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5.緑の折り紙

 目を開けると、そこには一面、澄んだ青が広がっていた。

 あぁ、この青は、空か。

 それが何であるかを認識した俺は、自分の状態を確認していく。

 今、俺は仰向きで寝ている。指先も動く。足も問題なさそうだ。

 四肢の感覚を取り戻した俺は、少しだけ首を回す。ここは一体どこなのか。夢の中か、それとも別の世界なのか。

 目に映るのは、クリーム色の家の壁。そして電信柱。

 その景色が、俺の頭の中から消えかけていた現実感を、少しずつ運んでくる。

 俺はゆっくりと上体を起こした。その瞬間、いきなり背後から何かに抱きつかれた。


「悠護!」


 チュンの声だ。俺の脳に、もうしっかりと刻まれてしまった彼女の声。聞き間違いではない。


「なかなか目ぇ覚まさんけん、心配したじゃろうが馬鹿!」


 背中から聞こえてくるその声は、少しだけ涙に濡れている。


「ごめん……」


 後ろに振り返り、チュンの茶色の頭を撫でる。さらさらとした感触が、俺に生きているという実感を運んできてくれる。


「本当に、心配かけやがって坊主」

「爺さん!」


 突如聞こえた低い声に、俺は反射的に振り返る。気付いたら、爺さんが俺を見下ろすようにして立っていた。


「もしかして、爺さんが助けてくれたのか?」


 意識がなくなる直前に聞こえた、訛りのある声。あれは間違いなく爺さんの声だった。しかし爺さんは、複雑な表情を浮かべながら首を横に振った。


「本当に助けたのは、雀じゃ。わしはちょっと手伝っただけじゃけん」

「そうなの?」

「わしは、幽霊じゃ。雀と違って妖怪じゃねえけん、生きている人間に触れることはできん」


 てっきり爺さんが助けてくれたものだとばかり思っていたのだが、どうやら違うらしい。チュンに視線を戻すと、彼女は照れ臭そうに頭を掻いていた。


「爺さんの霊力を借りて、強力な結界を張って火をやり過ごしたんじゃ。その後、悠護を外まで運んだ。さすがにちぃと疲れたわ……」


 そうだったのか。俺にはよくわかんないけれど、やはりそこは妖怪の力ということなのだろう。ともあれ、今回は本当にやばかった。我ながら無謀なことを――。


「って、柴犬は?」


 その無謀な行動の原因となった柴犬の姿が見えないことに、俺はようやく気付く。辺りのどこを見渡しても、あのクルンと巻かれた茶色の尻尾は見当たらない。


「外に出た途端、消えたで。成仏したみてぇじゃけど、坊主が何かしたんか?」


 爺さんの説明に、俺は胸を撫で下ろした。


「そ、そうか……。良かった」


 無事に成仏できたのか……。やはり、俺の予想は間違っていなかったわけなんだな。

 これでもう、この辺りの家が放火されることはないだろう。本当に良かった。

 安堵の息を吐いた途端、全身が急激に重くなった気がする。


「ところで爺さんは、どうしてここに?」

「ああ、図書館で待っとんたじゃがの。急にこう、胸騒ぎがしたんじゃ。雀と触れ合いすぎたせいかのう。何となく雀の霊力というか波動が、少しだけわかるようになってしもうたみたいじゃ。わしも直に妖怪になれるかもしれんのう」

「爺さん……」


 カラカラと笑う爺さんだったが、今回はその勘で本当に助かった。


「チュンも爺さんも、本当にありがとう」

「うむ。もう無茶なことはするなよ坊主」

「そうじゃ。もうこんな目に遭うのはこりごりじゃ」

「うん……」


 爺さんとチュン、交互に言われてさすがに俺も項垂れる。もう、迷惑をかけないようにしないと……。


「ところでここ、どこ?」

「あの家の、ちょうど裏側の道じゃ。玄関側の道は人でいっぱいじゃったから、こっちに避難したんじゃ」

「そうか」


 呟いて、俺はようやく金剛地のことを思い出した。金剛地は、俺が火事の家の中に入って行くのをバッチリと見ている。このまま放っておくと、ややこしい事態になることは確実だろう。早急に無事な姿を見せに行かないと。

 俺は慌てて立ち上がり、表の方へと向かう。


「チュン、爺さん、急いであっち側に戻るぞ!」

「悠護!? いきなり何じゃ!?」

「やれやれ。年寄りを走らすなや」


 文句を言いながらも、妖怪と幽霊は俺のあとについて来ていた。







 表の通りは、大勢の野次馬で溢れ返っていた。警官が貼り巡らせたロープギリギリまで、人の波が続いている。

 うーん……。この中から金剛地を探し出すのは、なかなか骨が折れそうだ。

 げんなりと肩を落としそうになった、その時だった。


「波崎君!」


 後ろから声をかけられた。金剛地の声だ。振り返ると、群衆から少し離れた場所に金剛地は立っていた。

 俺と目が合った瞬間、金剛地はこちらに駆け寄ってきた。


「良かった。本当に良かった。なかなか帰ってこないから、もしかしてって……。良かった。本当に良かった……」

「うん、ごめん……」


 金剛地は今にも泣き出してしまいそうだ。かなり心配をかけてしまったようだ。俺の中で罪悪感がムクムクと成長中。


「それで、家の人は?」

「あぁ、いなかった、みたいなんだよね……はは……」

「もう、馬鹿! 二度とこんな危ないことしたらダメだよ!」


 乾いた笑いで誤魔化す俺を、金剛地が本気で叱りつけた。事情を知らない彼女には、俺の行動は無謀なものにしか映らなかっただろう。俺も言い訳をせず、素直に「ごめん」と謝る。

 確かに、チュンや爺さんがいてくれたからこそ、俺は無事ですんだんだ。さすがに今回ばかりは反省する……。柴犬を助けるためとはえいえ、無茶しすぎた。


「あれ。でも、どうしてこっちから戻ってきたの?」


 うっ。そこを突っ込まれると痛い。しかし金剛地にしてみれば、それは当然の疑問だろう。庭から家の中に入って行ったのに全く別の所から戻ってきたら、そりゃ疑問に思うに決まっている。

 俺は頭をフル回転させて、必死で誤魔化す言葉を考えた。


「えっと、その、思った以上に火が強かったから、う、裏の方から、外に出たんだよ」

「そうだったんだ……。とにかく、無事で良かった……」


 しどろもどろな説明だったが、何とか信じてもらえたみたいだ。助かった……。

 心の中で安堵の息を吐いたところで、俺は爺さんに振り返る。爺さん、この子が俺の言っていた『えり』って子だよ――。

 そう説明しようとしたのだが、既に爺さんは金剛地の正面に移動していた。爺さんの全身は、酷く震えていた。


「爺……」


 チュンも爺さんの異変に気付いたようだ。不安げな顔で爺さんを見つめている。


「大きくなったのぅ……」


 その一言で、俺は全て理解した。爺さんが探していた孫は、金剛地だったのだ……。偶然にしてはあまりにもでき過ぎているような気がするが、事実は小説より寄なり、という言葉があるくらいだし、案外こんなものなのかもしれない。

 偶然か、必然か。きっと、どっちも正しいのだろうと思う。

 目を細めながら嬉しそうに、でも少し寂しそうに呟く爺さんに、俺もチュンも、何も声をかけることができなかった。 


「おおそうじゃ。悠護、頼むがこれを渡してくれんかの」


 爺さんはそう言いながら、ズボンのポケットに手を入れる。取り出したその手には、緑色の折り紙で作られた舟が乗っていた。爺さん同様に透けていたその舟は、俺の掌に乗った途端、はっきりと実体を持った物に変わる。

 どういう原理なんだろう? 考えてもわからないことだろうけど、ついつい気になってしまう。その緑の舟をひっくり返してじっくりと眺めてみたけれど、どこからどう見ても折り紙でできた舟だ。それ以外の言葉が見当たらない。


「わしの姿、あの子には見えんけん」


 俺は黙ったまま頷き、爺さんと入れ替わるように金剛地の前に立つ。

 どう言ってこれを渡そうか、一瞬だけ迷いが生じる。いや、もうここまできて悩むな俺。

 俺は何とか平静を装いながら口を開いた。


「金剛地、あのさ……」

「なに?」

「俺、ある人に頼まれたんだ。これを、お前に渡して欲しいって」

「え?」


 俺は爺さんから渡された折り紙の舟を、金剛地の手の中に置いた。


「これは……」


 金剛地の瞳が、そこで大きく見開いた。


「いつ、誰から? これを波崎君に渡した人って誰?」

「……その、ちょっと前に。渡してきたのは、お爺さんだった」

「そう……」


 金剛地は少し皺の入った船を両手で優しく握り締めながら、静かに瞼を閉じた。その目から透明な液体が、とめどなく溢れてくる。


「お爺ちゃん……。上手だよ」


 泣きながら笑った金剛地だったが、再度その顔は泣き顔に崩れてしまった。

 爺さんは、泣きじゃくる金剛地の後ろに立つ。そしてそっと腕を伸ばし、金剛地の頭を撫で始めた。ゴツゴツしたその透けた手は、決して金剛地の頭に触れることはなかったけれど。それでも――。

 爺さんは、皺の目立つ目元を緩ませながら、孫の頭をただ優しく撫で続けた。

 その時、俺はある異変に気付いた。爺さんの足元が、淡く光り始めたのだ。


「――――!?」


俺が驚いている間に、その光は瞬く間に濃さを増していき、爺さんの全身を包んでいく。


「……逝くんか」


 チュンが静かに言うと、爺さんはこくりと頷いた。


「もう心残りはないけんの」


 静かに目を閉じながら言う爺さんの表情は、初めて見た時とは全く違う、とても穏やかなものだった。

 奥さんのことは――という疑問は、その顔を見て吹っ飛んだ。


「世話んなったのう、チュン。それに悠護」

「いや、わしの方こそ。達者でな」

「爺さん……」

「絵梨。たくさん笑って、泣いて。おめぇの人生を、精一杯生きるんじゃぞ」


 そして爺さんは一筋の光となって、俺達の前から消えた。その声は金剛地には聞こえなかったはずだ。でもできれば、彼女の心の奥底に届いていて欲しいと、俺は目を閉じて静かに願った。


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