再
作業着の男たちの中、私はパソコンに向かって、ひたすら数字を打ち込む。
厄介な数字の羅列にうんざりしながらも、作業を続ける。
地元の中堅企業に中途採用された私は、電話が鳴れば、作業を中断して受話器をとる。そのため、本来の作業は、なかなかはかどらない。
だが、私はその電話の応対があるからこそ、リフレッシュできるのだ。
市内の中心部から少し外れたところにある、少しは名の知れた小さな会社の事務所が私の今の居場所だ。
以前勤めていた会社より、多少遠いため、通勤時間は掛かる。残業も多い。
だが、私にとってここはとても合っていた。
面倒な女同士の付き合いがない。
事務所には私しか女子社員がいないのだ。
つらいことといえば、夏場、異常なほど冷房の温度設定が低かったり、男性独特の体臭が鼻に付くことがあるっていうところだろうか。
ここで働くようになって数ヶ月が過ぎた。
会社の人たちはみんなほどぼどに良い人で、嫌なことをする人もいない。
20代前半の多少地味めではあるがルックスは中の上という私を女だから、という特別な扱いをすることなく自然と受け入れてくれた。
入ってから初めて知ったのだが、この事務所に女子社員は今までいなかったという。
本社の意向で募集をして、私が採用された。
男の城に女が乗り込むというのは、とても難しいこともあるらしい。
つい最近、男子校に女の子が男装して入学するというドラマがあった。その話に出てくるような女人禁制を望む人もいなくはなかった。
以前の会社で、女同士の些細な駆け引きや付き合い、異性をめぐる女同士の火花……
そんなものに振り回されて疲れ果てていた私は、むしろ女が全くいない男だらけのこの城に自分がいられることを喜んだ。
変に媚を売るわけでもなく、黙々と自分の仕事をこなす私をしばらく遠巻きに見ていたようだが、彼らの世界を壊すこともなく、当たり前のように出社して帰る私に一同納得したようだ。
私にとって、平穏で、安らかな時間が過ぎていった。
何かを得たわけでもないが、とても満たされた毎日だった。
そんな安らぎを一本の電話が現実に引き戻した。
「……さん、奥山さん!!! 電話だよ?」
今日はたまたま営業の仕事が速く片付いて、久しぶりに退社時刻前に会社に戻ってきた社員に呼ばれた。
やれやれ、もう少しでひと段落つくっていうのに。
経理の仕事はとても苦痛で速くおわしたかった。
そんな今日一日の気力を振り絞って集中していた時に私は肩を叩かれた。
「ありがとうございます」
本来、電話の応対は私がしなければならないのだが、営業の彼に今日は少し頼ってしまっていた。
私に電話があるとすれば、本社の経理や総務からの催促や雑用の指示だ。
月末だから、あまり手間のかかるような仕事は聞きたくないな。
うんざりする気持ちを抑えて、なるべく元気に電話に出た。
「はい、お待たせいたしました。奥山ですが」
電話の向こうから聞こえてきたのは、ずっとずっと聞きたかった声だった。
「……優果、元気だった?」
半年振りに聞いた森本真治の言葉は、たった一言で、私を彼のぬくもりで包み込んだ。
もう、聞くことのないと思っていた。
この独特の耳に心地よく響く声、鼓動が高鳴った。
「はい。その節はお世話になりました」
私は、職場である以上普通の会話しかできなかった。
言いたいことはたくさんあったのだが、ここでいえることではないし、何より、真治の声を聞いただけで、心が満たされてしまった。
「……今日、逢えるかな?迎えに行くから。六時半に会社から一番近いコンビニで待ってる。待ってていい……かな?」
ずるい、やっぱり変わらない。
一方的に言い切ってくれれば、私は選択の余地なく行くしかなくなるのに。
最後はやっぱり、私が決めるんだ。
あの時みたいに。
「はい、承知しました。お手数おかけいたしました」
そう言って、受話器を置いた。
ドキドキが止まらない。
もう終わった恋だと、あきらめをつけたはずなのに、今も変わらず真治のことを求める私がここにいた。
意味深に私をみる営業の社員に、なるべく平静を装って、少し頭を下げた。
全身で興奮を抑えながらパソコンの前にもどり、画面の下の時間を確認した。
今は5時半。真治の会社の就業時間。
終わってすぐに電話をくれたんだ。
付き合っていた頃、いつも電話をするのは私だった。
逢いたいというのも、好きと言うのも私ばかり。
携帯を新規契約して、番号ごとを変えてしまった私に連絡するには、私の会社に電話するしかなかったのだろう。
付き合っている頃に、こんな風に人目もはばからず連絡してほしかったな。未練たらしく彼を想う私がここにいた。
私は別れてから、会社を辞めた。
彼と同じ系列の会社であったため、月に1・2度顔をあわせることがあったのだ。
別れたけど、仕事は仕事だから……と割り切れるほど私は大人の女ではなかった。
悩んだ末に、会社を辞めて、今の職場に移った。
もちろん、彼には何も言うことなく。
別れているのだから、言う必要もない。
みんなに内緒にして付き合っていた私たちは、相手に知らせなければお互いの近況を知る由もなかった。
同僚たちにも今後の身の振り方を何も言わなかった。
『一身上の都合で』とだけ上司に伝え、ひっそりと職場を去った。
彼から電話が来たことも驚いたが、どうしてここに私がいることを知っているのだろう。
もし、本当に連絡を取りたいのなら、自宅に電話をくれてもよいのに、なんでわざわざ会社に……
まるで、『俺のもの』とでも、アピールするかのように公の場に連絡をくれたことが嬉しくて、早く定時の六時にならないかなとそれだけを考えていた。
ふと、視線を感じて、周りを見ると、意味深な笑顔で親指を突き立てて、ウインクする営業の社員と目が合った。
私は慌てて、今日の分の仕事に集中した。