1.雀と田舎
「悠護、すげえなあ! 景色がどんどん流れていきよるで! あ、あの建物でれでけえ! あの山の形はおにぎりみてえじゃな! 面白えなあ!」
俺の隣で大はしゃぎするチュン。しかし俺は周囲の目が気になり、チュンに何も返事をすることができないでいた。もっとも、チュンは俺の反応がないことなどお構いなしに、窓に張り付いたままはしゃぎ続けているのだが。
俺達は今、電車に揺られている。初めての電車とあって、駅に着いた時からチュンは興奮気味だった。その興奮は乗車した途端さらに上がってしまったらしく、先ほどからチュンの言葉が途切れない。
なぜ俺達が電車に乗っているのかというと、田舎の祖父母の所へ向かっているからだ。ちなみに両親は着いてきていない。俺が中一の頃からちょうどお盆の時期に父さんの仕事が入るようになってしまったらしく、その時から夏は俺一人で帰省しているのだ。
毎年、荷物をたくさん持った家族連れを見かけるたびに少し居心地が悪くなっていたのだが、今回に限っては一人で良かったと心から思う。他人からは見えていないとわかってはいても、やはりチュンの行動にいちいちヒヤリとしてしまうのだ。頭の上に乗られるのは慣れたけれど、俺以外にはこの大きな声が聞こえていない――というのがまだ半信半疑で、なかなか慣れない。
そんなわけで、仏壇に供えるための菓子が入った紙袋を無意味に撫でて、何とか平静を保つ努力をする。紙袋のさらさらとしたマットな質感が気持ち良い。
しまったな。バッグからゲームを出しておけば良かった。そうすれば多少は気が紛れていただろうに。でもボストンバッグは網棚の上だ。乗車率が上がってきているし、主要駅を過ぎるまでは動くのは躊躇ってしまう。
「わしが本気を出しても、こんなに早くは飛べんしのう。いやはや、座ってるだけで勝手に移動してくれるなんて、人間の作るもんは本当に面白くてすげぇわ」
相変わらず窓にかぶりついた状態で、感心したように呟くチュン。
なあ、チュン……。はしゃぐのも喋るのも別に良い。でも、乗客のおじさんの頭の上に乗ったままはしゃぐのはやめよう。な?
ちょっと頭が寂しい隣のおじさんを横目でチラチラと見ながら、俺はそう言いたい衝動を必死で抑えるのだった。
駅を出てすぐの場所で、俺とチュンは並んで待ち呆けていた。荷物が重いので足元に置いているのだが、熱さで発火してしまわないだろうかと、ありえない心配をしてしまうくらいには暑い。
山が豊富な田舎だから気温が低い、ということはなかった。元気すぎる高気圧の前では人間はおろか、日本は無力だ。いや、この場合国とか関係ないのはわかっているが、そう言いたくなるほど暑いのだ。もっと標高の高い場所に行けば涼しいのかもしれないけれど。
「悠護、移動せんのんか?」
「いや、祖父ちゃんがここまで迎えに来てくれるから待ってるんだ」
俺は電車を降りてから祖父ちゃんの家に電話をしていた。電話にはおっとりした声の祖母ちゃんが出た。祖父ちゃんが迎えに行くからちょっと待っててねと言われたが、車で二十分ほどはかかるから、もうしばらくは来ないだろう。祖父ちゃん達は携帯電話を持っていないし、このまま待ち続けるしかない。
暇そうにしているタクシーの運転手と目を合わさないように、俺は駅前の景観をぼんやりと眺める。
ねずみ色の低いビルがまばらに並ぶ駅前は数年前に区画整理をしたらしく、道幅はそれなりに広い。俺が小さかった頃よりは近代的な雰囲気になっている。が、昼前なのに人通りも車通りもまばらだ。低いビルの側面に架かる看板には、消費者金融やパチンコ店の看板が幅を利かせていた。駅の前なのに、遠くない場所に山が見えるのが新鮮だ。これでも、祖父ちゃんの家がある地域よりは数段発展している。
「悠護の住んどる所と違って、ここは人が少なくて静かじゃの。しかし、道路ってどこもこんな群青色なんじゃな。ずっと似たような道を繋げていくとか、人間のすることは面白ぇのう」
チュンはキョロキョロと辺りを見渡しながら呟く。俺にとっては何てことのない景色も、チュンにとっては全てが珍しく映るらしい。
道か……。確かにどこかには通じているもんな。考えると、今の日本って結構凄いのかもしれない。
そんな思考を遮断するけたたましいクラクションの音に、思わずビクリと肩を震わせる俺。チュンも驚いたらしく、一瞬跳び上がっていた。
「な、なんじゃ今の音は!?」
たぶん祖父ちゃんだ。視線をしばらくウロウロとさせると、対象物を補足できた。予想通り、ロータリーの端に祖父ちゃんの乗る白い車があった。祖父ちゃんは運転席の中からこちらに手を振っている。
「おお、来たみてえじゃな。電車の次は車に乗れるんか。楽しみじゃ」
チュンは言うや否や俺より先に車に向かう。そして俺が荷物をトランクに積んでいる間に、颯爽と後部座席に乗り込むのだった。
「悠護、また背が伸びたな」
助手席に座ると同時に、祖父ちゃんが話しかけてきた。日に焼けた横顔には笑みが広がっている。
「そ、そうかな」
「ああ。段々顔付きも大人っぽくなってきた。もう高校生だもんなあ」
祖父ちゃんは結構ハキハキとした喋り方をする。ハンドルを握るその姿勢もなかなかに良い。祖父ちゃんは農家をやっているのだが、年寄り臭さをあまり感じない雰囲気が俺は好きだった。どちらかと言うと、山より海の方が似合っているかもしれない。
後ろの座席では、車内に流れる昭和の歌謡曲に合わせて、チュンが体を横に揺らせてリズムを取っていた。
「この歌、わしら雀が話をする時のリズムに似ててええわー」
そうなんだ……。
祖父ちゃんも、歌謡曲でノリノリになっている着物姿の女の子が後ろの座席にいるとは微塵も思うまい。あまり後ろを見ると怪しまれるだろうから、極力チュンは見ないようにしよう。
後ろを振り返りたいという激しい衝動を抑え、俺は流れゆく窓の外の景色を眺めていた。
信号がほとんどない道を、約二十分。見える景色に緑色が随分と増えてきたところで、やっと祖父ちゃんの家に到着する。それにしても都市部の二十分と田舎の二十分とでは、移動できる距離にかなり大きな差が出るよなぁと思う。
車を降りた俺は思わず伸びをする。空気が美味い。チュンは名残惜しそうに車内を覗いていた。中途半端なところで曲を切られたからだろうか。
トランクから荷物を取り出し、砂地の駐車場から玄関に移動する。祖父ちゃんの家の敷地は広い。庭には様々な木も植えられている。俺にはさっぱり種類とかわからないけれど。
木製の引き戸を開けると、褪せた畳の匂いと祖母ちゃんが出迎えてくれた。
「いらっしゃい、悠護。元気にしとったか?」
「うん。祖母ちゃん久しぶり。これ、母さんから」
託されていた仏壇用の菓子を紙袋ごと渡すと、祖母ちゃんは顔の皺をさらに数本増やした。
「まあ、ありがとうねえ。早速仏壇にお供えしようかね」
祖母ちゃんを先頭に幅の広い廊下を歩き、まずは六畳間の和室に向かう。仏壇に手を合わせるためだ。この家は台所以外は和室な創りなのだが、他の部屋は八畳ある。
チュンは和室に入って早々、仏壇の上の遺影を興味深そうに眺めていた。曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんだ。曾祖父ちゃんは難しい顔、曾祖母ちゃんは少しはにかんだ顔で写っている。俺も会ったことはないけれど、それを見るだけで何となく二人の性格がわかる気がする。
部屋の隅に荷物を置くと、すかさず祖母ちゃんが冷えた麦茶を出してくれた。同じ麦茶でも、うちの麦茶とは少し味と香りが違う。ああ、他所の家に来たのだなと実感する瞬間だ。
喉を潤した後は、足の低い机を囲んで祖父ちゃん達に両親や俺の近況を軽く報告。チュンはその間、居間の中をうろうろとしていた。
小一時間が経ち、話すこともそろそろ尽きてきたところで俺は立ち上がる。
「ちょっと散歩してくるよ」
「おお。いってらっしゃい」
毎年のことなので、祖父ちゃんも祖母ちゃんも特に引き止めない。俺は縁側に佇んでいたチュンに視線で合図を送り、外へと出た。
「悠護、どこに行くんなら?」
「特に目的地はないよ。ただ、チュンもこの辺りがどうなっているのか興味があるだろ?」
祖父ちゃん達の前だとチュンと話すこともできないしね、とも付け加える。
「そうじゃな」
チュンは笑いながら俺の左手を握った。




