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訛り雀がチュンと鳴く  作者: 福山陽士
エピローグ
25/25

蛤と雀

 十月中旬。つい先日終わった体育祭の余韻も、すっかり教室からは消え去ってしまっていた、そんな日の午後。

 俺は欠伸を噛み殺しながら、どうしたものかと、あることで悩んでいた。

 五時間目の今は国語の授業をやっているところなのだが、今日の授業はいつもとは毛色が違っていたのだ。

 なんでも、地元の新聞社が主催する俳句の賞に、学年規模で応募するとか。それに出す俳句を捻り出しているところだった。

 俳句ねぇ……。

 黒板にずらりと書かれた季語を一通り眺めてみるが、全くと言って良いほど、頭には何も浮かんでこない。風情や情緒などというものとは、あまり縁がないしな……。このまま頭が煮立ってしまいそうだ。


「考えながらでいいから、聞いてくれ」


 国語の先生がおもむろに教室中を巡回しながら口を開いた。静かな教室に響くバリトンボイス。この男の先生は、こうやって巡回しながら雑談をすることが多かった。割と面白いことを言う場合が多いので、俺は毎回手を止めて聞いてしまう。


「一番長い季語は『雀海に入りて(はまぐり)となる』というやつなんだ。ちなみに、今くらいの秋を差す季語だ」


 雀――。

 俺は、即座にその単語に反応してしまった。同時に、大きな雀の姿が脳裏に過ぎる。

 チュンはあの日、光となって俺の前から姿を消した。その日以降、俺の前に現れてはいない。あれほど目にしていた幽霊も、さっぱり見えなくなっていた。

 本当に俺、取り憑かれていたんだな……。

 この世のものしか見えなくなったことで、チュンは本当に消えてしまったんだと実感する日々だ。この胸の内を支配する喪失感は、なかなか消えてくれそうにない。

 なあ、チュン……。本当に俺は、雀を見ても平気になったよ。動悸も激しくならないし、あれほど感じていた押しつぶされそうな罪悪感も消えた。お前が俺を許してくれたから。何より、お前とまた一緒の時間を過ごすことができたから。

 お前は人間に魅入られたと言っていたけれど、それは俺も同じだよ。あれから外で目に付いた雀を、目で追ってばかりいる。気付いたら、お前の面影を探してしまっているんだ。もう、この世界にいないとわかっていても――。

 心の中で彼女にそう語りかけていると、さらに先生が続けた。


「これは雀が本当に(はまぐり)に変身するという意味ではなく、中国の迷信からできたらしい。秋になると雀が海辺に群れをなして集まってくるのは、蛤の化身だからだと、昔の中国では思われていたそうだ」


 へえ。蛤の化身ねえ。

 何だか、チュンが使っていた幻術のことをふと思い出してしまった。


「先生。どうでもいいけど、その季語長すぎて使えなくない?」


 そう聞いたのは、どの先生に対してもタメ口で接する、矢松だ。先生は特に気にした様子もなく、矢松の質問に大きく頷く。


「長いな。だから『雀蛤になる』という使い方もするらしいぞ」

「へー」


 矢松は感心したような声を洩らすと、俳句用の紙にシャーペンを走らせ始めた。今ので何か思い付いたらしい。

 せっかくだから、俺もその季語を使ってみるか。

 考えながら、窓の外に目をやる。中庭に植えられた大きな木に一羽の雀が止まり、まっすぐにこちらを――俺を見据えていた。

 俺と雀の視線が交錯する。それでも、雀は彫刻のように微動だにしない。

 人間の俺と目が合っても、逃げない雀。あれは、もしかして、もしかすると――。


「チュン……?」


 囁くような俺のその声は、その雀には届かなかったはずだ。しかし雀は俺を見て小さく小首を傾げた後、「チュピ!」という高い声と共に、秋の空を羽ばたき、民家の屋根上で群れをなしていた雀達の一員となった。

 もし生まれ変わりというものがあるのなら、きっと今度は、普通の雀として生まれてきているに違いない。人間とは関わらず、雀としての一生を全うする。

 少し寂しい気もするけれど、できればそうであって欲しい。もしも今見た雀がチュンだったのなら――これほど嬉しいことはない。

 この空の下、俺達はまた、一緒の時を過ごしているってことなんだから。

 俺は一度目を伏せ、小さく深呼吸をする。そして俳句用の紙にシャーペンを置くと、手は勝手に文字を記していた。


 『はまぐりに なれぬ雀が チュンと鳴き』




   終


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― 新着の感想 ―
[一言] とっても良かったです! 優しいお話でした^_^
2023/04/07 16:40 退会済み
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