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訛り雀がチュンと鳴く 作者:福山陽士

第1章

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4.夏の日のネコ

 何だ……。この腹に乗っている重い物体は……。苦しい……。
 夢と現実の狭間にいる意識の中で、突然重さを認識した俺は、脚に渾身の力を込めて横に寝返りをうった。

「ぎゃ!?」
「――――っ!?」

 腹の上から短い悲鳴が上がり、俺の意識はようやく覚醒した。慌ててベッドから身を起こすと、チュンが床に尻餅を付いて、涙目になっていた。
 開かれた足の隙間から見える着物の奥は、ブラックホールのような深淵だった。この姿は幻術だと言っていたから、もしかしたらチュンの想像の範囲外の部分はあのような黒で誤魔化されているってことなのか。ふむ……。
 じゃねーよ!? 何を考えてんだよ俺! いくら妖怪とはいえ見た目は幼女だぞ!? 自重しろ!
 と自分にツッコんでいると、チュンが立ち上がりながら溜め息混じりに呟いた。

「相変わらず寝相が悪ぃのう、悠護」
「今のは、お前が俺の上に乗っていたからだよ!」

 少なくとも中一の時以来、俺はベッドの上から落ちるような寝相はしていない。チュンに文句を言いつつ時計に目をやると、針は六時十分を指したところだった。
 うあ……。せっかくの休みなのに、こんな時間に目覚めてしまった。八時過ぎまで寝ようと思ってたのに。でも二度寝するほどの眠気はもうなかったので、俺はしぶしぶとベッドから下りるのだった。






 今日から夏休み。いつもと同じ朝のはずなのに『夏休み』というだけで、何だかいつもより爽やかな朝に感じる。
 リビングへ顔を出し、母さんに朝の挨拶をしつつ、俺は既に机に並べられていた朝食を確認する。今日の朝食は、鮭の塩焼きと大根の味噌汁。父さんがパンが苦手なので、うちは朝は和食のことが多い。
 ちなみに、その父さんは既に家を出ている。朝は早くに家を出て、夜は遅くに帰ってくる父さんと俺は、なかなか顔を合わせる機会はない。
 味噌汁の香りを吸い込みながら、俺は洗面所に向かい顔を洗う。冬は苦痛でしかない洗顔だが、夏はずっと水に触れていたいほどだ。気持ち良い。
 顔を拭いたタオルを首にかけ、さっぱりした気分でリビングに戻った俺は、目を点にしてしまった。

「あれ?」

 皿に乗っていたはずの俺の鮭が、きれいに無くなっていたのだ。
 まさか、チュンのやつが?
 リビングに残ったままだったチュンに疑いの眼差しを向けると、チュンが申し訳なさそうにシュンと項垂れた。
 まさか、本当にチュンがつまみ食いを――。

「すまん。おめぇの魚を妖怪に盗られてしもーた」
「なっ!?」

 不穏な単語に、思わず俺は声を出してしまった。まさか、俺の朝食が妖怪に!?

「それってもしかして、学校で出たのと同じ妖怪?」

 俺は母さんに聞こえないよう、声を極限まで潜めながらチュンに問う。

「あぁ。どうやらまだこの辺りをウロウロしているみたいじゃの」

 チュンは普段通りの声量で俺の質問に答える。俺以外の人間にはチュンの声は聞こえていないとわかっていても、やはりどこか落ち着かない。

「すまんの悠護。おめぇの朝食を守ってやりたかったんじゃが……。わしら低級な妖怪は、どう足掻いても、霊力の大きな妖怪には太刀打ちできんのじゃ」

 凄く落ち込むチュンだったが、いや、そこまで落ち込まなくても……。親の敵を逃したわけじゃないんだし。何だか居た堪れなくなってしまった俺は、慌てて別の話題を振った。

「チュン、その妖怪、相当お腹が空いているってことなのかな?」
「そうかもしれん。少なくとも、満たされてはおらんじゃろうな」

 こっちの世の物をいくら食べたところで、満たされんのにな……。そう寂しげに呟くチュンの横顔が、しばらく俺の脳裏に焼きついて離れなかった。






 日も高さを増した十時半。じっとりと汗ばむ熱気に耐え切れなくなった俺は、一時間ほど前からエアコンのスイッチを入れて宿題に精を出していた。
 その間チュンは、急激に下がった部屋の温度に感動しつつ、エアコンの真ん前に陣取っていた。口を大きく空け、冷たい風を体内に取り込もうとしている様子は、ちょっと可愛い。文明の利器を目一杯堪能する着物姿の女の子は、俺でなくとも少し心が動かされるはずだ。
 …………よし! とりあえず今日の分はこれくらいでいいだろう。
 数学のプリントの束をパラパラと捲りながら、俺は今日の成果に満足していた。ちなみに、できるだけ七月中に宿題は終わらす派です、俺。
 机の上を簡単に片付けた俺は、部屋の二ヵ所の窓を全開にし、エアコンを止める。その瞬間、チュンが勢い良く振り返った。

「あぁっ!? 涼しかったのに!」
「いや、今から出かけるし」
「こんなに暑いのに、外に行くんか? せっかく快適に過ごす道具があるんじゃけん、もっと活用したらええのに」

 チュンは口を尖らせてぶちぶちと続ける。涼しい部屋でゴロゴロしとけ、と暗に助言する妖怪なんて、聞いたことがないぞ……。

「俺だって暑いのは嫌だけどさ。本屋に行きたいんだよ」

 今日は、俺が追いかけている漫画の単行本の発売日なのだ。こんな暑さに屈している場合ではない。続きが気になって仕方がないのだ。
 まだ文句を言い続けているチュンを尻目に、俺は財布を用意して、素早く部屋を後にした。
「あぁっ。わしを置いていくなや!」






 アスファルトから放たれた熱気が、容赦なく俺の全身を舐めていく。できるだけ日陰を歩こうと道の端へ端へと寄りながら歩き続ける俺だったが、日は既に高く上がっているため、影が小さく、とてもではないが体を太陽から隠すことなどできない。
 まったく……。毎年のことながら、このうだるような暑さはどうにかならんものかねえ。俺の隣でふよふよと浮いているチュンも、腕をだらんと下に垂らし、虚ろな目をしている。いや、元々こいつの目は虚ろなんだけど……。
 妖怪にも色々なタイプがいるらしく、暑さでバテる奴はバテるらしい。妖怪までもをバテさせるなんて、地球さん、容赦なさすぎだろ。

「……ん?」

 地球に対して胸中で文句を並べていたところで、ふと目先のある物体に気付きいた。俺は思わず立ち止まる。
 茶色の縞模様の猫が、ちょこんと佇んでいたのだ。こんなくそ暑い中、道のど真ん中に。
 車の通りが少ない住宅街とはいえ、こんなに堂々と道の真ん中で座る猫を見るのは初めてだった。そんなことより、足、熱くないのかな。かなりアスファルトも熱されているはずだと思うのだけど。
 その猫は、一体いつからこちらに気付いていたのか、黄色の瞳でじっと俺を見据えていた。俺の隣に浮いていたチュンが、そこでハッと息を呑んだ。同時にだらんと曲がっていた背が、しゃきりと伸びる。

「やっぱりお前、雀だから猫は苦手だったりするのか?」

 俺は小声でチュンに話しかける。
 普通に考えたら、そうだよな。飼っていたインコが猫にやられてしまった、なんて話を、以前どこかできいたことがあるし。
 依然として緊張した面持ちのチュンと少しだけ距離を詰めたところで、チュンは静かに口を開いた。

「……悠護、あいつじゃ。お前の魚を食った妖怪は」
「えっ?」

 額から一筋の汗を垂らしながら、チュンは猫から目を離さず喉から絞り出すような声で俺に言う。
 妖怪って、猫の妖怪だったのか。ということは、いわゆる猫又ってやつ? 何でわざわざ、俺の朝食を食ったんだ、と疑問に思ったその時だった。
 俺達を見つめていたその猫が、突如、ニイィと笑った。
 …………そう、笑ったんだ。
 猫の口が、まるで三日月のように、ありえないほど横に裂けて笑ったのだ!

「う、うわあぁぁ!?」
「悠護すまん! 気配を消すの間に合わんかった! 目を付けられてしもうた! 逃げるぞ!」

 チュンは全身をくるりと反転し、俺のTシャツの裾を乱暴に掴んで走り出す。

「ええええっ!?」

 声を上げつつ、俺も自らの意思で駆け出した。

「クワセロ――クワセロ――」

 まるでラジオのノイズのような音が混じった、不可思議な声を上げながら、その猫は俺達を追いかけてくる。
 ちょっと待て!? 食わせろって、それって俺を食べちゃうってことか!? 簡便してくれよ!
 今来た道を全速力で駆け抜けて行くが、このままだと家に帰ってしまう。あの妖怪猫に家の中まで追いかけられてしまうのは、何か嫌だ! どこか別の場所に逃げなきゃ――。

「悠護! 学校へ向かえ!」

 迷う前に、チュンが叫んだ。チュンはいつの間にか走るのをやめ、飛翔している。

「何で学校に!?」
「わしに考えがあるんじゃ!」
「わ、わかった!」

 この状況で反論する余地はない。俺はチュンの言葉に従って、炎天下の空の下、学校に向かって全力で走り続けた。
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