ファインダーの奧の欲望
今や持ってない人がいないというくらいの、携帯電話及びスマートフォン。もしこの中のデータを見知らぬ人に見られるとしたら、何が一番恥ずかしいのだろうか?
メールデーター? スケジュール? ネットの履歴? 実はそれよりも、持ち主の内面を晒してしまう恥ずかしいデータがある。
それは写真データー。
そう言うと、俺が人に見られたら恥ずかしい写真を撮っているかのように思うかもしれない。決してそういう訳ではない。
俺がそう主張するのは、写真とは日常生活の中でその被写体を選んで撮影するという事で、その人物の欲望が投影されるものだから。大げさに思う人もいるかもしれない。しかし今の時代、常に手元にあり、よりプライベートな空間に写真データーは保存されるのである。自分がその光景の中に何を見いだし、何を感じ、記録していったのか? その意志は何によるものだったのか? 改めて考えてみると分かると思う。
俺がそう考えるようになったのは大学時代にDPEショップでバイトしていた事にある。写真って実は怖いものなのだと知ったから。
今とは異なり、その当時はまだフィルムカメラが元気だった時代。そのお店は商店街の端っこにあった。暗室で何かをするというのではなく、お客様からも見える所にある場所でフィルムのベロをだし、機械に入れ現像する。出てきたフィルムを注文袋と一緒にラックにかけ。その日の現像担当がそれを順番に焼きつけ機でプリントする。
フィルムよりやや狭い画角に仕上がる写真のどの部分を焼き付けるか? どの濃さで焼き付けるのかを選択するといった多少のセンスはいるけれど、特別な能力は無くてもコツさえ誰でも出来る作業である。
そんな作業をしていると自ずと見えてしまうのは、フィルムの中身。新しい家族の誕生、結婚式の様子、デートの一時、そこには様々な人生の一場面が写し撮られている。人の生活をのぞき見しているみたいで、最初の内は楽しかった。そうして、だんだん分かってくる、人は思ったよりも広く世界を見ていないという事が。
例えば赤ちゃんを抱いた妻が目の前にいる。しかし写真を撮った男性は赤ちゃんにしか意識がいってないようで、明らかにカメラに向かって微笑んでいる妻の顔は全て見切れているのだ。赤ちゃんだけが真ん中で様々な表情を披露していた。また友達同士でキャンプに行ったと思われる写真でも、一見無作為に楽しい時間をとったように見えていてそうでない。好きであろう女性がメインで、どうでも良い存在はそれなりの扱いでフィルムに焼き付けられている。その人物が自分の世界をどのように見ているかが露骨に表現されるもの、それが写真なのだ。撮影者がそれを撮影しようとした段階で想いであったり、欲望であったり感情が具象化されてしまう。
欲望といったものがモロに出た内容のモノも、時たまやってくる。明らかにやっている時の写真や、それって所謂そういうのプレイの最中だよね? といったものとか。あまりにも露骨なモノは規則によりプリントはしないでスルーをするのだが、店長曰く『芸術の範疇』のものは苦笑しながら焼き付けをして、取りに来た客にも『コチラの写真で宜しいですね』と確認して渡す。驚くべき事に受け取る相手はまったく恥ずかしがることもせずにニヤニヤと嬉しげにその写真を確認して金を払って帰る。よく分からない神経である。
そういった写真はまだ、撮影者と被写体が合意の上で行っているから可愛いものである。
俺は、お店の常連客ともいえる男性の写真にあるとき違和感を覚えた。その男は細身の身体で眼鏡をかけた大人しそうな男である。そしていつも大きいカメラバックを下げていた。男が細いだけに『そのバックは重そうだな』というどうでも良い事を俺は考えていた。その男はバックから毎週月曜日に三十六枚フィルムを四本から七本取り出し、現像プリントを注文してくる。写っているのは結構可愛い女の子だった。ロングのストレートヘアーにつぶらな瞳、少しぷっくりした唇がまた良い感じで、顔全体は柔らかく優しい感じ。清純さにどこか色っぽさも感じるそんな女性だった。最初の内は彼女の写真だと思っていたが、明らかにオカシイという事に気が付いてくる。まず一つはどの写真もピンは女性にはバッチリあっているのに、背景がやけにボケボケ状態である事。もう一つは女性が自然体過ぎる事。全くカメラを意識していないようにみえるのだ。笑っているときもカメラの方ではなく若干違うポイントを見つめている。逆にカメラの手前にいるであろう男性を見つめている事が全くない。そこから導き出される事は一つ。これは望遠レンズで隠し撮りされた写真という事である。
俺はコレは流石にヤバいと思い店長に報告したが、店長は『ああ』と顔を歪めて『それがそういうものだと決まったモノでもないし』と面倒くさそうにな様子で取り合ってくれなかった。思えば店長も気が付いていたと思う。しかし面倒な事に巻き込まれる事を嫌がったのだろう。それにその男性はそのお店の上得意でもあったから。
俺はその客が来る度に、ドキドキしながらフィルムを受け取り現像しプリントして男性に渡すという日々が続く。毎回その男は『コチラの写真で宜しいですね』と言う俺の言葉に頷きその写真を嬉しそうに愛しげに見つめる。しかしその二人離感は縮まる事はないようで、写真の中の女性はカメラに笑いかけるどころか、視線を向けることはなかった。
就職が決まり、そのバイトも辞め、その男との接点も全くなくなり、そんな事があった事すら忘れていた頃、俺はその女性の写真を思いもしない形で見ることになる。
『――市において殺された田中恵子さんは、三ヶ月も前から警察にストーカー被害を訴えていたのですが――』
『警察は本当になにやっているのでしょうか? こんな事ばかりでは怠慢としか言いようがありませんよね――』
朝、BGVとして流していたTVニュースから自分の住む都市が出てきたので、画面に視線をやると、そこにあの女性の姿があった。成人式の為か着物姿でカメラに向かって微笑む写真の下に『被害者の田中恵子さん(二十一歳)』とテロップがついている。続いて現れた警察に捕まり連行されている犯人は、俺が大学時代に毎週のように顔を合わせていたあの男。あの時はまだ小綺麗にしていて、清潔な感じだったが、テレビに写った男は髪の毛もボッサボサで無精髭も生えていて荒んでしまったその男の精神状態がそのまま現れているようだった。
言葉にならない恐怖と、激しい後悔が俺の中で湧き起こるが、今となってはどうしようもない。それにあの時の俺に何が出来たのだろうか? 男にそんな事はいけないと言うべきだったのか? 警察に訴えるべきだったのか? 分からない。放置した結果あの男は間違えた方向に突き進み、一人の女性が亡くなった。それだけが事実である。俺が一番思った事は、その男の撮影した写真を見なければ良かった。その事だけである。見なければ何も気付かなかった。罪悪感も覚える事もなかった。
本来、大切な時間を記録して、後々それをみんなで楽しむ為の写真、それが個人個人で楽しむ為のものになってしまった今の時代。他者に委ねなくても撮影した写真を管理できるようになった。それだけに、よりそこはディープな世界になっているのではないだろうか?
一度自分のデーターを見直してみると分かると思う。そこに、自分が何を見つめてきたのか? そしてそれをどのような気持ちで見てきているのか? 視線の手前にいる自分が生々しく映し出されてされているから。