4.花火と流星
滞在二日目の今日は、近くの川沿いで花火大会が行われる。テレビで紹介されるような大きな規模ではないのだが、俺のような帰省中の人間が殺到するので、田舎にしては毎年それなりに盛況している方だと思う。
そんなことを考えている俺が今いるのは、祖父ちゃんの家の二階だ。八畳間のこの部屋を、俺の寝室として利用させてもらっている。今日もここで寝るので布団は敷いたままだ。俺も一人暮らしをするようになったら、こんなふうに布団を敷きっぱなしにしてしまいそうだ。結構重たいんだよな、布団。
ちなみになぜ二階にいるのかというと、曾祖父ちゃん達から離れるためだ。実体がないのに見た目は人間と変わらないないあの二人は、昨日と同じように居間でまったりとしている。祖父ちゃん達には「ちょっと昼寝をしてくる」と言ってあるので、しばらくは声もかけてこないだろう。
と、窓から太陽の光が直に俺の目に射し込んできた。眩しい。太陽を隠していた小さな雲が流れていったようだ。空を見る限り、今日の花火大会は中止になることはまずないだろう。
太陽はかなり傾いてきた時刻だが、まだまだ夜の気配はない。冬なら今の時刻でもかなり暗くなっているんだけどな。明るいけれど、道行く小さな女の子達の浴衣姿を見ると、夜に向けての気分も自然と盛り上がってくる。
「悠護。今日はわしみてぇな格好をした子供や女の人が多いのう。何かあるんか?」
同じく俺の隣で外を見ていたチュンが、首を傾げながら訊いてきた。
「うん。花火大会だよ」
「はなびたいかい? って何じゃ?」
うっ……。改めて問われると、花火大会を説明するのって難しいな。そもそもチュンは花火自体を知らないわけだし。
「うーんとね……。空で大きな火薬玉を爆発させて、その散り様をみんなで眺めるんだ。綺麗だよ」
「へえ。相変わらず人間の考えることはようわからんな。でも何だか面白そうじゃ。わしも見に行きてえ」
「いいよ」
実は、両親と共に帰省しなくなった中学生以降は見に行っていなかった。同年代の子達が友達同士で楽しそうにしているのに、俺だけ祖父母と一緒なのが何だか気恥ずかしくなったからだ。少し山に隠れてしまうが、一応ここの窓からも花火は見えるので数年は会場で見ていない。でもチュンと一緒なら、会場で見る方が楽しいかもしれないな。
「そうとなれば早速出発だ」
部屋を出た俺は、祖父ちゃん達に花火大会に行くことを告げる。「人が多いから気をつけてな」と、祖父ちゃんがお小遣いをくれた。ありがたい。
「よし。それじゃあ行こうか」
チュンの小さくて冷たい手を握り、俺達は花火大会の会場を目指すのだった。
「すげぇ人じゃなあ悠護! こんなに人が集まっとるのを見んのは初めてじゃ。店もいっぱい出とるのう!」
会場に着いて早々、チュンは人混みとずらりと並んだ屋台を見て大はしゃぎだった。食べ物の良い匂いと、屋台主の元気な客寄せの声と、それを求める人々の声が合わさり、まさに喧噪の坩堝といった様相だ。普段は穏やかな川沿いが、今日だけは全く別の空間に変わっている。空もかなり薄暗くなってきて、屋台の光がより幻想的な雰囲気を演出していた。
「チュンは何か食べたい物はある?」
周囲の声がとにかく凄いので、堂々とチュンに話しかけても誰にも怪しまれない。人混みは苦手だがその点だけは感謝だ。ただ、ちらほらと透けた人間が見えるのが気になるところではあるが……。当然、目は合わさないけれど。
「そうじゃなぁ」
チュンは空に浮き、上から屋台を眺め始める。しばらくは視線をさまよわせていたが、やがて表情がパッと明るくなった。
「お、あれなんか美味そうじゃ」
「何?」
「肉を串で刺して焼いとる」
今飲み物を口に含んでいたら、確実に俺は噴き出していただろう。何も飲んでいなくて良かった。
いや、それはともかく。
チュンが言ったのは、間違いなく牛串のことだろう。雀が牛を食べるって、何だその自然界的に不自然すぎる構図は!? しかも他のよりちょっと高いし!
「お前、妖怪とはいえ元は雀だろう!? 牛以外にしようよ!」
「えー、別にええじゃろうが。妖怪なんじゃけん、今さら何を食べても死なんわ。それとも悠護は他に食べたい物があるんか?」
「……唐揚げ」
「……ほぅ」
ジト目で睨んでくるチュンから、思わず目を逸らす俺。俺は学んだ。正直に答えて良い時とそうではない時があるということを――。家で鶏の唐揚げを食べた時も、チュンはちょっと引いていたしな。今日は目の前で鳥類を食べるのはやめてあげよう、うん。
「ええと、ほら。他にもかき氷とか焼きそばとかベビーカステラとか。食べ物以外でも、あっちのヨーヨー釣りとか金魚すくいもあるよ」
「悠護が食べたい物を訊いてきたのに、食べ物以外を勧めてくるのがちょっと納得いかんのじゃが……。でもその金魚すくいとやらは興味があるの。金魚を助けるんか?」
「いや、その『救う』じゃないから……。捕まえるだけだよ」
「ほう、面白そうじゃな。やってみてぇ」
「よし。それじゃあ金魚すくいの所まで行こう」
浮いていたチュンが俺の頭の上に乗る。人の波をかき分けながら、俺は屋台の看板に標準を合わせてゆっくりと歩き続けた。
お、あった。
少し先の方に『金魚すくい』の文字を見つけた俺は、チュンに知らせようとして――思わず足を止めてしまった。視界の端に、昨日会った幽霊の女の子を捉えたのだ。前髪がきれいに揃っている。先輩の姿を見るためにやってきたあの女の子で間違いない。
「どうしたんじゃ? 急に止まって」
「あ、いや……」
少し視線を外したわずかな間に、既に女の子の姿は消えてしまっていた。
ずっと田んぼでカエルを見ているだけなのも飽きてくるだろうし、気分転換かな。それとも、目当ての人もここにやって来ているのだろうか。
「幽霊を、見ちゃって」
女の子のことは明言せず、でも本当のことを言う。
「幽霊か。確かにそこらじゅうにうようよしとるのう」
どうやらチュンは昨日の女の子には気付かなかったらしい。でもわざわざ言うほどではないよなと、俺はそのまま黙って金魚すくいの屋台を目指したのだった。
その後は金魚すくいではしゃぎ(金魚は飼えないので返した)的当てでハッスルし、お面を一つ買った。お面は可愛らしいひよこだ。なぜかチュンに好評だった。同じ鳥類だからだろうか。
食べ物は結局、綿飴を購入することになった。チュンが「雲がある!」と大興奮したからだ。さらには
「雲って食べられるんじゃな!」と喜んでいたが、違う、それは砂糖だ。でも雀に綿菓子の原理を説明するのも難しい気がしたので、特に何も言わず食べることだけに専念した。正直に言うとちょっと疲れて面倒くさくなったのだ。
傍から見れば、俺は一人寂しくしているようにしか見えないんだろう。でも俺は一人じゃないし、何より楽しいから周囲の目も気にならない。誰かとこうやってここの花火大会を満喫できるなんて、思ってもみなかった。
そんなことを考えた直後――。
腹を震わせる重低音が一発、辺りに響き渡った。そしてオレンジとピンクの花が一輪、大きく夜空に咲いた。周りの人が一斉に声を上げ、空を見上げる。
「おおおおおお!? ぼっけえびびった! ほんまにびびった!」
俺の服の裾をつまみ、後ろに隠れるチュン。確かに俺もちょっとびっくりした。やはり間近で聞く花火の音は、凄い迫力だ。
「チュン、今のが花火だよ」
「こんなすげぇ音がするなんて聞いてねぇぞ!」
「まあ、言っていなかったからね」
俺の返答に何やら恨めしげな顔をするチュンだったが、続けて放たれた花火の音に首をすくめる。それでも漆黒の目は、しっかりと花火の方を見据えている。
「音は怖ぇけど、確かに綺麗じゃなあ。というか、すげえわ。人間って本当に面白いことをやるなあ」
俺はいつもよりさらに小さくなったチュンを連れて、河原の端の方に移動し、腰掛ける。周りを見ると、人間に取り憑いているのだろう透けた幽霊も、この巨大な音の発信源に顔を向けていた。
人間も、幽霊も、そして妖怪も。今この場にいる全ての者が、夜空に誇らしげに咲く花を見つめている。それはとても不思議で、奇妙で、そして温かい光景なのではないかと俺は思った。
お盆最終日の夜。テレビで流れる帰省ラッシュの映像を「大変そうだなあ」と他人事のように思いながら、俺は居間でゴロゴロとしていた。特に急いで帰る用もないので、帰省ラッシュを避けて明日帰る予定なのだ。
居間には相変わらず曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんがいるが、あまり避けていると祖父ちゃん達に不信感を与えてしまいそうだし、少し我慢することにしたのだ。
今は曾祖父ちゃんは新聞を読んでいる。曾祖母ちゃんは座ったままうたた寝をしているようだ。コクリコクリと首が傾いている。平和だ。
風呂から上がった祖父ちゃんが、タオルを頭に乗せたまま居間へとやってきた。仄かに香る石鹸の匂いは、今の俺と同じ匂いだ。ちなみに俺は既に一番風呂をもらっている。ちょっとお湯が熱かったけれど。
祖母ちゃんが祖父ちゃんのために、ビールとつまみのさきいかをお盆に乗せて持ってきた。祖父ちゃんのこの晩酌の時間が終わったら、二人とも就寝に入る。
ふと時計を見ると、九時を過ぎたところだった。テレビもあまり面白そうなものはないし、ゲームでもしようかな……と腰を上げた時だった。
曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんが、おもむろに立ち上がったのだ。俺は二人に気付かれてしまう可能性も忘れ、じっと見入ってしまった。二人は居間の隣にある仏壇の前を通り、窓際へと移動する。チュンも気付いたのか、二人の行動を目で追いかけていた。
曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんは同時にこちらへと振り返り、そして名残惜しそうな顔をして――消えた。
「あ――」
一言だけでも何か言えば良かったと、今さらながら小さな後悔が襲ってくる。
俺のご先祖様。彼らがいてくれたからこそ、今ここに俺は存在している。今の俺には彼らと話す術があったのに、それを活用しなくて本当に良かったのだろうか。感謝の言葉くらいかけておくべきだったのでは――。
「心配せんでも、悠護の気持ちはきっと伝わっとると思うで。悠護が元気に過ごすことが、逝った者達に対する恩返しになるんじゃねえかな」
何も言っていないのに、まるで全てを理解しているようにチュンは笑った。今の俺はチュンに心を見透かされてしまうほど、情けない顔でもしていたのだろうか。
チュンは曾祖父ちゃん達が消えた窓際に移動する。俺も何となくつられてそちらに行ってしまった。
「悠護、見てみい」
窓の外を指差しながら言うチュン。その光景を目にした瞬間、俺は思わず息を呑んでいた。
「盆とやらも終わりみてえじゃな」
無数の丸い光が、空一面を覆い尽くしていたのだ。それらは天に引き寄せられるかのように、ゆっくりと上昇していく。
還っていく。魂達が。かつてこの地に住んでいた人々が。会いたい人に会うために天から降りてきた人々が、また在るべき世界へと戻っていく――。
その光景はまるで、空に昇る流星のようだと俺は思った。
曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんも、きっとあの中にいる。
俺はふと思い出す。あの女の子は、目当ての人を見ることができたのだろうか。還る時にだけ見ることができればいいと、確かそう言っていたはずだ。今がまさにその時だろう。
いや、きっと見つけられたに違いない。そして、来年もまたあの場所に帰ってくるのだろう。『先輩』がこちらの世界に帰ってこなくなる、その日まで。
空に昇る白に瞬く魂達は、真珠のようにきれいだった。昨日見た花火よりも、ずっときれいだと思った。
俺は眼前に広がる光景をじっと見つめていた。何だかこの景色を忘れてはいけない気がして。心に焼き付けるために、ずっと。




