表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイ

小説を書くのは、毒の沼に潜るのに似ている

 小説を書くのは、毒の沼にもぐるのに似ている。

「どうして、そんなバカなことをするのか?」と問われても、「そうしたいから」としか答えようがない。別に頭で考えて行動しているわけではない。体が勝手に動き、無意識の内に潜ってしまっているのだ。

 

 最初は大変だった。

 沼の毒気におかされて、やまいにかかる。

 強酸性の水溶液に、体が溶け出してしまうこともあった。

 だが、そういうのにも段々と慣れてくる。毎日毎日、潜り続けていれば、徐々に体が適応していく。そういうものなのだ。

 そうして、より深くまで潜れるようになり、より強力な毒気にも耐えられるようになってくる。


 ここまで来れば、他の人間たちには見えない世界が見えてくる。

 普通の人では決して到達することのできない場所までたどり着くことができる。


 そう!そうだ!これだ!このためなのだ!

 この感覚を味わうために、今日も沼に潜り続ける。

 もはや、まともな生活では満足できはしない。並の経験では物足りない。

「もっと!もっと!」と体が欲する。人々が味わったことのない感覚。たどりついたことのない場所。したことのない経験。それらのために、こんな危険をおかし続ける。


 そういう意味では、麻薬患者やアルコール依存症の人間と同じ。

 1度でも味わえば、2度欲しくなる。2度目を味わえば、今度は3度目が。4度、5度…と止められなくなってくる。

 そうして、沼は深さを増していく。その毒気はより強くなっていく。それをやっているのは、作家自身なのだ。小説を書いている者が自ら沼を深め、体から毒を発している。

 こうして、並の人間では近寄れない化け物のを完成させてゆくのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 釈迦は苦行は無意味だと否定し、悟りを開きました。 毒手を作るのではなく、本質を捉えること……それこそが重要だと考えます。 書いていて楽しい瞬間と、苦しい瞬間。 どちらも感情としてネタになり…
[一言] 小説というのは不思議ですね……。
2015/11/16 16:06 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ