小説を書くのは、毒の沼に潜るのに似ている
小説を書くのは、毒の沼に潜るのに似ている。
「どうして、そんなバカなことをするのか?」と問われても、「そうしたいから」としか答えようがない。別に頭で考えて行動しているわけではない。体が勝手に動き、無意識の内に潜ってしまっているのだ。
最初は大変だった。
沼の毒気に侵されて、病にかかる。
強酸性の水溶液に、体が溶け出してしまうこともあった。
だが、そういうのにも段々と慣れてくる。毎日毎日、潜り続けていれば、徐々に体が適応していく。そういうものなのだ。
そうして、より深くまで潜れるようになり、より強力な毒気にも耐えられるようになってくる。
ここまで来れば、他の人間たちには見えない世界が見えてくる。
普通の人では決して到達することのできない場所までたどり着くことができる。
そう!そうだ!これだ!このためなのだ!
この感覚を味わうために、今日も沼に潜り続ける。
もはや、まともな生活では満足できはしない。並の経験では物足りない。
「もっと!もっと!」と体が欲する。人々が味わったことのない感覚。たどりついたことのない場所。したことのない経験。それらのために、こんな危険をおかし続ける。
そういう意味では、麻薬患者やアルコール依存症の人間と同じ。
1度でも味わえば、2度欲しくなる。2度目を味わえば、今度は3度目が。4度、5度…と止められなくなってくる。
そうして、沼は深さを増していく。その毒気はより強くなっていく。それをやっているのは、作家自身なのだ。小説を書いている者が自ら沼を深め、体から毒を発している。
こうして、並の人間では近寄れない化け物の住み家を完成させてゆくのである。