筋肉痛は大人の特権
翌日。
私は、ひと目見て悟った。
――あ、これ、来てる。
ヴァレンティナ様は、身体が硬かった。
正確に言えば、「身体」というより、「動き」が、だ。
いつもなら、すっと優雅に歩くはずの廊下。
今日は、一歩ごとに、ほんのわずかに動作が遅い。座るときも、立ち上がるときも、なぜか、一瞬、間がある。
……これ、もしかしなくても。
筋肉痛、では?私は、内心うんうんと頷いた。
だって。私と少年は、まだ子どもだ。子どもは、回復力の塊である。筋肉痛?何それ?昨日はとっても、疲れたな、くらいで終わる。ちゃんと食べて、しっかり寝れば、翌朝には、ほぼ完全復活。
一方。ヴァレンティナ様は、立派な大人の女性だ。普段、使っていない筋肉を、あれだけ本気で使えば――結果は、火を見るより明らかだった。
私は、そっと、音を立てないように近づいた。
「……もしかして」
出来るだけ、心配そうな顔を作って言う。
「体調を、崩されましたか?」
ヴァレンティナ様は、一瞬、はっとした。
そして。
「……いえ」
ほんの少し間を置いてから、
「そうね。そうかも、しれないわね」
言葉を、濁した。
……やっぱり。完全に、筋肉痛です。
「でしたら」
私は、畳みかけるように提案した。
「今日は、剣の訓練は見学にされますか?……私は、出来ますが」
最後の一言は、我ながら、ちょっとだけ悪かったかもしれない。
ヴァレンティナ様は、私をじっと見てから、
「……その方が、良さそうね」
静かに、そう言った。
こうして、その日の剣の授業は――昨日と変わった。
「では、まずは基礎体力から――」
と言いかけた剣の教師が、
ふと、ヴァレンティナ様の様子に目を留める。
「……本日は、見学ですか。念のため、体調のほうを――」
教師が、そう言って一歩、前に出かけた、そのとき。
……あ。
私は、心の中で手を合わせた。
(先生。それ、いりません。本当に、いりません。もう授業、始まってますし。ここで声をかけたら。たぶん、逆にやる気スイッチ入ります)
(そして。結果。地獄です)
幸いにも。剣の教師は、ヴァレンティナ様の表情――静かで、穏やかで、それでいて「大丈夫です」と全身で語るその佇まいを見て、
動きを止めた。
「……問題は、無さそうですね」
軽く頭を下げ、教師は、こちらへ向き直る。
「では、本日は、軽めに進めましょう」
……よし。私は、内心で小さくガッツポーズをした。
その日の剣の授業は、基礎体力作りが、ほとんど無かった。走らされない。倒れるまでやらされない。
剣の教師は、時々ヴァレンティナ様を見ては、残念そうな顔をしていたが――知りません。
本当に、知りません。
私と少年は、ようやく。ようやく。
「構え」
「踏み込み」
「剣の振り方」
――ちゃんとした、剣の授業を受けることが出来た。横で見学しているヴァレンティナ様は、少し悔しそうで、それでも、どこか満足そうだった。
私は心の中で、そっと呟く。
――ありがとう。大人の筋肉痛。
こうして。剣の訓練二日目は、
奇跡のように平和な時間となったのだった。
……なお。次の日。ヴァレンティナ様が、何事もなかったかのように完全復活し、基礎体力メニューが倍になったことを、このときの私は、まだ知らない。




