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意中の人と結ばれる5つの条件 ~体操服のニオイを嗅いる所を彼女に見られた状況からでも逆転できますか?~

作者: 瑞橋 あき

 はぁ~いいニオイだ。彼女の体操服がこんなにいいニオイだとは思いもよらなかった。



 俺はそう思うと夕日に赤く染まる教室で、もう一度鼻で大きく深呼吸する。彼女の体操服を通して吸い込む空気に俺の心は異常なまでにドキドキした。


 その時ガラリと音がした。


 音がした方を向くと、今まさに開けた教室の戸に手を添えた格好のままで固まっている彼女がいて――バッチリと目が合った。


 俺は逃げ出した。


 体操服を放り出し、彼女がいないもう一つの教室の戸へと駆け出す。整然と並べられた机に腰をぶつけ、椅子に足を取られそうになりながらも教室から廊下へ出た俺は一目散に走り出す。


 彼女の顔は見ていない。というか見られなかった。だってどんな顔をしているか見るのが怖かったから。


 俺は、ぶつけた腰の痛みを気にせず一心不乱に足を動かしながら、こんなことになった悪友を恨んだ。


 そう、すべてはあいつのこんな言葉から始まったのだ。




「知ってるか? この学校には縁結びの都市伝説があるんだってよ」


 学校なのに都市伝説とはこれいかに。俺は昼休みの学校の教室で、母ちゃんが作ってくれた弁当を食べながらそう思った。


 しかし縁結びと聞いては、生まれてこの方占いの類を信じてこなかった俺でも聞かないわけにはいくまいと、話しの続きを促す。


「恨みが池のそばにちっちゃい神社みたいなのがあるだろ? その裏に書いてある事を全部実行すると好きな人と結ばれるんだってよ」


 恨みが池というのは、俺が通う学校の外れにある池のことである。池の水も汚く周囲も草が生え放題という状態に生徒の誰かがそう呼び定着した名前で、正式な名称が別にあるらしいが俺は知らない。そんな状態なので、近づくだけで臭いがヒドイやら虫がいるやらで好んで近づく人などいない。


 そんな池に縁結びとは怪しさ全開である。が、やはり気になってしまう。


 なぜ俺がそこまで縁結びという言葉を気にしているのかいうと、それはズバリ気になっている女子がいるからである。


 俺はふと視線を教室の窓際へ移す。そこには変わらず彼女がいた。


 彼女の名前は時津ゆかり。今年、高校二年になって初めて同じクラスとなった女子である。そして、俺が片思いしている人である。


 彼女はあまり交友関係が広い方ではないらしく、いつも決まった友人、二、三人と昼食をとっている。


 今俺がいる位置からは彼女の後姿しか見えないが聞こえてきた笑い声に、眼鏡の奥の瞳を細め、えくぼを作りながら笑う彼女の顔が脳裏に浮かぶ。その笑顔が可愛すぎて、つられて俺の顔もゆるんだ。


「……俺、いつかお前が時津さんを襲うんじゃないかと心配だよ」


 襲うだなんて、何ということを言うのだろうかコイツは。俺は彼女の笑顔が好きであって悲しむ姿は見たくないというのに。


 そんな失礼なことを言うのは、さっき学校の七不思議だが都市伝説だかを話していた俺の悪友にして幼馴染の飯島隆志である。こいつとは幼い頃からの腐れ縁で、互いの趣味から持っているエロ本の趣向まで知っている仲である。なので、まるで当たり前の如く俺が彼女に思いを寄せていることも知っている。縁結びが――、などと言い出したのもそのせいだろう。


 俺も男だ。好きな女の子と付き合いたいと思うのは自然なことだと思う。しかし、もう七月だというのに全くと言っていいほどに彼女と接点が無いこの状況に、俺も内心焦っていた。もうすぐやってくる夏休みによって、彼女との接点はますます薄くなるに違いないからだ。


 俺は占いの類は信じない方ではあるけれど、そう言ってもいられない。


 恨みが池の縁結び、試してみても損はないと俺は考えた。




 隆志が言うには午前零時に恨みが池に行くと、意中の人と恋仲になれる方法を知ることが出来るのだという。俺は午前零時の少し前に恨みが池に到着し、自分の想像以上の状況にはやくも心が折れかけていた。


 恨みが池は噂に違わず、腐った水の臭いが鼻を刺激し、夏場ということもあってか虫が鬱陶しいほどにいて、気がついたときには腕に三か所も刺されていた。なにより、深夜の上に空は雲で覆われていて辺りは真っ暗で何も見えず、見えてはいけない物が出そうな雰囲気に思うように足が進まない。


 懐中電灯の明かりを頼りに、事前に調べておいた道をなぞるように歩くと、なんとか目的の場所へたどり着くことが出来た。


 隆志は小さな神社と言っていたが、これはお社である。手入れをする人もいないのか雨風にさらされボロボロで、中にある小さなキツネの石像が二つ、動くことなくこちらを見ている。


 気味が悪いな、そう思いながら時間を確認すると、もうすぐ零時だった。

 俺は慌ててお社の後ろへまわる。時間はちょうど零時になった。


 その時、雲の隙間から月明かりがお社を照らす。その光にお社を見れば、壁に何やら文字が書かれていることに気がついた。


 そこには「意中の人と結ばれる5つの条件」という文字と一緒に、その「5つの条件」と思われる文字列が書かれていた。


 それを見た俺は驚き、頭を抱えた。その条件は俺にとってどれも難易度が高く、しかも条件の一つ目が「意中の人の体操服のニオイを嗅ぐ」という内容だったからだ。




 俺は足が悲鳴を上げるのを無視して走り続ける。彼女の体操服のニオイを嗅いでいた、先ほどまでいた学校は見えなくなり、世界を赤く染めていた太陽は完全に落ち切っていた。


 体中が悲鳴を上げ始めたので俺は走るのをやめ、近くにあった公園のベンチに腰を下ろす。 体が酸素を欲してひたすらに空気を吸って吐いてを繰り返す。そんなことをしていたからか既に彼女のニオイは失われ、俺の心は惜しい事をした気持ちでいっぱいになった。


 って、今はそんなことを考えている場合ではない!


 あまり親しくない男子が自分の体操服に顔をうずめているという光景を目にした彼女の気持ちは、推して知るべしことである。いや、親しい男子でも嫌だろう。


 俺は彼女の気持ちを知るべく、彼女が俺の体操服のニオイを嗅いでいる姿を想像する。その姿を見た俺はドン引き……いや、結構嬉しいかもしれない。そんなに俺のことを想ってくれているということなのだから。


 ちょっとまて。それはあくまで俺の場合であって彼女は違う。きっとショックを受け、同時に俺への好感度は地に落ちてしまったことだろう。地に落ちるだけならまだいいが、きっと地中深くに潜り込み、もしかしたら地球の反対側へ抜けてしまっているかもしれない。けれどもしそうなら、地中を抜けて地上に出たので案外好感度は落ちていないことにならないか?


 何を考えているんだ俺は!


 変態ともいえる行為を彼女に見られてしまい、頭が混乱している。


 俺は冷静になって考えるも、やはり取り返しのつかないことをしてしまったとしか思えない。同時に覚悟を決めるほかないと思う。


 好感度が最低になってしまったこの状況でも、俺は彼女のことを諦められない。となれば、もう恨みが池にあった「意中の人と結ばれる5つの条件」を達成するしか道はない。


 その一つ「意中の人の体操服のニオイを嗅ぐ」は達成した。残りは四つだ。


 もう占いの類を信じる信じないではない。もはやこれにかけるしか、俺と彼女が結ばれる方法は無いのだ。




 翌日。戦々恐々と学校へ行った俺を出迎えたのは、昨日の行為による周囲の白い目――ということはなく、至っていつもと同じ教室だった。なぜだか分からないが、彼女は昨日見た光景を誰かに話してはいないようだった。


 けれど、普段ほとんど彼女と関わることが無いのだが、いつにもまして関わることが無くなったように思う。というか避けられているような気がしてならない。


 早く全ての条件を達成しなければ。じゃないと俺の心が持たない……。




 条件二つ目「意中の人が持つ文房具を手に入れる」。


 問題なのは借りるのではなく、手に入れる、ということである。


 借りるのであれば、筆入れを忘れたなどと適当な理由をでっちあげて、借りることも可能であったかも知れないが、手に入れるとなれば話しが違ってくる。


 残念なことに俺と彼女は文房具をあげたりする間柄ではない。まぁ、貸し借りする間柄でもないのだが。ともかく、正攻法で貰うことが出来ない以上方法は一つである。


 彼女の文房具を盗むのだ。


 けれど、ただ盗んでは自分の文房具が無くなったことに疑問を思ってしまう。そこで俺は考えた。彼女が持つ文房具と、新しく買った全く同じ文房具をすり替えるのだ。


 ターゲットはシャーペンに決めた。消しゴムやシャーペンの替え芯などでは残っている量を全く同じにすることは出来ないから外した。そのほかの文具については何を持っているのかそもそも知らない。シャーペンであればいつも彼女が使っているのを見ているから確実である。


 シャーペンは彼女がいつも使っている、若い女の子、どちらかと言えば小さい女の子の間で人気の「子持ちパンダ」というキャラクターが入ったものにする。彼女はこの「子持ちパンダ」が好きらしく、筆入れや手鏡にもこのキャラクターがデザインされたものを持っている。


 ターゲットのシャーペンにもふんだんにこのキャラクターが使われており、特に替え芯を入れる所の蓋自体が「子持ちパンダ」をかたどっているのが印象的である。こんなものが好きだなんてカワイイなぁ。


 すり替えるためのシャーペンは既に買ってある。正直これを買う時結構恥ずかしかったのだが、彼女の為ならば背に腹は代えられない。


 あとはすり替えを実行するタイミングだが、これも目星がついている。彼女はいつも授業が終わった後、いちいち片付けるのが面倒なのか教科書やペンなどを机に出しっぱなしにして、次の授業が始まる直前に教科書を変えるのだ。そしてそれはトイレなどで席を立つ時も変わらない。


 つまりその時がすり替えのチャンスである。


 俺はその時が来るのを今か今かと待った。一時限目が終わり、二時限目もおわり、そして三時限目が終わった時、その時が来た。


 四時限目は体育で、みんなが着替えに教室から出て行く。そして彼女の机の上には教科書と筆入れ、そしてシャーペンが出しっぱなしだった。


「おい、どうしたんだよ。早く着替えにいこーぜ」


 隆志が声をかけてくるが、今はそれどころではない。


 先に行っててくれと伝えると、隆志は不思議そうな顔をしながらも教室を出て行く。


 全員が教室を出て行ったことを確認して、俺は彼女の机に近づく。緊張に俺の心臓がものすごくバクバクいっている。俺の心音を聞いて誰かが戻ってくるのでは思い、もう一度周囲を伺う。そして用意していたシャーペンと彼女のシャーペンをすり替える。


 すぐに俺は取って返し、自分のカバンに彼女のシャーペンをねじ込んだ。


 もう一度周囲を見て誰もいないことを確認すると、深く息を吐きながらイスに腰を下ろした。


 ずいぶんあっさりだが、これで条件は達成である。


 五時限目の時に彼女はなにやらすり替えた後のシャーペンを不思議そうに見ている――ように見えたのは俺の思い過ごしだったのか、ただ考え事をしていただけだったのか、その後何事もなくそのシャーペンでノートを取っていた。


 これで条件二つ目を達成した。あと三つ。




 条件三つ目「意中の人がピンチの時に颯爽と駆け付け助ける」。


 ピンチの時、というのはなんとも漠然としているが、ようは彼女が困っているときに助ければいいのだろうと俺は解釈した。


 颯爽と駆け付け助ける、なのだから俺が近くに居るときに彼女がピンチになる必要がある。しかし、そんな都合のいい事が起こるとは思えない。


 そこで俺は作戦を考えた。


 ピンチの時が都合よく来ないのなら、俺が起こせばいい。つまり自作自演の中で彼女を助けるのだ。


 肝心の作り出すピンチだが、これも単純にして王道なものにした。彼女が悪漢に言い寄られているときに俺が現れて助け出すのだ。


 悪漢役は隆志にお願いした。こいつは俺が協力してほしい内容を伝えると、詳しい事は聞かずに二つ返事でオーケーしてくれた。さすがは悪友にして幼馴染である。


 このままの隆志が行ってはさすがにばれてしまうので、サングラスにマスクをつけ、ワックスでガチガチに髪を固めチャラい系の服を着せることにした。隆志も彼女とは大した交流はしていないので、これでばれることは無いだろう。


 ちなみにそれらのお金は全て俺が出した。痛すぎる出費だが彼女の為ならば背に腹は代えられない。


 あとは実行に移すだけある。俺は彼女が下校するときに後をつけた。


 後をつけ始めて三日目に好機は訪れた。いつもはまっすぐ帰宅するのに今日は何か買い物をするつもりなのか、町の中を一人で歩いている。都合がいい。俺は作戦を実行することにした。


 俺は尾行を続け彼女を見張り、隆志は公園のトイレに着替えに行った。後で合流し次第作戦開始だ。


 と、その時だった。彼女が大学生くらいの男にぶつかり口論を始めた。彼女は見知らぬ男と口論するほどに気の強い女子だったのかと思ったが、そんなことを考えている場合でない。


 作ろうと画策していたピンチが向こうからやってきたのだ。これで彼女を助ければ条件達成である。それなのに俺の足ときたら全く動こうとしない。相手は見るからに悪そうな、サングラスをかけた体格のいい男である。俺が行って敵う相手ではないことは、俺の身体は良く分かっているようだった。


 そんなことを考えていると、男が彼女の腕を取りどこかへ連れて行こうとする。


 その時、でたらめに頭を振り抵抗する彼女と目があった気がした。


 ここで行かずしてどうする、俺!


 心の中でそう叫ぶと俺は駆け出す。全力で走りそのまま男に体当たりをお見舞いする。突然の、俺の登場と体当たりに思わず男が手を離したのを見逃さず、俺は彼女の手を取り走り出そうとする。


 しかし、逃走一歩目を踏み出したところで、男の手が俺のもう一方の腕を掴んだ。


「なにやってくれてんだテメェ……」


 男の低い声が恐ろしくて、俺は力任せに腕を振り、振りほどこうとするも男の腕の力が勝っており全く効果が無い。それどころが、男がドンドン力を入れて握ってくるものだから、ものすごく痛い。まるでミシミシという音が聞こえてくるかのような気がした。


「ちぇいとーっ!」


 妙な掛け声と一緒に男の腕に手刀をお見舞いしたのは、サングラスにマスクをつけ、ワックスでガチガチに髪を固めチャラい系の服を着た男。隆志だった。


 手刀により離れた男と俺の間に隆志は身を滑り込ませ、俺に視線を向ける。ここは任せて早く行け、という隆志の目に――といってもサングラスで見えないが――俺は頷き彼女と一緒に駆け出す。


 まずはこの場から離れるのだと、町の中を一直線に走って距離を取る。


 どれぐらいか走ったところで彼女が体力の限界になったのか、足をもつれさせて転びそうになった。俺は素早く身を翻し、すんでのところで彼女を受け止める。俺も体力の限界だったのか、そのままズルズルとへたり込み彼女と抱き合うようにして、はぁはぁと息をする。


 しばらくして呼吸が整ってきた時、俺は今自分がとんでもない体勢であることに気がついて慌てて彼女から離れる。彼女はまだ呼吸が荒れており、ぼんやりと俺の方を見つめていた。


 何か言うべきだろうが何を言えばいいのか分からない。俺が必死に言葉を探していると、次第に彼女の呼吸が整ってくる。


 彼女が何かしらの言葉を発しようとしている雰囲気を感じた俺は、それじゃあ、と一言いいこの場を走って去ってしまった。


 後になって考えてみれば、カッコイイセリフの一つでも言っておけばと後悔したが、もう遅い。


 それに隆志のことも気になる。俺は今も男と戦い続けているだろう隆志を助けに、走ってきた道を戻る。と、その途中、俺を追ってきた隆志とまさかの出会いを果たした。


 隆志はまるで何事もなかったかのように平然としており、俺が去った直ぐ後に男もどこかへ行ったと話した。俺は隆志の無事に胸を撫でおろした。


 隆志の助けがあったとはいえ、俺が彼女のピンチを助けたことに変わりはない。


 これで条件三つ目を達成した。あと二つ。




 条件四つ目「意中の人の家族と話しをする」。


 なにげに難易度が高いこの条件四つ目。家に遊びに行くような仲であればたいしたことはないのだが、当然俺はそんな関係にあるはずもない。


 完全に達成不可能である。初めはそう思ったが、俺は諦めることはしなかった。


 今まで彼女と友人との会話に聞き耳を立てていたおかげで、彼女には両親のほかに兄と弟がいることは分かっている。両親と会話するのは難易度が高い、というか俺の気持ち的に両親と話すなど、そんなことが出来そうにない。


 残るは兄か弟だが、弟は年が離れており今は小学三年なのだという。となればターゲットは弟で決まりだ。適当にぶつかって謝るなどして会話すればいい。


 問題は誰が弟なのかということだが、これは直接見て確かめるしかない。


 俺は条件三つ目の時に下校する彼女の後をつけたことを思い出す。彼女の自宅は学校から電車で四駅離れた駅の、さらに十分ほど歩いたところにあった。結構立派な一戸建ての家で裕福そうな雰囲気を感じたのを覚えている。


 場所を頭の中に思い描くと、早朝五時に彼女の自宅近くを訪れた。ここで張り込み、小学生くらいの男の子が彼女の家から出てくればそれが彼女の弟という寸法だ。


 七時を超えたあたりで家から誰か出てきた。スーツ姿の眼鏡の男だった。恐らく彼女の父親だろう。その後少しして、今度は彼女が家から出てきた。彼女はいつも予鈴ギリギリに教室にやってくるので、俺も今すぐに学校へ向かわないと遅刻することになる。


 しかしそうは言っていられない。俺は弟が出てくるのを待たなければいけないのだ。彼女の為ならば背に腹は代えられない。


 あと十分ほどで八時になろうかという時に、ランドセルを背負った男の子が出てきた。元気よく「いってきます」と言って家を出てきた彼が目的の弟だろう。


 俺は弟の後を少しの間尾行して、十分に家から離れると一気に走り出す。シナリオとしては遅刻しそうな男子高校生が勢い余って小学生にぶつかり、コケさせたところを助け起こすというものだ。


 あと少しで弟と接触する。強くぶつかってしまっては申し訳ないので、速度を緩めてぶつかる力を調整する。


 その時、突然眩暈が俺を襲った。


 朝早くから起きて何時間も立ちっぱなしで、突然走り出したから身体に異常をきたしたのだろう。平衡感覚を失い、自分の身体だというのに足がどこにあるのか分からなくなった俺は、盛大にコケてしまった。


 思いっきり前方に倒れ受け身も取れなかった俺はこれから来る痛みに顔をしかめたが、その痛みはいつまでたっても来ない。というか腹の下にクッションのような何かがある。


 俺はソロリと目を開けると、なんと、彼女の弟を下敷きにしているではないか。彼が背負っていたランドセルのおかげで傷一つない俺は慌てて立ち上がり、謝罪の言葉を口にしながら弟を助け起こす。痛いところは無いかと問う俺に弟は「んー大丈夫みたい」と答える。幸い俺が見る限りでは彼もケガをしていないようで、俺はほっと胸を撫で下ろした。


 ともかく、これで条件四つ目は達成である。


 俺は弟に何度も謝罪の言葉を繰り返しその場を離れようとした。


「おーい、けんちゃーん。忘れ物ー!」


 突如聞こえた声にそちらを向けば、エプロン姿の女性がこちらに走ってくる。


「あっ、ママー!」


 弟はそんな女性に向かって手を振っている。


 ん? 聞き間違いでなければ彼は今「ママ」と言ったか? 


 彼は彼女の弟で、こちらに向かってくるエプロン姿の女性は彼の母親のようである。つまりは――この女性は彼女の母親ということになるではないか!


 エプロン姿の女性は弟に「体操服忘れているよ」と言って袋を一つ渡した後、突然のことにどうしていいか分からず固まっている俺を見て「けんちゃん、この人だあれ?」と言っていた。


 俺は弾けるように頭を下げると、今あったことを説明した。そして、弟にぶつかってしまったことを何度も謝罪した。


「まぁまぁ、いいのよ。この子もケガが無かったようだし。あなたの方こそ大丈夫だった?」


 そう言ってエプロン姿の女性は柔らく笑って聞いてきた。その時できたえくぼに、この女性は間違いなく彼女の母親だと思った。


 俺にもケガは全くない事を伝えると、女性は俺のことを頭からつま先まで視線を走らせる。


「その制服もしかして、ゆかりのお友達?」


 彼女と友達。そうであればどんなによかったことかと思うが、残念ながら俺と彼女は友達と呼べる間柄ではない。


 俺はなぜか馬鹿正直に彼女とはクラスメイトであると説明した。後から考えれば学校は同じだが、知らないと言えばよかったのに、この時の俺はいささか混乱していたのだろう。


「あらそうなの。あの娘、あんな性格だからちゃんと学校生活できているか心配だったのよ。でも、あなたみたいなクラスメイトがいるのなら安心ね」


 あんな性格と言うが、俺はそんな彼女が大好きです、とは思うが口が裂けても言えない。しかし彼女の母親に「あなたがいれば安心」とまで言われ、なんだが家族公認の仲になったような気がして嬉しい事この上ない。


「そういえば、学校の方は大丈夫なの? ゆかりはいつもギリギリみたいだけど、まだ間に合うの?」


 言われて思い出した。時間を見れば完全に遅刻である。俺は彼女の母親に何度も頭を下げて、学校に走った。


 想定外のハプニングではあったが、弟はおろか母親とも会話をした。これは間違いなく条件達成と言っていいだろう。


 これで条件四つ目を達成した。次が最後だ。




 翌日。俺は彼女を放課後、校舎裏に呼び出した。これから行う一世一代の事に俺の心臓は痛いぐらいに脈打っている。


 実は最後の条件は、ある特定の言葉を添えて意中の人に気持ちを伝えるというものだった。つまり条件五つ目を達成すると同時に俺は彼女に告白するということになる。


 放課後、隆志に校舎裏で俺が待っていることを彼女に伝えるよう頼んである。そして俺は一足先にここに来て彼女を待っているのだ。もうどれぐらいの時間が経っただろうか。一時間も二時間も経ったような気がして時間を確認すると、まだ五分も経っていなかった。


 彼女はここに来てくれるだろうか。いや、きっと来る。俺は恨みが池の「意中の人と結ばれる5つの条件」の内四つを達成したのだ。そして今五つ目を達成しようとしている。来ないはずが無い。


 その時、声が聞こえた気がした。


 その声に顔を上げれば、彼女が手を振りながらこちらに近づいてくるのが見えた。


 本当に来た! やっぱり「意中の人と結ばれる5つの条件」の力はホンモノだったんだ!


 彼女は俺の目の前まで来ると、何の用なのかと俺を見つめる。


 ついにこの時が来た。あまり接点のなかった俺と彼女が結ばれる時が。俺は大きく深呼吸して、条件五つ目の言葉を言った。


「俺はキミ、時津ゆかりさんのことが『生まれる前から好きでした』。俺と付き合ってください!」


 条件五つ目「意中の人に『生まれる前から好きでした』と言って告白する」。


 これで条件五つ目を達成した。全ての条件を達成したのだ。


 これで俺と彼女は結ばれるはずだ。俺は彼女の返事を待った。


「んー悪いけど、付き合うことは出来ないかな」


 俺は、我が耳を疑った。


 彼女の口から出た言葉が信じられず、ただ力なく「なぜ……?」と口にした。


「だって、私の体操服のニオイ嗅いでたでしょ? そんなことする人と付き合えないよ」


 俺は膝から崩れ落ちた。そうだった、俺は彼女の体操服のニオイを嗅いでいる場面を目撃されていたのだ。いや、忘れていたのではない。条件をすべて達成すれば何とかなると思い込み、頭から意識的に追い出していたのだ。


 さすがに、体操服のニオイを嗅いる所を彼女に見られた状況からの逆転は無理だったのだ。


「付き合うのは出来ないけど、まずはお友達になる、ということならいいよ」


 俺は、我が耳を疑った。


 バッと顔を上げると、そこには俺を見て笑う彼女の顔があり、思わず俺は疑問を投げかけた。


「え、えっと、なんで急に?」


「だって、恨みが池の五つの条件を全部達成したんでしょ? あれ全部やるのかなり大変だから、それほどまでに私のことを想ってくれているんだったらって思って」


 俺は、我が耳を疑った。って何度目だ、これ。


「たしか、体操服のニオイを嗅ぐ、文房具を手に入れる、ピンチの時に助ける、家族と話しをする、生まれる前から好きでしたと言って告白する、だっけ? これ、女子の間じゃあ結構有名なんだよ。女の子は縁結びのおまじないが大好きだからね」


 言われて初めて気がついた。そもそもこの話しを持ってきたのは隆志であり、隆志が知っていることを彼女が知っていても不思議なことではない。


「もしかして初めから、俺が体操服を嗅いでいた時から気がついていたの?」


「んー、その時はもしかしてって思うだけだったよ。でも私のシャーペンがすり替えられた時に確信したかな」


 どうゆうことだ? シャーペンのすり替えがバレていたということか? そんな馬鹿な。すり替えたシャーペンに傷などがない事は手に入れてすぐに確認した。目印も無いのに分かるわけがない。


 俺が驚きの表情をしていると、彼女は俺がすり替えたシャーペンを取り出す。


「その顔は気がついていなかったんだね。実はこのシャーペン、頭の替え芯の蓋である『子持ちパンダ』を取り外すと、消しゴムがついているんだ」


 なにっ? 消しゴムだって? そんなの俺は知らないぞ。


「私、この消しゴムを少し使ってたんだよね。なのに今私が持っているシャーペンの消しゴムはキレイなの。これは新品にすり替えられたなって気がついたんだ」


 俺は驚き言葉を失っていると、彼女は「それとね」と言って少し申し訳なさそうにする。


「せっかく助けてくれたのに申し訳ないんだけど、三つ目の条件のピンチの時に助ける、の時かな。私が口論していた男の人って実は、私のお兄ちゃんなの」


「え? はい? え? お兄ちゃん?」


「さっき確信したって言ったけど、まだ偶然である可能性を完全に捨てきれないでしょ? だからキミが放課後に私の後をつけていることに気がついたときに、試してみようって思っちゃったんだよね。それでお兄ちゃんに私を襲うフリをしてもらうように頼んだの」


 もう驚きすぎて頭がおかしくなってきた。そう言えば隆志が、俺と彼女が逃げ出した後あの男がすぐに去っていったと言っていた。それは役目を終えたから、ということだったのか。


 俺は混乱する頭を抱えながら、ふとよぎった疑問を口にした。


「でもなんで? 確かに条件全てを達成するのは大変だったけど、それだけで体操服のニオイを嗅いだり、尾行したりした奴を友達とはいえ、関係を続けるような事普通しないよ。なのになんで俺を友達ならいいなんて言ったの?」


 俺の言葉に彼女は腕を組み考える仕草をした後、咳ばらいをして人差し指を立てた。


「そう思った理由は複数あります。まず一つ目。縁結びの五つの条件を知るには恨みが池に午前零時に行く必要があるんだけど、そんなところにそんな時間に行こうと思うほどに、私への強い想いを感じました」


 彼女は人差し指に続いて中指を立てた。


「二つ目。文房具を手に入れる時、ただ盗めばいいのにわざわざ新しいものと交換するという方法を選んだ。そこにキミの優しさを感じました」


 彼女は次に薬指も立てた。


「三つ目。結果としてはお兄ちゃんだったけど、それを知らないキミは私が男の人に襲われそうになっているのを見て、助けに来てくれた。そこにキミの勇気を感じました」


 彼女は次に小指も立てた。


「四つ目。昨日私のママに会ったでしょ? その時自分を偽らず、クラスメイトだと本当のことを言ったよね。そこにキミの誠実さを感じました。――以上のことからキミがしてきた変態行為を帳消しにできるのではと私は考えました。そして――」


 もう終わりかと思いきや、彼女は最後に親指を立てた。


「そして五つ目。実を言いますと……飯島くんに恨みが池の縁結びのことを教えたのは、私なのです」


 彼女の言葉に俺の思考は完全にどこかへ吹っ飛んでいった。


 飯島くんというのは隆志の事だ。俺は隆志から恨みが池の縁結びのことを教えてもらった。隆志は彼女から教えてもらった。


 え? どうゆうことだ? 突然のことに頭がついていけない。


「えっとその、怒らないで聞いて欲しいんだけど、実を言うとキミが私のことを結構な頻度で見ていることに気がついて、もしかしたら私に気があるのかなーって思って、でも直接聞くなんてことは出来ないしと思ってね。だったらキミと仲がいい飯島くんに恨みが池の縁結びのことを教えれば、もしかしてもしかするかなーって」


 つまりはこういうことだ。俺が、恨みが池の縁結びを知ったことも、その条件を達成するべく奔走したことも、すべては彼女の目論見通りだったということだ。


 俺は全身の力が抜けてその場にへたり込んだ。


 そんな俺に彼女は慌てたように頭を下げた。


「あっ、ごめん。ほんと―にごめんなさい。ああ、こんな人を試すようなことをするから私、友達も少ないし、ママからも心配されちゃうんだ」


 そんな彼女の様子を見て、俺は次第に冷静になっていく。そして自分でも驚きの言葉を口にした。


「そんなに申し訳ないと思うのなら、お友達じゃなくて、彼氏にしてよ」


 俺の言葉に、そう言われるのは想定外だったのか彼女は見るからにうろたえる。


「えっだってその、私、キミのことまだよく知らないし、彼氏彼女とかはちゃんとお互いのこと知り合って好きってなってからなるもので……」


 先ほどまでのハキハキとした口調はどこへやら。はっきりしない感じで話す彼女を見て、俺はあることを思った。


 やっぱり彼女はカワイイなぁ。


「だったら、夏休みに俺と一緒に遊びに行かない? 友達として」


 俺の申し出に彼女は少し考えた後、


「はい。それなら喜んで」


 そう言って頬にえくぼを作りながら笑った。


 俺はそんな彼女を見て、やっぱりカワイイなぁと思った。




 結局、五つの条件全てを達成しても彼女と結ばれることは無かったけれど、仲を進展させることは出来たと思う。


 それに一度は付き合うことは出来ないと言われたけれど、彼女は言っていた。まだよく知らないから彼氏彼女の関係にはなれないと。これはつまりお互いをよく知ればまだチャンスはあるということではないだろうか。




 今までも諦めなかったのだ。これからも諦めてたまるか。

 俺はどれだけ時間がかかっても彼女を、本当に自分の「彼女」にしようと決意した。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

本作のヒロイン「時津ゆかり」は最後の方でようやくセリフがありますが、

そこまでにあなたが抱いていた彼女の印象と、セリフ後の彼女の印象は同じでしたか?

それともぜんぜん違っていましたか?

そう言った観点からも楽しんでいただければ幸いです。

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[良い点] 最後の下りから、主人公は相手からの好意に鈍く、察しが悪いことが分かります。その上、ちょっと抜けている? 女の子がそれ知ってて、こういう手に出てみたのかなと思います。 [気になる点] キャッ…
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