少年は剣を習うらしいです
「姉さんは、昔から努力の人だったからね」
父さんが、しみじみと言った。
「あなたは昔から、努力しなくても適当にやって、上手くいっていたわね」
ヴァレンティナ様は、ため息まじりにそう返す。
……え。 評価、そっちなんだ。
「そんなことないよ。少しは……」
父さんが言いかけた、その瞬間。
「じゃあ」
ヴァレンティナ様が、にっこりと微笑んだ。
「いつの間に、リボンをあんなに上手く結べるようになったの?」
――あ。父さんの動きが、ぴたりと止まった。
「……それは、その。友人とかに、ちょっとお願いされて……」
「友人、ねぇ」
ヴァレンティナ様の視線が、じっとりと父さんに絡みつく。
……うん。 その言い訳、だいぶ苦しい。
友人? 女の? ふぅん?私も、自然と、じっとりした目で父さんを見る。
「過去の話だよ。今は、もう会ってないし」
父さんは、明らかに焦った声で言った。
「まあ……」
ヴァレンティナ様は、少しだけ間を置いてから。
「信じてあげましょう」
そう言って、すっと私の手を取る。
「行きましょう、アリア」
「アリア、本当に今は会っていないんだよ……」
背後から、父さんの悲痛な声が聞こえてきた。でも。私は、ヴァレンティナ様に手を引かれたまま、部屋を出た。
……うん。ちょっと、それはねぇ。
今日は、家庭教師が来ない日だった。
つまり。計算も、歴史も、課題もない。
平和な一日――の、はずだった。
「じゃあ、僕は行ってくるね」
少年はそう言って、剣の訓練に向かう支度をしている。
どうやら今日は、私の淑女教育の代わりに、彼は剣の訓練らしい。貴族とはいえ、男子は乗馬と剣を嗜むもの。そういうものらしい。
「別の授業になっちゃった」
少し残念そうに、少年は私を見る。
「そうだね。頑張って」
私は素直に、そう答えた。……正直、剣のほうが楽しそうだな、とは思ったけど。
少年は一度、くるりと振り返って、少し照れたように、それでも真剣な顔で言った。
「僕ね、アリアを守れるように、とっても頑張るからね」
……ちょっと。今日も、可愛すぎませんか?
その一言だけで、一日中、幸せですよ。少し胸が、きゅん、と鳴った。
「ありがとう」
そう返すのが精一杯で、少年は、少しだけ照れたように笑って、訓練場へ向かっていった。
――あれは反則だと思う。
少年の背中を見送っていると、ふと、隣でヴァレンティナ様が小さく呟いた。
「……私は、本当は剣を習いたかったのよね」
え。振り返ると、ヴァレンティナ様は、どこか遠い目をしていた。
「父様にね。どうしても、『女は駄目だ』って言われて。それで、諦めたの」
……そんな過去があったんだ。
私は、少しだけ考えてから、そっとヴァレンティナ様の手を取った。
「……じゃあ」
顔を上げて、とびきりの笑顔で言う。
「公爵に、私から頼んでみます」
ヴァレンティナ様が、少しだけ目を見開く。
「アリアが?」
「はい」
私は、こくりと頷いた。
「ヴァレンティナ様と一緒に剣を習えたら――」
一瞬、言葉を選んでから続ける。
「すごく、楽しそうですし。それに……自分を守れるようになるのって、大事だと思うんです」
――建前、八割。
――本音、二割。(淑女教育から逃げたい)
「剣を扱える女性って、格好いいですよね。守られるだけじゃなくて、自分でも立てる、って」
きらきらした瞳で、そう言う。
ヴァレンティナ様は、しばらく私を見つめてから、ふっと、柔らかく微笑んだ。
「……そうね」
そして、いつもの余裕ある声で言った。
「では私は、横で黙って見ていましょうか。主役は、アリア。あなたですもの」
……あれ? それ、プレッシャー増えてません?
こうして。私は自分の平和のために。
ヴァレンティナ様は、昔の夢のために。
二人そろって、公爵のもとへ向かうことになったのだった。
――この選択が、
後に、さらなる地獄を呼ぶことになるとも知らずに。




