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訛り雀がチュンと鳴く 作者:福山陽士

第1章

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8.優しい嘘

 次の日も、俺とチュンはまた図書館に来ていた。

「悠護。またここけぇ?」
「うん。昨日見つけられなかったからね」

 頭の上に乗った状態で聞いてくるチュンに、俺は歩きながら答える。

「何をそんなに探しとんなら?」
「……事故の記事」
「はぁ?」

 少し躊躇いながらの答えに、チュンは思いっきり怪訝そうな声を出した。きっと顔もしかめているに違いない。

「あの妖怪猫の飼い主達が載っている新聞記事を、探しているんだ」
「シンブンキジってぇのが何なのかよくわからんが、それを知ってどうするんなら?」
「俺、あの妖怪猫の記憶を見たって言っただろ。教えてあげたいんだ」
「何を?」
「あの家族は、お前を見捨てたわけじゃないんだよって。それであの妖怪猫がどうなるかなんて知らないけれど、でもどうしても、これだけは言ってあげたくなって。そのためには、確固たる証拠が必要かなと思ったんだ」
「そうか……」

 そこでチュンの声が憂いを帯びたものに変わる。何だか、俺も切ない気分になってしまった。






 昨日と同じく、チュンは絵本コーナーを満喫していた。幼児用のスペースに置いてある、丸型の小さな青い椅子がすっかり気に入ってしまったらしい。二歳くらいの女の子の横にちょこんと座り、黙々と読みふけっていた。着物姿の女の子が絵本に熱心になっている様子は、やはり何度見ても微笑ましい。

「あ」

 背後から突然聞こえた短い音に、俺は反射的に振り返る。そこには昨日と同じく、長い黒髪をポニーテールに纏めた女の子が立っていた。
 金剛地絵梨だ。
 今日は淡い緑色のキャミソールの上に、夏用の薄いカーディガン、ふんわりとした白のスカートは、膝が見え隠れする長さといった服装だ。昨日よりも女の子っぽさが増した格好に、少しだけ俺は彼女に見入ってしまった。

「昨日はありがとう。何かの勉強?」
「ええと、うん。ちょっと調べ物を」
「へぇ。わざわざ図書館に来て調べるなんて、すごいね」

 まさか「事故の記事を探しています」などとは、正直に言えるはずもない。焦りを誤魔化すために、俺は質問を返すことにした。

「その、金剛地さん……も、勉強でここに?」

 俺がいきなり苗字を呼んだので、金剛地絵梨は少し驚いたらしい。目を丸くしたままで、俺の質問には答えてくれない。
 しまった……。俺の方は名前が印象的で覚えていたんだが、普通生徒手帳を一度見ただけで名前を覚えないよな。これはやらかしてしまったか!?

「あ、そうか。名前、生徒手帳に書いてあったもんね。うん、そうだよ。宿題はここでやった方が、はかどるかなぁって」

 金剛地絵梨はそう言うと、斜め掛けにしてあった鞄に指先で触れ、少しはにかんだ。怪しまれてはいないみたい? ひとまずは助かった。
 家と違って、ここにはゲームやテレビなどの誘惑する物がないから、確かに宿題ははかどると思う。俺も良くわかる。

「えっと、同じ学校だよね? 何度か廊下で見たことがあって……」

 彼女の言葉に、俺は思わず目を丸くしてしまった。
 そうだったのか。俺の方が気付いていなかっただけで、廊下ですれ違っていたのか。俺、友達以外の顔って、そんなに注意して見ないかならなぁ。自分が知らない間に見られていたかと思うと、ちょっと照れちゃうな。

「うん、俺も空ヶ岳高校」
「あ、やっぱり。名前、聞いてもいいかな?」
「波崎悠護。ちなみに一組だ」
「波崎君……。うん、覚えた。私、三組の金剛地。その、昨日は本当にありがとう」

 そこで丁寧に頭を下げる金剛地に、俺は動揺してしまった。

「い、いや。何もそこまでしなくても。別に大したことをしたわけじゃないし」
「ううん。だってこれがないと、映画館で学割してもらえないし」
「そ、そうか……」
「あ、調べ物の邪魔をしちゃってごめんね。それじゃあ、また」

 金剛地は一方的にそう言うと、自習室へと歩いて行ってしまった。
 中学まで、女っけとは全く無縁だった俺。まさかこんな場所で、女の子と知り合いになってしまうとは。心がむずむずするのを必死で押さえながら、俺はまた記事を探す作業へと戻るのだった。






 三人以上、かつ十才前後の女の子が犠牲になっている事故の記事――。
 俺は昨日からずっとそれだけを探していた。しかし一向に見つからない。
 いや、探す範囲は決まっている。あとは見つけるだけなんだ。俺は再度、普通の新聞記事よりも小さな文字に目を落とす。日付は五年前の十一月だ。
 オートバイとトラックの接触事故。これは絶対に違うな。
 コンビニに車が突っ込む。これも違う。
 ふと、その隣にあった小さな見出しが視界の端に入ってきた。

『車が海に転落、無理心中か』

 直後、俺の心臓が跳ね上がった。
 これは事故の記事ではない。俺が探しているものではない。読まなくてもいい記事だ。それなのに、俺の目はまるで吸い寄せられるかのように、その記事の文面を追っていた。

『二十一日午後三時頃、H市の岸壁で、乗用車が海に転落するのを近くで釣りをしていた男性が目撃し、一一九番した。救急隊員が水深約六メートルの海に沈んだ車の中から、四十歳代の男女と十歳前後の女児計三人を救出。三人は病院に運ばれたが間もなく死亡が確認された。H署の発表によると、乗用車は速度を落とさずそのまま海に落ちたとの目撃証言があり、同署では事故と無理心中の両面から調べている。』

 心に刃物を突き立てられたような感覚が俺を襲った。
 いや、まだだ。この記事の親子がトラの飼い主とは、まだ確定していない。

 俺は昼食を取るのも忘れ、ずっとそれらしい事故の記事を必死に探し続けた。だがそのような記事を見つけることはできなかった。ただ一つ、あの一家心中の記事意外は――。
 何て馬鹿なんだ、俺は……。
 意味もなく叫びたくなるのを懸命に堪えながら、俺は冊子を乱暴に本棚へ戻した。閉館を知らせるアナウンスが、静かな館内に響き渡った。






「悠護……」
「…………」

 図書館からの帰り道。あの記事を目にして以降、ずっと無言なままの俺を気遣うように、チュンが声をかけてきた。しかし俺は、彼女に返事をすることができないでいた。

「おめぇは、あの妖怪猫を救ってやろうとしとんじゃな……」
「救うだなんて、俺は……」

 何て言えばいいんだ? 
 俺がやろうとしていたことは、自分が思い描いた希望を、あの猫に押し付けようとしていただけ。浅ましいとしか言いようがない。しかも俺は記事を探している最中、心のどこかでその状況を楽しんでいた節があった。この状況、まるで探偵みたいだ、と――。
 ……最低だ。
 自分の心の醜さがこんな形で露見するなんて。握った拳に、爪が深く食い込んでいく。
 そこでチュンが俺の手を取り、小さな手で俺の手を包んできた。俺を見据える彼女の漆黒の瞳には、何も映ってはいない。その黒が、少しだけ俺の心に落ち着きを運んでくれた。

「悠護。おめぇ、あの妖怪猫の飼い主の姿を見たんじゃったな?」
「うん。女の子だけ――」
「なら目を閉じて、心の中で強く思い浮かべるんじゃ。なるべく強くな」
「あ? あぁ。別にいいけど」

 チュンはそう言うと、着物の袖からあの笠を取り出した。俺は言われた通り目を瞑る。
 シャンシャン、シャララン。
 すぐさま、先日聞いた鈴の音が響いてきた。俺はただひたすら、あの女の子の姿を脳裏に思い浮かべる。そして、懺悔していた。好奇心で、あの子の人生の最期を探してしまったことに。
 夕方の生温かい風が、全身を撫でていく。その風に心地良さを感じた直後、チュンの声が聞こえた。

「悠護。もうええぞ」
「うん」

 瞼を開くと、視界一面に白い靄がかかっていた。さっきの音から察するに、チュンはまた幻術を使ったのだと思ったんだけれど、どうやら正解みたいだ。

「チュン。どうしてまた幻術を使ったんだ?」
「これは、昨日の幻術とはちぃと違う。悠護の姿を、妖怪猫の飼い主の姿に変えたんじゃ」
「ええっ!?」

 俺は自分の顔をペタペタと触りまくる。しかし、いつもの自分の顔の感触と何ら変わりない。それどころか、髪も服装も、何一つ変わっている様子はないみたいだ。

「悠護の姿を本当に変えたわけじゃねぇんじゃ。幻覚の一種だと思ってええ。今の悠護は女の子の姿をしとる」
「そ、そうなんだ……」

 さすが雀でも妖怪。俺の常識の範囲外だ。

「でもええか。絶対にこの霧の中から出るんじゃねぇぞ。術が切れるけんな。今からあの妖怪猫を呼び寄せるけん」
「呼び寄せる? そんなことできるの?」
「わしと悠護の気配を思いっきり解放する。そうすりゃ、あの妖怪猫も気付くはずじゃ。悠護は『見える』人間じゃと、あの猫も覚えとるじゃろうからな」

 そう言うとチュンは、今度は着物の袖から鮭の切り身を取り出して、俺の前に置いた。
 おい……。いつ用意していたんだよそんな物!?

「その鮭は何の意味があんの?」
「魚消失事件を思い出してみぃ。あの猫は飢えとる。おびき寄せるには魚があった方がより確実じゃろうが。というわけでさぁ来い。妖怪猫」

 どこか挑発的にチュンが呟いたその時。
 空気が、一変した。
 まるで夕立の前のような、重く湿った空気が全身を舐め、不快感を増長させる。妖怪の気配などわかりたくもなかったが、俺はわかってしまった。
 来た。トラだ。

「あそこじゃ、悠護」

 チュンの小声と視線に従い、俺は顔を横に向ける。
 いつの間にそこにいたのか。トラは道の真ん中で俺を見つめたまま、まるで石像のように固まっていた。そして飼い主のあの女の子の姿をしている俺を、食い入るように見つめてくる。
 おいで――。
 喉まで出掛かったその言葉を、俺は寸でのところで呑みこんだ。声で偽者だとばれてしまうかもしれないと思ったからだ。だから俺は無言のまま、トラに手招きをした。なるべく、自然な笑顔で。
 その俺の笑顔を見て、トラが恐る恐る一歩前へと踏み出す。そして、また一歩。
 俺とトラの距離が、徐々に縮まっていく。しかし俺まで残り一メートルの距離というところで、突然トラの歩みが止まった。思わず俺の心臓が跳ね、冷や汗が額に滲み出る。もしかして偽者だとばれてしまったのだろうか?
 俺はその場にしゃがみ、トラと目線を近づける。大丈夫だ。チュンの幻術を信じろ。俺は今、あの女の子なんだ。
 硬直しているトラに、俺はもう一度静かに微笑む。そしてトラは俺の足元まで駆けてきた。思いっきり甘えるように、身体を俺の脚にすり寄せてくる。その瞬間トラの思考が、俺の中へ流れ込んできた。

 アイタカッタ。アイタカッタ。アイタカッタ。
 ズットマッテタ。オソイヨ。ドコイッテタノ。オナカヘッタヨ。アイタカッタヨ――。

 俺の中にトラの思いが、想いが、とめどなく流れ続けてくる。
 俺はただ無言で、トラの頭を撫で続けた。おそらく生前、あの女の子がトラに対してやっていたであろう動作で。ただ優しく優しく、慈しむ。
 やがてトラの全身から、キラキラと淡い光が発せられ始めた。
 これは?
 疑問に思ったのも束の間。
 キン、という高い音と共に、トラの姿は一瞬で掻き消えてしまった。

「え? トラ?」
「……心が満たされたから、逝ったんじゃ」

 トラが消えた虚空を眺めながら呆然とする俺に、チュンがどこか寂しげな声で呟いた。






「俺がやったことは、本当にトラのためだったのかな」

 ベッドの上で仰向けになったまま、俺は独り言のような僅かな声量で呟いた。
 トラは飼い主のあの子に会えたと思って、成仏した。でも、俺はトラを騙していたことに変わりはない。
 本当にあれで良かったのか? 
 帰ってからずっと、その考えが俺の頭の中を駆け巡っていた。

「悠護。人間ってええもんじゃのう」

 ふよふよと浮いていたチュンが、そこで俺の枕元まで下りてきた。いつもよりその表情が若干柔らかく見えるのは、俺の心が弱っているからだろうか。

「どういう意味?」
「嘘を付くことができるけん。優しい、嘘をな」

 そう言ってチュンは俺の顔にそっと触れ、微笑んだ。チュンの指先は、少しひんやりとしていた。
 俺はそのチュンの笑顔を見て、何だか無性に泣きたくなった。だから枕に顔を埋めて、静かに泣くことにした。チュンとはいえ、自分より小さな女の子に泣くところを見られるのは、何だか恥ずかしかったから。
 庭から聞こえてくる名前を知らない虫の声と、俺の静かな嗚咽が、部屋の中で混ざり合った。
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