行進
オタク属オタク目オタク科オタクというのが、ハウスベルスト博士が生前につけた曹長の学名だった。曹長というのは、自らがつけた名前である。誰も名づけてくれなかったので、自らつけたのだ。オタク曹長、そう呼ばれている。
「曹長殿ーーーーーっ!」
砂浜である。見渡す限りの海が広がり、砂浜の背後には密林が迫っていた。曹長の名を呼びながら、なんとも気味の悪い生き物がよちよちと歩いてくる。
ぬめっとした球体に、四本の腕が生えている。細い目にふっくらとした頬と薄い口は、常に流れる汗とあいまって、実に暑苦しい。
「どうした? 同士、三等兵!」
オタクは互いを同士と呼び合う。三等兵というのは別称ではなく、名前である。もともとは曹長と同じ固体だった。元はたった一個の固体だった。いまでは、数えるのも面倒くさいほどの人数がいる。増え方は簡単である。必要に応じて分裂するのだ。分裂しても、栄養さえあれば元の大きさにもどる。一度分裂したら、一つに戻ることはできない。
「曹長殿! 偵察にいってまいりましたぁぁぁぁ」
四本の腕のうち、一本を使って敬礼する。三本腕では立つことができないのか、バランスを失いべちゃりと崩れた。
「よくやった! 報告せよ!」
曹長は敬称をつけて呼ばれる。曹長が最初の一人だった、というわけではない。同じ大きさに分裂するので、どれが最初の一人ということはない。ただ、曹長は尊敬された。理由はわからない。おそらく、曹長という名前がオタクの感性に響いたのだろう。
「報告するであります!」
三等兵はバランスを崩したまま口を動かしていた。実に不気味な生き物である。元は同じ固体だったとは、曹長には信じられなかった。細い目の周りには、落書きのような黒い模様が浮かび、まるで眼鏡のようでもある。
「うむ! 報告せよ!」
「報告するであります!」
「うむ! 報告せよ!」
「報告するであります!」
「うむ! 報告せよ!」
同じやり取りがじつに数十回におよび、三等兵がついに息を切らした。
「どうした! 栄養が足りないのである!」
曹長はさらに大きな声で騒いだ。オタクの口は騒ぐためと甘えるためにある。もっとも、甘えることができたことは、かつて無い。栄養の摂取には、口は必要ない。オタクの栄養とは、『萌え』である。
「はいっ! 栄養がないのであります!」
敬礼した姿勢のまま、三等兵は悔しげに唇を噛んだ。白いぶよぶよした丸い玉に、目と口が浮き出た、という外見どおり、顔がある。顔の機能を果たしている。いわば、一頭身なのだ。
「なんということだ!」
曹長は落胆した。三等兵は『偵察に行ってきた』と言った。『栄養がない』といった。つまり、『萌え』がない。曹長の、あるいは全オタクの大好物がないのだ。
「曹長殿ーーーーーーっ!」
密林の中から、三等兵と同様に叫びながら丸い玉が転がり出た。同じように丸く、同じようにぬめっている。曹長のように、格好よくはない。もちろん、曹長は鏡など見たことは無い。
転がりでてからさらにごろごろと転がってくる。丸い玉に四本の腕が生えたオタクは、実際には転がったほうが早い。もっとも、速度を考えて転がっているわけではなさそうだ。
「どうした! 同士、一兵卒!」
一兵卒は蔑称ではなく、名前である。
「報告します! 偵察に行ってきたであります!」
一兵卒は、明らかに三等兵とは違った。丸い頭に、べっとりとした髪が生えているのである。ごろごろと転がり、曹長と三等兵に踏みつけられて止まった。起き上がり、敬礼し、バランスを崩してべちゃりと倒れた。髪がある。その分だけ、より不潔で、薄汚く見えた。
「よくやった! 報告せよ!」
「はい! 報告するであります!」
「うむ! 報告せよ!」
「はい! 報告するであります!」
さらに数十回に渡り声の掛け合いを行い、ついに曹長が息を切らせた。
「元気であるな!」
それでも曹長は声を張り上げる。一兵卒は胸を張った。張る胸はない。顎を上げてふんぞり返った、という状態である。
「栄養十分であります!」
「なんと!」
曹長は歓喜の声を上げた。オタクの栄養は『萌え』である。『萌え』とはそこにあるものであり、摂取するものではない。一兵卒は、『萌え』のある場所を見つけたと言ったのだ。
「メイドの城であります!」
「「「「「なんと!」」」」」
数十名のオタクが、砂浜からいっせいに頭を出した。つまり、全身を現した。分裂はしたものの、『萌え』がなく、動くこともできなくなり、砂に埋もれていた。いっせいに現れた様は、いぼだらけの老人の背中のようであった。
「一兵卒、案内するのだ!」
「曹長殿! 案内するであります!」
「うむ! 案内せよ!」
「はい! 案内するであります!」
「うむ! 案内せよ!」
「はい! 案内するであります!」
さらに応酬が続くかと思われた。突然、曹長と一兵卒が同時に黙った。にやりと笑う。互いに笑う。居並ぶ、砂の中から出てきたオタクが同時に笑う。
口を開いた。
「メイドが好きだー!」
大合唱である。
ただ叫ぶだけでも、『萌え』は生まれる。想像が、夢想を呼び起こす。
オタクの行進が始まった。地獄絵図である。