5.鼠と炭酸
相変わらずチュンに首根っこを掴まれたままのハムスター妖怪を見ると、ジタバタと手足を動かしている。さっきまでは人形のようにおとなしくしていたのに、どうやら妹に会えて興奮しているらしい。
俺は仲安に気付かれないよう、小声でチュンに話しかける。
「チュンはハムスター妖怪の言葉ってわかるの?」
「あぁ。なんとなくじゃけど」
「それじゃあ、俺に通訳してくれない? で、俺がそれを仲安の妹に伝えるからさ」
チュンもハムスター妖怪も、俺以外の人間には姿も見えないし、声も聞こえないはずだ。俺の隣に立ってもらっていても支障はないだろう。
「それでええで。――というわけじゃ。あの子に伝えたいこと、しっかり喋れぇよ」
後半はハムスター妖怪に対しての言葉だ。了承したように、そこでハムスター妖怪の目が紫色に瞬いた。
よし、では人間と妖怪の混合トリオ、いざ出陣。
まずは仲安に話しかけて、不自然さをなくすことから始めなければならないだろう。
「あ、仲安!?」
少し離れた場所から声を上げる俺。ちょっと大げさだったかもしれないが、この場合気にしていられない。声に気付いた仲安が、俺を見て目を丸くした。
「波崎じゃん。また会ったな。お前の家、この辺なの?」
「いや。行ったことのない場所を探検してみようかなと思って、ちょっとブラブラしてたんだよ」
「このクソ暑いのに、お前も物好きなやつだなあ」
確かにごもっともで。というか、本当はブラブラ町探索をする趣味は俺にはないのだが。
「そ、それよりさ。仲安もここで何してるの? ここが仲安の家?」
「俺の家はそっちの後ろだ。何してるっていうか……」
頭の後ろを掻きながら、妹をチラリと見る仲安。
「昨日の夕方、ここにハムスターがいたんだと。ピーナッツを置いたら出てきてくれたって。でも今朝置いても一向に出てこなかったらしくてな。落ち込んでんだ」
妹は無言のままだ。その手にはカシューナッツの袋が握られていた。さっきコンビニで買ったのはどうやらこれらしい。
「きっとピーナッツに飽きたから出てこないんだ、餌を替えたらまた戻ってきてくれるはずって言って聞かなくてな。で、コンビニでさっきあれを買ったわけだ」
普通に考えて、夜の間にどこかに行ってるよなぁ? と小声で俺に言う仲安。俺は苦笑でそれに答えることしかできなかった。どこにも行っていなくて、実は植え込みの奥深くで死んでるんだ、なんて言えるわけがない。
「もしかして猫に食べられてしまったんじゃ、とか、昨日私がおうちに連れて帰ってあげればよかった――とか今朝からずっとこの調子でな。まいってるんだよ」
深い息を吐く仲安。仲安も妹の優しい心がわかっているだけに邪険にすることがてきず、強く言えないのだろう。
俺は妹の隣にしゃがんでみる。植え込みには上から手を入れられるような隙間がない。自分の家の物なら多少強引に下を掻き分けることはできるだろうが、他所の家の所有物を傷つけてしまうことはさすがにできない。小さいけれど、きっと妹もそれくらいのことはわかっているのだろう。じっと植え込みの奥をみつめたまま、彼女は動かない。
「ええと」
話しかけてみようとしたけれど、そういえば妹の名前を知らなかった。眉を下げながら仲安の顔を見ると察してくれたのか「杏奈だ」と小声で名前を教えてくれた。
「杏奈ちゃん。俺、お兄ちゃんの友達の波崎っていうんだ」
「…………」
杏奈ちゃんは反応しない。じっと植え込みを見つめたままだ。俺の隣ではチュンが不安そうに見守っている。少し居心地の悪さを感じながらも、俺は続けた。
「あのね、そこにいたハムスターなんだけど」
「えっ!?」
『ハムスター』という単語に反応したのか、杏奈ちゃんは勢いよく振り向いた。
「とにかく、飯が美味かったそうじゃ。ありがとうと言っておる」
ハムスター妖怪と俺を交互に見ながらチュンが小声で言った。俺以外には聞こえないから、もっと普通の声量で話して欲しいのだが。少し聞き取りづらい。
「『杏奈ちゃんありがとう』だって。『ご飯、とても美味しかった』って言っていたよ」
俺の言葉を聞いた杏奈ちゃんは、さらに身を乗り出してきた。
「お兄ちゃん、あのハムスターのこと知ってるの? どこにいるの?」
「ハムスターは俺のところにも来たんだ。これからもっと遠くに行くって言っていたよ。でも、どこに行ったかまでは知らないんだ。ごめんね」
「お兄ちゃんは、ハムスターとお話できるの?」
「うん、実はそうなんだ。でもこのことは他の皆には内緒にしている能力なんだ。だから黙っててもらえる?」
俺が自分の口の前で人差し指を立てると、杏奈ちゃんは真剣な顔で頷いた。どうやら信じてくれたようだ。正確には話ができるのはハムスターではなく妖怪や幽霊なのだが、まあ嘘は言っていないので良しとしよう。
「ハムスターは、杏奈ちゃんから貰ったピーナッツ、本当においしかったって言っていたよ。だからもう悲しまないで。杏奈ちゃんが泣いていると、きっとハムスターも悲しくなっちゃうよ」
「うん……わかった」
杏奈ちゃんは目の端に溜まっていた涙を、手の甲でぐいっと拭った。その様子を見ていた仲安が、静かに胸を撫で下ろしていた。仲安は俺が杏菜ちゃんに話を合わせてあげていると思ったのだろうが、すまん仲安、今の会話はほぼノンフィクションだ……。
「波崎、凄いなお前。保育士とか向いてるんじゃね?」
「あ、あはは。そうかな? ええと、じゃあまた学校でな!」
片手を上げて、早々とその場から立ち去る俺。自分でも今の態度は怪しすぎると思うが、これ以上話をしていると墓穴を掘ってしまいそうだし。
曲がり角を折れてしばらく小走りで進み続ける。チュンも俺の後ろに着いてきているようだ。なんとなく気配がする。仲安達がもう後を追ってこないだろうという距離になったところで、俺はようやく足を止めた。
「いきなり行かんで欲しいんじゃけど」
「ごめん。でもあそこで声を掛けたら、怪しい独り言を言っているようにしか見えないだろ。ところで、あれで良かったの?」
不服そうに口を尖らせるチュンを軽く諌め、俺はハムスター妖怪に話しかける。
ハムスター妖怪は相変わらずチュンの手にぶら下がったまま、紫色の目でじっとこちらを見据えていた。
沈黙が渡る。やばい、不備があったかなと少し不安になったところで――。
――アリガトウ。
頭に小さな声が響いた。そしてトラの時と同じように、ハムスター妖怪は光の粒子となって掻き消えた。
虚しくなるほど、呆気なく。
「……逝ったな」
「うん……」
しばらくの間、ハムスター妖怪がいた所を見つめる俺とチュン。視線を上にずらすと、綿菓子のような入道雲がちょうど太陽を隠したところだった。
トラの時はあれで本当に良かったのだろうかと自問自答したが、ハムスター妖怪は俺に礼を言ってくれた。それだけで、俺の心も救われた気がした。
「帰ろうか」
どちらともなく歩き出す。だが間を置かず、チュンは俺が持っていたペットボトルを指差した。
「いっぱい動いて喉渇いたけん、わしもそれを飲んでみてぇ」
「いいよ」
蓋を開けてチュンに渡す。一口飲むと、漆黒の目がさらに大きく丸くなった。
「おおおおおお!? 何じゃこの飲み物はあっ!? しゅわしゅわする! 口の中で何か弾けとる! しゅわしゅわパチパチするぞ!?」
初めて飲んだ炭酸飲料に、文字通り飛んだり跳ねたりと大騒ぎするチュン。あらかた予想していたとはいえ、想像以上の反応に俺は必死で笑いを堪える。
「悠護、これ本当に飲み物なんか!? 体内から攻撃する罠じゃねぇんか!? って何でそんなに笑うんなら!」
「い、いや。笑ってないし?」
「嘘じゃ! 口も目もこれ以上にないほど笑っとろうが!」
「痛い痛い。ごめんってば」
ぽかぽかと背中を叩いてくるチュンを諌めながら、俺達は家路へとつく。何だか、炭酸飲料のように爽やかな気分になっていた。




