大人達の夜
夕食後、団欒室には大人が三人、集まっていた。
テーブルの中央には高級そうな酒瓶が置かれ、すでに中身は半分ほど減っている。 グラスの中で、琥珀色の液体が静かに揺れていた。
「私たちが、こうして一緒にお酒を飲む日が来るなんてねぇ」
ヴァレンティナはグラスを傾けながら、どこか感慨深げに言った。 頬は、ほんのりと赤い。
「そうだな」
公爵は短く、静かに応じる。
「彼女がここにいたら、私はすぐに帰るつもりだったのよ」
ヴァレンティナは、ため息混じりに言った。
「彼女は、問題があって別荘にいる。当分、こちらへ来ることはない」
公爵の声には、感情がほとんど乗っていなかった。
「……ずっと、公爵夫人の立場を許容していくものだと思っていたけれど」
ヴァレンティナは、グラスを見つめたまま言う。
「彼女、プライドが高いから」
「……彼女は、やり過ぎた」
公爵の声が、わずかに低くなる。
その空気に、弟――父さんの表情が、きゅっと強張った。
「アリアが、関係しているのよね?」
ヴァレンティナは、確信めいた口調で言った。
「……そうだけど」
父さんは、それ以上は言わなかった。
「どうせ、女性絡みでしょう?」
ヴァレンティナは、口元に不敵な笑みを浮かべる。
「詳しく話したくなったら、教えてちょうだい。とっても興味はあるけれど……今は、時期が早そうね」
父さんと公爵は、視線を交わす。
(姉さんには、敵わないな)
二人は、同じことを思っていた。
「それじゃあ」
ヴァレンティナが、グラスを掲げる。
「美味しいお酒と――これからの生活に、乾杯」
大人三人は、静かに盃を合わせた。
澄んだ音が、団欒室に小さく響いた。
ヴァレンティナは、用意された部屋をゆっくりと見渡した。
「まさか……私が、昔使っていた部屋を用意するなんてね」
ぽつりと、言葉が零れる。
カーテンも、壁紙も、ベッドも。 どれも、彼女がこの屋敷を出ていった頃と、ほとんど変わっていなかった。
公爵が結婚してから―― この部屋には、もう二度と足を踏み入れることはないと思っていた。
扉を開ける直前のことを、思い出す。廊下で、弟に呼び止められた。
「姉さん……」
俯いたまま、弟は言葉を絞り出すように続けた。
「アリアの母親は、多分、この世にいない。それは、アリアも知っている」
そこで、一度言葉を切り――
「……アリアは、この屋敷に、痩せた野良猫として入り込んできたんだ」
重たい沈黙が落ちた。
「昔のことと、母親の話題は禁句、ということね」
ヴァレンティナは、静かに言った。
「……ごめん。無理を言って」
弟の声は、ひどく弱々しかった。
「あなたたちのお願いでしょう?」
ヴァレンティナは、肩をすくめる。
「聞かない理由なんて、ないわ。心配はいらない。完璧な淑女にしてあげる」
「……ほどほどに、ね」
弟は、苦笑いを浮かべた。
「失礼ね。私を、誰だと思っているの?」
「頼りになる、姉さん?」
「そうよ」
そう答えてから、ヴァレンティナは弟を見やる。
「ほら。あなたも、早く寝なさい」
弟が去ったあと、ヴァレンティナは小さく息を吐いた。
――あの弟が、ここまで心配するなんて。
本当に、アリアのことを大切に思っているのね。
それは、悪い気がしなかった。
ヴァレンティナは、明かりを消す。 部屋は闇に沈み、夜の静寂が、ゆっくりと深まっていった。




