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雨上がりのクールドリヨン ~劣等貴族の下克上~  作者: もがみのどか
2章 ノブレス・オブリージュ
12/52

2-3

 そんな事があった翌日なものだから、目覚めは最悪だった。まだ昨日のモヤモヤが胸に燻っていて、気持ち悪いような、そわそわしたような、そんな気分に駆られていた。

 窓の外からは朝日が差し込み、既に良い時間である事を告げている。それでもいつもより大分早い気がするが、二度寝するような気分でも無いのでベッドから這い出した。

 マルグリットはもう起きただろうか。壁越しの彼女の部屋の方に目を向ける――と同時に、ドスンと何か重い物が落ちたような音がして、壁が大きく揺れたような気がした。現に、壁に掛かっていた女神フィーネの絵画も、それに合わせてガタリと音を立てて傾いていた。


「な、なんだ……?」


 揺れた方向的にはマルグリットの部屋で間違いない。僕は慌てて部屋を飛び出して、隣のドアを乱暴にノックしていた。


「開けるぞ、マル――オードリィ様!」


 廊下で思わず本名を呼びそうになった所をぐっと堪えて、僕は扉を開け放った。部屋の様子は昨日とさほど変わりは無かった。ベッドに多少使用感があるのと、壁際でマルグリットが尻もちを付いているのと、彼女の部屋の文机が倒れている事を除いては。


「ル、ルーフェン様……?」


 涙目でお尻を摩るマルグリットと目が合った。


「……何してるんだ?」

「あ……いや……その……」


 彼女は決まりが悪そうに俯きながら、照れ笑いを浮かべて呟いた。


「いつも通りの時間に目が覚めたら手持無沙汰で、ふと周りを見渡したらこの部屋意外と汚れていて、どうしても気になって、それで、この数刻ずっと部屋のお掃除を……」


 そう一気に言葉を並べ立てた彼女の手には、どこから持って来たのか濡れた雑巾と、傍にはご丁寧に水の入ったバケツが転がっていた。バケツもまた横倒しになって、部屋の中に思いっきり中の水がぶちまけられている所だった。


「す……すみません。起こしてしまわれましたか?」


 しゅんと小さくなるマルグリット。思わず大きなため息が漏れた。


「水とバケツを片付けろ。机は僕が戻しておく」

「すみませんっ、すみませんっ」


 祈りの言葉のように繰り返しながら、彼女は雑巾で水を拭ってはバケツの中へ絞って行く。貴族らしさ云々を通り越して、とりあえず彼女がどうして下っ端メイドだったのかがよく分かったような気がした。

 それから全ての後始末が終わった頃には、いい時間になっていた。

 平民や使用人と違って、貴族の朝はとてもゆっくりだ。使用人が皆起きて朝の一仕事が終わった頃に目を覚まし、お茶でも飲みながらだらだらした後、朝食と昼食を一緒に取って、それからようやくその日の行動を始める。僕も今日は早めに目が覚めたが、使用人だった彼女はいつごろから目が覚めているのだろう。

 ちなみに朝が遅い分、夜も貴族はゆっくりだ。

 一息ついていると部屋がノックされる。リアが勤めに来たのだろうか。

 ふと彼女の事を思い出すと、それだけでなんだか気分がムカついて来て、僕は「入れよ」とおざなりに返事を返してしまっていた。

 しかし、戸口に現れた影は赤毛のメイドのそれではなかった。


「おっと――これは失礼……取り込み中だったかな?」


 長身の青年だった。一目で目に付いたのは艶のある黒い髪。長く、それでも手入れの行き届いたそれは肩口から三つ編みで一本に纏めて背中に垂らされていた。自然と顔に掛かった前髪から覗く切れ長の目は、ガーネットに似た底知れない鈍い輝きを持つ瞳を抱き、物言わぬ存在感を放っている。どことなく女性的な顔つきの中で、その存在感は何とも言えない気品としても見えるような気がした。

 召し込んだ濃紺のコートは暗い落ち着きを与え、畏まるように胸元を抑えた左手の薬指には金色の指輪が朝日に照らされて輝きを放っていた。

 その指輪に刻まれた《紋章》に視線が移った時、僕は思わず言葉を失った。そして、絞り出すように、その名を口にする。


「シ……シャルドン公」

「おや、どこかでお会いしたかな?」


 《炎を抱いた鴉》を掲げるシャルドン公は丁寧な身のこなしでお辞儀をすると、もう一度僕らを一瞥して、作り物のような微笑みを浮かべた。


「ローリエ伯のご息女がお目見えになっていると聞きご挨拶にと馳せ参じたが……どうやら日を改めた方が良さそうだ」


 そう言われて、ハッと自分たちの状況を顧みる。そう言えば、着の身着のままマルグリットの部屋に飛び込んだせいで、お互い寝巻のままだった。彼がその微笑みの奥で何を『勘違い』しているのか、なんとなく想像がついた。


「こ、こちらこそ、我が主の見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ございません。ただ、ご想像のような事は何も――」

「良いんだ。突然押し掛けた私にも非がある。ところで、君は?」

「オードリィ様の紋章官を仰せつかっている、ルーフェン・ゴートと申します」


 慌てて頭を下げて自己紹介した僕に、シャルドン公は不意に押し黙った。僕は、彼のブーツの先を見つめながらドクンと小さく鼓動を鳴らす。また、あれが来るのか――


「ではルーフェン君、後程改めて使いを送らせて頂こう。見目麗しいお嬢さんをお誘いして、是非、晩餐会でも取り計らせて頂きたいのでね」


 予想に反して、彼の受け答えは普通だった。昨日のロラン爺とは違い、僕の名も、立場にも、何の疑念も抱かずにそう言葉を続けていた。


「それは光栄です。是非とも、お時間を作らせて頂きたいと思います」

「うむ、よろしく頼むよ」


 それだけ言うとシャルドン公は踵を返して、三つ編みを揺らしながら部屋を去って行く。僕は思わず、盛大に溜息をついて胸を撫でおろした。

 心臓が止まるかと思った……いろんな意味で。


「あ、あの……今の方は?」


 そんな僕の心中などお構いなしに、マルグリットがぽつりとつぶやいた。ただ、その様子はどことなく上の空で、惚けたもので、思わずその表情を見つめてしまった。対する彼女の視線は僕に無く、シャルドン公が去って行ったドアの方へ、焦点も合わせずに向いていた。


「今の方は――」

「――ね、ねぇ! 今、この部屋から超イケメンが出て行かなかった!?」


 僕が答えようとするや否や、リアが血相を変えて部屋の中へと飛び込んで来た。興奮しているのか目を期待と驚きで白黒させ、頬は上気し、声も上ずっていた。

 僕はそんな彼女を無視してマルグリットに目を向けると、覚えろよという意味を込めてゆっくりと、力を答えてその名を口にした。


「エーテルランド三大名家の一つ――シャルドン公、ニコラス・アローその人だ」

「あれが噂に聞く大貴族の……!? うそ、あんなにイケメンだったなんて……全くチェックしてなかった!」


 リアは彼の去って行った方角を、壁に穴が開くように見つめていた。


「流石にお前じゃムリだろ」

「うっさいわね! 狙った獲物の前じゃ淑女を演じるわよ!」


 なんかムカついたので嫌味を言ってみたら、ものすごい剣幕で言葉を返された。

 そういう所が『ムリだ』って言ってるんだ。


「そんな事よりもリア、一つ頼まれて欲しい事があったんだが――」


 彼女の必死の言い分を華麗にスルーしてそう言いかけた所で、僕の言葉を遮るように再び部屋をノックする音が響いた。

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