家庭教師VSヴァレンティナ様
その日は、家庭教師が来る日だった。
――のだけれど。私はてっきり、その間ヴァレンティナ様は別のことをしているのだと思っていた。
読書とか、仕事とか、紅茶を嗜むとか。
……一緒に、いらっしゃいました。しかも、私のすぐ後ろの席。
……えっと。自由にしていても、よろしいのでは?
「初めまして。家庭教師を務めさせていただいております、エリオットと申します」
穏やかな雰囲気の男性が、慣れた所作で丁寧に頭を下げた。
それに対して、ヴァレンティナ様はいつも通り、余裕の微笑みで応じる。
「ヴァレンティナと申します。アリアの淑女教育を担当することになりました」
――その瞬間だった。
「……も、もしかして」
家庭教師のエリオット先生が、目を見開いた。
「ヴァレンティナ様、ですか?学園時代、全教科トップを独占し、歴代記録を次々と塗り替えた――あの?」
……え。私は、思わずヴァレンティナ様を見る。そんな、とんでもない人だったんですか、この方。というか先生。やけに詳しくないですか?もはや、長年のファンの目をしていますよ。
「僕、初めて聞いた」
ぽつりと、隣にいた少年が言った。
え。あなたも知らなかったの?
「昔のことよ」
ヴァレンティナ様は、肩をすくめてさらりと言った。
「昔の栄光なんて、何の役にも立ちません」
……セリフが、大人です。カッコいいです。
そのまま、ヴァレンティナ様は楽しげに微笑んだ。
「とっても楽しみにしてたの。実りある時間だと良いわ」
――その一言に。がたん。エリオット先生の手元から、本が滑り落ちた。
「あ、失礼……!」
慌てて拾い上げ、軽く咳払いをする。
「で、では……本日の授業を始めましょうか」
少しだけ声を震わせながら、そう言った。
この時、私は見逃さなかった。ヴァレンティナ様が――にやにやと、楽しそうに笑っているのを。
……あ。この人、わざとですね。
こうして。“伝説の元首席”に見守られ、しかも楽しそうに圧をかけられるという、前代未聞の状況で、私の授業は始まったのだった。
……これ、本当に集中できる気がしません。
授業内容は、この国の歴史だった。
……歴史。話として聞くぶんには面白いけれど、暗記作業になると途端に嫌になるやつだ。正直、生活に必要かと言われると、微妙なところでもある。
そんなことを考えながら、私は一応、真面目な顔で授業を受けていた。
「――では、この代の王についてですが」
エリオット先生が教科書を開き、淡々と説明を進めていく。そのときだった。
「……この代の王が、あまりにも早く亡くなった理由が弱いのですが」
唐突に、ヴァレンティナ様が口を開いた。
……え。私は、反射的に教科書を見る。
うん。やっぱり、そんなこと、書いてありません。
それ、完全に――行と行の間の話ですよね?
「……そ、それはですね」
エリオット先生は一瞬だけ言葉に詰まり、それから咳払いをした。
「現時点では、まだ仮説の域を出ておりませんが……」
そこから始まったのは、もはや五歳児向けの授業とは到底思えない、白熱した議論だった。
「当時の食糧事情を考えると――」
「いえ、外交記録の矛盾が――」
「それは後世の改竄の可能性も――」
……あの。授業、ですよね?
私は、そっと視線を横にずらした。
同じく取り残された少年が、椅子に座ったまま、完全に意識を置いていかれている。
私と目が合った。少年は、少し困ったように、苦笑いをする。
……うん。
わかるよ。
私も、同じ気持ち。私は小さく、笑った。
やがて。長い論議が、ようやく一区切りついた。二人の大人は、ふっと息を整え、そして――お互いの顔を、じっと見つめ合った。
「大変、優秀な教師ですね。安心しました」
ヴァレンティナ様が、穏やかにそう言う。
「光栄です。全身全霊、励みます」
エリオット先生も、深く頷いた。
次の瞬間。二人は、熱い握手を交わしていた。
――その光景を。私と少年は、ただ、ぽかんと眺めていた。
どうやら今日の授業は、歴史の授業という名の、大人たちの知識バトルであり、そして大人同士の信頼関係が深まる場でもあったらしい。
……まあ。面白いかどうかで言えば、面白いんだけど。
これって、本当に、授業なのかな。




