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3.火とイヌ

 爺さんを図書館に連れて行った直後、図書館は閉館となってしまった。爺さんは図書館で一夜を明かすと言って笑い、俺達と別れた。


「また絵本を見たかったのう」

「時間が悪かったな。今日はあの柴犬を探すために外に出たんだし」


 文字通り口を尖らせるチュンを諌めながら、俺達は元来た道を戻っていた。

 この様子だと、また図書館に連れて行ってやった方がよさそうだな。今度は俺もチュンと一緒に絵本を見てみようか。

 そんなことを考えていると、突然チュンが俺のTシャツの裾を掴んだ。


「ん、何だ?」

「ツいてるのぅ悠護。こういうのを人間の世界では、噂をすれば影、って言うんじゃったっけ?」


 俺は慌ててチュンの視線の先に顔を向ける。そこには首輪のない柴犬が、一軒の家の前に立ち止まっていた。


「あ…………」


 間違いなく、あの柴犬だ。もしかして今からあの家に? その考えが頭を過ぎった、次の瞬間。

 柴犬の目が、血のように真っ赤に染まった。そして柴犬が視線を送っていた家の、小さな窓に取り付けられていた網戸から、突如火が噴き出し始めた。

 やっぱり、こいつが連続放火の犯人だったのか!?


「やめろ! 関係のない人を巻き込むな!」


 俺は柴犬に対して声を張り上げるが、柴犬は俺の声など全く聞こえていないと言わんばかりに、壁をスルリと通り抜けて家の中へと入っていく。

 くそっ。便利な体しやがって!

 俺も慌てて玄関に回りドアを開けようとしたのだが、鍵が掛かっていて開かない。

 俺はインターホンを連打しつつ、家の中に向かって声を張り上げた。


「すみません! 火事です! 火事です!」


 しかし、中からは何の反応も返ってこない。もしかしなくても留守なのだろうか?


「悠護、わしに任せぇ!」


 俺の後ろからチュンが叫ぶと同時に、ドアの向こうへと姿を消す。間を置かず、がちゃり、と解錠の低い音が響いた。

 そうだった。チュンも妖怪だった。

 と、今はそんなことに感心している場合ではない。俺は急いでそのドアを開け、玄関の中へと足を踏み入れる。


「火事です! 窓が燃えてます!」


 絶叫に近い叫びを家の中へと放つが、先ほどと同様、家の中からは返事は返ってこない。火はまだ家の中まで回ってきてはいないらしく、僅かに焦げ臭い臭いはするものの、煙は視認できない。


「――っ。お邪魔します!」


 勝手に家に上がるのは俺もどうかと思うけど、状況が状況だ。手遅れになる前にできることをする! 

 まずは洗面所だ。この程度なら俺でも消火できるかもしれない。いや、する。

 廊下には四つのドアが左右二つずつ並んでいた。

 どこだ?

 手始めに俺は、一番手前にあった右のドアを押し開ける。しかし、そこは六畳間の和室だった。ハズレか。引き返そうと踵を返したその時、俺の耳を異質な音が通り抜けた。


「悠護、あそこ!」


 チュンの声と俺がその音の方向に視線をやったのは、ほぼ同時だった。

 和室のすぐ隣は、フローリングのリビングに繋がっていた。そのリビングのドアの前に、あの柴犬がいたのだ。

 柴犬はリビングのドアを何度も前足で引っ掻いていた。俺が体験した、あの火事の時のように。カリカリカリという俺が先ほど聞いた異質な音が、そのドアから絶え間なく響いてくる。

 次の瞬間、俺はその柴犬のある様子を見て、思わず息を呑んでしまった。柴犬は大きく口を開け、必死の形相で何度も何度も吼えていたのだ。

 ただ――声が出ていない。


「お前……?」


 俺は半ば呆然としながら、無音で吼え続ける柴犬に近付く。


「悠護!? 不用意に近付くな!」


 俺のすぐ横で叫ぶチュンのその声が、俺にはなぜか凄く小さく聞こえていた。

 柴犬はすぐ後ろにいる俺達に気付いていない。ただ一心不乱にドアを引っ掻き続け、そして無音のまま吼え続けている。

 お前、本当は吼えて飼い主に火事を知らせようとしていたのか? なのになぜ、声が出ていないんだ?

 俺の手は、気付いたら勝手に柴犬の体に伸びていた。







 朦朧とした意識の中、目を開ける。だが視界には何も映らない。それどころか、四肢の感覚すらもない。ただただ、白い世界――。

 水の中でたゆたうように揺らめく意識の中、『俺』はまた目を閉じた。





 次に目を開けた時、『俺』の目の前には、眼鏡を掛けた男の人が立っていた。手術用の法衣を身にまとっていたので、あぁこの人は医者なのだと俺は理解した。


「一命は取り留めましたが、声帯はどうしようもなく。もう、声を出すことはできないでしょう……」


 申し訳ございません、と医者は目の前の二人の人物に対し、頭を下げる。医者が頭を下げたことで、彼の前に佇んでいた二人の顔を、はっきりと見ることができた。二人とも白髪が混ざった頭をしており、顔にはそれなりの皺が刻まれていた。どうやらこの老夫婦が『俺の』飼い主らしい。


「いいえ。帰ってきてくれただけで、命を助けて頂いただけで、私達は充分です。本当に、ありがとうございました」


 奥さんの方が涙で震える声でそう告げると、二人は揃って医者――いや、獣医に頭を下げた。





 次に目を開けると、さらに景色が変わっていた。どうやら住宅街の一角を歩いているらしい。

 外を歩く『俺』の心は高揚していた。隣を見上げると、カジュアルな服装に着替えた老夫婦が並んで歩いている。手には青いリード。『俺』の散歩中らしい。

『俺』が視線を送っていることに気付いた二人は、にっこりと微笑んだ。二人の笑顔を見て『俺』は嬉しくなった。幸せだった。





 パチパチと小さく爆ぜる音に、『俺』は目を覚ます。

 すぐに焦げ臭い臭いが鼻を付き、堪らずくしゃみを洩らしていた。

 臭いの元凶はすぐにわかった。室内に置かれていたテレビの後ろから、火が上がっていたのだ。火は板張りの壁を伝って、カーテンに燃え移った。瞬く間に室内は炎に包まれてしまった。

『俺』は寝床を飛び出し、リビングのドアを懸命に引っ掻き続ける。


 オネガイ! ココヲアケテ! キヅイテ!

 ヒガイッパイダヨ! シンジャウ! フタリトモシンジャウヨ! アツクナッテシンジャウヨ!


 前の時には聞こえなかった、新たな心の声。

 声が出ないのに柴犬は鳴きながら、尚も開かないドアを引っ掻き続ける。しかし勢いを増した炎が横から襲いかかり、『俺』をあっという間に呑み込んだ。


 アツイアツイアツイアツイアツイイタイイタイイタイイタイイタイアツイアツイ!


 床を転げ回りながら、炎に塗れた『俺』は、止まることのない痛みと熱さに悶え続ける。

 くそっ! 自分から触れたとはいえ、やっぱりこんな体験は二度もやりたくない!

 俺は柴犬の中で絶叫しながら、この耐え難い苦痛にただ後悔し、呻くしかなかった。

 突然、熱さと痛さで一杯だった柴犬の頭の中に、別の念が押し寄せる。それは津波のように激しく押し寄せ、俺の意識を攫っていく。


 ボクノセイダ! ボクノコエガデナカッタカラ、フタリハキヅカナカッタ!

 ボクノセイダ。ボクノセイダ。ボクノセイダ――!







「悠護!」


 チュンの声に、俺はハッと瞼を開ける。目の前には、薄茶色のフローリングが広がっていた。どうやら意識が飛んだ後、うつ伏せ状態になってしまったようだ。


「自分から触れに行くなんて、何を考えとるんじゃ」


 呆れたように呟くチュンを脇に、俺は慌てて起き上がり、部屋中を見回す。


「柴犬は? いや、火は?」

「何か、外から水をぎょうさんかけてくれたけん、消えたで。犬は火が消えたら出て行った」


 窓に駆け寄ると、消防車が家の前に停まっていた。どうやら近所の人が通報してくれたらしい。幸い燃え広がらず、大きな火事にならずに済んだみたいだ。


「あぁ、一応幻術でお前の姿を見えんようにしとるで。勝手に入ったのがばれると不都合じゃろ?」

「あ、ありがとう」


 礼を言った直後、消防の人達が家の中へと入ってきた。つくづく、チュンの気配りがありがたい。

 俺達はそのまま静かに外に出た。外には、たくさんの野次馬達で溢れていた。皆不安そうな顔をして、焼けてしまった家の一部に視線を送っていた。

 その野次馬達を掻き分けながら進んだ俺は、人が途切れたところでようやく姿を現し、家路へと急いだ。

 歩きながら、先ほど見た柴犬の様子を思い出す。

 あの柴犬は、飼い主に見捨てられたのを復讐しようとしていたわけじゃない。飼い主に火事を知らせたかったのに、知らせることができなかった無念から、きっと妖怪になってしまったんだ。







「悠護。あの柴犬のことを考えとるんか?」


 その日の夜、なかなか寝付けずにいた俺にチュンが声をかけてきた。


「うん、まぁね……」


 俺は天井に向かって小さく返事をする。しばらくすると衣擦れの音がして、俺のベッドの横までチュンが移動してきた。


「たぶんあの柴犬は、吠えて住民に火事を知らせることが目的なんだと思う。だから自分で火をつけて、あの火事の日を再現しようとしているんだ」

「でも吠えて知らせるいうても、声が出ねぇんじゃろ?」


 そう。問題はそこだ。住人に知らせる方法がないと、助けようがない。あの柴犬は声を失っている。普通に考えたら手詰まりだ。でも……。


「チュン、乗り込むぞ」

「えっ?」

「次に火事が起きたら、その家に乗り込む。そしてその家の住人のふりをして、逃げ出すところをあの柴犬に見せるんだ」

「そ、そんな危険なこと、おめぇがやる義理はねぇじゃろうが!」

「でもこのままだと、あの柴犬は次々と放火を繰り返していくぞ!? それをわかってて見過ごすことなんかできないよ」

「悠護……」

「ごめん、チュン。迷惑かけてばかりで。でも大丈夫。絶対にヘマはしない」


 俺だって死にたくなんかはない。あんなに熱い思いをしたまま死ぬなんて、まっぴらゴメンだ。

 あの犬の心を救って、そして絶対に俺も助かる。


「何でおめえは、そんなに……」


 俯きながら、チュンは拳を握る。着物の裾から覗くその小さな手は、僅かに震えていた。チュンが何を言いたいのか、俺はそれで何となく察した。そして、心の内にある疑問が沸く。

 どうしてだろう。

 どうして俺は危険を顧みず、妖怪のために動こうとしているのだろう。


「俺にも、よくわからないんだ……」

「悠護は、優しすぎる」


 嘆息と共に吐かれたその台詞に、俺は何も反応することができなかった。

 もしかしたら俺は、チュンの命を奪ったという罪悪感、それを少しでも消すためだけに、動いているのかもしれない。自分にできることをと言いながらも、俺はあの柴犬を利用しようとしているだけかもしれない。

 いや、きっとそうだ。言葉として表せるそれ以外の理由が、一切見つからない。

 チュン、きっと俺は優しくなんてない。

 ただ、弱いだけだ――。


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