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トカゲになった天才魔術師は悪評令嬢に拾われる

掲載日:2026/07/09

待て待て待て…


嘘だろう?


血のような赤色の不気味な瞳を最大限まで見開いてウィンリックは自分の手を見下ろす。


まごうことなく土色の…トカゲの手だ。


「チッ。失敗した。」

「どこに向けて打っているんですか、キーフェイス殿下。人に当たったら大変なことになっていましたよ。」

「いや、虫が飛んできたから思わず…。あぁ、あの猫、逃げてしまったか…。クソ…魔力が尽きた…。」

「とにかく人に当たらなくてよかった。殿下の変化(へんげ)魔法は解けるまでに一週間はかかる最上級魔法ですから。で、何に変化(へんげ)する魔法だったのです?」

「トカゲだ。あの澄ました精巧な人形女が苦手な。」

「ハハ…殿下も人が悪い。氷のようなあの女にもトカゲが苦手だなんて、可愛いとこもあるのですね。」

馬鹿にしたように笑いながらその場から離れていく数人の令息達。

その中心にいるのはこの国の第二王子であるキーフェイス殿下だ。

周りにいるのが彼の側近である宰相の次男、ビルモンド侯爵家のデニスと騎士団長ジェット子爵の末息子のライアン。そしてウィンリックの義弟のジャイロ…。



変化(へんげ)魔法はこの国で使用が禁止されている魔法だ。もともと極めて複雑なその魔法は王家にのみ伝わる秘術だ。外で軽々しく使って、上級魔術師にでも見られたら、その魔術式が解析され悪用される危険がある。万が一、悪意のある者達にその魔術式が伝われば、その魔法を使って人が違う生き物に変えられ、殺害や失踪事件を引き起こす可能性があるのだ。この魔法は王から直接教えられる王子教育の一環として伝授されるもので、絶体絶命の状況で身を守るための最後の手段として位置づけられている。

当然ながらこのような学園で気軽に試してよい魔法ではない。大量の魔力を消費するため、一度使うとしばらく魔力が貯まるまでに相当時間がかかる魔法だ。そのため、いざと言う時に魔法が使えない事態に陥るのだ。


バカ王子はその危険性がわかっていないのか?

木の上で様子をうかがっている時に、飛んできた虫に驚いて、的を外した彼の放った魔法に当たるなんて油断していた。


数日前、魔術塔最高責任者である王弟殿下より密命を受けた。


「ウィンリック。頼みがある。甥のキーフェイスの婚約者の様子を探ってくれないか。」

「はぁ?なぜ俺が?」

つっけんどんに答えたウィンリックに、苦笑いを浮かべた王弟殿下であるロマノフ様が小さくため息をついた。

「キーフェイスの婚約者が、どうも学園で下位の令嬢達を虐めていると噂になっている。そのうえ、頻繁に市井へ降りては、平民の男達と会っているとか、家に男を連れ込んでいるとか良からぬ噂があってな…。高位貴族の令息達からも声が上がっているし、実際に見たという声も聞く。キーフェイスは第二王子で、いずれ婚約者であるヴァレオーリー侯爵家に婿入り予定で婚約が決まったが、さすがにそのような令嬢と縁を結べば、王家の威信に関わる。だが…私はそれが真実だとは思えないのだ…。」

唸るような悩まし気な声を出したロマノフ様に続きを促すようにウィンリックは視線を送った。


「…ヴァレオーリー侯爵令嬢は魔力量が多く、神童と呼ばれたほど頭脳明晰。そして幼い時から母親と共に慈善事業に尽力している真面目な人柄だと聞いていた。そのうえ、あの厳しい事で有名な淑女教育の師であるサリバン女史が完璧だと認めた令嬢なのだ。最初はぜひ王太子の婚約者にと名があがったほどだったが、彼女は一人娘で、侯爵家を継ぐ立場。泣く泣く諦めたという過去がある。しかしそれならと陛下が第二王子であるキーフェイスとの婚約を調えたのだ。そんな令嬢が学園に入ってから急に人が変わるだろうかと…。」


「…だからと言ってなぜ俺が…?王家の影もついているでしょうに。そちらに任せたらどうですか?」


「いや、それが陛下はキーフェイスに影をつけてないのだよ。本人が絶対につけるなと嫌がってね。その分、護衛は多くつけているが、その護衛達もことごとく彼女の素行の悪さを訴えている。」

「じゃ、きっとそんな女だったんじゃないですか?」

「こらこら。それが不自然だって話をしているのだよ。ウィンリック。上司命令。様子見てきて報告するように。こっちはしばらく休んでいいから。」

「え?休みなんていらないですよ。俺、魔法に関わってないと死ぬ病気なんで。」

「むしろ休みなさい!君くらいのもんだよ。泊まり込みで年がら年中魔術塔にこもって魔法の研究ばっかりしている魔術師。とにかく、二週間!学生に戻ったと思って学園に行って様子見て報告しなさい。」


圧のこもった笑顔を向けられたまま魔術塔を追い出されたウィンリックは、仕方なくキーフェイス殿下とその婚約者の様子を見に学園へとやってきたのだが…。


知れば知るほどクズなバカ王子だった…。

何度か夜会などで見た事はあったが、その時は王族らしいオーラを纏った明るい王子に見えたが…。


ウィンリックはうんざりするようにため息を吐いた。


令嬢達を侍らしてるのはキーフェイス殿下の方だ。

見た目だけはやたらと整っているからな。金髪に碧眼。細いが背は高く姿勢が良い。ニコニコと笑い、穏やかそうだが、婚約者のヴァレオーリー侯爵令嬢の前だと豹変する。


ザ・俺様


授業のノートは彼女にまとめさせ、試験問題は予想問題を彼女に作らせる始末。

頼むときだけ偉そうに人を使って呼びつけ命令し、そのくせランチや放課後は別の女と過ごしている。

見たところ、常に一緒にいるのがファルモット伯爵令嬢のエレイン嬢だ。

ベタベタと手を回していたるところでくっついている。

胸のやたら大きな女で、いろんな令息達と距離も近い。殿下の護衛達にもしょっちゅう差し入れだと言いながら近づきベタベタと体をくっつけている。


え?こっちが噂の婚約者ってことはないよな?

噂通りの令嬢なら間違いなくエレイン嬢の方だけど。


男たちのいない場所では下位の令嬢達にしょっちゅう嫌がらせして常に高圧的な態度だ。

「あなた達、殿下に色目を使ったでしょう?身の程も弁えず、図々しいわ。殿下が愛しているのはこの私よ。美しくもなく、爵位も低い。つまり品性の欠片もないのだから、近づかないで!今度近付いたら、ご実家がどうなるかわからないわよ。」


「貴女の無くしたバッグはセアラ様が池に捨てていたわよ!殿下に近付くから怒ったのね!婚約者の身でありながら愛されない鬱憤をあなた達で晴らしているのよ!ざまぁないわね。」


わけわかんね~。

しかも濡れ衣だし…。

ずっと見てたけど、子爵令嬢のカバンを放り投げたのも、男爵令嬢に足をかけて転ばせたのも、エレイン嬢だ。

それなのになぜか犯人はセアラ嬢だと噂が拡がる。


王子がクズならこっちはクソだな。

貴族怖い。いや、今は俺も一応貴族だけど。


げんなりした表情で噂の本人、セアラ嬢も観察する。

しかし当のヴァレオーリー侯爵令嬢ことセアラ嬢は…はっきり言ってずっと無表情。

氷のような…とか人形のよう…だとか色々言われているけど確かにそう言われてもおかしくないくらいずっと無表情。

キーフェイス殿下に罵声を浴びせられようが、筋の通らない命令をされようがずっと同じ顔。

感情ある?ってくらい何事にも動じず。

だからこそキーフェイス殿下が苛立つんだろうけど。

ただ…正直うっとりするくらいには美人だ。それはもう…信じられないくらいに…。

昔…どこかで…夢だったか…?何かで見た妖精みたいだと思った。

いくら無表情だろうがあの美人を目の前にしてよくバカ王子、暴言吐けるな。

女に興味はないが、美醜の区別位つく程度の俺でも、初めて見た時魂抜けたかと思うくらいにポーッと見惚れてしまったくらいだ。


それにしても…この変化(へんげ)魔法、どうするか。

魔法を見た瞬間に魔術式の解析できたから解除することは可能だろうけど、正直時間と魔力を結構使う。

それだけ面倒くさい魔法ってことだ。

命に関わらない限り、このまま待てば解けるだろうから、しばらくトカゲ生活を送るしかないのか。

バカ王子の側近共が最上級魔法だから解けるのに一週間はかかるとか誉めそやしていたが、本来の変化(へんげ)魔法はかけた者が解除しない限りずっと解けない強力な魔法だ。

王子は魔力も中途半端で精度も未熟なため、正確には一週間しかもたないのだろう。

いや、トカゲって…。

ほんと、もう少し動きやすく可愛い犬とか鳥とかさぁ…。色々あっただろうに。


コソコソと裏庭に側近たちを引き連れて行くもんだから、何か良からぬことでも考えているのかと後を追ってみれば…。まさか裏庭によく訪れるセアラ嬢への嫌がらせのために、国で禁止されている変化(へんげ)魔法をそこに住みついている猫にかけようとするなんて。子供だな…。


側近のデニスの言葉から変化(へんげ)魔法が初めて使ったのではない事が伺える。

国家機密だっての…。

この中途半端な魔力量なら確かに一週間ほどで解けるな…。

仕方なく、ウィンリックは短い脚を使ってスルスルと木をつたい地面に降りると、目の前に変化(へんげ)魔法の危険から逃れた猫がこちらを見つめていた。

「ニャ!」

一声鳴き声を上げると、ピョンッとこちらに飛び掛かってくる。


やば…!!


急いで逃げるが、こちらは手の平サイズの小さなトカゲ。

追ってくるおもちゃを見つけたような好奇心一杯の目をした猫の追撃から逃れるには分が悪い。

慣れないトカゲの手足を動かし、逃げながら、仕方ない、魔法を使うか…とそう思った時…。

「アビゲイル…?何をしているの?」


鈴を転がすような可愛らしい声が聞こえた。


その声に反応した猫がニャ~ンと甘える声を出してその声の元へ身をひるがえした。


助かった…。


見上げると、そこには猫を抱き上げたセアラ嬢が立っている。

「フフ…何を追いかけていたの?」

そう言ってこちらを振り返ったセアラ嬢の綺麗な菫色の瞳と目が合う。

その瞬間、彼女は固まったようにゆっくりと目を見開いた。


しまった…。

さっき、あのバカ王子、セアラ嬢の苦手なものがトカゲだとか言ってたよな…。

叫び声を覚悟したその時…


「可愛い!!紅玉の瞳のトカゲだなんて初めて見た!」


ん…??


何か目をキラキラさせてない?セアラ嬢…。

え?この子、あのいつも無表情のセアラ嬢だよな?

混乱している間に目の前にそっと近づき、猫を抱いたまま、指でそっとウィンリックの頭を撫でるように触れた。


猫がその手を同じように俺に向かって伸ばそうとすると、

「ダメよ、アビゲイル。怖がっているでしょう?」

そう言って柔らかく笑う。

そして猫をそっと俺から少し離れた場所に下ろすと、持ってきたらしい食べ物を与えた。

嬉しそうにがっつき始めた猫をしばらく微笑ましげに見つめた後、またこちらを振り返った。


おっと…、しまった!

固まったままだった、俺。


そしてまたキラキラした目で近づくと、優しく両掌をウィンリックの目の前へ出した。

「おいで。ここはアビゲイルの縄張りなの。あの子は良い子なのだけど悪戯好きだから危ないわ。安全な場所へ逃がしてあげる。」


信じられないくらいに可愛らしく笑う、その天使のような笑顔に思わず素直に足を進めてしまった。

柔らかく白い掌に乗ってからハッと我に返る。

しっかりしろ、俺…!


「フフ、可愛い。ずっと前にね、私の家の庭でお茶会をした時に、キーフェイス殿下ったら日向ぼっこしてたトカゲを見つけてキャーッて女の子みたいに叫んだのよ。叫んだあと、恥ずかしかったのか、慌てて走ってきた護衛に、今の声はセアラの声だって言い訳して…。恰好悪いったらなかったわ。だから殿下に見つかったら面倒臭いことになるから、我が家にいらっしゃい。一緒に帰りましょう。」


…そういうことか…。

トカゲが苦手なのは殿下の方か。

恥ずかしい思い出の記憶が改ざんされたのか。

いや、それにしてもトカゲを可愛いなんて言う令嬢もいないと思うぞ。


赤い目をパチパチとしながら見たことのないくらい表情豊かなセアラ嬢を見つめる。

学園でしか観察してなかったが、確かに家で過ごすセアラ嬢を見るのも仕事か。

ロマノフ様はキーフェイス殿下の婚約者の様子を見てこいと言ったのだから…。

それにしても…いい匂いだな…。

花のような香りがする…。

いやいや!若い令嬢になんてこと考えているんだ!


「紅玉の瞳だなんて、あの有名な天才魔術師様みたいね。」

ギクッと心臓が跳ねる。

…悪魔の目をした稀代の天才魔術師…。

それはウィンリックの事だ。チェルブライト伯爵家の令嬢だった母が、平民でありながら強い魔力を持ち、魔術塔の魔術師として働いていた父と出逢い恋に落ちた。母は親が勧めた縁談を断り、家を出て父と所帯を持った。そして生まれたのがウィンリックだ。

ウィンリックが十歳の時、両親は不幸にも揃って事故で亡くなり、伯父であったチェルブライト伯爵が妹の遺児であるウィンリックを引き取り養子に迎えてくれたのだ。

しかし、伯父は穏やかで優しい人柄だったのだが、その妻と息子である義弟のジャイロは俺の存在を良く思わなかった。伯爵家を乗っ取られるとでも思ったのか、ことあるごとに嫌がらせをしてきて、あの家での居場所はなかった。

そんな時、魔術塔最高責任者だったロマノフ様が声をかけて下さったのだ。


当時既に相当な魔力の持ち主だったウィンリックをロマノフ様は魔術師として育ててくれた。

子供の頃から気持ち悪い、悪魔みたいだと言われていたこの紅玉の瞳のせいで、人間嫌いになっていた俺は魔法にのめり込み、そのうちこの国で右に出る者がいない、希代の天才魔術師と呼ばれるようになった。

社交界にほとんど姿を現さず、魔術塔にこもりきりの俺を、世間から変人だの、悪魔だの好き放題言われているのは知っている。

まぁ、その通りなのだから別に気にしていないのだが。


セアラ嬢の手の上で静かに佇む俺に穏やかな目を向けるセアラ嬢は、とてもじゃないが噂されているような高慢で冷たい人形のような令嬢では決してない…。

トカゲに向ける目が優しいってなんだ。


「ここに隠れててくれる?馬車までは人が沢山いるから。」

そう言ってセアラ嬢はウィンリックを自分の肩の上へ誘導する。

素直に肩に乗ると、すぐ間近で長い睫毛に縁取られた宝石のような菫色の瞳に見つめられる。


「言葉がわかるみたい…。賢いのね、あなた。そうね、あなたの名前はリックよ。敬愛する魔術師様と同じ名前。フフ、素敵でしょう?」


ドキッとトカゲの胸が鳴る。チロチロと長い舌が出るけど、無意識だ。いや、なんだか本格的なトカゲだな…。この魔法地味にすごいな…。確かに禁止しないと、事故や行方不明者だらけになる魔法だ。

それにこの子は…セアラ嬢は本当の…魔術師としての俺に対して嫌悪感を抱いていないのだな…。敬愛するって…言ったよな…?


ウィンリックが柔らかい銀色の髪と襟の隙間に入ると、セアラ嬢は猫に声をかけてから歩き出した。

揺れの少ない歩き方。やっぱり歩き方も姿勢が良くて慎ましい。

さっきより強く香るいい匂いに、やたらとドキドキしてしまう。

香水のような人工的な匂いじゃない。石鹸なのか彼女本人の香りなのか…甘くて花のような香りがする。


「あら、セアラ様。お帰りですか?」


甲高い耳障りな声が聞こえて、セアラ嬢は足を止める。

「エレイン様…。」

静かないつもの感情のこもらない声。

ウィンリックは息を止めた。


「まっすぐお帰りなのね。わたくしは今から殿下とお出かけですの。あ、もちろん側近の皆さまも一緒ですから安心して下さいませね。…宜しければ、セアラ様もご一緒なさいます?」

「…いいえ。用事があるのでご遠慮致します。それでは…。」

「フン…。人形のように心を隠しても、本当は殿下の寵愛を受ける私が羨ましいのでしょう?」

苛立ちのこもる声に、セアラ嬢が何も言わずいると、後ろからうるさい足音が近づく。


「どうした?エレイン。」

甘さが込められた良く通る声が聞こえて、エレイン嬢が振り向きざまに一瞬で表情を甘く変えた。

「キーフェイス様ぁ!」

可憐な表情を作り、甘えるようにキーフェイス殿下に駆け寄ったエレイン嬢に、ウィンリックは気持ちが悪くなる。

え?なに、変身魔法?


「なんだ…いたのか、セアラ。貴様、エレインにまた何かしたのではないだろうな?」

「キーフェイス殿下。ごきげんよう。また…とは何の事でしょう?」

「違うのです!…キーフェイス様が私と出かけると知って、身の程を弁えろと…少し詰められただけ…ですわ…。」

うるうるっと大きな目をパチパチと瞬き、あんぐりするほどの嘘を当たり前のようについた。


わー…ほんと、女って怖ぇ…。

そしてこの女、香水くせー…。離れてても強く匂う。…ん…?


「ふん、そんな態度だから、俺に愛されないのだ。エレインのようにもっと素直で可愛げがあればいいものを…。」

側近たちと馬鹿にするように息を吐くと、エレイン嬢の腰に手を回す。


おいおい、仮にも婚約者の目の前で…。

ほんっとクズだな、この王子。


「行こう、エレイン。今日は君の欲しいものを何でも買ってあげよう。」

「わぁ、嬉しい!キーフェイス様って本当優しい!」

横目でこちらを見ながら勝ち誇ったように笑ったエレインがうるさいバカ軍団と共に去っていく。


無言で静かに頭を下げて彼らを見送ったセアラ嬢は、馬車へと歩を進めた。

屋敷に着くと、迎えの侍従が鞄を受け取り、手を差し出した。

「おかえりなさいませ、お嬢様。」

「ただい戻りました、アイザック。」


アイザックと呼ばれた若い侍従は嬉しそうにセアラ嬢を見て笑う。

まだ、十代半ばといったくらいの年齢だ。

その横にはまだ12、3歳くらいの若い侍女が並んで迎える。

「おかえりなさいませ、お嬢様。」

「ただいま、リンカ。」

穏やかに笑うセアラ嬢は学園とは全く雰囲気が違う。


「リック、出ておいで。皆に紹介するから。」

そう言って首元まで手を伸ばしたので、素直にウィンリックはスルスルとその手に乗った。


「まぁ!」

リンカが目をまん丸にして驚くと、アイザックが呆れたようにハッと息を吐いた。

「お嬢様、また、拾って来たのですか?」

「またって…。違うの。この子は学園のアビゲイル…猫の縄張りであの子の遊び道具にされそうだったのを保護したのよ。」

言い訳するように話すセアラ嬢がなんだか急に可愛らしい少女のようだ。

パチパチと赤い目を瞬いて見ていると、その様子を見ていたアイザックがへー…と呟いた。


「このトカゲ、魔力がある…。」


あぁ、この侍従、わりと魔力が高いな。

隠している俺の魔力に気付くとは…。

「そうなの。敬愛する偉大なる魔術師、ウィンリック様と同じ色の目をしていて魔力もあるトカゲってすごいでしょう?我が家で飼おうと思っているの。」

「はぁ?…また、奥様に怒られますよ…?」

「その時は一緒にお願いしてくれるでしょう?アイザック。」


困ったように上目遣いで見上げるセアラ嬢は犯罪級に可愛い。ほら、この侍従も真っ赤になってうろたえているし。


「わ、私は!お嬢様と一緒に奥様にお願いします!!」

尊敬のこもった熱い瞳を向けてセアラ嬢に声をあげたのは後ろにいたリンカと呼ばれた侍女だ。

「ありがとう、リンカ。大好きよ!」

輝くような笑顔で笑ったセアラ嬢に、「はひ…」と、顔を真っ赤にして涙を浮かべる侍女…。


なんだこれ。

学園での様子と違い過ぎない?

さっきのエレイン嬢が変身魔法だったとしたら、セアラ嬢は呪いが解けたお姫様って感じだ。

家ではこんななのか、この子。

あぁ…、クソ可愛い…。


ボンヤリと見惚れてしまっていたようで、思わずハッとなる。

顔、赤くなって…いやいや、全身土色のトカゲだった。

思わずため息をつく。


そういえば、調査書に、たしか借金で首が回らなくなって没落した男爵家の幼い兄妹を、セアラ嬢が借金を代わりに返済して引き取ったと書いてあったな。この二人がそれか…。

どういった経緯だったのかわからないが、トカゲの俺を連れ帰るくらいだ。

見捨てられない優しい性格なのだろう。


「許しません!!ト…トカゲなんて!!」

キーキーと怒るヴァレオーリー侯爵夫人の横で、苦笑いの侯爵。

「まぁ…拾ったからには最後まで責任を持ちなさい。」

ため息をつきつつ、トカゲの飼い方について調べるように指示を出す侯爵に、

「あなた…!」と、夫人は涙目になる。


「でも、お母様、見て、よく見ると可愛い顔しているのよ?ね、リック。」

そう言って掌に乗せたウィンリックを見えるように目の前まで持ち上げたセアラ嬢に、夫人がイヤーッと声をあげて部屋から出て行く。


まぁ…女性のトカゲへの対応は普通はこれだよな。


「可愛いのに…。」

そう呟いてそのまま自室へ戻ったセアラ嬢は、俺を侍女が恐る恐る用意した(トカゲ)用の籠にそっと下ろした。


「リックは何を食べるのかしら?トカゲだから…虫…?」


やめてくれ!!

ゾワッと寒気がして全力でブンブンと横に首を振る。


「じゃぁ、果物とか…?」


あぁ、それなら…。

うんうんと頷くと、綺麗な菫色の瞳をまん丸にしている。

「驚いた。本当に私の言葉がわかっているみたい。すごいわ、リック。天才トカゲね。」


あ、しまった。そうだよな。俺は今トカゲだった…。

でも虫は食べない。断じて!!


しばらくして小さく切った果物と湯がいた鶏肉を入れた小さな皿を目の前に置かれ、ジッと見つめられる。

その期待した表情が可愛くて、仕方なくウィンリックは口を開けて果物にかじりついた。

トカゲなのでカパッと口を開いてチラチラと舌を出して食べる様子を見ながらキラキラした瞳を向けられると、何ともくすぐったくなる。


「可愛い…。」


すぐ傍に控えていた先ほどの少女も興味津々といった表情で食事をするウィンリックを見ている。

「なんだか食べてる様子は怖いですね。」

「カパッて開ける口元、可愛くない?」

「そうでしょうか…。お嬢様の可愛いの範囲が広すぎるのですよ。猫でも犬でも売られそうな子供でもすぐに保護してしまうのですから…。兄と共に助けて頂いた身の上ですが、私はお嬢様が心配です。お優しいその性格が悪い人たちに利用されないか…。ただでさえ、事実無根な噂が拡がっているのに…。」


「フフ…。ありがとう、リンカ。私は平気よ。あの噂はエレイン様が触れ回っていることは知っているわ。あのお二人が真実思い合っているのなら、さっさと私と婚約解消して下さればいいのに…。」


それはないな…。

キーフェイス殿下はいくらバカでも自分が婿入りする身であることはさすがにわかっているはずだ。

それとも解消して陛下から爵位を貰ってエレイン嬢を迎えるつもりなのか?

エレイン嬢は伯爵令嬢だが、ファルモット伯爵家の後継には彼女の兄がいる。

陛下は聡明な方だとロマノフ様は言っていた。王命で結んだ婚約を反故にするような第二王子に爵位を叙爵するだろうか。そもそも大公位を授かったロマノフ様のような国に貢献出来るような魔術の才能もなく、あの様子だと頭の出来も悪そうだ。


それにしても…あの女…

何か…おかしな魔力を感じたな…。

強い魅了の類か…。しかし本人に魔力はほとんどなかった。

身に付けているあの強い香水か?

もう少し近付いて調べたいな。

魔力量が桁外れなウィンリックに精神系魔法、魅了や催眠の類は効かない。

多分、同じく魔力量が多いセアラ嬢も効いていないようだ。


その時、トカゲであるウィンリックから怯えるように離れた所で控えていた年配の侍女が声をかけるのを聞いて、固まる。

「お嬢様、服に猫の毛が付いておりますし、先に体を清めてお着替え致しましょう。」

「そうね。」



は?


着替える?


ウィンリックが固まっている間に、侍女に手伝われながら、セアラ嬢が制服を脱ぎ始めた。


わ~!!

待って待って…。

見たいけど見たらダメだ…!

サッと籠の中にあった布の下に隠れる。


侍女たちと楽しそうに話しながら、布が絨毯の上に落とされる音が聞こえる。

そしてそのまま隣にある浴室へ向かったようだ。


はぁ…心臓に悪い…。

俺は恋愛事に興味はなかったが、一応性別男なのだ。

当たり前にそういった欲はある。

面倒だから避けていただけで…。

そんなことを考えている俺は相変わらず全身土色だけれども。


それにしても…家でのセアラ嬢は等身大の普通の可愛い17歳の少女だった。

人形だなんだと言われている姿とは程遠い。


よく笑い、猫にアビゲイルだなんて大層な名前を付けて餌を与えたり、トカゲを保護してリックだなんて名前を付けたり…。


セアラ嬢の事をもっと調べたくて、そしてエレイン嬢の香水についても確認するため、俺はトカゲの姿でセアラ嬢にくっついてどこへでも行った。

出かけようとする度にスルスルと首元まで登ってくるトカゲに、最初は驚いていたセアラ嬢も、何度か続くと当たり前のように「リック、行くわよ。」と、声をかけて手を出してくれるようになった。


市井で男たちに会っているという噂の誤解はすぐに解けた。

彼女の行う慈善活動の一環で、支援している孤児院から卒業して自分で生活していかなければならない年齢になった16歳以上の子供達が働ける居場所を作るため、自分で立ち上げた商会やお店で従業員として雇う活動をしていた。

セアラ嬢は彼らの様子を定期的に確認し、足りないものはないか、必要なことはどんなことか話を聞いたり、改善しながら彼らの生活を支えていた。

大恩あるセアラ嬢に少しでも返せるようにと真摯に働く彼らは、商会を予想以上に繁盛させているようで、そこで得た利益を、また、孤児院の運営や、アイザック、リンカ兄妹のように家の借金や没落で売られそうになる子供の保護やその借金返済に充てるなどしているようだ。

もちろん、セアラ嬢の活動はヴァレオーリー侯爵家がしっかりサポートをしている。


ほんと…噂ってアテにならないな。

優しい目でウィンリックはセアラ嬢を見つめた。


下位の令嬢を虐めているという事実もなく、魅了の魔力を纏ったエレイン嬢の嘘に誘導された者達が広めた完全なるデマカセだった。

王家がつけた護衛達まで魅了の魔法にかけられているのは何とも情けない話だが、一定の距離に近付き、触れることでさらに深く魅了がかかるようだ。エレイン嬢が頻繁に護衛達に差し入れだ何だとベタベタ触れるのもそのためか。

離れた場所で護衛する影の存在は、魅了するのも難しく、確かにエレイン嬢にとっては邪魔でしかないだろう。だからこそ、影の存在をキーフェイス殿下本人から外すように誘導したのか。


あれから一週間。

またもやウザく絡んできているエレイン嬢を目の前に、いつも通りの無表情で対峙するセアラ嬢の襟の隙間から彼女を見つめる。

それにしても魅了魔法は高度な魔法で、直接相手に魔法をかける以上に、これほど高確率で効く魔法を香水という媒体に纏わせるのは難しい。俺ならまぁ作ることは出来るが、その魅了状態を持続させるのは難しい。匂いを感じている間だけなら効いていても、離れてしばらくすれば正気に戻ってしまうだろう。直接かけた魅了なら離れても効いているだろうけど…。いや…、待て…。

この香水の魅了の効果が補助的な役割だとすれば…。

直接エレイン嬢に惹かれるように魅了魔法をかけている者が学園にいる…?何のために…?

エレイン嬢の魔力はわずかだ。彼女ではない。

クソ…。

学園全体に魔力を流して魔法の気配を察知したいのに、この小さなトカゲの身の上だと思うように出来ない。

今日で一週間。そろそろ変化(へんげ)魔法が弱まっている気配がするな…。


「セアラ様、市井で会っている男性たちはいったいどういった関係なのかしら?キーフェイス殿下という素敵な婚約者がいるというのに、ふしだらな行いは恥ずべきことですわ。貴女に第二王子殿下の婚約者は務まらないのではなくて?」


「おっしゃる意味がわかりません。私自身の行いに恥ずべきことは一つもありません。エレイン様。貴女が私の噂を流してらっしゃることはわかっております。殿下がお好きなら、お二人で陛下に嘆願し、婚約解消を願えば良いのではないでしょうか?真摯にお話しすれば、陛下もわかって下さるかもしれません。」


淡々と返すセアラ嬢に苛立ちを隠しきれないエレイン嬢が両手でドンッとセアラ嬢を突き飛ばした。

思わず尻もちをついたセアラ嬢の転んだ地面の上に、ウィンリックは魔法で空気のクッションを作った。

あれ?とセアラ嬢が一瞬不思議そうに目を瞬いたが、エレイン嬢の剣幕にハッと視線を戻した。


「いつもいつもいつも!!何食わぬ顔で、どんなに酷い噂を流されても知らぬ存ぜぬ!!一体何なの!?本当は悔しいんでしょ!あんなに素敵な王子様が婚約者ではない私を寵愛する様子を見て、腹が立つでしょ!!」

そう言って持っていたカバンを投げつける。


ウィンリックはその衝撃も魔法で風の壁を作り、セアラ嬢に当たらないように落とした。

キョトンと静止したセアラ嬢に、さすがに不自然だったかと考えた時、またもやうるさい足音が響いた。


「何をしている!?」

そうして現れたのはやはりバカ王子…もとい、キーフェイス殿下御一行だ。


どう考えても地面に散らばったエレイン嬢のカバンと中身。尻もちをついて座り込んだセアラ嬢の様子に、勘違いすることもないだろうという状況。

「貴様!!またエレインを虐めたのか!?」


おぉっと…。

そう来ますか…。

いくら魅了の魔法かかってても状況的におかしいのわかんないかな…。



「キーフェイス殿下ぁ…。セアラ様が…セアラ様が私のカバンを取り上げたのですぅ…!!」

「可哀想に。可愛いエレインに嫉妬したのだろう。」


うんうんと、敵視した目でセアラ嬢を睨みつけるデニスとライアン、ジャイロと殿下の護衛の皆さん…。

どう見たらそういう解釈になるんだ…。

…おや……?


ウィンリックはふと顔を上げてそこにいる者達を観察した。

…ほう…。


その時、目の前でキーフェイス殿下がセアラ嬢に勢いよく指を突きつけた。


「さすがにこれ以上の狼藉は許せない!!お前は王族の、私の婚約者に相応しくない!!婚約は破棄だ!!父上にはすぐに報告する!そして優しく私を支えてくれるエレインと婚約する!!」

大声を張り上げてとうとうバカ王子は自らの首を絞める言葉を吐いた。


あ~…言ってしまったな。

すみません、ロマノフ様。間に合いませんでした…。なんせトカゲだったので…。

全身と同じ土色の口元の口角が上がって赤い舌がチロチロ出てくる。


「畏まりました。謹んで婚約破棄を受け入れます。」

静かに立ち上がり、セアラ嬢は頭を下げて婚約破棄を受け入れる。

そして徐に王家からの授かった誓約の指輪を抜き取ると殿下へ返却する。

その瞬間、魔法が弾けて結ばれた婚約が消えた。


魔法で誓約された婚約はお互いの同意を以て解除されるのだ。

今この時をもってセアラ嬢とキーフェイス殿下の婚約は立ち消えた。もちろん、書面上はまだ婚約者のままだが、魔法の誓約が消えた以上、陛下は了承するしかなくなった。


「や…やったわ!!とうとう婚約はなくなったわ!!私がキーフェイス様の新たな婚約者よ!!」

その瞬間嬉しそうに飛び上がって殿下に抱き着いたエレイン嬢に、宣言したはずのキーフェイス殿下が引きつっている。

身体はエレイン嬢を抱き寄せているのに、顔は何とも微妙な表情なのだ。


魅了の魔法が解けかけている…?


「殿下、すぐに陛下にご報告に向かいましょう。」

そう言って護衛の一人が促すと、命令されたかのように、皆が頷き歩き出した。

残されたセアラ嬢の前に、その護衛のうちの一人が立ち止まって戻ってくる。


「ヴァレオーリー侯爵令嬢、この度は殿下が酷いことを…。私は貴女の無実を知っております。貴女の清廉さを知っております。私はあなたの事を誰よりも理解しております。どうか、お心を病むことなきよう…。」

そう言って近づいた時、強力な魅了魔法を放った。


させるかっ!


目の前が真っ白に光り、セアラ嬢が眩しさで目を瞑る。

しばらくして目を開いたセアラ嬢の前に、サラリと揺れる黒髪の青年が背中を向けて立っていた。


「な…。」

殿下の護衛であるバルツハイム伯爵子息のケインは弾かれた渾身の魅了魔法に目を見開いた。

「私の魔法が…!!」


目の前には無造作に伸びたサラサラの黒髪に赤い目をした端正な顔立ちの男…。


「お前は…魔術師ウィンリック…!?」

呆然とこちらを見つめたままのケインに、ウィンリックは面倒くさそうに拘束魔法を唱えた。

一瞬で拘束され横に転がったケインの前にしゃがみ込むとフッとウィンリックは笑った。


「残念だったな。必死で計画を立てて、セアラ嬢を孤立させ、無事に婚約解消させたのに。エレイン嬢の香水に魅了魔法を込めたのはお前だな。香水と同じ魔力をお前から感じてすぐに気付いた。」


悔しそうにウィンリックを睨みつけるケインの口元の拘束だけを解く。

「何度も殿下や側近たちに魅了魔法を重ね掛けしてきたな。護衛として学園を歩くお前には生徒たちに魅了魔法をかけて回るのは簡単だっただろう。ただ、セアラ嬢の魔力が強すぎて肝心の彼女には効かなかったのは誤算だった。」


「何を…私は別に…。」

「エレイン嬢を使ったのはちょうど良かったからか?彼女は香水に込められた魅了の魔法に気付いていた。裏で繋がっていたのか?目的はなんだ?あぁ…第二王子からセアラ嬢を奪うためか?」


王族に婚約破棄された瑕疵のついた侯爵家の令嬢に、伯爵令息は良い再婚約相手になるだろう。

こいつがやたらと熱い目をセアラ嬢に向けていたことには気づいていた。


「…!!なぜお前が…なぜ最上位魔術師のお前が学園にいる…!計画は完ぺきだった!!美しく聡明で優しい、天使のようなセアラ様をいつもいつも邪険にし、幼い恋心を拗らせて、悪態ばかりつく殿下はセアラ様に相応しくない!!だから私がセアラ様を幸せにしようと!!」


「それで孤立させ、悪評をばら撒き、魅了魔法で心を捻じ曲げようと?それがセアラ嬢の幸せだと?」


怒りのこもった赤い瞳に、ケインは顔色を失い黙り込む。

「残念ながら俺が来たからお前はもうお終い。一生牢獄の中で過ごすことになる。ただ、魅了魔法の精度はかなり素晴らしかったぞ?護衛より魔術師としての才能の方があったんじゃないか?さっきの魅了魔法は相当研究されていたしな。残念だ。」

そう言ってケインをロマノフ様の元へパパッと魔法で作った報告をつけて飛ばした。


仕事は終わったな…、と息を吐いた瞬間…。

「ウィンリック様…?」


ゆっくり振り向くと、驚いた顔でウィンリックを見つめる妖精が人間になったみたいに美しい少女が立っていた。

銀色の髪に大きな菫色の瞳。シミ一つない白い陶器のような肌に、長い睫毛。


トカゲではなく人として対面すると、とても小さく儚げに感じる。

今はその真っ直ぐな髪が細く柔らかい事も、纏う空気が花の香りがすることも、学園では人形のように無表情な顔が、花が咲くみたいに良く笑う事も知っている。


「もしかして…貴方は…トカゲの…リック…?」

さすがにバレたか。


観念したように頭を下げる。

「騙していて申し訳ございません。トカゲのリックこと、魔術師ウィンリックです。ロマノフ様の依頼を受け、学園に調査に来ました。」


彼女の部屋に一週間住みついていたトカゲが俺だなんて、嫌悪感も湧くだろう…。

断じて着替えを覗いたりはしていないが。


「そう…ですか…。先ほど、エレイン様から突き飛ばされた時も、助けて下さいましたね。」

「あぁ……セアラ嬢…、怒ってますよね?」

「いいえ。ただ、驚いてます…。どうしてトカゲに…?」


国家機密の魔法で、詳しくは話せないため、予期せぬ事態が起きて、トカゲになる魔法にかかったと誤魔化すウィンリックに、心得た様にそれ以上は追及してこなかった。


「それにしても、セアラ嬢、俺と目を合わせるの、怖くないのですか?」

真っ直ぐにこちらを見てくるセアラ嬢に思わず聞いてしまう。

「え?いいえ。瞳の色はガーネットみたいに綺麗ですし、私はウィンリック様に憧れていたので…お会いできて嬉しいです。」


は?憧れて…??


目を見開いた俺に、セアラ嬢は少し照れたようにはにかんだ。


「私、子供の頃、実はウィンリック様にお会いしたことがあるのです。キーフェイス殿下の婚約者に決まる前、父にお願いして魔術塔の見学に行ったことがあるのです。そこで魔法の研究を楽しそうにされていたウィンリック様にお会いしました。」


当時、両親を亡くして、伯爵家に引き取られたものの、義母や義弟の嫌がらせに居場所を無くした俺は、魔術塔で一日の大半を過ごしていた。魔法は楽しくて無限に広がる可能性に夢中になった。


「覗いていた私にウィンリック様は色々な魔法を教えてくださいました。その日は雨で、少し濡れていた私のワンピースの裾を風魔法で乾かしてくれて…。その風も、火魔法をかけ合わせて少し温かい風で。私が感動して、こんな温かい風で髪を乾かすような魔道具があればいいなって言ったら、わかった、作ってみるって言って下さって。その半年後に、温風が出る魔道具が発売されました。」


「…あっ…!!」


あれは…。

どこかで見た妖精みたいだと思っていたけど…

子供の頃に会った、セアラ嬢だったのか…!


「あの時、君は魔力が強いからきっと魔術師になれるよって言って下さったから、いつか一緒に魔術塔で働けたらなって一生懸命勉強したんです…。そしたら第二王子殿下の婚約者に選ばれてしまいました…。」


「それは…。すまない。俺の不用意な言葉のせいで…。」

神童と呼ばれるほど頭脳明晰なのは、魔術師になる勉強のためだったとは…。

そのせいであのバカ王子の婚約者に選ばれたのか。


「いえ。そもそも私は侯爵家を継ぐことが決まっているので魔術塔で働くことは叶わない夢だったのです。それで…エレイン様は魅了の魔法で殿下の心を奪っていたのですか?王族に対する精神系の魔法は重罪ですよね。」


「ああ。きっと彼女も然るべき罰を受けるだろう。あの護衛の男が君に放った魅了魔法は自身の魔力全てを使った渾身の魔法だった。その分、他の者達にかけていた魅了魔法が解けかけていた。いつ完全に解けるかわからないが、ややこしいことになる前に、正式に婚約の解消を書面で交わした方が良い。すぐ侯爵に話を通しておくべきだ。婚約の継続は望んでいないのだろう?」

「はい。すぐに屋敷に戻って父と話をします。あの…ウィンリック様。また、お会いできますか…?」


縋るように揺れる菫色の瞳に、思わず触れたくなる衝動が走った。

「…一週間…世話になったので…その…、また御礼に伺います。」

らしくなく緊張して答えると、ウィンリックはそのまま逃げるように魔術塔まで転移魔法で飛んだ。


「おかえり、ウィンリック。いきなり拘束された男を飛ばされて驚いたよ。報告書は見たけど、説明願えるかい?」

呆れたように苦笑いを浮かべたロマノフ様に事の顛末を話す。


キーフェイス殿下はあの後、陛下に会い、婚約の誓約が消えた報告をし、婚約解消の了承を得た後、魅了の魔法が解けたそうだ。好きな子ほど虐めたい、子供のような衝動で魅了魔法にかかる前から殿下はセアラ嬢を邪険にしていたそうだ。あのセアラ嬢の無表情も他の男に笑いかけたりしないよう、表情を変えることを何度も注意し、命令していたそうだ。やっぱりクズだな。

婚約が正式に解消された瞬間、魅了が解けて慌てた殿下がヴァレオーリー侯爵家に馬車を走らせたそうだが、そもそも侯爵家からすれば王命で調えられた望んでもいない婚約。

けんもほろろに追い返されたそうだ。


セアラ嬢に一目惚れして長く初恋を拗らせたまま素直になれずにいたキーフェイス殿下は今は人生が終わったかのように暗く沈んだ日々を送っているそうだ。そのうえ、国家機密である変化(へんげ)魔法を学園で人がいる中使ったことがバレて、二度と使えないよう魔術式の記憶を消されたそうだ。

そして、エレイン嬢、彼女は魅了魔法を使っているつもりはなかったと言い訳をしているらしい。しかし、殿下への恋心を募らせていた彼女は、あの護衛に『恋が叶う香水』だとそそのかされて、常にその香りを纏い、頻繁に殿下にくっついていたようだ。それでも度重なる虚言やセアラ嬢への暴力や暴言、下位貴族たちへの高慢な態度や虐めなど、魔法が解けた瞬間多くの証言が寄せられ、身勝手な行動で王族の婚約を潰したとして伯爵家を除籍され平民となったうえで劣悪な環境の修道院へと送られたそうだ。


その結果を聞いて、いくら魅了魔法にかかっていたとはいえ、甘い処罰だなと不機嫌に過ごしていたウィンリックに、ロマノフ様がニヤニヤした笑みを向ける。

「本当はもっと早く変化魔法を解くこと出来たんだろう?君ほどの実力があれば、キーフェイス程度の魔法など簡単だったはずだ。」

「別に…面倒くさかったからですよ。」

「そういうことにしてもいいけど…会いに行かなくていいのかい?待ってるんじゃないのか、セアラ嬢。魅了魔法が解けて、婚約もなくなってフリーになった途端、彼女の元へ大量の釣り書きが届いているそうだよ。優秀で美しい、しかも侯爵家の跡取り娘だ。それはそれはモテるだろうね。」

ピクッと体が揺れるが無視を決め込む。


「そういえばビルモンド侯爵家のデニスやジェット子爵の息子のライアンまで釣り書きを送ったそうだよ。」


「は?どの面下げて…。」

自分で思った以上に低い声が出た。


「ウィンリック…。私はね、人に興味がなく、魔法の世界にのめり込む君がずっと心配だった。そんな君が唯一私に妖精に会ったと嬉しそうに報告してくれたことがある。彼女の望む魔道具を作るんだと言って、楽しそうに作業する君の様子が嬉しかった。これでも私は君の事を息子のように大切に思っている。心が動く人に出会える事は滅多にない。後悔する前に行動しなさい。」


慈愛に満ちた優しい瞳でウィンリックを見つめるロマノフ様の言葉に、もしかしたら最初からこの人の掌の上だったのではと思った。

わざわざ俺を遣わせなくたって、ロマノフ様は情報収集力も人を動かす力も権力も全て持っている。

あの妖精の正体もロマノフ様は知っていたはずだ。

「ロマノフ様、お願いがあります…。」




その日、ウィンリックはヴァレオーリー侯爵家に訪問していた。


「来てくださって嬉しいです。ウィンリック様。」

満面の笑みでウィンリックを迎えたセアラ嬢は、過去最強にキラキラと光り輝いて見える。

光魔法でも使っているのか?


目をパシパシとこするウィンリックに、不思議そうに首を傾ける。

「ウィンリック様?」

「あ、いや…。その…、あれからいかがお過ごしでしたか?」


改まって言葉を正すウィンリックに、可愛く目をまん丸にして瞬く。

「楽にお話し下さいませ。ウィンリック様がそう言った話し方が苦手なことはわかっておりますので。」

そういうとニッコリと笑う。

侍女が入れてくれたお茶を静かに飲んでから、フゥッと落ち着かせるように息を吐く。


「では、遠慮なく…。あのあと、あのバカ王子が婚約破棄の取り消しに訪れたと聞いたけど、大丈夫でしたか?」

「バカ王子………フフッ、ええ。大丈夫です。父がスパッと追い返してくださいました。私も解消できてスッキリしました。エレイン様には正直感謝してます。解消したくて彼らを放置したかいがありましたわ。」

晴れやかに笑うセアラ嬢に、わかっててやり過ごしていたのかとおかしくなった。

それでも悪意のある噂や長年のバカ王子の態度。相当我慢していたのだろうなとその苦労を慮る。

陛下も完全に殿下の一方的な過失だと賠償を約束されたそうだし、今後のセアラ嬢の婚約にも憂いは残らないだろう。


「それは良かったです。あと、()()状態の俺を助けてくれてありがとうございました。普通の令嬢は…避けると思う。」

「そう…なのかしら…。可愛かったですよ?」


なんの会話かわからない様子の侍女たちは不思議そうに話を聞いている。


「それで…ロマノフ様に聞いたのですが、あれから大量の釣り書きが届いているとか…?一緒になって貴女を貶めていた()()()()からも…。」


厚顔にもあの側近共が釣り書きを送ったと聞いた。殿下とその側近たちは魅了魔法の被害者としてお咎め自体はなかったそうだ。

魅了魔法の被害に遭うまで、日頃の殿下の態度にも苦言を呈することもしなかった奴らが釣り書きを送る神経が理解できない。

さすがに伯爵家を継ぐ予定のジャイロには婚約者がいて、その様な行為はなかったが、あの後かなり義父には叱責されたようだ。


「もちろんお断りしました。自身の正義も持っていないような薄っぺらい方をヴァレオーリー侯爵家の婿として迎えることは出来ません。」

「…そうか…。それで…その…。」


俺は落ち着かなく目を伏せる。だが、ギュッと拳を握ると顔を上げた。


「セアラ嬢、今はチェルブライト伯爵家の養子となっているが、俺の生まれは平民で、侯爵家に相応しい立場ではないです。変人と呼ばれるほど魔術塔にこもっているような研究バカで、悪魔と呼ばれるようなこの見た目です。ですが、一応この国で一番の魔術師だと自負してます。」


菫色の綺麗な瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる様子に心臓がバクバクと早くなる。


「貴女が望むなら魔法を教えることも、一緒に魔術の研究も出来ます。俺の頭は悪くないと思うので、侯爵家の経営を手伝うことも領民達の生活を豊かにする魔法を考えることも出来ます。だから…もしあなたが望んでくれるなら、魔術塔に…来ませんか?」


「ウィンリック様の研究熱心なところも尊敬していますし、その紅玉の綺麗な瞳も好きです。サラサラの黒髪も、その精悍な素顔も素敵だと思います。私が…魔術塔に行ってもご迷惑になりませんか?」

少し顔を赤く染めてこちらを見上げる可愛さに変な声が出そうになる。

「な、なりません!ロマノフ様には俺の研究補佐として了承を得ています。」


「…まぁ…!魔法については素人ですが、お手伝い出来るなら嬉しいです。」

嬉しそうに笑ったセアラ嬢は、まだ俺の話の本質が伝わっていないだろう。



『ちゃんと言葉にして、しっかりと気持ちを伝えるんだぞ。言葉にしないと女性には伝わらん。』


ロマノフ様に言われた言葉を思い出して顔を上げる。


「それで…」

「つまり、ウィンリック様は私の旦那様になって、魔術塔では色々魔法を教えて下さって、家に帰れば旦那様として侯爵領の領主経営も支えて下さるという事でよろしいでしょうか?」


「……………はい…。」

…ロマノフ様、…何も言わなくても伝わりましたよ…。


「嬉しいです!ずっと、大好きだったのです。ウィンリック様、末永くよろしくお願いします。」

今まで見た中で最上級に可愛い笑顔に撃ち抜かれ、ウィンリックは撃沈したのだった。





後日談---


「リック様、今日はもう、おしまいです。帰りますよ?」

「む……あとちょっと…。」

「ダメです!今日は一緒にお風呂で小さな泡が大量にはじけるバブル魔法を試すのでしょう…?」

「………すぐ帰ろう。」
































































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― 新着の感想 ―
可愛らしく、素敵なお話をありがとうございます(*˘︶˘人)
変身魔法解けたら裸じゃないだろうな…!??が一番心配だったので着衣してて良かったです!! 妖精さんだと思ってたの可愛いな〜〜!!
泡よ!盛大に弾けるが良い! とても面白かったです♪ 変身魔法が解けると元の姿に戻るのですね、着衣ごと。(ハラハラしましたw)
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