囁く声
何気なく立ち寄った庭園の片隅にその美術館があった。
何があるわけでもない、なんてことない美術館の筈だったけれど……。
その美術館が併設された庭園に寄ったのには、大した意味はなかった。私たちの予定ルートの途中にあり、先程訪れた観光地で割引券が手元にあったから。強いて理由を挙げれば、観光三日目で運転して疲れている彼に気分転換をしてもらう為だ。
だから、そこに強い思い入れがあるわけでも、特別な目的があったからでもない。
当時の城主が海の近くに故郷の風景を模して造らせたというその庭園はなかなか素晴らしく、森羅万象をテーマにしたその庭園はそれぞれの場所で異なった趣もあり、そこまで造詣が深いわけでもない私達でも十分堪能できた。運転中虚ろになっていた彼の表情も、海風の混じった庭園の風と陽光を浴びて生気を取り戻していく。写真を撮りながら二人ではしゃいで歩くのも楽しく、ここに立ち寄って正解だったかもしれない。私の気分も開放的になっていくのを感じた。二人で子供みたいにふざけたボーズで写真を撮り笑いあう。
美術館は庭園の片隅に弧を描くような形で建っていた。順路が庭園からこの美術館の二階に入り、一階に降りたら庭園のエントランスへ戻るという流れだった事もあり、興味もなかったけれど、かといってあえて避ける理由もないのでそのまま入る事にした。
……コ……チ……イデ
作者は有名だけど、作品は微妙といったモノが、日本画、書、西洋絵画といった感じに部屋毎に分類されて並べられていた。
私たちはそれらを目に映しつつも大して感動もすることなく、関係ない会話を楽しみながら通り過ぎる。
……ス……ケ……テ……
美術館から出ようとした時、微かな風を横から感じ視線を動かす。出口のちょっと手前にさらに下に降りる階段を見つける。
順路表示はないが、ロープで遮られているわけでもない。
……ダ……メ……
何気なく近付きそっと降りてみて、その場所の暗さと寒さに一瞬戸惑う。
……ニ……ゲ……テ……
間違えて倉庫に入ってしまったのかと思ったものの、馴れてきた目に入って来たものは左右に何か入ったガラスケースに囲まれた通路のような部屋。ここも展示室だったようだ。私はそれらが何かよく分からなかったのでケースに近づきギョッと身体をすくませる。そこには何十体という夥しい数の日本人形が入っていたから。
……イ……デ
展示物というわりにはいれ方が雑で通勤電車に乗っている人みたいに肩がぶつかるような間隔で雛壇状態の所に人形がズラリと並べられている。
薄暗がりに大量にいる日本人形なんてあまり気持ち良いものではない。
あまり光が展示物に良くないのは分かるもののコレでは暗すぎて人形が良く見えなくて、何の為の展示なのか解らない。
「ねえ、何か怖いね」
私は隣にいるであろう彼に声かけるけれど、そこには誰も居なかった。私が階段降りたのに、彼は気が付いてなかったようだ。
私は慌てて戻ろうとしたけれど後ろにはただ壁があるだけ。一瞬慌てるが、冷静に考えると暗くて左右同じようにケースがあるこの部屋だけに、方向感覚がおかしくなっただけなのかもしれない。人形に圧倒されて、知らぬ内に移動していて、反対側に来ていたのかもしれないと思い直す。地下だし部屋もさほど大きくはなさそうなので迷う事はあり得ない。
ア……チハ……ダメ
地下だからだろう、外の陽気が嘘のように寒く私は自分の体を抱き締める。
……キ……テ
暗いのと心細いのもあり携帯電話を手にとり点灯させる。地下だからか圏外になっているけれど、待ち受けになっている彼の写真にホッとさせられる。
……クスクス、ハヤク……オ……イデ
通路が暗い事もあり小幅でユックリ歩いているうちに、人形の立ち方が何か妙な事に気が付く。全ての人形は真っ直ぐ正面を向いておらず、身体を斜めにしており奥のある一定方向を見ている。
……キタ……キタ……
私の進行方向を向いてい為、人形とは目が合わないから助かる。しかし考えてみたら、この先は出口であり、入り口である階段がある筈の所。部屋に入った瞬間、何十体もの日本人形の視線に晒されるなんて、随分悪趣味な展示の仕方をしているものだとも思う。先程は暗くて見えなかったから良かった。
……ウ……ダメ
漸く闇に近い通路の先までたどり着いたが、そこは階段ではなくガラスケースだった。左右のケースとは事なり、そこには幼稚園児くらいのサイズの人形が一体だけ入っているようだが、ライトが壊れているのかシルエットしか見えない。しかし髪の毛がボッサボサで足元まで伸びている感じでその様子だけでも怖い。
その瞬間、突然場違いに能天気な音を発して携帯電話が着信して震えだす。
『ソテ〆コヲ∈ンツク仝ナ々メウゞホ』
画面を見ると電話番号とは思えない文字が表示されている。しかも右上のアイコンを見るとまだ圏外のまま。
戸惑い、鳴り続ける携帯電話を体から離した時に、ディスプレイの光が正面の人形を照らす。
ボサボサの髪に覆われたその顔が見えてくる。それは何とも言えなく気持ち悪かった。着物もボロボロで顔もひび割れていて、目の下が黒く薄汚れていて隈のようになっている。ボロボロで色褪せた感じなのに唇だけはやけに紅く綺麗な色をしていた。
日本人形の目ってこんなに光を受けて輝くモノなのだろうか? そう考えていると、人形の顔がゆっくりと上を向き私と目が合う。真っ赤なその唇がニヤリという感じで動き、私はヒッと思わず声をあげる。 思わず一歩後退る私の手をなにかが掴む。気が付くと人形と私を隔てていた筈のガラスがなく、その人形が私のすぐ側に立っており私の腕を掴んでいた。私の掌から携帯電話が落ちるのを感じたけれど動く事ができなかった。
見上げている人形の口が動き、何かを私に告げてくる。
『ツ カ マ エ タ』
音は聞こえなかったけれど、その内容は何故か私に届いた。
キャハハハハ
アノコモ、ツカマッチャッタ
カエリタイ、カリタイ……
ナカマフエタ、フエタ~
タスケテ、タスケテ、タス
イヤァァァアァァアアアアァァアア
クスクスクス
フフフフ
ア~ア
そんな囁くような声が一斉に頭の中で鳴り響き、視界が暗転して私は闇に堕ちていく。
※ ※ ※
「やだ~何? ここ! チョットとキモくない?」
そういう女の子の声で私は意識を取り戻した。身体が重いというか、指一本動かすことができない。
「ねえ、カヨここ、なんかヤバいよ、入らない方がいいよ」
少し怯えた女の子の声が聞こえる。
視界がゆっくりと戻ってくる。辺りは薄暗く、私はまだあの人形の部屋にいるようだ。声のする方向を見たくても首を動かす事も出来ない。
叫んで助けを呼ぼうとしても、口も開かなければ顔の表情も動かす事が出来ない。そして相変わらず寒い。
タスケテ
心の中で私は思いっきり叫び、部屋にいるであろう、その子らに助けを求める。
「なに、ミヤ、もしかして怖がってるの? 結構ビビリだよね」
ワタシハココ、タスケテ!
二人の会話を遮るように訴えるが、届く訳もない。声が出せないのだから。
「違うって、ここマジ、ヤバいって」
二人の女の子の声を聞きながら私は今の自分の置かれている状況がだんだん分かっていくる。どうやら立ったままの体勢でいるようだ。そして目の前にはガラスがあり、目の前を二人の高校生くらいだろうが巨大な女の子が通り過ぎていく。否、二人が巨大なのではなく、私が小さくなっているのだ。そして周囲に人形が私と同じように立っていて、それらの人形が二人の女の子に向かって様々な音なき囁き声をぶつけている。
ダメ! ハヤクモドッテ……
ソノママ、オクニイッチャイナー
ハァハハハハハハハハ
アンタラモツカマッチャイナ~
マタ、ナカマデキル……
バカガキタヨ
私の視界の中で、二人の女の子は部屋の奥へと進んでいってしまう。そして悲鳴が二つ聞こえ、その後何の音もしなくなる。
そして部屋には人形達の音なき囁く声だけが残り満ちる。
シクシクシク
ア~ア、ツカマッチャッタ
ザマーミロー
ココカラダシテ、ダシテ、ダシテ
ウ~……アー……
タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ
モウヤダ、コンナノ、シニタイ――
クククククククク――
イアァァァアアアアァアアアァアアアアアァアァァァァッァァァ
コロシテ、コロシテ、コロシテ、
……カ……エ……リ……タイ
…………イ……ヤ…………
……ハァハハフハァァァァァァァ……
……ミン……ナ……シ……ネ……
……ツ……イ…
……サムイ……
……ーー……
……ゥー……
……ッ……
……
・・
ァ
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