景色を見るなりすぐに目を見開いて、口をぽかんと開いて、小窓に顔を押し付けるように身を乗り出して、食い入るようにそれを見上げていた。


「わぁ……!」


 目がらんらんと輝き、感嘆の声が漏れる。僕は頬杖を突きながら彼女のそんな横顔を見つめ、思わず笑みが零れた。

 僕も、初めて王城を見た時はあんな表情をしていたんだろうか。それは遠い昔の事だったが、それでも僕は戻って来た。

 やがて馬車は、絶壁沿いの上り坂へと差し掛かる。街よりも一段高い岩丘のその上に、中心である王城は築かれていた。流石は日々農耕具を引いて回る輓馬だ。多少の坂なら車両を引こうと関係が無いくらい、安定した足取りだった。


「いいか、城に入る前にもう一度だけ確認だ」


 僕は落ち着きのないマルグリットを前にして、念を押すように言葉を掛けた。


「城に入ったら下手な事は口にするな。何を喋っても、どこかで必ずボロが出る。何かを聞かれたら『ウィ』か『ノン』。言葉を尽くさなければならない時は『今は何も考えられません』――だ。言ってみろ」

「も……申し訳ありません。今は何も考えられません」


 練習がてら話を振ると、彼女はしどろもどろと答える。少々ぎこちないが、これはこれで境遇を『らしく』演出してくれるだろう。

 とは言え、どうにも不安は拭えない。本当に彼女に、この大層な役が務まるのか。結果として他に役者が居なかったのは事実だし、大見得を切った手前、やっぱり他の人に――とも言い難い。彼女にはこの嘘っぱちの祝賀隊で『張り子の虎』――もとい『張り子の貴族』を演じ切ってもらう他ない。

 あの河原で計画を聞かせた時、マルグリットは文字通り目を白黒させて、顔を青とも赤とも言い切れない色に染めて、まるでこの世の終わりのような泣き顔で、「そ、そんなの無理です!」と喚き散らした。

 でも、こちらも一族の命運を背負っている。彼女だってもちろん、今後の生活がかかっているわけで、口八丁手八丁で言い包めたのが昨日の事。

 現場に群がっていた火事場泥棒に仲間を呼ばせ、金品の盗掘を容認する代わりとして護衛兵に扮させた。

 損傷の少なかった車両を土砂の中から掘り起こして、持ってこさせた輓馬に繋いで馬車を作らせた。

 そして僕は少しでも見た目の平貴族エキュイエ感を拭うために、亡くなったエドガー様の素朴ながら品のある深緑のコートに袖を通し。

 彼女には、亡くなったオードリィ様の意匠に凝った薄桃色のドレスを纏わせ。

 お互いに泥を被りながらも召し込んで、それぞれの『役割』に扮した。


 ――不幸な災害で父を失った『悲劇の令嬢』、オードリィ・ミュールと、

 ――それを献身的に支える『誠忠の紋章官』、ルーフェン・ゴートへと。

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