お店から出ました
私が、ようやく最後の一口を食べ終えた頃。
ヴァレンティナ様は、 背筋をスッと伸ばして、外を見ていた。一つ一つの所作が、 無駄なく、 完璧で、 ――どこにも、隙がない。
そのときだった。
「これは、珍しいですな」
場違いな声が、割り込んできた。視線を向けると、 二人連れの男が、 いつの間にか近くに立っていた。にやり、とした笑み。 探るような目。
「……ここは、店の中です」
ヴァレンティナ様は、眉をひそめて言った。
「ご用件は何かしら?」
「単なる、挨拶ですよ」
男は、肩をすくめる。
「商売を競い合う仲ではありませんか?」
そう言ってから、 男の視線が、私へと移った。じろり、と。
胸の奥が、 ざわり、とした。
「……あれ?」
男は、わざとらしく首を傾げる。
「確か、あなたには――。子どもは、いませんでしたよねぇ?」
空気が、冷えた。
「貴方には、関係ありません」
ヴァレンティナ様の声は、 静かだったが、はっきりと、刃を帯びていた。その目で、男を真っ直ぐに睨む。
「それは、失礼しました」
男は、表情を崩さぬまま軽く一礼すると、 連れの男と共に、席を離れていった。
残されたのは、 甘いケーキの香りと少しだけ、重くなった空気。
ヴァレンティナ様は、 視線だけで男達を見送った後、 ほんの一瞬だけ、 疲れたような顔をした。
「……帰りましょう」
声が、 ほんの少しだけ、低い。
「はい」
私は、そう答えたけれど―― 胸のざわつきは、 まだ、消えていなかった。
さっきまで、 あんなに甘かった時間に、 こんな形で、 影が差すなんて。
……これが、 貴族社会、なのだろうか。
私は、 何も言わず、 ただ、ヴァレンティナ様の後ろを歩いた。
店を出て、貴族専用の馬車が停められている場所まで戻ってきた。
家紋入りの馬車。厚手の幌。御者席には、雇われの御者。――誰が見ても、安全が約束されている。だからこそ、油断が生まれたのかもしれない。
「お乗りください」
御者が扉を開け、踏み台を用意した時、馬が何かに興奮した。
「少々、お待ち下さい」
そう言って、御者が馬を見に行った、その瞬間だった。
「……失礼」
低い声が、背後から落ちた。振り返った、その刹那。
――ぞくり、とした。
男たちの手。その影の中で。鈍く光るものが、あった。
……ナイフ。一人ではない。二人ともだ。
握り慣れた手つき。隠す気もない。
「女の癖に、商売に出やがって」
男の一人が、笑う。
「自分が一番、優秀なつもりか?」
御者は、ちょうど馬の様子を見るため、馬車から一歩離れている。ほんの数歩。けれど、助けを呼ぶ時間が、消えた。
ヴァレンティナ様が、私を庇うように、半歩前へ出た。
「無礼です。ここは――」
その言葉が終わる前に、男の一人が、踏み込む。刃が、少しだけ持ち上がった。
(……まずい)
逃げる?無理。
叫ぶ?遅い。
私は、反射的に足元を見た。……踏み台の脇。乾いた土。
御者が立っていたせいで、掘り返されている。私は、身を屈め、小さな手いっぱいに砂を掴んだ。
「――っ!」
男が、気づいた、その瞬間。私は、思い切り、男の目を狙って砂を投げつけた。
「ぐあっ!?」
目を押さえ、ナイフを持った手が、ぶれる。
その一瞬。私は、全体重を前に乗せた。
――頭突き。
「がっ……!」
鈍い音。刃を持った1人男の身体が、ぐらりと揺れた。もう1人が、動揺してヴァレンティナ様から視線を外した。
「今です!」
私は叫び、ヴァレンティナ様の手を、全力で掴み。引いた。考えない。
そして、御者に向かって走った。
背後で、舌打ち。
「――チッ!」
御者が異変に気づき、振り返る。
「何だ!」
遠くにいた、人々の視線が集まり始める。
男たちは、ナイフを隠しながら、後退した。
私は、馬の近くで足を止めた。
心臓が、喉まで跳ねている。手が、震える。
それでも、ヴァレンティナ様の手は、離さなかった。
「……よく、動けたわね」
その声は、低く、静かだった。
「ナイフが、あったから」
私は、息を整えながら、言った。――私は小さいから。真正面では、戦えない。
「アリア」
ヴァレンティナ様は、はっきりと言った。
「あなたの判断は、最高だわ」
その言葉が、胸の奥に、深く沈んだ。




